ルポ 母子家庭 「母」の老後、「子」のこれから

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (124ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000247696

作品紹介・あらすじ

長年、経済的にきびしい状況におかれてきた母子家庭。肉声とともに、三〇年にわたる現状を伝える。また、著者は、当事者としての思いもこめて、母子家庭の"命綱"である児童扶養手当の大切さを説く。そして、老いをむかえた「母」たちのけわしい老後、「子」の教育がかかえている問題…取材を重ねるなかで、それらを描きだしていく。

感想・レビュー・書評

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  •  先日読んだ『子どもの貧困』(阿部彩)によれば、日本の母子家庭の貧困状況は「国際的にみても非常に特異である」という。「母親の就労率が非常に高いのにもかかわらず、経済状況が厳しく、政府や子どもの父親からの援助も少ない」点が特異なのだ、と。
     本書は、そのような日本の母子家庭の苦しい状況をつぶさに描き出したルポルタージュ。

     貧困層に占める女性の比率が高く深刻になっている状況のことを、「貧困の女性化」と呼ぶのだそうだ。そして、母子家庭には「貧困の女性化」の問題が凝縮されている。

     著者は元新聞記者で、50代近くになって離婚を経験し、以後は女手一つで2人の子を育て上げた人。つまり、母子家庭問題の当事者でもある。そのため、登場する母子家庭の人々に注ぐ視線は終始あたたかい。

     母子家庭の「いま」を描くのみならず、過去半世紀の日本の福祉行政史を、母子家庭をフィルターとして概観する書にもなっている。
     とくに、著者が母子家庭問題の取材を始めた1980年代以降の変化は、非常によくわかる。その間、母子家庭の「命綱」だと著者が言う児童扶養手当制度の改悪、就労状況の悪化などがあり、母子家庭の貧困は四半世紀前よりもいっそう深刻になっているという。

     いまのほうがよくなっている点は、一つだけ。離婚・非婚に対する世間の見方が変わり、母子家庭への偏見が薄れてきたことだという。
     かつての偏見がどのようなものであったか、その一端を著者が紹介している。

    《「男友達」のいる母子家庭の母を「くされ母子」と言うのだ、ということを福祉事務所の人に聞いたことがある。清く正しく貞節を守り、男と話をしても問題。当時はこうした考えが世間に強く、とくに福祉関係の人に多いように私には感じられた。》

     著者は、母子家庭への支援が「自立支援」「就労支援」に偏していることを、くり返し批判する。

    《「就労支援」がほとんど意味をなしていないことは、何度も書いたとおりである。それはいまの社会の仕組みでは、いくら職業訓練をしても、まっとうな働く場がないからである。ITなどの職業訓練は、おおいに結構だが、いまの状況では、低賃金の派遣から少し高給の派遣にかわるだけである。
    (中略)
     私は、いま、緊急に打つ手は福祉の強化しかないと思っている。福祉というと「バラマキ福祉」とか、「枯れ木に水」とか、まるで、どぶに金を捨てるように思っている人がいるが、人間らしく生きるための金の支給であって、有効に消費される金なのである。》

     また、「貧困層は一般の数倍『うつ』になる人が多いといわれる。母子家庭の『うつ』が増えていても不思議ではない」という状況もある。「自立」などしたくてもできない母親が山ほどいるなかで、自立、自立と言いつのるのは無理というものだろう。

     正味120ページ程度のソフトカバーで1680円は高いが(新書で出すべきだったと思う)、貧困問題を考えるうえで示唆に富む好著。

  • 日本では「派遣切り」が近年大きく取り上げられてきたけれど、母子家庭と派遣切りの関係についてまとめているこのような本が広く読まれるべきだと思う。
    私は海外に住んでいるが、たとえば夫と離婚・死別して子供3人つれて日本に帰ってもたぶん生きていくのは難しいだろうなと想像していたが、この本を読んで絶対無理~!と暗澹たる気持ちになった。前はかすかに希望を抱いていたが、この不況と派遣労働の蔓延で、「日本に帰ることはもうあるまい」と気持ちにケリがついたような気がする。早い話が諦め。シングルマザーは生きていけない。

    日本は一億総中流社会というのはもう過去の話。経済格差は広がっているようだし、しかも一度貧しくなったら一生貧しいまま。児童福祉手当は減少する一方のようで、貧しい家庭の子供に恩恵がない社会ってひどいと思う。義務教育も無料といっても、教材費や制服にかなりの額がかかるし、受験競争社会では家庭が貧しかったら生き残るのは不可能。しかも苦労して大学まで入っても、その後正社員になれるかどうかはわからない。いつのまにかこんなに過酷な社会になっていたとは。

    著者は最後に政策の変換を求めているが、(私には日本での選挙権がないので)それはおいておいて、とにかく日本の片親家庭の現状があまりにも悪いので暗い気持ちになった。

    せめて、子供たち全員が無料で通える学校(教材費も給食費も制服も全部込みの)、ある一定の年齢までは無料の医療制度があれば、と思うけれど(カナダやイタリアのように)、たぶん日本では実現しないだろう。そういう慈悲深い精神はないからね。そう、日本には助けてくれる宗教団体もないから、さらに過酷である。

    こういう地味だけれど中身のある本を読むにつれ、グローバリゼーションと派遣とシングルマザーの関係、つまりは世界の経済情勢とローカルな人間の苦労はつながってるんだなあと思うのである。

  •  「貧困層に占める女性の比率が高く深刻になっている状況」を「貧困の女性化」という。貧困というと、私たちは、失職して生活が成り立たない状況を思い浮かべ、失業者というと男性ばかりを考えてしまいがちではないだろうか。そもそも、貧困=無職と思ってはいないだろうか。生活保護の不正受給が問題視されている一方で、パートで働いていても日常生活が維持できない母子家庭の貧困問題は、目立たない。

     最近、日本の福祉制度は、「福祉から雇用へ」を掲げ、自立支援をうたい、就労支援に力を入れているが、現実には、職業訓練を受けても就労先が見つからない。求人に対して求職者があふれている状態で、フルイにかけられた時、機会均等とは言いつつも、弱者は弱者のままである。企業は、即戦力ばかり求め、社員教育に手間隙かけないようになってきている。福祉制度でも同様に、自助努力を要求する傾向にあるのではないだろうか。

     賃金の安い職業に就いて、国民年金もギリギリでは老後の生活も危うい。母子家庭では、子が独立したら、「おひとりさまの老後」も危うい。おカネさえ支給すればなんとかなる、というものでもない。しかし、格差が拡大し、カネを得る手段=仕事を見つけることすら、ままならない現状では、カネが足りないために、自立への一歩が踏み出せないというのも事実である。

     そして、これから社会に出る「子」の世代にとっては、「学歴」が全てではないが、就職難を突破するには、学歴が有効となる。その学歴を手に入れるためには、家庭の経済力がモノを言うのである。親の収入によって、子の学歴が決まってしまう傾向がある。親が高学歴であれば、高収入が確保され、子が高等教育を受けることができ、比較的高収入の得られる職業に就ける機会が増える。他方、学齢不足では、安定した収入が確保できず、生活がギリギリ、子に高等教育を受けさせることがかなわず、...貧困が世代間で連鎖し、格差が一層広がっていく。経済的な格差と教育格差が一体となって、母子家庭を貧困へと追いやっている。

     本書では、児童扶養手当が施行された1961年度あたりからの母子家庭の変化、制度改正の推移についても簡略に触れている。そして、制度改正の何が「改悪」なのか、という点にも言及している。

  • 僕がいますんでいるところはむかしから女性の離婚率が全国でもトップクラスのところで、むかし、アルバイトしていたところでもこういう女性がいました。非常に重要で、重い内容を書いた本です。

    この本を読み終えたのは、もうずいぶんと前のことになるんだけれども、いろいろな事情を持って離婚して、母子家庭となった母娘が生きていくということはこんなにも難しいことなのだろうかということに非常に暗澹たる気持ちになりました。北海道の女性はその土地柄上、昔から全国一離婚率が多いんだけれども、僕が昔、アルバイトしていたところでも、夫と離婚して、パートの仕事をしながら女手ひとつで子どもを育てている女性がいた。

    「私は残業ができないのよ」

    という彼女の口ぶりから、もうひとつ仕事を抱えているらしく、本当にしんどそうだったことを覚えている。もっと恐ろしいのは、ここにも描かれているが、昨日、テレビのニュース番組でも特集されていたけれども、貧困によって、子どもの学力差が開き、それによって格差が固定されるということだった。

    資本主義社会にいる以上、ある程度の格差は否めないが、一刻も早く、セーフティーネットの充実を強く願うのみです。

  • 常日頃、個人的にも偏見みたいなものを感じていて、他の方はどうなのかと思い、手にとって見ました。読んでみて、今の日本の現状の悲惨さにあらためてびっくりしました。著者も母子家庭なので、実際の経験に根付いた説得力のある文章で、自分だけではないのだと思い、頑張ろうという気持になれた本です。母子家庭の方にぜひ読んでいただきたいですが、おそらくこの本も買えないくらい切羽詰まった方が多いのではないかと思いました。日本の社会保障について、深く考えさせられた一冊でした。

  • 数日前に図書館へリクエスト票を出したときには未登録の資料だったので、新刊やけど買ってもらえるのか、それともどこかヨソから相貸かと思っていたら、リクエストしたタイミングがよかったのか、すぐに借りられた。

    関千枝子さんといえば、『広島第二県女二年西組』や『この国は恐ろしい国』の著者。「全国婦人新聞」(その後「女性ニューズ」と改題され、2006年に休刊となった)の編集長を務めた人でもある。

    このルポは、関さんが30年にわたって取材してきた母子家庭の暮らしの経済的な厳しさと、その生活の"命綱"ともいえる児童扶養手当のあり方を中心に、母たちの老後、そして子らのこれからを書いたものである。

    児童扶養手当は1961年に成立した法律により、当初は「国が、父と生計を同じくしていない児童について児童扶養手当を支給することにより、児童の福祉の増進を図ること」(第一条)を目的としたものだった。

    生別母子家庭の実状をうったえ、この手当の必要性を説いて、法の成立の立役者となったのは、山高しげりなのだという(私は婦選運動と母性保護運動の人と思っていたが、母子家庭の福祉にも大きな尽力をした人なのだ)。

    死別母子家庭(その多くは戦争で夫や父を亡くした母子家庭)に対しては、「お国のために貢献した人の遺族」ということもあってだろう、世間の目は比較的あたたかいものだったが、生別母子家庭の母に対しては、ガマンの足りない女、勝手に別れた女という非難の目が向けられ、未婚や非婚で子どもをもった母は「おめかけ」よばわりされていた。そんな女に、なぜカネを出さねばならないのだ、という雰囲気は、今もまったくなくなったとはいえないだろう(かつてに比べれば相当よくなったそうだけれど)。

    それでも、法律は「児童の福祉の増進を図ること」を掲げていた。子どもを育てるために必要な手当なのだという認識が、少なくとも条文にはあった。

    児童扶養手当の最初の改悪が言われはじめた1983年から、関さんは母子家庭の取材を始めた。1983年、私は中学生だった。USAではレーガン、UKではサッチャー、日本では中曽根が、新自由主義とよばれるいろんなことを、つまりは小泉路線につながる「市場にまかせておけば万事うまくいくのだ」「民間でやれることは民間で」「たくさん稼いだもんがエライんじゃ」みたいなことをやりはじめた頃だ。

    私が中学生のあいだに中曽根の靖国公式参拝というのがあり、高校生の頃には国鉄がJRになり、防衛費のGNP1%枠がなくなった。国鉄がJRになってからもしばらくの間はバスの行き先表示は国鉄のままだったことをおぼえている。関さんは、国鉄の民営化が"成功"し、労働者派遣法が成立したことを指摘している。

    そんなヤスの時代、福祉の見直しが言われ、児童扶養手当もやり玉にあがった。離婚後7年で打ち切るとか、離婚時に夫の収入がいくら以上だったら支給しないとか、所得制限を引き下げるとか、未婚の母には支給しないとか、これ以後もそうだが、この手当を"改革"というときには、当事者にとっては文字通り死活問題になる改悪なのだった。

    当事者の母たちは怒り、必死の反対運動が始まった。野党や日弁連、各地の弁護士会も反対意見を公表し、改正案は大幅に修正された。未婚の母への打ち切りや、7年で支給終了というのが撤回されたのは運動の大きな成果である。

    しかし、このときに根本的に法の目的が変わった。
    「父と生計を同じくしていない児童が育成される家庭の生活の安定と自立の促進に寄与するため」となり、手当は子どもの権利─どんな状況で生まれようと健やかに育つ権利ではなく、離婚や未婚で子どもを育てている親が安定しておらず自立もしてないので、そこを助けてやる、というものになったのである。所得制限が引き下げられた影響も大きかった。

    関さんは、貧困が、カネがないことが、生活の困難となり、生活の苦しさが暴力になってしまうことを書く。「児童扶養手当を一八歳まで引き上げる会」で、母たちはこんな話をしている。

    ▼… どんなに節約しても、金が足りなくなる。財布の底がみえてきた。明日のご飯どうしよう。子どもだけは何か食べさせないと…。オカネがないのに、学校の集金はもう明後日。どうしよう…。そんなことを考えるとアタマはもうグシャグシャ。子どもが何か声をかけてきても、ウルサイとどなってしまう…。子どもが口答えしたり、ちょっと悪さをすると、すぐ殴ってしまう、いけないとは思うんだが、と、一人が言いだすと実は私も、と大勢が言いだした。
     夫の暴力に耐えきれず、夫が子どもにまで暴力をふるうので、離婚を決意した、という人まで、つい子どもを、殴ってしまう、という。あまりに生活が苦しいと、イライラし、気がつくと…という。(p.102)

    母子家庭の母を対象とした"就労支援"がいわれる。けっこうなことだと思う人も多いだろう。しかし、これがたいして役に立たない。いくら資格をとり、訓練をしても、まともに食べていける働き口はまったくといっていいほどない。

    そもそも"就労支援"を掲げる厚生労働省の求人からしてこんな状態だ。
    ▼ 「母子終業自立支援センターで職業紹介を受けたところ求人の17件中11件が厚労省の各部署の求人だったので、さすが厚労省と思い、7件応募しました。しかし、面接までこぎつけたのは2件だけ、それも1年契約で更新は1回のみという条件でした。これでは安定した職になりません」(p.16)

    こんな職でも、職に就けば「就労率」としてカウントされるのである。就労率が多少上がったといっても、目先のことなのだ。

    根本の問題は、女性の(そして今では若年層の)賃金が安すぎることだ。男女の賃金格差はいっこうに変わらず、男性正規の賃金を100としたら、女性は半分以下、女性非正規では40くらいなのである。すでに年金世代となっている母たちの頃からこの水準はほとんど変わっていない。だから、ずっと苛酷なまでの働き方を続けてきたのに、とても食べていけない年金額の母たちは多い。

    きびしい話が続き、読んでいて正直めいる。

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著者プロフィール

せき・ちえこ
1932年大阪生まれ。旧制女学校2年のとき広島で被爆。
学校を病欠していたため助かる。
早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。
1954年、毎日新聞社入社、社会部、学芸部の記者を務める。
のち全国婦人新聞(女性ニューズ)記者、編集長。
現在はフリーのジャーナリスト。
2014年、安倍靖国参拝違憲訴訟原告(筆頭)。
主著:
『往復書簡 広島・長崎から―戦後民主主義を生きる』
(共著、彩流社)、
『広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち』
(ちくま文庫。日本エッセイストクラブ賞および
日本ジャーナリスト会議奨励賞受賞)、
『図書館の誕生―ドキュメント日野図書館の二十年』
(日本図書館協会)、『この国は恐ろしい国―もう一つの老後』
(農文協)、『ルポ 母子家庭  「母」の老後、「子」のこれから 』
(岩波書店)。
近刊として知の木々舎の中山士朗氏との往復書簡を
西田書店から刊行予定。

「2015年 『ヒロシマの少年少女たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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