私の日本語雑記

著者 :
  • 岩波書店
4.05
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本棚登録 : 99
レビュー : 12
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000257725

作品紹介・あらすじ

精神科医、またエッセイスト・翻訳家として知られる著者の豊かな言語経験を、初めてまとまった形で書き綴ったオリジナルな日本語「随論」。著者の文章感覚や文章表現の極意ともいうべき日本語の実践的使い方論、著者自身の言語形成にかかわる個人史、外国詩の翻訳経験にもとづく文章論的発見、言語文化・文明論的な巨視的洞察など、全編、著者ならではの創見に富み、刺激的です。

感想・レビュー・書評

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  • ☆2(付箋8枚/P256→割合3.13)

    敬愛する中井久夫氏の著。
    詩を翻訳されたこともあり、精神科医が本業なのだけれどとても文章が綺麗。ただ綺麗な日本語と感嘆していたのだが、翻訳の際はこんなに推敲し、行きつ戻りつするものなのか。
    敗戦の折に表記がローマ字になっていたなら、kakutoku-suru→get-suruと省略されることから日本語が壊れていたかも知れないとか、自分が直接英語で書いた論文なのに、それを日本語訳する事が本当に大変だったとか、言語差の違いをバイリンガルの人でもこんな深く洞察できるだろうか。

    “私のささやかな「うたう状態」は1995年に終わった。『魅惑』の最後の詩を訳し終えた数時間後に阪神淡路大震災がやってきた。そして、「ぼくは詩はわからないよ」という人の状態ってこれだという状態に私も戻った。それはカラーの写真とモノクロームの写真ほども違っていた。”
    美しいでしょう?

    --以下抜粋--
    ・日本の代表的な神経心理学者の一人である畏友山鳥重(アツシ)氏は、脳を大観して「知情意」というが順序は正しくは情知意であって、知や意は情の大海に浮かぶ船、泳ぐ魚にすぎないという意味のことを何かにつけて語っておられる。

    ・米軍が日本を占領した直後には、日本国内からカナモジ論者、ローマ字論者がその採用を働きかけたらしい。しかし、さすがアメリカ人である。まず、1948年に日本人の識字率の大規模で厳密な統 計調査を行っているのである。回答率も非常に高かった。その結果は非常な高識字率であった。彼らはローマ字化を斥けた。当時の彼らは硬直的でなかった。

    ・しかし、日本語には意外な脆さもある。かりに米軍の占領下に日本語がローマ字表記になっていたならば、そのわずか一事だけで日本語が大変化、ひょっとすると崩壊していた可能性がある。以下にその場合を想定するが、それは実は今すでに起こっている変化であって、現表記がそれを覆い隠し、発展を抑止し、防衛しているのであるまいか。
    たとえば、get-suruがkakutokusuruよりも頻用されるようになる。美しい日本語のローマ字表記は駅名一つをみても端的に野暮ったく美しくないと私は思う。同じローマ字による表記でも、ハワイ語の強さ、まろやかさがない。

    ・私のささやかな「うたう状態」は1995年に終わった。『魅惑』の最後の詩を訳し終えた数時間後に阪神淡路大震災がやってきた。そして、「ぼくは詩はわからないよ」という人の状態ってこれだという状態に私も戻った。それはカラーの写真とモノクロームの写真ほども違っていた。

    ・すでに述べたように、『若きパルク』の冒頭三行は私には天与の詩句であった。その私の訳は次のとおりである。

    過ぎ行く一筋の風ならで誰が泣くのか、
    いやはての金剛石(ほしぼし)と共に独りある、この一刻に?…
    だが誰が泣くのか、その泣くときにかくもわが身に近く?

    原文は「誰が泣くのか、彼方で」(Qui pleure la)で始まる。パルクが目覚める瞬間である。「キ」(誰)という鋭い問いかけが「プルール」(pleure)というかすかに流れる中間母音を経て「ラ」(彼方)という遠ざける意味と明るい音とを持つ語に続き、次に休止符を予想させる。「キ」と「ラ」で挟まれた「プロール」はかすかな泣き声でもありえ、一筋の風でもありうる。ではそれで始めるべきではないのか。
    秘かにいくつかの言語に直訳してみた。ドイツ語なら「ヴェア・ヴァイント・ドルト」、英語なら「フー・イズ・ウィービング・ゼア」か。いずれも「プルール」の繊細な感覚を再現しないと私は自分を説得する。日本語の冒頭の濁音は汚い。「誰」は誰何である。けっきょく私は「過ぎ行く一筋の風ならで」という、通り過ぎる風の音を思わせ る句を前奏として静かに始まらせることを以てよしとした。
    「彼方で」は含意されている。明言するのは少しくどいと私は決めた。「過ぎ行く一筋の風」のsimpleはラテン語のsimplexすなわち「単一の」であるとした。そして「一筋の風」は「過ぎ行く風」だろうと私は自分に弁解した。
    第二行では何よりもまず「金剛石」という消化しにくい言葉が問題である。私はついに「ほしぼし」という振りがなを自分に許した。「独り」は「もっとも遠い星々と共にある」の中で含意されているが、迷った末に残した。「“ひと”りある、この“ひと”ときに」の連音が捨てがたかった。第三行にはさほどの問題はない。

    ・文化というものの相違をしたたかに味わったのは、自分の英文を日本語に訳した時であった 。これはいきなり英語で書いてネイティブにみてもらったものである。しかし、二十数年後に翻訳を試みて私は途方に暮れた。要するに私は一から書き直した。これは複雑なオモチャを分解して組み立て直す作業にいちばん近かった。言語の発想とはこれほど違うものかと呆れた。部分を修正すればよいという程度のものではない。二つの言語文化の間の緊張がこれほどのものとは、この時まで私は実感できていなかった。

    ・私がいちばん難渋する場合の一つは、国際的な「マニュアル」の翻訳である。まず、非個性的である。次に含蓄がない。人柄が匂ってくるという、ふさわしい文体を編み出す手がかりの重要な一つが欠けている。それに、日本人に向かってうるさくいうべき点と、アメリカ人が注意する べき点とは違う。そもそも、マニュアル文化は移民国アメリカにこそふさわしく、日本は元来職人的「コツ」の文化である。

    ・境界は両側から定めなければならない ―ウィトゲンシュタイン


    ※付随して読みたい本
    動物感覚 テンプル・グランディン
    もう一つの視覚―<見えない視覚>はどのように発見されたか M・グッデイル

  • 8章の「最初の精神医学書翻訳」が特に興味深い。

  • この人の手にかかると、言葉は生き物である、という隠喩が、比喩ならざるものに思えてくる。ほんとうに、生き物に見えてくる。
    まだ途中だが、激しく目からウロコが落ちたのは、英語に関する所見。英語はデーン人による支配を受けたせいで、「屈折語」から、格変化の少ない「孤立語」になったという指摘にはうなった。「孤立語は奴婢の言語であった歴史の傷跡でもある。」英語の感染性の秘密はここにあったのだ。奴婢の言語として単純化をこうむった結果の柔軟性が、世界的伝染に一役買ったにちがいない。

  • 興味がある精神医学者として、私はこの人のいつも美しい文章に惹かれてきました。 この方が、文学部卒で、フランス語に通じて「ヴァレリー詩集」などの翻訳をしてい る人であるということは知りませんでした。この本を読んで、初めてこの人の深みを知った気がします。「裸」を美しくない言葉として、奥さんの発想で「一糸まとわぬ」と訳すというのは、ウーンなるほどというところです。 「まあまあ」「あのー」などを連発する日本人のプレゼンテーションの迫力なさを日 本人の優しさからくると 考える著者の考えそのものが非常に暖かみを感じさせてくれます。「というものである」「というわけである」「のである」の違いの説明などは、その後に続くメッセージを含んでいるという解説などは凄い!という感じです。日本人の特質がこのような微妙な言い回しの中にありますね。「何々ぞなもし」のその最たるものでしょう。 支配者のラテン語が廃れ、支配されたギリシャ語が残った理由は?も興味深いし、「屈折語」「膠着語」「孤立語」などという言葉の分類で、各国の語学の歴史を説明するのも納得です。

  •  選び抜かれた珠玉の文章はきらきらと閃光を発して、読む者は言葉を巡る万華鏡の世界を覗き込むことになる。精神医学者であるとともに、ヴァレりーやギリシャの詩の翻訳者としても著名な著者が、世界の様々な言語と比較しながら日本語と言語について多面的に論じている。人格形成期の言語体験や外国語の習得、詩を翻訳するという経験、臨床医としての現場での発見なども総動員される。18章からなるエッセイは、それぞれ短い文章から構成されていて読みやすい。
     浮かび上がってくるのは、このエッセイ集が「間投詞」から始まっていることに象徴されるように、話し言葉へのこだわりである。日本語が膠着語であることから「対話性を秘めている」という指摘や、「もっとも元気な」連用形、「共同世界の伝統への繋がりを自然に示す」連体形、「主観的判断」を含む未然形といった、動詞の活用形をめぐる考察も面白い。「われわれはどうして小説を読めるのか」や「絵画と比べての言語の特性について」は、科学者であり詩の翻訳者でもある著者ならではの発想に溢れさながら<哲学的散文詩>を読んでいるような錯覚に陥る。
    「世界の大部分が黙っていてくれるから、言語から成る小説も読めるのかもしれない」
    「T・S・エリオットは、詩における意味は、それによって読者を油断させてその隙に本質的なものを相手に忍びこませるものと言っている。これは詩に限らない」
     どうやら、著者は「日本語雑記」と言って読む者を油断させておき、実は私たちを言葉の迷宮へと誘うのが狙いだったらしい。

  • 資料ID:W0161786
    請求記号:810.4||N 34
    配架場所:本館1F電動書架C

  • 文字通り日本語についてのあれやこれやです。
    面白かったです。

  • 雑記、と書いてあったので油断しましたがむつかしいです。
    すごくわかりやすい文章なのですが、いかんせんテクニカルタームてんこもり。でもこれが、不思議に面白いのです。ふふふ。

  • パラディグマ的選択 シンタグマ的選択
    パレット 語と語文と文パラグラフとパラグラフ
    文末のエコノミー

  • 精神科医であり名エッセイストとして知られる著者が、日本語について様々な観点から語っている一冊。いきなり「あー、」などの間投詞の役割から始まるユニークな日本語論で惹き込まれる。僕は訳詩者としての彼の実績はあまりしらなかったのだけど、詩を翻訳するとはどういうことかをめぐる数編のエッセイは圧巻。あー、詩を翻訳する人ってこういう風に考えて詩人と対話しながら「文化移転」するんだーと新鮮だった。他では、「われわれはどうして小説を読めるのか」というエッセイも面白いし、いくつか文章作法についての章もあって、これは国語教師的に一読の価値あり、です。

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