〈私〉だけの神――平和と暴力のはざまにある宗教

制作 : 鈴木 直 
  • 岩波書店 (2011年7月29日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000257763

作品紹介・あらすじ

近代化は、世界を脱魔術化し合理化する普遍的な過程だったのか。宗教への原理主義的な回帰現象は、その本質的必然なのか。リスク化する世界のなかで、グローバル・アクターとしての宗教の可能性を問う。

〈私〉だけの神――平和と暴力のはざまにある宗教の感想・レビュー・書評

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  • 社会学的な懐疑主義につきまとう非宗教性・反宗教性を乗り越えようと試みた労作。上記テキストの「宗教的」とは神秘的と同義であり、非科学的と言い換えてもよいだろう。ウルリッヒ・ベックは宗教社会学の空白を埋めようと意気込んでいるわけだが、出発点からして方向を誤ったように見える。相対主義的観点からは新しい統合的な発想は生まれにくい。宗教と科学を相対的に捉え、聖俗を分けて考え、学問や科学を高みに置く考え方そのものを疑うべきだろう。
    http://sessendo.blogspot.jp/2014/03/blog-post_31.html

  • ドイツの社会学者であり、リスク論を展開するベックが、ポストモダン社会における、コスモポリタン化した宗教について述べる。

    「社会哲学」の授業で、私は「宗教と公共性」を扱う際にこのテクストを取り上げた。

    ナチに殺害されたユダヤ人、エティ・ヒレスムの、「<私>だけの神」から、他者へと開かれていく公共性について端を発し、寛容と暴力の間にある宗教の問題について述べる。
    「信じる者」と「信じない者」、異教や不信仰者における非寛容性。
    組織や制度としての「宗教」から、個人の自由の依って立つ「宗教性」へ。
    異端か、「自分自身の神の発明」か、神の「個人化」か「私人化」なのか。
    また、近年における、新しい新宗教運動と、伝統的宗教の相互関係について。
    真理と平和、寛容と暴力のはざまにある宗教を社会学者の視点から論じる。

    宗教やスピリチュアルにおける暴力は、オウム事件のみでなく、何も今始まったことでもないし、匿名のインターネット、mixi上のことのみではなく、中世時代から異端審問などあったのである。

    キリスト教は、樹立当時からグローバルであったが、また、歴史の中で「非信仰者」「異端者」に対して非寛容や暴力という手段を用いてきた。

    エティの「自分自身の神」の在り方が、ポストモダン社会における、コスモポリタニズムのモデルとなれるように願いたいものだ。

  • 宗教間対立の解消への提言とされるウルリッヒ・ベック『〈私〉だけの神』(岩波書店)読了。世界宗教の文明化(宗教を集団より個人の営みに重点移動、宗教的真理でなく平和と寛容を重視すべき云々)を説く。圧倒的に正しい。しかしなんだこの違和感は。恐らく模範解答すぎる点にがっかり感が強いのか。

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