平成の天皇制とは何か――制度と個人のはざまで

制作 : 吉田 裕  瀬畑 源  河西 秀哉 
  • 岩波書店
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レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000247238

作品紹介・あらすじ

現代の日本社会において象徴天皇制はどのような機能を有し、その制度のなかで明仁天皇はどのような役割を果たしているのだろうか-。明仁天皇と美智子皇后が自らの発言や行動を通じて作りあげ体現してきた「平成流」象徴天皇制の実態やあり方を、九人の専門家たちが分析・検証するとともに、「代替わり」後の象徴天皇制の行方を縦横に論じる。

感想・レビュー・書評

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  •  天皇明仁の「生前譲位」を軸に、平成期の天皇制の歴史的変化を追究した論文集。所収論稿は以下の通り。

    瀬畑源「明仁天皇論」
    河西秀哉「美智子皇后論」
    冨永望「柔らかな『統合』の形」
    船橋正真「『皇室外交』とは何か」
    吉田裕「『平成流』平和主義の歴史的・政治的文脈」
    山口輝臣「宮中祭祀と『平成流』」
    森暢平「メディア天皇制論」
    渡辺治「近年の天皇論議の歪みと皇室典範の再検討」
    西村裕一「『象徴』とは何か」
    吉田裕、瀬畑源、河西秀哉「〈座談会〉『平成』の終焉と天皇制の行方」

     個人的に注目したのは、まず冨永論文。これは天皇明仁への内奏・進講、及び皇后を含む行幸啓の実情を数量的に明らかにしているのだが、特に昭和期にはなかった事務次官の進講や、災害時の自衛隊・警察幹部の進講の増加が注意を惹く。行幸啓では、意外にも企業への行幸が多い。進講や行幸啓には天皇の個人的意思が反映しやすく、見ようによっては昭和天皇以上に能動的に「政治」への関与を拡張させたと言え、巷間のイメージを覆す事実として重要であろう。

     次に吉田論文。ここでは明仁の戦争と歴史に関する「おことば」を系統的に分析し、巷間言われているほど「加害責任」に言及してはおらず、特に外国人戦没者への言及は2006年が初出で、首相の談話・発言(加害責任の初出は1993年の細川内閣)に比べても相当遅延していることを明らかにしている。また、PKOやテロ特措法による海外派遣任務を行った自衛隊への「接見」を繰り返しており、国論に亀裂のある問題にもかかわらず実質的に政府の安全保障政策に支持を与える機能を果たしていることを問題にしている。本書の他の論稿は全体的に明仁個人の個性・能動性を強調する傾向があるが、本論文は逆に天皇がその当時の政治的状況に規定される「限界」を示している。

     山口論文は、「生前譲位」をめぐる賛否の対立を「公的行為」と宮中祭祀のどちらを重視するのかという論点として把握し、天皇明仁にあっては両者は相互補完・不可分のものであって、天皇と国民の間に大きな齟齬があることを明らかにしている。「宮中祭祀と象徴的行為は、ともに制度的な裏付けがほとんどなく」「次の天皇が止めたければ、そうしても法的な問題はおこらない」(p.144)という指摘は、明仁のビデオメッセージでの主張の非合理性と時限性を端的に明示している。

     最も異彩を放つのは、「護憲」派・「リベラル」派の安易な明仁支持・同情論を批判し、明治憲法以来の歴史的文脈と現行憲法制定過程・運用過程の実証的分析から、天皇の「公的行為」拡大の危険性・違憲性を追及する渡辺論文だが、分析は正しいのに結論がおかしい。憲法の一般原則と矛盾する皇室典範の全面改正(退位の自由、皇籍離脱の自由、女性の皇位継承権の容認)を主張し、それが将来の天皇制廃止の前提となると強弁するが、特に女帝容認は天皇制の延命・安定化に寄与するものであることは、諸外国の君主制の例を見れば一目瞭然である(本書でも吉田裕は巻末の座談会で、天皇制廃止のためにむしろ「男系論者」に頑張って欲しいという趣旨の皮肉を述べている)。「公的行為」「象徴的行為」として被災地に行くのはだめだが、「私的」には勝手に行けばよいという主張のナンセンスさは、首相が「私人」として靖国神社を参拝することと比較すればこれも一目瞭然だろう。結局、憲法を厳密に解釈して「国事行為」のみを行う存在として天皇を位置付けるならば、御所に閉じ込めて自動人形的な「機関」とするほかなく、「人権」「自由」を問題にするのならば、典範改正でお茶を濁すのではなく、堂々と憲法改正による天皇制廃止しかない。本書を読む前は渡辺の論稿を最も期待していたのだが、蓋を開けてみたら最もがっかりさせられた次第である。

  • 一人の筆者による「天皇論」ではなく、様々な立場から書かれた論文を集めた論文集です。
    極めて専門的で、門外漢には読めない、というレベルの論考は一本もなく(もちろん、簡単なエッセイではないので読みごたえがあるものもありましたが)、今上陛下の生前退位を目前とした現在、私たちが考えるべきことの視点を提供してくれている本になっていると思います。

    いわゆる「平成流」の「象徴天皇としてのあり方」が国民に広く受け入れられるようになってから久しい。
    「伝説」となった雲仙普賢岳の火砕流のお見舞いをはじめ、被災地や戦災地をまわり「祈る」天皇・皇后両陛下の姿は国民にとっても「馴染み」のあるものとなった。
    ただ、天皇皇后両陛下の行っている現在の「公的行為」は果たしてどのような法的裏付けがある行為なのか(憲法に定められている国事行為ではない以上、違憲なのか)。

    憲法学会の主張として、天皇陛下が「模索してきた(退位を表明したいわゆる「お言葉」にもそうあった)」象徴天皇としてのあり方は、憲法の定める天皇としてのあり方と矛盾している、という主張に対して、私自身確固たる根拠をもって反論することはできないのですが、そういった学会の主張に対して違和感を覚えるあたり、私自身も天皇皇后両陛下の行ってきた「祈り」に対して”ファン(P.152,山口)”のような感覚でいるのかもしれません。

    ただ、天皇皇后両陛下も、全く新たな、実権に基づく権威を持たない「象徴」だけの”天皇”として、戦後の経済成長も終わった新たな世の中でのあるべき姿について悩み、試行錯誤を繰り返してきたのだろうということは種々の論考からもうかがえました(そのこと自体が憲法学説的に是か非かということはさておき)。
    ただ、今回この本を読んだことで、今上陛下の行ってきたことが「正当(正統)」であり、現皇太子殿下が即位したのち、そのあり方をそのままに受け継ぐことが果たして良いことなのだろうか、という疑問を抱くきっかけとなったように思います。
    天皇に政治的な権能を与えない、ということで始まった日本国憲法下の戦後日本でしたが、現在の天皇陛下の「おことば」には過分に政治的な影響力があることを踏まえると、無条件に天皇陛下の「おことば」にうなずくことができないじぶんにも気づかされます。

    これからの「天皇制」のあり方を含めて、いままでよりも濃密な(かつ、国民の多くが興味を失うことが無い程度に簡潔な)、国民全体を巻き込んだ議論が必要なのだろうと思います。

  • 313.61||Yo

  • 17/09/03

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