森と緑の中国史 エコロジカル・ヒストリーの試み

  • 岩波書店 (1999年4月7日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (280ページ) / ISBN・EAN: 9784000252850

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  • 自身の中国でのフィールドワークや黄土高原での緑化運動の体験記も交えたエッセイ風の作りながら、詩経に見える植物を数え上げて南北の植生との関係性を比較したり、東南山地の章では異生態系遭遇記としての志怪小説、大規模開発者としての謝霊運といった視点を提示したりと刺激的。

  • 中国は、植生と地形から8つの地域に区分される。華北地域と華南地域は、インド洋から北上する水分を含んだ空気が阻まれる秦嶺山脈と淮河を結ぶ線で分かれる。華南地域は雨の多い常緑広葉樹林帯で、華北地域は偏西風の影響下にあって雨が少ない落葉広葉樹林帯である。

    文明はその周辺にある文化に影響を与え、周辺の文化も文明に働きかける。文明は新しい要素を加えると揺らぎ始め、文明の求心力が弱くなると、新しい文化を含み込んだ新たな文明の萌芽が生まれる。中国の歴史は、文明が安定している「合」、揺らぎ始める「散」、覇権が争われる「離」、ひとつが生き残って全体を統合する「集」を繰り返してきた。

    秦による中国統一後、楚の山林は大規模建設事業の木材供給地となり、原生林に近い状態に保たれていた森林が開発された。史記には、阿房宮の建設のために、蜀(四川省成都周辺)と荊(長江中流)の木材がすべて集められたと書かれている。

    黄河の名称が定着したのは、前漢の初頭頃のこと。「河」の文字の右側は木の枝を示していることから、漢字の起源となった甲骨文字が生まれた殷の時代には、黄河の両岸に森林があったことが想像できる。農耕の技術を持った周の人々は、遊牧民を草原から追い出しては開墾し、次第に農地を増やしていった。耕地が手狭になると、丘陵地の森林を伐採した。黄土高原の森林と草原が姿を消すにしたがって、土砂の流出量も増え、黄河は黄色くなっていった。

    明は木材専門に扱う機関を設置し、太行山脈は北京への森林資源供給地となった。さらに、遊牧民の勢力の侵入を防ぐために、大同周辺に外長城、太原の近くに内長城の二重の長城を建設した。関所・土塁には軍隊を駐屯させ、長城建設と軍営維持のために、周囲の灌木までもが刈り取られ、煮炊きのために燃やされた。英宗が捕虜にされた1449年の土木の変の後、遊牧民の兵馬が水も牧草も得られないようにするため、防衛線の内側百キロ以上を焼き尽くして不毛の荒野とした。

    三国時代に、呉を建てた孫権は魏王から江南地域を治めることを任命された。呉は、百越の民を掃討または吸収して、魏に対抗した。越系の勢力が壊滅すると、東南山地は本格的な開発にさらされた。南北朝の時代になると、北方から遊牧系民族が華北平野に進出したのに伴って、江南に逃げ出した漢族が諸王朝を展開し、南朝を支えた門閥貴族が開発を担った。

  • F君に貸していた本が、10年(以上か)の時を経て手元に戻ってきた。諦めてもおり、もう一度読みたいなとも思っていた本である。なにか不思議な気分ながら、すぐに読みなおしてみた。初めて読んだときに与えられたインパクトが蘇り、10年以上前の出版物とは思えな
    い新鮮さを感じた。今中国の緑はどうなったか?気になるけど、ますます行きにくい国になってしまった。

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著者プロフィール

1957年東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、立教大学文学部教授。専攻は中国社会史。著書に『中国の歴史9 海と帝国』『伝統中国─〈盆地〉〈宗族〉にみる明清時代』『シナ海域 蜃気楼王国の興亡』(以上、講談社)、『貨幣の条件─タカラガイの文明史』(筑摩書房)、『死体は誰のものか─比較文化史の視点から』(ちくま新書)、『人口の中国史─先史時代から一九世紀まで』(岩波新書)ほか。

「2023年 『戦国日本を見た中国人 海の物語『日本一鑑』を読む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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