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Amazon.co.jp ・本 (270ページ) / ISBN・EAN: 9784000248921
作品紹介・あらすじ
空が白むまでヴェイユの言葉に向き合ったソルボンヌでの日々、東京を訪ねてきた風変わりな旅人たちと過ごした一夏、ムーミンと出会いヤンソンの作品を翻訳するようになるまで……。東京—パリ—ヘルシンキ。旅の指針は、やりたいことだけをやる——。大切な人のミンネ(記憶)をつなぐ。過去はいま、確かな輪郭をとってわたしに寄り添い始める。
みんなの感想まとめ
テーマは、やりたいことを追求しながら大切な人との記憶をつなぐことです。著者の独自の視点から描かれるトーヴェ・ヤンソンの姿や、彼女の作品が持つ魅力が丁寧に語られています。特に、北欧の文化や税金に対する考...
感想・レビュー・書評
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岩波の「図書」に連載されていたエッセイが単行本化された書籍です。穏やかで落ち着いた回想録のおもむきですが、「やりたいことをして生きる」ということのラジカルで強い意思の表明でした。
シモーヌ・ヴェイユの思想との偶然の出会いが、彼女をフランスへ、そしてフィンランドへと連れていくドキュメンタリーは読みごたえがありました。
読者のぼくにとっては、すぐ近くの、播州の田舎の町で育ったらしい少女が、あの「ムーミン」のフィンランドまでたどり着き、作者のトーヴェ・ヤンソンの遺言を聞く人になるという「人生の旅」の思い出には、シモーヌ・ヴェイユさえよく読んだことのない浅学の徒の心まで鷲掴みにする何かがあると思いました。
ブログに感想を書きました。覗いてみてください。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202011160000/ -
『ともあれ、萎れた花束を墓前にそなえ、自分なりに、ひとまずは、ヴェイユの死と折りあいをつけたのだった』―『ロンドンの桜の花に、晩年のヴェイユを偲んでみる』
『「そうですね、ときどきありますよ、そういうことが。わたしのはフィンランドのスウェーデン語ですから」わたしは呆気にとられて立っていた。意味がわからなかった』―『東京ではじめて会ったヤンソンは、「してやったり」とばかりに笑った』
トーヴェ・ヤンソン(子供の頃に覚えた名前はトーベ・ヤンソンだけれど、著者に倣ってトーヴェと書きます)の作家としての面白さに気付かせてくれたのは「トーベ・ヤンソン・コレクション(全8巻)」に収められた「誠実な詐欺師」という本。もちろん、岸田今日子の声のムーミン・アニメシリーズは本放送で観ていた年代なので、ムーミンへの入り口はカルピスまんが劇場の子供向けの世界なのだが、家にあった「たのしいムーミン一家」と「ムーミン谷の冬」(トーベ=ヤンソン全集、全8巻。全集と言いつつ、ムーミン・シリーズのみ)の少しおどろおどろしい物語(とヤンソン自身の挿絵)がアニメシリーズの雰囲気とは異なることは子供ながらに理解していたと思う。それでもヤンソンは児童文学の作家なのだと思っていた。その認識を改める切っ掛けとなった新装トーベ・ヤンソン・コレクションの翻訳を手掛けた冨原眞弓の来し方を綴ったのが本書「ミンネのかけら」。
ミンネは、スウェーデン語のMinne(記憶)。トーヴェ・ヤンソンはスウェーデン語を母語とするフィンランド人。その翻訳家がスウェーデン語で「記憶」と銘打つくらいなのできっとヤンソンの思い出を綴ったものかと思い込んでいたが、これは著者のフランス留学から始まる30年に亘る追憶の断片集。もちろん後半はヤンソンとの出会いからその人となりについての思い出話が出てくるが、前半は著者の学術的な主題であるヴェイユへの憧れに端を発したフランス留学の思い出話。そのどちらにも共通するのは著者、冨原眞弓の何かを突き詰める行動力と大事なものを引き寄せる能力。あるいはそれをもう少し能動的に表現するなら、近くに寄って来た何かの縁をぐいと捉まえる能力、と言った方がよいのかも知れない。
ソルボンヌ時代の出会いや出来事を綴った前半では、追憶の時を今一度生き直すような雰囲気が漂う。その当時は気付かなかった、あるいは知らなかった物事や人物の文化的背景なども踏まえた上で、自分が過去に経験したことの意味をもう一度噛みしめ直す様が丁寧に描かれる。やや後知恵的説明が多いのが気になるとは言えそれも決して自慢話のように語られる訳ではなく、純粋に、著者の駆け抜けるように過ごしたフランスでの時間が濃密であったことが鮮やかに蘇る。もっとも少し意地悪く言えば、思い出はいつでも美しいものではあるけれど。
後半のトーヴェ・ヤンソンとの思い出を巡る話では、北欧に関しての文化、及び、その時の時代背景も簡潔に紹介しつつ、フランス留学時代から繋がる人との縁からヤンソン翻訳に至るまでの思い出が綴られている。岸田今日子のムーミンを同時代的に観るには著者はやや年齢が上だと思うので、ムーミンの作者がトーベ・ヤンソンであることを知らなかったようだが、主題歌のタイトルバックで大きく「原作、トーベ・ヤンソン」と出て来るし、自分を含め少し下の世代はムーミン=トーベ・ヤンソンという図式を了承している筈。けれど知らなかったことが却って著者をトーヴェ・ヤンソンに近づけるところが興味深い。ここに研究者としての冨原眞弓の原点のようなものがありそうだ。すなわち、物事は知っているか知らないかではなく(それでは知っていたらそこで終わりになってしまう)、知りたいか知りたくないかという二者選択だということ。更に言うなら、将来の可能性も含めて知りたい思うことだけをとことん知りたい、という姿勢が常に貫かれている。
ヴェイユとヤンソンという一見何も共通するところがないような二人だが、彼女たちが拘っていたこと(片や異端とされたカタリ派の思想への拘りであり、もう一方は人口比5%に過ぎないスウェーデン語系フィンランド人としてアイデンティティ)に焦点を当ててみると、そこに重なるものがあるようにも見える。彼女らの強い信念こそが冨原眞弓の人生を引き寄せたのだということがミンネのかけらを繋ぎ合わせた答えのように思う。
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それまで ”ムーミンとヤンソンを紹介した人” という認識しかなかったけど、冨原さん自身もとてもすてきな方だということがわかった。
梨木香歩さんのエッセイが好きな人は楽しく読めると思う。同じ芯の強さがある。 -
トーヴェヤンソン関連の書籍を通して冨原さんのことを知っており、その冨原さんのエッセイということで読み始めました。
「政府への貯金」という北欧の税金に対する考え方など、違う国の人々が自分の国の制度をどのように捉えてるかの具体的な描写が出てきて、勉強になるし面白かったです。
特に目当ての後半、ヤンソンパートはぐいぐい引き込まれました。
これまであまり描かれてこなかった、ヤンソンという人物を外側から描くものであり、スウェーデン系フィンランド人という彼女のアイデンティティを掘り下げるものであり、ムーミンが北欧やイギリスでどう訳され需要されてきたかの記録にもなっています。
それら全てを包み込むのが冨原さんの優しい語り口で、スッと頭に入ってきます。
その語り口も相まって、どんな研究書よりもリアルでイキイキとして手触りのあるトーヴェヤンソンの姿が描かれているように感じで、読んでいて嬉しくなりました。
変にトーヴェヤンソンを神格化したり美化したりせずに、等身大の普通の人間として描いていて、それも心地よかったです。フランス人でもスウェーデン人でもフィンランド人でもないからこそ、冷静で客観的に他国を観察できるのかも。そう思わせる文章でした。
そして、「たくさんの理解と誤解に感謝します」という言葉を読んで、やっぱりトーヴェヤンソンカッコいいな!と思いました。 -
評伝でいいのかな。どっちかな。ベイユの話と、トーベヤンソンの話と。したいことだけをする、という言葉のなんと潔いこと。言える人がいる。
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なんだか好き…と言う曖昧な表現となるが、このエッセイに含まれた空気感がとても良い。
9月大阪で行われたムーミン展で、トーベヤンソンと日本との関わりについて見たことが、一気によみがえってきた。その中に著者の冨原眞弓さんの記載もあったであろう。
「本当に大切なものがあれば、ほかのものすべてを無視して良い。そうすればうまくいく」
この言葉が、すべてだ。 -
2023.11.12
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■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
【書籍】
https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1001236337
著者プロフィール
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