「文化力」の時代――21世紀のアジアと日本

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000246675

作品紹介・あらすじ

本書は、40年以上のながきにわたって自らのフィールドとしてアジアに関わり続けてきた文化人類学者が、文化こそが危機的状況を乗り越えるための鍵であるとして、文化の役割を正面から論じた問題提起的評論集。文化人類学的観察眼で捉えた現代アジア理解のうえに、文化戦略的思考の重要性を説く政策論的視点が加わり、ユーラシア時代としての21世紀の行方を見据えた考察としてきわめて示唆的である。

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  • 多様で異質なアジア世界において相互理解をはかり、新しい時代を切り拓くために、なにが必要なのか。現代のアジアをめぐる問題を中心に、文化人類学の視角から捉えた、アジアと日本の「文化」にまつわる問題を論じる。【「TRC MARC」の商品解説】

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    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40159616

  • 思索

  •  文化人類学者で、2007から09年にかけては文化庁長官も務めた著者が、文化の役割を真正面から論じた評論集。

     読む前に想像していたよりもはるかに面白かった。
     面白さの要因の一つは、どの論考も著者の豊富でディープなアジア体験に裏打ちされていること。

     著者は若き日のタイへの研究留学中、「タイのことを本気で研究したいなら僧侶になれ」と現地の友人に言われ、短期ながら僧侶になって僧院生活を送ったという人。しかも、その後の40年間以上にわたって、ほぼ毎年アジア各国に赴き、現地の人々と深い交流を重ねてきたのである。
     そうした長年の観察がベースにあるから、著者の主張はどれ一つとっても机上の空論ではなく、説得力がある。

     ジョセフ・ナイの「ソフト・パワー」論をふまえた「クール・パワー」論(日本はハード・パワーに依存しない冷静な文化力をもつべし、との主張)も、示唆に富んでいる。

     アジア各国の現状と展望に関心が強い人なら一読の価値あり。

  • 【版元】
    価格:本体2,500円+税
    刊行日:2011/12/22
    ISBN:9784000246675
    版型:四六 上製 カバー 318ページ 在庫僅少

    40年以上のながきにわたって自らのフィールドとしてアジアに関わり続けてきた文化人類学者が,文化こそが危機的状況を乗り越えるための鍵を握るものであるとして,文化の役割を正面から論じた問題提起的評論集.文化人類学的観察眼で捉えた現代アジア理解のうえに政策論的視点が加わり,ユーラシア時代としての21世紀の行方を見据える.

     “この本には,この十年ほどの間にさまざまなところに発表した論考を収めた.
     現代のアジアをめぐる問題を中心に,問題は多様であるが,基本的には文化人類学の視角から捉えた,アジアと日本の「文化」にまつわる問題を論じている.まつわると記したのは,いわゆる「文化論」ではなく,アジアと日本のもつ多面的な関係において「文化」をどのように位置づけるか,その役割をどのように捉えるか,といった問題に関心を向けることを心がけたからであり,主要論題として,経済発展,政治的課題,安全保障,環境問題などが論じられること自体はもちろん当然であるが,国際・地域関係の土台を築くための基礎作業として不可欠な「文化交流」への関心抜きで論じられることがあまりに一般的であるからである.” (「はじめに」より)
    https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b262673.html

    【目次】
    はじめに [v -viii]
    目次 [ix-x]

    ■第一部 東アジアと文化の問題 

    第1章 現代東アジア文化の性格とその担い手――「東アジア共同体」を構想する手がかりとしての「文化の役割」 003
    1 新時代の到来 003
    2 地域の特徴――文化・文明の交差路 005
      様々な地域との関係から文化を作る
      外に向かって開かれた地域
      宗教の多様性
      言語の多様性
      民族の多様性
    3 基層信仰の問題――共通する自然崇拝 024
      大宗教に追いやられた信仰
      基層信仰にある普遍性  
    4 「混成文化」――三つの層から成立 026
      基層文化+二大古代文明+西欧・アメリカ化
      ある程度取り入れ、ある程度取り入れない
      儒教文化圏と漢字文化圏  
    5 「共同体」文化の担い手 033
      「都市中間層」の出現
      ライフスタイルが似る都市中間層
      大きな意味を持つ文化現象
      成長する文化市場
    6 「国民国家」を越える方向へ 043
      近代国家の手本――国民国家
      東アジアの新しい国家像  
    参考文献 047

    第2章 破壊の中の「奇妙な発展」――二十世紀末の東南アジアで 049
    ポスト・クライシス 049
    欲望の反乱 051
    「奇妙な発展」 054
    「ジョルダーノ」から「オデル」へ 057
    地域紛争 060

    第3章 グローバル化の中の二つのアジア――「大きな幸福」と「小さな幸福」,二十一世紀初めのアジアで 064
    はじめに 064
    「大きな幸福」追求の終り 066
    「小さな幸福」の追求 070  
    発展への二つの方向と形 075
    修行の世俗的意味 080
    おわりに  085
    注 087

    第4章 アジア「都市文化」大競合時代の到来?――二十一世紀初頭の上海で 088
    空港からホテルへ 088
    大競争の時代 090
    「文化度」の問題 092
    上海の独特の深み 095
    都市の霊気を感じる 098
    「矛盾の大国」そして上海 102
    グローバル・シティ上海とアジア都市文化の多様性 104

    第5章 異文化理解と相互交流――東アジアと「地域研究」の課題 107
    1 東アジアと異文化理解 107
    2 地域研究の状況性 109
    3 地域研究の戦略性 113
    4 地域研究と専門研究者 116
    5 相互理解のための地域研究 118
    6 覚書としての東アジア研究課題 124
    注 127

    ■第二部 近代日本のアジア認識 129

    第6章 『文明論之概略』と『東洋の理想』――近代日本のアジア認識 131
    1 “東洋文化の教養” 131
    2 文明のとらえ方 135
    3 東洋の理想 142
    4 文化の不在 150
    注 155

    第7章 「民族」と「アジア」から見た近代日本 157
    1 問題関心 157
    2 「国民」と「民族」 161
    3 脱亜と「アジアは一つ」 170
    4 大東亜共栄圏と「民族」 172
    5 “大和民族を中核とする世界政策の検討” 174
    参考文献 185

    ■第三部 「現代文明」の破綻と「文化の力」187

    第8章 現代文明の破綻――「9.11」の教訓 189
    何という亀裂 189
    錯乱のニューヨーク 191
    「新しい戦争」と「グローバルな敵」 194
    無機物点としての殺戮と破壊 196
    痛みのない暴力 199
    「垂直化」と「ソフトパワー」 202
    へ向かって 204

    第9章 「クールパワー」の創造 206
    「反日感情」にいかに対応すべきか 206
    「国際公共文化財」としてのスポーツ 207
    「ソフトパワー」論の検討 211
    「クールな国と国民のイメージ」の創造 216
    『冬のソナタ』が巻き起こした旋風 220

    第10章 アジアの大学――その発展と問題 224
    目ざましい発展 224
    アジアの大学との出会い 227
    アジアの「ベスト・ユニバーシティーズ」 230
    アジアの大学のランク付け 232
    「大学のパワー」の意味するもの 
    後記 238

    第11章 ユーラシア時代を見据えて 240
    ユーラシアのイメージ 240
    アジアでもヨーロッパでもない 241
    ユーラシア「分割」の危機 243
    「帝国」の条件 247
    大国の勢力分布 252
    「仲介国」としての出番 254

    ■補論 文化政策と東アジア 259

    第12章 日本の文化政策の進路と日本文化政策学会への期待 261
    1 はじめに 261
    2 グローバルとローカル 263
    3 公共性と文化 266
    4 国家と文化政策 270
    5 国際性と国内性 272
    6 基本的な具体的研究テーマ 275
    7 文化創造への道を 279

    第13章 「東アジア現代文化圏」の形成と日本 283
    1 はじめに 283
    2 東アジアとはどこか? 285
    3 東アジア現代文化圏について 286
      1 共同体の必要性 
      2 共同体構築の難しさ 
      3 多用な文化 
      4 文化のハードな側面 
      5 文化のソフトな側面 
      6 文化大競合時代の現実 
      7 国策で文化に取り組む時代 
      8 現代東アジアは文化の一大マーケット 
    4 日本の可能性 296
    5 大学も競合時代へ 297

    解題 [299-304]
    あとがき(二〇一一年十月 青木 保) [305-307]


    【抜き書き】
    pp. 299-301
    ――――――――――
      解題

    第一部「東アジアと文化の問題」
     ここには五編の論考が収められている。さまざまな形であるが、いずれも現代アジアに関する現実的な考察の中で「文化」の問題をどのように位置づけるか、を問題の中心に据えている。

     第1章 「現代東アジア文化の性格とその担い手――「東アジア共同体」を構想する手がかりとしての安化の役割」」(初出題名「「混成文化」の展開と広がる「都市中間層」」、伊藤憲一 ・田中明彦監修『東アジア共同体と日本の針路』NHK出版、二〇〇五年)は、二十一世紀になって政治·経済の大きなテーマにもなってきた「東アジア共同体」論議に対して、その基礎構築としてこの地域の文化に関する理解の必要性と現代文化の展開、またその担い手たる「都市中間層」(社会中間層)の存在を指摘し、「文化交流」の促進と相互理解の進展がなければ「共同体」などの構築はありえないと論じている。これは実際、今後「東アジア共同体」構想がいくら論議されようが「文化」不在の議論には意味が無いとさえ筆者は考えている。

     第2章 「破壊のなかの「奇妙な発展」―― 二十世紀末の東南アジアで」(初出『外交フォーラム』一九九九年十二月号)では、一九九七年のタイの「通貨危機」に発する「アジア経済危機」の後、「ポスト・クライシス」が叫ばれる中で、決して危機は去ったわけではないのに人々の「消費願望」「消費文化」への欲求が高まり、それは奇妙な表面的な「発展」を印象付けている状況を、実地に見ての経験から論じている。この「都市中間層」の「消費願望」は「情報願望」ともなって二○一○年末にチュニジアで出来した「ジャスミン革命」に通底する問題ではないか、と思っている。十年以上前の実地見聞に基づく論考ではあるが、現在、ここで述べたことはより現実的になりつつある。

     第3章 「グローバル化の中の二つのアジア――「大きな幸福」と「小さな幸福」、二十一世紀初めのアジアで」(初出題名「グローバル化の中での幸福の追求」、青木保他編『幸福――変容するライフスタイル』アジア新世紀4、岩波書店、二〇〇三年)では、経済発展の著しいアジア諸国であるが、「開発・発展」へ一途といっていい形で邁進する日本や中国に代表される「東アジア型」と、宗教や民族や地域・身分などの違いを抱えながら発展への道を辿ろうとするインドなどに代表される「南アジア型」との二つの方向を指摘した。

     第4章 「アジア「都市文化」大競合時代の到来?―― 二十一世紀初頭の上海で」(初出題名「上海ソフトパワー論――アジア都市「文化大競争」時代が始まった」『中央公論』二○○二年四月号)は、二〇〇一年一月に二度目の上海訪問をしたときの実感を記している。その四年前の訪問時と大きく変わっていたからだが、特に文化の面でその変貌が著しい。都市文化の展開は戦前の「魔都」と呼ばれた頃とも違って今後の「文化都市」の発展を感じさせた。ロンドン、パリ、ミラノ、ベルリンといったヨーロッパの都市にはそれぞれ個性的な「文化」が全体としての西欧文化の基調の上に展開されており、われわれはその違いを楽しむことができる。東アジアでなぜそれが出来ないか、これは残念な問いだった。かねてからの希望的な期待であるが、二十一世紀に入ってからの東アジアの都市文化はいまその端緒を感じさせる面が出てきた。上海にはその後二度行っているが、北京も含めてこの面は着実に充実してきている。

     第5章「異文化理解と相互交流――東アジアと「地域研究」の課題」(初出題名「東アジアと「地域研究」――「混成文化」と「異文化理解」」『ワセダ・アジア・レビュー』No. 1、早稲田大学アジア研究機構、二〇〇七年)。 アメリカで一頃熱心に促進された「地域研究」は基本的に政治的戦略的性格を持つ。例えば、ベトナム戦争の頃のアメリカでは「東南アジア研究」が奨励され大きな研究費が出た。それがアメリカの敗戦後にはほとんど出なくなり「東南アジア研究」も活発ではなくなった。一九八○年代のバブル経済期の日本においては研究費が多く出たし多くの研究者がいたが、バブルが弾けると日本研究熱は一挙に冷めた。東アジア研究は「地域研究」としていま積枢的に取り組まなくてはならない課題であるが、アメリカの轍を決して踏まず、あくまで地域の平和と共生を目的として取り組まれる必要がある。そのためには「地域研究」の基本的課題として「異文化理解」を基にしての「相互理解・交流」を図ることが求められる。「地域研究」は、こうした目標をはっきりと掲げて行われるべきだと強く思うのである。またアジアを理解しその問題点を明らかにすろためには学問的研究とは別に「アジア評論」といった分野を知的論議の場として発展させる必要がある。さらに「東アジア大学(大学院)」を東アジアの共同取組みによって実現させたいとの気持ちは私の中ではますますたかまっている。

    第二部「近代日本のアジア認識」
     ここでは二編の論文を収めた。近代日本そして現代にまでも大きな影響を与えている日本人の「アジア観」そして「民族」に関する論考である。
     第6章「『文明論之概略』と『東洋の理想』――近代日本のアジア認識」(初出題名「近代日本のアジア認識――文化の不在」、青木保他編『日本人の自己認識』近代日本文化論2、岩波書店、一九九九年)は、近代日本の「アジア観」に大きな影響を与えた二著について、それぞれ立場や視点は異にするが、いずれも「同時代」のアジアの人々の価値観や生活様式、芸術や音楽などの広義の「文化」への関心を欠くことが「アジア認識」としての限界を示し、以後の「脱亜入欧」的な「アジア観」へと導いたことを論じた。
    ―――――――――――

  • 4月27日ヤフーニュースに「クール・ジャパンを脅かす韓流」という記事。『「マンガ・アニメ」「音楽」「メーク・ファッション」の3分野では日本が韓国を上回ったものの、「ドラマ」「映画」の2分野では日本が韓国を下回った』との内容。それを受けての、ヤフーコメント欄のご意見――


    「ゴリ押しの結果だろ」


    ア ホ か 。


    ヤフーコメント欄のアホどもは自分らが所謂「中華思想」的思考に陥っているのに全然きづいてないわけです。本当にアホだ。

    日本人がいう「アジア」の意味。
    日本は「単一民族」だという主張。
    沖縄は「日本」だという歴史認識。

    この本を読んで上述の3項目だけでいいから考察してください。日本を礼賛するのはその後だよ。

  • 文化立国に向けて具体的提案がいっぱい《赤松正雄の読書録ブログ》

     「文化と文化交流の重要性を新しく生じてくる現象や問題に触れながら考察し論じた」とされる青木保『「文化力」の時代』。これは、『アジア・ジレンマ』以来、約10年ぶりの待望久しい論考集だ。この間、07年から09年の間、文化庁長官を経験されたりした。かつて、タイ・バンコクで僧侶として修業を半年間積まれた。その体験をもとにした記述にはやはり迫力がある。

     「社会主義や共産主義といった大きな幸福の追求が、(中略)宗教、信仰、修業といった幸福の追求を禁じたことによって、それこそきわめて物質的即物的な形での欲望の充足しか目標としない社会を現出」させた、との記述は中国に向けられたものであると同時に、資本主義国家日本にとっても身に覚えなしとしない。「東アジア型発展の行き着くところ虚無と非人間の黒々とした深淵が待つ」が、「南アジア型発展は、宗教の大きな幸福の追求と日常の人々の小さな幸福の追求とが社会的文化的人間的な緊張関係を失うことなく存在する」とされ、東と南の対比はまことに示唆に富む。

     青木さんは南アジア型発展の類型はこれから全世界的規模で見習う必要があるとされている。タイのこれからには、今は称賛されているものの、注意してみなければならないだろう。この辺り、前回取り上げた「釈迦仏教」についての佐々木閑さんの見方と相通ずるところがあるのは興味深い。東アジアのみに目を向け、南アジアを遅れてきたるところと規定しがちな現代日本人としては、大いに反省する余地があるかもしれない。

     明治維新から80年間を「富国強兵」一筋に歩み、敗戦後の今は経済至上主義(「富国強経」とも)の旗印のもとで経済一本槍で進んできた結果、大自然災害の波状攻撃で日本は今奈落の底に沈みつつある。これを立て直すには、経済だけでなく、抜本的な社会のありようを見直す必要があろう。国家の目標を文化・芸術立国、人間教育の確立をめざすところにおくべきと私は考えている。青木さんもこの本の最終章で文化、芸術による国作りの必要性を訴えておられ、我が意を得たりとの思いが強い。

     しかし、予算規模にしても具体的なソフト充実の展開やら、ハード部分の構築などでも欧米だけでなく、中国、韓国など他の東アジアの国々にさえ日本が遅れをとっている事実は否めない。小泉内閣時代に内閣府が中心になり、青木さんが座長になって「『文化交流の平和国家』日本の創造を」といった報告書をまとめられ、提示されていながら、その後はさしたる前進を示していないのはどういうことだろうか。改めて国会に身をおくものとして、文化政策を充実させることを決意させられた。

  • 「東アジア型発展」の行き着くところ「虚無と非人間」の黒々とした深淵が待つ。「南アジア型発展」の方向が実りある未来を示しているよあに感じられる。

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著者プロフィール

1938年東京都生まれ。文化人類学者。東京大学大学院修了、大阪大学で博士号取得。東南アジアをはじめ各地でフィールドワークに従事。元文化庁長官、大阪大学名誉教授、前国立新美術館館長。主な著書に、『儀礼の象徴性』(1985年、岩波書店、サントリー学芸賞)、『「日本文化論」の変容』((1999年、中央公論新社、吉野作造賞)などがある。

「2023年 『佐藤太清 水の心象』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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