翻訳の政治学 近代東アジアの形成と日琉関係の変容

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (322ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000247702

作品紹介・あらすじ

20世紀への転換期における琉球弧の体験を素材に、言語行為を通じて同一性を創造する「翻訳」という文化実践に着目して、多言語・多分野・多ジャンルにわたる一次資料を渉猟。哲学・文学・社会学・人類学・政治学等の関連理論を横断しながら、西洋中心主義的に組織されてきた既存の研究視角や時代区分を一新し、全く新たな歴史叙述と現状認識を紡ぎ出す、東アジア地域研究の試み。

感想・レビュー・書評

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  •  琉球に沖縄県を設置する。西洋の語彙はこれを日本による琉球諸島の強奪ないし併合と記述した。外国人支那ニ居住之ものは支那へ左袒する之説多き様ニ相聞へたので、北京の日本公使は上海英字新聞元編集者を雇入れ、琉球が日本の実効支配下に置かれたのは薩摩藩が琉球に侵攻した一六〇九年であると西洋の語彙で反論した。等しさも正しさも英語において発現する。

    『この(中国とその周辺諸国との間では前近代以来長らく意味の多元性を放置し統一しようとしない状態が続いていた──引用者)ようにひとつの行為がまったく異なった意味づけを与えられていても、双方が自らの解釈を相手に強要しようとしなければ、問題は生じないのであり、そのような前提があってこそ成り立っていたのが清朝期、中国以外にも日本・朝鮮・越南(ベトナム)が独自に「中華」を自認したいわゆる「小中華主義」の体制だったと考えられるだろう。すなわち重要なのは、いずれの国も「中華」の所在に関する自身の解釈を他国と共有しようとしなかった(しなかった、に傍点がふってある──引用者)からこそ、そのような互いに相手を自らの従属者と見なしあうような国際関係が、長期に渡って存続しえたということである。』21頁

  • 著者:與那覇潤(1979ー)

    【書誌情報+内容紹介】
    本体7,600円+税
    刊行日:2009/12/18
    ISBN:9784000247702
    A5 上製 カバー
    336ページ 在庫あり

    「翻訳」という観点をキーコンセプトに,19世紀後半の「琉球処分」から20世紀初頭の「辛亥革命」に及ぶ時代における日琉関係の変容と,それを語る政治的言説の展開に材を採り,東アジアの「近代」に生じた変動の意味について考察する.「翻訳」概念の再定義を通して,「短い近代」と「長い近代」というまったく新しい時代区分の下に東アジア近代史を捉えなおすとともに,既存の学問分野の壁を越える新たな政治研究の方法論を提示する気鋭の研究者の力作.

    ■著者からのメッセージ
    《19世紀半ばの「西洋の衝撃」以来,日・中・米三国のヘゲモニーの接点として位置づけられてきた「沖縄」が,今また大きな政治的争点として浮上しています.
     しかし,日米の劇的な政権交代や,日中の経済力の逆転を眼前にする現在,この地域に注ぐ私たちの眼差し自体を転換しなくては,その歴史的な意義を正しく捉えることはできないでしょう.
     本書では,「近代」という時代や「ポスト近代」の現状の定義を,琉球・沖縄史の視点から,新しく書き換えることを試みました.
    金融や情報のグローバル化によって,国境の壁が薄くなり,最強の軍事力を持つ国家の指導者が国際的平和賞を受賞して,政治と道徳とが再び一体化を始めた今日の社会が,西洋産の「短い近代」が訪れる以前の,東アジアに固有の「長い近代」の姿にいかに似ていることか.
     もう一度私たちは,「琉球処分」以前の世界へと帰るのか.だとすれば,「民族統一」以降の日琉関係の評価はどう変わるのか.そして,これからの日本にできることはなにか.
     歴史研究における「実証」の意義は,本来「マイナーな古文書を活字化する」ところだけに存するものではないでしょう.また思想的な「理論」の意味も,「価値判断の尺度を欧米から直輸入する」ことにあるのではありません.
     ある地域の歴史を探求する実践が,同時に世界の現状に対する内発的な思索でもあった時代――歴史学が輝かしかった頃に多くの先哲が遺してくれた,「思想書としての歴史書」の雰囲気を,わずかでも再現できればと願いながら,背伸びをしてみた著作です.》

     19世紀,「西洋」は東アジア世界の何を変え,何を変えなかったのか.21世紀,「近代」が過ぎ去った後に,何が残り,何が消えてゆくのか.――20世紀への転換期における琉球弧の体験を素材に,言語行為を通じて同一性を創造する「翻訳」という文化実践に着目し,多言語・多分野・多ジャンルにわたる一次資料を渉猟しつつ,哲学・文学・社会学・人類学・政治学等の関連理論を横断.西洋中心主義的に編成されてきた既存の研究視角や時代区分を一新し,全く新たな歴史叙述と現状認識を紡ぎ出す,東アジア地域研究の試み.
    https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b265154.html


    【目次】
    序論 「同じであること」と翻訳の政治
      1 同一性と翻訳
      2 東アジアの近代と翻訳
      3 日琉関係の翻訳――維新以前

    第I部 「人種問題」前夜――「琉球処分」期の東アジア国際秩序
    第一章 外交の翻訳論―― F・H・バルフォアと一九世紀末東アジア英語言論圏の成立 
      1 東アジアの近代と「西洋の衝撃」再考
      2 明治初年の日琉関係
      3 フレドリック・ヘンリー・バルフォア――知られざる日本公使館員
      4 「世界ノ公論」の争奪――英字新聞上の日中間象徴闘争
      5 翻訳という齟齬――言説空間の乖離と秩序観の未統一
      6 小結 東アジア英字新聞における翻訳と公共性

    第二章  国境の翻訳論――琉球処分は人種問題か,日本・琉球・中国・西洋 
      1 「琉球処分」と「民族問題」の不在
      2 一九世紀における近代国際秩序と人種論の位相
      3 人種論の交錯と乖離――グラント調停交渉における翻訳
      4 東アジア世界の論理と琉球帰属問題 
      5 小結――ナショナリズムの制度論に向けて

    間章α 国民の翻訳論――日本内地の言説変容
      1 血統の翻訳論――「誤った自画像」をめぐって
      2 家族の翻訳論――「家」の「血」への翻訳
      3 人種の翻訳論――「人種」のRaceへの翻訳
      4 文化の翻訳論―― Culture/Kulturの「文化」への翻訳
      5 中間総括――翻訳,媒介,ネットワーク

    第II部 「民族統一」以降――「沖縄人」が「日本人」になるとき
    第三章 統合の翻訳論――「日琉同祖論」の成立と二〇世紀型支配秩序への転換
      1 歴史という劇場と演技と
      2 近世――向象賢建議と為朝伝説
      3 一九世紀まで――日本内地の史料・研究状況
      4 二〇世紀への転換――内地アカデミズムの変容
      5 琉球弧の二〇世紀――書き換わる歴史認識
      6 小結――民族とはなんであったか

    第四章 革命の翻訳論変――沖縄青年層の見た辛亥革命と大正政
      1 「日本人になること」と「中華世界からの離脱」
      2 第一革命期の『琉球新報』――古典的中国観と傍観論
      3 第一革命期の『沖縄毎日新聞』――「革命」への没入とその挫折
      4 第二革命期の『琉球新報』――中国観の転換と衆愚政治への警鐘
      5 第二革命期の『沖縄毎日新聞』――革命「からの」投企への反転
      6 小結――帝国日本という舞台

    間章β 帝国の翻訳論――伊波普猷と李光洙,もしくは国家と民族のあいだ
      1 琉球弧と朝鮮,二つの「植民地公共性」
      2 二〇世紀東アジアにおける民族と国家
      3 帝国を翻訳する
    結論 翻訳の哲学と歴史の倫理
      1 近代
      2 現代
      3 「ポスト近代」

    参照文献
    あとがき

  • 同研究者の他の著書と比べ、こってりがっつり論文調。近代東アジア世界の変容に関し、従来語られてきた「西洋の衝撃」という一方向での語りに対して問題提起を行う。「翻訳」という手段の導入、それによる意味の転換と世界の広がりという部分に注目しながら「琉球処分」をはじめとした近代の東アジア国際関係を捉え直す貴重な論文。

  • 「翻訳」というキーワードを用いて、近世・近代東アジアの国際関係を描き出している。著者の用いる「翻訳」はかなり広い意味で用いられていて、むしろ「読み替え」という言葉の方がしっくりくるようにも思うが、まあ「翻訳」の方が思わせぶりで、いろいろ枝葉を広げやすい言葉なのかもしれない。そのおかげもあってか、本書のここかしこで様々なジャンルの理論を軽やかに渡り歩く知的芸当を見せている。(だからなんだか軽く薄く見える)。けれど分析の視点がはっきりしているので意外に読みやすく、東アジア世界について新しい見方を教えてもらったという感じはする。

  •  序論と結論で翻訳論を政治学へと拡張する理論的な土台作り、本体では沖縄=琉球の近代史をめぐる実証的な記述で構成されている。

     本書の内容を思いきり要約すれば、翻訳の概念を同一性をめぐる政治学に適用していく試みであり、翻訳は政治行為の根幹にあるとする。貨幣論においてAとBが等価であるのは、何か正当な根拠があるわけではなく、まさに両者が交換されたからにほかならないという構築主義を念頭に置きつつ、近代における翻訳的な言説の編成を検討していく。

     例えば、近代以前の中華帝国の支配において日本を含む隣国との穏健な関係が、互いに宗主国だと思っているという「翻訳の欠如」によって成立していたが、近代以降は、西洋流に関係を明確にすることを求められ、いわば翻訳しなければならなくなったのだと本書は指摘する。翻訳の概念をダイナミックな政治学に適用し、歴史学に適用していく試みはスリリングだ。

     こうした翻訳概念の拡張的な意味での用法は、現代のネットユーザー、とりわけツイッターユーザーには馴染みやすいだろう。ツイッターでは絶えず書き手の意図や文脈を離れた解釈=翻訳による読みが行われているし、自分のツイートがねじ曲げられて翻訳される経験も珍しくない。

     本書では、開国期に来日した西洋人たちが日本人は嘘つきだと嘆いていたというエピソードも興味深かったが、著書は解釈の多元性という言葉で説明しているけれど、確かにある物事はああも言えるしこうも言えるわけで、日本人は正しい。もちろんそれでは議論も約束も成立しないわけだから困るわけなのだが、ツイッターの不毛な論争を目の当たりにする度に、「無理に翻訳しなくていいのでは……?」とも思う。

     とはいえ、非近代に戻るというプランがベストなのかと言うとどうなのか。このレビューでは脱線してしまったが、実際に本書はこうした議論まで射程に入れている。理論的な面では、人文系の院生は序論と結論は必読だと思うし、広く読まれるべき本だと思う。

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