暴力・戦争・リドレス―多文化主義のポリティクス

著者 : 米山リサ
  • 岩波書店 (2003年11月27日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000247511

暴力・戦争・リドレス―多文化主義のポリティクスの感想・レビュー・書評

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  • 米山リサさんの名前は1994年に日本語が出版されたフジタニ, T.『天皇のページェント』(NHKブックス)の訳者としてだった。当時修士課程にいた私は本書と西川長夫『国境の越え方』で近代国家批判研究というものに目覚めた。そして,その後米山リサさんが米国で研究活動をしながら,広島原爆に関する著書を書いたことを知り,その一部が岩波書店の雑誌『思想』に掲載されたので読んだ次第。
    彼女の文章も少しずつ日本語で読めるようになってきたが,本書のタイトルはちょっと私には難解で,その値段にしては買い控えていた。とりあえずAmazonの「お気に入り」に追加しておいて,中古品が安くなっていたので購入した次第。ここのところ,私は論文執筆のために直接関係のある論文ばかりを読んでいたが,ようやく最近単行本を読む余裕が出てきたので,早速読んでみた。結論的には非常に刺激的な読書だった。まずは目次を。

    はじめに
    第1部 知の政治性を問う
     第1章 「批判的多文化主義」の考え方
     第2章 変革的知のために――他者性の学としてのカルチュラル・スタディーズ
    第2部 トランスナショナリティと文化研究の可能性
     第3章 記憶と歴史をめぐる争い――スミソニアン原爆展と文化戦争
     第4章 批判的フェミニズムの系譜と女性国際戦反法廷
     第5章 旅する記憶・感染する正義――世界正義のアメリカ化とリドレス

    私が本書のタイトルを難解だと書いたが,それは「リドレス」という単語だ。これはredressという単語で本書では(補償)という訳語を充てていて,私の持っている英和辞典には「賠償」の訳語があった。本書のタイトルに「戦争」ともあるように,いわゆる戦後補償の問題が本書にも含まれている。実は私は自分の研究でも政治性などを謳っていながらいわゆる政治問題は苦手なのだ。戦争はその最たるものだが,自身の研究テーマにすることは考えられないし,他人の研究でもなかなか読むことができない。
    本書がそういう私の「読まず嫌い」を脱却させてくれればいいのだが。といっても,前半は「多文化主義」をテーマとして,カルチュラル・スタディーズの議論をしている。やはり日本の出版界はカルチュラル・スタディーズも一時期の流行として既に忘れ去ってしまった感がありますが,第1章は多文化主義という切り口からで非常に刺激的。多文化主義という言葉もすっかり使い古された感がありますが,それはそれとしての意義がまだあることを感じさせてくれます。
    第2章はある本に対する書評論文。それは,私もちょこっと聞きにいきましたが,ストュワート・ホールが来日した際に東大の安田講堂で開催されたシンポジウムを記録したもので,『カルチュラル・スタディーズとの対話』という本。私は持っていません。日本の戦争問題を研究している著者ならではの切り口がこれまた非常に新鮮です。カルチュラル・スタディーズのあり方自体が地政学的に考察できるということでしょうか。
    第2部に入ると,だんだん難しくなってきます。第3章は太平洋戦争をめぐる米国(本書では一貫して合州国と表記されています。これは私の記憶ではアメリカ合衆国が州を合わせた国だから合州国だと本田勝一と主張していたのだと思う)と日本の関係の考察です。米国の中でもこの戦争に対する考え方が複数あって,それは対日本政策のみならず米国自体の内的政策にも大いに関係しているという視点は非常に勉強になった。そして,これまで部分的に聞いたことがあったスミソニアン原爆展に関しても知らない事実をいくつも知らされた。
    第4章は日本が戦時中に行った「慰安婦」問題をめぐる裁判を事例としながらフェミニズムの複数形について議論されている。そもそも私が知らない史実と学説とが次々と出てくることもあり,なかなかついていけない。最終章も私には難しかったが,戦争責任を担う主体の問題については私自身も素朴に考えることがあったので,これまた非常に勉強になった。ともかく,刺激的な読書体験だった。

  • 第?部の文化研究の重要性を説く1、2章は、ヒジョーに退屈だった…。第?部4章の女性国際戦犯法廷論でグローバル・フェミニズムを普遍主義的フェミニズムとして批判しているが、ある論者を取り上げて代表させるのは、どーもアンフェアな気がする。トランスナショナル/グローバル/「第三世界」/マルチカルチュラル…と、冠は幾らでもあるし、重要なのはあくまでも論点と、その関係が配置構成上、いかに有意性をもつか、に拠るものとみなす方がいい気がする。第3章、エノラゲイ展示をめぐるスミソニアン論争の分析、第5章の記憶の「アメリカ化」は論点としては全く同型。この2章は興味深く読んだ。

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