- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000254649
作品紹介・あらすじ
吉本隆明-戦後思想史に屹立する彼の遺したことばと思想的営為は、ぼくたちになにを語りかけるのか。吉本を敬愛してやまないふたりが、自身の受けた深甚なる影響について率直に語りあう。その思想的核心に迫る対論から、自分に発して世界の問題を考える思想的態度、その原型としての吉本思想が未来にもつ。驚くべき射程の広がりが明らかになる。
感想・レビュー・書評
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吉本隆明が亡くなった後、新聞雑誌に数多くの追悼の言葉が溢れたが、その中で最も心に響く追悼文は、朝日新聞に掲載された高橋源一郎氏のものだった(この追悼文は、冒頭に再掲されている)。また、加藤典洋氏は、吉本の思想を世界の思想の中でどう位置付けるかを考え続けているのも見ていた。この二人は、吉本の思想から何を受け取ったのか。
高橋は、戦争中に愛国青年だった吉本が、「みんなで神社へ必勝祈願に行こう」と誘われたが、「なにか浮かない感じ」がしたという体験に注目している。「善いことばっかりいっぱいいるでしょう。それに対してやっぱり浮かない感じがする時には、<浮かないよ、それは>と言うべきであると思います。ずっとそういうことをぼくは言ってきました。」(『吉本隆明が語る親鸞』より) この「浮かない感じ」が、もう一つ別の世界=「異数の世界」へと降りて行かせ、吉本の思想と言葉が生まれたというのだ。
一方、加藤は、吉本が、思想から「国」を離隔して、「自己」と「世界」を直結しようとする態度に着目し、これが吉本の戦争体験から来ているとしている。また、吉本の思考の特徴として、先端に行くことと始源に遡及することとが、同時並行的に探究される「先端と始源の二方向性」を指摘している。これらは、『言語にとって美とは何か』においては、自己表出と指示表出の対をなし、『心的現象論』にあっては、生命体と意識体の異和構造(=原生的疎外)という概念として結実していおり、『アフリカ的段階について』では、内在(精神)史であるアフリカ的段階と、外在(文明)史が同義である史観が見すえられているという。
そして、この二人の対談では、高橋が吉本から受け取った「浮かない感じ」(異数の世界)と、加藤が吉本の思想にみた「先端と始源の二方向性」が見事に噛み合って、スリリングな展開を見せてくれる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【由来】
・岩波のサイトでたまたま
【期待したもの】
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【要約】
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【ノート】
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よかった。今まで恥ずかしながら吉本隆明氏の著作を
読んだことがなかったのですが。
彼の言葉、詩、思想のかっこよさを初めて感じた
気がします。深くまでは理解できていないのでしょうが
かっこいいと思える言葉や思想だと思いました。
彼の著作を今後読む機会があれば、読んでいきたいと
思います。
”世界と自分との両端性”
”先端と始原への同時的かつ両方向的な追尋の姿勢”
”みんなが言っていることは正しいが腑に落ちない感覚”
”無限性と有限性”
”ヨブ記においての解釈とキリスト教の誕生”
”西洋社会とキリスト教・アフリカ的段階”
”原生的疎外感”
”指示表出と自己表出・無意識内臓系と意識感覚系”
”歴史は外在(文明)史と内在(精神)史との二重性と
そのずれ、かい離によって総合されうる”
いろいろ亡くなる直前には批判や、バッシング的なものも受けていたと思うのですが。きっちり向かい合うと
とても面白く。かっこいい言葉や思想・姿勢の凝縮で
あり、集合であり、多彩な満々たる集まりを生み出した
人であり、戦後思想史の巨星・巨人であることは
間違いないと思いました。 -
新しく刊行されたものばっかり読むんじゃなく、ここで言及されているような「古典」も読まねばと心新たにしました。
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読み終わって(観終わって)、これはいい! と思った作品を称揚する場合、その形容にはさまざまなものがある。たとえば、感動した、面白かった、心を打たれた、共感したとか、衝撃をうけた、驚嘆した、震撼した、または「人生永遠の書」といったように、時間の長さに例えて作品のいのちを謳った表現もある。
僕もかつて、内田樹さんの本を例えて「目から鱗が落ちる」どころか、「目から魚がでる」と書いたことがあったけど、更にその上をいく人がいた。高橋源一郎さん、略して「タカゲン」さんだ。タカゲンさん、時に中学2年生、友人と一緒に入ったうどん屋での一コマである。
食が済んでお店を出ようと友人に声をかけたタカゲンさん。突然その友人は何を思ったか、吉本隆明さんの詩「異数の世界へ降りてゆく」の朗読をはじめた。友人の声で聞くこの詩を、タカゲンさんは不思議に思った。以前に目にしたはずのこの詩と声で聞くこの詩では、何かがまったく違っていた。何かが決定的に違っていた。「なんだか分からないけれども、すごいと思った」タカゲンさんは、回想してこう述べる。
「大げさでなく、目からうろこが落ちると言いますか、魂からうろこが落ちた。ぼくは半分泣いていました。」
この瞬間、吉本さんのことばに触れ、詩のことばに開眼したタカゲンさん。魂からうろこ、ってすごい。 -
オマージュ。
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没後の吉本隆明を、それから3・11以降の彼の思想的態度を高橋源一郎と加藤典洋が検証。といってもそれは冷たい学問的検証ではなく、各人のこれまでの人生を賭けた検証になっている。吉本隆明の思想が、そうした読み方しか許さないのだろう。それが厭な読者は、おのずと吉本隆明から離れてゆく。
本書を読んで改めて実感したのは、吉本隆明が死ぬまで「内臓感覚」に正直に思考したということ。理性的判断などは序の口で、最終的判断はみなこの内臓感覚に委ねている。だからおのずとこの人の文章は、直接読者の内臓に訴えかけるのかもしれない。 -
吉本隆明は『言語にとって美とは何か』と『共同幻想論』を読んで、それで終わってしまった。あまり熱心な読者であったわけではない。『言語にとって~』の方はさっぱり分からなかった印象がある。
この本は、高橋源一郎が語っているということで購入。タカハシさんが吉本隆明にそれほど心酔していたとは知らなかった。どちらかというと批判的かと思っていたのだが。
この本は、共著で講演を文字に起こしたもの+対談をまとめた形になっているが、やはりこの点のテーマでは対談ものは避けた方がいい。自分が吉本のことをあまり知らないこともあるが、何かの意図が成功しているようにもやはり思えなかった。
タカハシさんは吉本を語るにしても単著で出した方がいいかと。 -
「自分はずっと、この本を待っていたのかもしれない」と思うような読書というのがある。それが錯覚や、あるいは後になって、そこまでのことじゃなかったなあ、と考え直すようなことになったとしても、その最初の感想を忘れないでおこうと思う。いましているのは、そういう読書です。