私事(わたくしごと)―死んだつもりで生きている

  • 岩波書店 (2005年1月7日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000257558

私事(わたくしごと)―死んだつもりで生きているの感想・レビュー・書評

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  • 先日91歳で亡くなった中村雀右衛門の自叙伝である。雀右衛門は、名門の出でもなく、28歳で女形に転向、日陰の女形であったが、80歳をすぎて突如花開いた。実際、自分も、85歳過ぎの雀右衛門を観ているが、何とも、濃厚で艶やかで艶やかで、信じがたかった。そんな雀右衛門の自叙伝は、謙虚で、歌舞伎への愛に満ち満ちている。とはいえ、雀右衛門のことを知りたければ、渡辺保の雀右衛門へのラブレターである「名女形・雀右衛門」を読めば足る。生前にこのような本をプレゼントされ、ファンに「ジャッキー」と呼ばれ愛された雀右衛門は、幸せな女形であったと思う。

  • 副題がただごとでない。「死んだつもりで生きている」というのだ。今年で八十五歳になる文化勲章受章者で人間国宝。六世中村歌右衛門亡き後、歌舞伎界を背負って立つ女形の大看板である。大病でもして余命わずかなのか、と思いながら読んでみたのだが。

    六代目大谷友右衛門の子として生まれ、小さな時から歌舞伎役者として育てられた。友右衛門は立役である。息子にもスキー、スケート、車にオートバイと男の子っぽい遊びばかりやらせてきた。ところが、戦争から帰ってみると、後ろ盾の父は亡くなっていた。歌舞伎で生きるしかないと、父が親しかった七世松本幸四郎を頼り、付き人となる。その大恩人から「女形になるよう」に言われたのが27歳の時。

    歌舞伎役者が、立役でいくか、女形でいくかは自分で決めるのではない。上の者がそう言えば、従うか役者をやめるしかない。男が女を演じるのが女形。歌舞伎の女形は、もともと女性の所作の真似から入ったが、今はそれを昇華し独特の「女形」というものができている。三つ年上の歌右衛門が女形になると決めたのは何と三歳の時というから、二十年以上のハンディがあることになる。

    小さい頃から名優の芸を見て育った人である。当然眼力はある。眼高手低の言葉通り、自分の芸の拙さが見えてしまう。父親の死や戦争帰りという境遇から名優達に情けをかけられ一緒の舞台を踏ませてもらえばもらうほど、我が身の拙さが歯がゆくて仕方がない。ついには自殺を考える。偶然がそれを阻んだとき、これからは「死んだつもりで」やってみようという言葉が頭に浮かんだという。

    雀右衛門は「わたしは自分に惚れていません」と言いきる。自分の芸の未熟さを我慢して、一歩でも先に進むように練習を繰り返すだけだ、とも。幸四郎に言われた「女形は六十歳にならないとものにならないよ」という言葉を頼りに精進して、八十一歳の時、やっと「これかな」という手応えを得る。『熊谷陣屋』の女房相模を演じたときのことだ。

    「出す足ごとに相模の心情が乗り移っていきます。息子を案じる母の感情と同時に、役者としては、ある境地といいますか、ああこれだ、この気持ちだ、この動きだという法悦境とでも申しますか、ああ、歌舞伎役者をやってきてよかった、生きていてよかったと、心からの悦びが身体を貫くのです。」

    歌舞伎界という閉じられた世界の中で、ふつうの男には想像もつかない「女形」を演じるという、ただそれだけでも興味はつきないのに、死と隣り合わせだった兵役、遅すぎた出発ゆえの苦労、不世出の女形歌右衛門との確執、映画界入りの波紋と、雀右衛門を取り巻く波風は高い。しかし、ただの苦労話とはひと味ちがう。

    たとえば、女形特有の色気を、どうやって出すのかという質問に「肩幅の広い男性が、女形として踊るときには、肩胛骨を背骨のほうに寄せて、その状態で肩を下げ、腰に力を入れていきます」と答えている。また、よく使われる「息が合う」という言葉について「立役が息を吸い込んだときに、こちらは息を吐く。両方が同時に吐いているようでは、息が合ったとはとてもいえません」という。身体論、コミュニケーション論、と話の奥が深い。

    子役時代の思い出話や愛妻の話には人間雀右衛門の息遣いが感じられて愉しい。歌舞伎ファンはもちろんだが、何かの壁にぶつかって悩んでいる人は一度読んでみるといいかもしれない。なにしろ、辛抱だけを支えにして「死んだつもりで生きてきた」人の話なのだ。

  • お舞台をみたかったです。

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