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Amazon.co.jp ・本 (176ページ) / ISBN・EAN: 9784000247962
みんなの感想まとめ
ポピュリズムの本質を深く探る本書は、民主主義の歴史を背景に、さまざまな地域の具体例を通じてこの概念を明確に解説しています。特に、トルコやヨーロッパ、北米、南米の事例を取り上げることで、ポピュリズムの多...
感想・レビュー・書評
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ポピュリズムについての本は複数読んだが、ポピュリズムの定義に正面から取り組んでいる貴重な本といえる。同名の中公新書は「何が起こっているか」の確認として有用だったが、本書は民主主義の歴史から広く例をとりながら解説してくれており、概念の整理に向く。トルコ含むヨーロッパ、北米、南米における新旧の例がふんだんに紹介されている。
アジア・アフリカの例は出てこないが類似のことが起こっているのは間違いないので、別の本を探したい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ポピュリズムとされる政党の主張において、「国家」「国民」が第一であるとされながらも、少なくとも法的な意味においては「国家」を構成する「国民」である人々をも含まないような形式がしばしば取られることに対して、これまでふんわりと感じつつも言語化できていなかった違和感が整理された感がある。
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ポピュリズム政党躍進で迫る多党制の時代に備えて解散総選挙前の緊急インプット用。
■考えたこと
ポピュリズムを支持する人を小馬鹿にして否定してはいけない。分断につながる。
次ははポピュリズムの行き着く先を勉強したい。ソフトランディングが可能なのか、独裁→破綻しかないのか。先進国のポピュリズム先輩であるヨーロッパとアメリカを見守りたい。 -
注目の若手中堅政治学者によるポピュリズム解説書.ポピュリストに共通する論理などその手口の整理が分かりやすい.
総じてポピュリズムへの警戒,危険視の色合いが強く,ポピュリズムの積極的意味についても取り上げるカス/クリストバル『ポピュリズム』(白水社)と合わせて読むとバランスが取れるかと.
ミュラーによる本書の方がポピュリズムの論理とその民主政への危険の説明が手厚くかつ分かりやすいので両方読むべきでしょう. -
東洋経済2022430掲載 評者:田野大輔(歴史社会学)
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田野さんの書評より 2022-05-02
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今年一番興奮した読書かもしれない。久しぶりに本を付箋だらけにしている。ポピュリズムについての理論分析と実態の検証が非常に上手く、バランスよく織り編まれている一冊だと思う。米国の歴史背景だけでなく、取り上げられている地域、人が幅が広く、その様相を見るに世界には今まさに「幽霊が徘徊している。ポピュリズムという幽霊が」という状況であると感じる。そして語られている内容が身近に感じられて怖くもある。著者はポピュリズムを教義というよりロジックとして捉え、その主張・言論と行動を分析した上で対処法を示し、最終的に7つ(原著のドイツ語では10)のテーゼにまとめている。独語原著は独国内政治についてより理論的に分析されているらしい。2017年秋の独総選挙についてのコメントを知りたい。また本書に対する反論を示した山本圭の論考も読まねばと思う。
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ヤン=ヴェルナー・ミュラー著「ポピュリズムとは何か」
読み始めたタイミングで解散総選挙の報道が駆け巡り、本書の内容と現実に少し翻弄され戸惑いながらポピュリズムというものを考えてみた。
本書は2016年の第一次トランプ政権誕生直前に書かれており、まさか当選なんてするまいがちょっとこれはどうなんだといった空気が行間に溢れている。
実際、トランプは2016年に当選し、おまけに2026年の今では状況は更にひどくなっている。
本書はこうしたポピュリズム政治を欧米の事例を中心に分析を試みるが常に変容していく状況下にあって定義らしきものはなかなか見出すことが難しい。
日本においてもポピュリズムは出現しているが、より低レベル低知性な排外主義や人種差別など手当たり次第に有権者に潜む嫉妬心を煽る卑怯な手段として突出している例が後を立たない。
法の軽視(憲法を含む)や利己主義によって人類が培ってきた法や倫理の精神を投げ捨て、自尊心を満たすことが優先され、ロックやルソー、ホッブズなどの謳った社会契約に反する反動的な自然状態に回帰するものに近いと思う。
現代のSNS中心のポピュリズムは民主主義を騙った麻薬として人々の政治参加に幻想的満足を与えるだけで現実の社会は破滅の一途を辿るのかもしれない。 -
現代ドイツの政治学者ミュラーによる、ポピュリズム論の名著。ポピュリズムとは、日本語では「大衆迎合主義」と訳されることもあるが、それは事の本質を捉えられていないとミュラーは主張する。ポピュリズムの真の問題点は、人々の間に分断を生み出すことだと喝破する、良書。
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昨今、「ポピュリズム」という言葉が手軽に蔑称として世界的に流行しているが、その定義は人によりまちまちである (ちゃんと考えて使っているのかが疑わしい用例も多い)。筆者は「ポピュリズム」を、自ら、そして自らだけを「真の人民」(あるいは、最近ポピュリストがよく言うようになった「サイレント・マジョリティ」) を代表しているとする反多元主義的な言説であると定義する。
「ポピュリズム」を定義し論説したことが画期的と評価されている本書は確かに一読の価値がある。また、「ポピュリズム」と批判されがちな政治的立場は国により異なるのだが、特定の国の用法に限らず、米国、欧州、そして非自由主義的民主主義国 (…という言葉を筆者は激しく否定し、民主主義の要件に自由主義を入れるべきと主張しているのだが) すべてを紹介し、論説の対象にしている点も評価できる。
ただし、文量が多くなく専門用語も少ないという点では読みづらくはないものの、序文と結文に要点を書くようなパラグラフ・ライティングがされておらず、説明もあまり丁寧でないため、正直なところ目が滑りやすいというのが感想であった。政治学者というよりかは哲学者の文章を読んでいるようであった。原文の問題なように思われるが、訳文が忠実さを重視しすぎて直訳調になりがちな面もあるように思われる (訳者あとがきは読みやすかった)。個人的には消化不良が否めない読後感だった。 -
全体、総体の代表感が漠としてあるようで、部分を有さぬゆえに焦点もなく、軸も曖昧模糊って感じだな。
ポピュリズムとは、鏡の中の統計であり、数量化には適さないという事かな。これはテレビっぽいな。権力を持つまでは、単に鏡で済むが、一旦、権力側に身を置くとバックミラーだけで暴走する車のようになりそうだ。
大日本帝国って、こんな感じだったのかな。そんで今は、象徴天皇制か。これからどこへ向かうんかね。あ、権力は、アメリカだな、うーん。とりあえず、資本っていう制約は機能しているが、基軸通貨って超便利だからな、これからどうなるかな。 -
難しかった。
ポピュリストが出てくるその本当の問題を考えなければならない。動かないといけない。ポピュリズムを排斥するのではなく、様々な話を聞くことが現在の多様性(すべての人の自由と平等)に繋がるのではないか。
また、私も半多元的になっていないか。広い視野で見れているかを考えさせられる本だったと思う。 -
著者はポピュリズムを民主主義の敵であると否定的な立場から論じている。なぜなら、ポピュリストは反エリート主義的であるとともに、反多元主義であるからである。換言すれば、反エリート主義であることはポピュリストであるための必要条件であるにすぎない。すなわち、ポピュリズムは民主主義が本来想定する多元的で多様な利害から成る社会を真っ向から否定するのである。
ポピュリストは一部の人民を真の人民と見なし、彼らはひとつの声で話すことが可能であり、政権を獲得したポピュリストに正確に命令委任を発することができるとしている。それゆえ、ポピュリストが国家を植民地化し、大衆恩顧主義や差別的法治主義を実践することは、そうした人民の道徳的な良心に支えられて公然と行われ、これを批判することは困難である。また、ポピュリストかをレファンダム(国民投票)を要求することもあるが、それは真の人民の意志だと既に決まっていることが追認されるのを意図しているにすぎない。
ポピュリズムが政治があまりにも人民から乖離している状況を是正するという主張も有力であるが、著者は、一部の人びとが実際に代表されていないことを明確にする可能性を指摘した上で、この主張に対しても否定的である。
かと言って、ポピュリストを政治から排除することはナンセンスである。なぜなら、そうするとポピュリストの反エリート主義的な主張を事実として正当化することになってしまうことになってしまうからである。ゆえに、政治アクターは彼らの主張を真摯に受け止め、彼らと対決していくことが肝要である。
比較的コンパクトな本ではあるが、今後ポピュリズムについて検討していく上では必読となるであろう。それだけ、定義しにくいポピュリズムというものを多様な知見も頼りにして捉えようと試みている。正直なところ、初学者である自分にとっては難解な箇所も多々あったが、結論にて本文で検討したことが簡潔にまとめられており有難い限りである。翻訳者の先生のあとがきも大いに参考になる。 -
現代の政治を特徴づけているポピュリズムについて分析されている。
これまで明確な定義が与えられていなかったポピュリズムを著者は定義しようと試みる。
民主主義は「人民」を主権者として定める。しかし「人民」はひとりの人間のように単質ではなく、多元的である。したがって、民主主義の特徴は、議会制民主主義による討議にある。そこでは意見の不一致が前提とされ、その不一致を討議することで誰もが納得できる妥協点に導いていくことが理想とされる。
これに対して、ポピュリズムは最初から「人民の同質性」を前提にし、「多元性(多様性)を排除」する。ポピュリストはエリートを攻撃しながら、「われわれこそは人民であり、われわれではない者はそうではない」と主張する。彼らは、「われわれ」に属さないものを潜在的な敵とみなす。その「敵」が、エリートであったり、外国人であったり、移民であったりする。それが嘘であってもかまわない。ポピュリストにとっては、陰謀論が嘘であることが自明でも、それが排斥のための論理として機能すればよいのだから。
ポピュリストは、抽象的人民の「一般意志」(ルソー)が議会制民主主義に阻害されることなく直接的に表現されることを望む。(著者は明言していないが、これはファシズムに近づくだろう。ポピュリズムはファシズムに至る前段階であると言える。)
エリートを批判する大衆的な政治運動のすべてをポピュリズムと呼ぶことに著者は反対する。ポピュリズムであるための必要条件はその排他性にある。したがって左翼ポピュリズムは左翼にとっても有望な選択肢ではないことになる。
私見では、ポピュリズムが世界中で流行ったのはインターネットの普及の影響が大きい。SNSはポピュリズムにとって最適のツールとなった。ポピュリストは「マスメディアは嘘をついている」と述べ、SNS上でどのような嘘をつくことができるからだ。トランプの「ポスト・トゥルース」や日本の「ネトウヨ」もSNSの登場と関連させて考えなければならない。 -
近頃のニュースで、「ポピュリズム」という言葉を頻繁に見かけるが、ポピュリズムの定義は論者の間で多種多様であり、「新自由主義」という言葉と同じくらい混乱したバズワードであろう。ポピュリズムの定義として、反エリート主義がよく挙げられるが、この定義だと、反移民、反グローバリズムを掲げるヨーロッパの右派政党、ドナルド・トランプからヨーロッパの反緊縮を掲げる左派政党、バーニー・サンダースやオカシオ・コルテスといったアメリカ民主党左派(プログレッシブ派)の政治家まで幅広く含まれてしまうが、筆者のミュラーによればそれは違うと主張している。
この本では、ポピュリズムは、反エリート主義かつ反多元主義であると、明確に定義されている。ポピュリストたちは、「自分たちが、それも自分たちこそが真に人民を代表している」と主張し、既存のエリートたちは腐敗・堕落しており、人民は堕落・腐敗したエリートと対置され、明白に道徳的に優れた存在であると規定する。本書の中盤では、ポピュリストの例として、ベネズエラのチャベス、ポーランドのカチンスキ、トルコのエルドアンといった政治指導者が挙げられている。ミュラーによれば、これらポピュリストたちの統治の特徴は、国家の占拠化、大衆恩顧主義および差別的法治主義、市民社会の体系的な抑圧であるという。
ミュラーは筋金入りの立憲主義的リベラリストである。それだけに、シャルタン・ムフやエルネスト・ラクラウといったポピュリズムを称揚する左派のラディカル・デモクラシー論者たちに手厳しい。彼らの「真の人民の意思」を何よりも第一と考える理論は、ナチスの桂冠法学者カール・シュミットと同じ考えに至るのではないかとミュラーは批判しているが、この点は同意である。
本書を読んで気になった点が一つ。後半において、アメリカ人民党を擁護することで、間接的にサンダースをポピュリストではないと断じているが、本書を読んだ限りは、人民党の中にはポピュリズムにつながりかねない主張が内包していたとしか思えないし、サンダースの経済顧問を務めるステファニーケルトンらが唱える現代貨幣理論(MMT)には、反エリート・反エスタブリッシュ主義、現状の主流派経済学を激烈に批判し、自分たちこそが真の経済理論であるとする反多元主義が内包されており、それらの影響を受けたサンダースも、ポピュリストではないかもしれないが、ポピュリスト的な傾向があると思われる。(なんたって、ケルトンによる著作、The Deficit Mythの副題は、Modern Monetary Theory and the Birth of the People s Economyと、人民ための経済学である)この点が、少々詰めが甘いと感じられた。
翻訳全体の出来は微妙。本文中に括弧付きで文章が挿入されまくっており、正直かなり読みづらかった。もう少しこなれた日本語訳にできたのでは?と思わなくもない。最後に批判めいたことを書いてしまったが、広く読まれた本書はポピュリズムに関する議論の出発点の一つであり、ポピュリズムに興味ある人は読んでおいた方が良いだろう。 -
ポピュリストの条件は二つ。反エリート主義と反多元主義だ。ポピュリストは道徳的に純粋で完全に統一された人民を想定し、自分たちは彼らの唯一無二の代表であると主張する。ポピュリストにとっては自分たちに反対するいかなる主張も意味をなさず、時に陰謀論を持ち出して感情的に非難する。民主主義的な代表が仮説の形式で代表を主張し、さらなる包摂を求めるための反証を受け入れるのに対し、ポピュリストは自身と人民との完全な同一化を主張し、さらなる包摂を一切認めない。
このようなある種の最終的欲求を主張するポピュリズムは、デリダの「来るべき民主主義」(絶対に完成しないが常に追い求めるべきものとしての民主主義)とも、ロールズの多元主義(p.102)とも反した代表制のガンであり、民主主義の危機である。 -
「ポピュリズム」や「ポピュリスト」の言葉が使われることが増えているが、文脈によって意味が異なる印象を受けていたので本書を手に取って見た。
ここでの定義がすべて正しいのかどうかは判らないが、個人的には理解しやすく、しっくりときた。
代議制民主主義に伴って発生してしまう副作用であり、反多元主義で、批判や反対意見は国民の意志ではなく一部の陰謀や工作とみなす…まさにこれが現実の社会の一部で行われている姿でもある。
ここでは右か左かという政治思想とは何の関係もなく、民主主義の体を装いながら、最終的には民主主義の崩壊をもたらしてしまう。
しかしポピュリズムに対しての徹底批判や無視は何の効果もなく(彼らの結束を固めるだけ)、それを解決していくためには彼らの意見も国民の中の数多くの意見の一つであるというところから始めるしかない…民主主義の難しさであると同時に、いつまでも完成形のない永遠の試行錯誤があるからこそ全体のバランスが保たれるのだと思う。
完成した(と思った)ら後は腐敗し、壊れていくだけ…個人も組織も国家も。 -
反多元主義
政治世界を道徳的にみる
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