私たちは“99%”だ――ドキュメント ウォール街を占拠せよ

制作 : 『オキュパイ!ガゼット』編集部  湯浅 誠  肥田 美佐子 
  • 岩波書店
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レビュー : 10
  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000257787

作品紹介・あらすじ

二〇一一年九月一七日、「ウォール街を占拠せよ」を合言葉に、貧困・格差の是正を求める運動がニューヨーク、ウォール街近くのズコッティパークで始まった。「ウォール街」に象徴される、行き過ぎた金融資本主義がもたらした、"一%"の富裕層と"九九%"の「私たち」という分断-占拠者たちは、「占拠」を通じて分断に抗議し、空洞化した民主主義を問い、オルタナティブを求めた。「占拠」に共感を寄せたスラヴォイ・ジジェク、ジュディス・バトラー、アンジェラ・デイヴィス、レベッカ・ソルニットらの発言・エッセイと、「占拠」開始から強制排除に至るまでの、ニューヨークをはじめとする全米各地の運動経過により、「占拠」運動の「始まりの二か月」を活写する。

感想・レビュー・書評

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  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784000257787

  •  昨年、多くの人を動員した「脱原発デモ」は約半世紀ぶりに日本で起こった大規模なデモとしてマスメディアでも大々的に取り上げられた。脱原発デモの特徴はその規模の大きさに限らず、SNSといったネットメディアが駆使されたこともその特徴としてあげられた。そうしたメディアを用いた社会運動の流れは「アラブの春」や「ウォール街を占拠せよ」という海外の大きな運動の影響を受けたものとして語られる。
     本書はその「ウォール街を占拠せよ」の参加者による手記を集めたものである。その手記を通して学ぶことは、ネットメディアを駆使した運動の水面下では、まさに直接民主主義と呼ばれる参加者同士の対話や学びあいの場が設けられていたということである。理想的な社会を求めるのであれば、運動を通してその理想的な社会が体現されなければならない。本書はその現場のリアリティを伝えてくれる。

    OPACへ⇒https://www.opac.lib.tmu.ac.jp/webopac/catdbl.do?pkey=BB02150621&initFlg=_RESULT_SET_NOTBIB

  • ウォール街を占拠した人たちの記録。オレは、ちょうど、占拠が終わったくらいのタイミングで、ウォールストリートへ行ったんだけど、近くのトリニティチャーチに、まだ残党みたいな人が残ってた。

    エコノミストのスティグリッツや、哲学者のジジェクが来て演説してたみたいだね。

    やってる最中に行ったら、おもしろかったかもな。見てみたかったな。

  • 「日本の科学者」2012年9月号の特集、「新しい社会運動の胎動」の中の記事でこの本のことを初めて知り、今やっと読み始めた。OWSが単なる「格差問題」を対象にしているのではなく、民主主義がどうあるべきであるかを具体的な占拠という行動の中で実現している様子を理解することができた。
    あのアメリカ合衆国という国の中で、民主主義についてこのように考え、行動する人々がいることを知ると、アメリカ人も捨てたものじゃない、いや、お手本にすべき部分もあるんじゃないかと思えてくる。

  • 資料ID:W0170363
    請求記号:312.53||W 47
    配架場所: 本館2F手動式書架

  • 純粋な思いで集まった人々も、
    巨大化していく中で組織化して行かざるを得ない。

    そもそも、何の為に集まって抗議し、占拠するのか。

    色々な人の考え方が一つにまとめられており、
    こうした行動がいかに難しいものであるのか、
    そもそも、効果があるものなのか…など
    色々と考えさせられる。

  •  ウォール街を占領せよデモ(OWS)について参加者による声明やレポートをまとめた一冊。

     ネットを媒介として集まった多様なバックボーンと意見を持つ人々。運動の中で違う人を排除しようとすることは運動そのものを否定してしまうことになる。彼らがいかにして多様性を保ちながら一つの運動として成立させようとしたか、自分達は99%だという主張をいかに思想や運動にしようとしたかが伝わってくる。

     OWSは従来の運動と違った新しい運動だ。それを感じることができる一冊。
     日本でもこの波は確かに来ている。

  • 2011年アメリカで起こった、不公正にな社会に抗議するムーブメントの記録。
    色んな人が書いた、内側からの声。
    だからこの出来事自体を俯瞰するのではなく、この主張を知るために読む本。

    たくさんの背景を持つたくさんの人の声ゆえに、全体が噛み合っているわけではない。
    前章で指摘された問題をそのまま無自覚に抱えた文章が平気で現れる。
    たとえばドラムサークルの排除に関する文章のあとにドラムサークルうるさいという無邪気な文章が出て来る。
    あるいは白人男性に彼らが気づきもしない「今の問題」を説明する有色人種の女性の文章のあとに、「過去の問題」を延々と語られても飽きたとスルーする白人男性の文章がくる。
    チャイニーズや障害者の不在について語るのはチャイニーズ(?漢語圏っぽい苗字の人)と障害者だけ。
    しかもそれが意図的な排除や前章に対する反論ではなく、本当に気づいていないだけだから通じなさに疲労感がつのる。

    ああなるほどと思う部分もあるが、自分と同じ種類ではない「私たち」(のはずの人たち)に対する軽蔑が駄々漏れで不快になる人もちらほらいる。
    理論に勢いが先行するガヤガヤした感じがいかにも「今」の「ナマ」っぽい。
    この本は出来事を解説するものではなく自分たちの行為を主張するもので、しかも出来事自体が現在進行だから変に美しくまとめようとしない姿勢は良い。
    けれどそのまとまりのなさを長所と見るか短所と見るかで評価が変わると思う。私はあまり好きじゃない。

    アラブの春もふんばろう東日本も新しい形の繋がり方って点で同じ時代の要請なのかな。

  • 昨年9月「ウォール街を占拠せよ!」を合言葉に、貧困・格差の是正を求める運動がニューヨークの公園で始まった。カネの世界、富を蓄えこんだ1%の象徴のようなウォール街で、集会やデモが行われた。公園のテントは2ヶ月後に強制排除されたが、占拠運動は共感とともに全米各地へ広がった。

    この本は運動の始まりの記録だ。

    印象的なのは、大勢の集まった公園での直接民主主義的な話し合いの模様。発言者の声を、参加者が「人間マイクロフォン」で復唱しながら伝えていく。賛成のときは手を挙げてひらひらさせ、異議は手を下ろして振って示す。99%の私たち自身が、この場をつくっているという感覚がこの本には満ちている。

    さまざまな占拠の風景が記録されている。

    たとえばマニッサ・マハラワルたちは、「ウォール街占拠声明」として全世界に送られようとしていた文書の最初のくだりを変えるか削除するよう、起草者にひと役買った男性に伝える。

    その文書の最初のくだりはこうなっていた。
    「肌の色やジェンダー、性的指向、宗教、あるいは無宗教、政党、文化的背景によって、かつては分断されていた民衆の一員として、私たちは現実を追認する。人種は一つ。それは、人間という種である…」(p.26)

    このウォール街占拠(OWS;occupywallstreet)の声明となる文書の冒頭が「まるで人種差別も階級主義も、宗教的抑圧も父権社会も、ゲイやトランスジェンダーへの嫌悪も、いまではもう存在しないかのような表現で始まるのは、あまりにも認識が甘いし、こうした問題に日々さらされている人たちの足を引っ張ってしまう」ことだ、「この運動がいかなる人も排除しないと言うなら、このような現実を無視するのではなく、認めたうえで、創造的な対処方法を見つける必要があるのではないか」ということを自分たちは言いたいのだと、マニッサ・マハラワルたちは伝えた。

    そして、話し合いの末に、文書は書き換えられた。
    マニッサ・マハラワルはこう書く。
    ▼私はいま、何か大切なことが起こったと感じていた。この運動を、自分たちが望む運動にほんの少し近づけることができた、と。それは歴史上の、そして、現在の不平等や抑圧、人種差別、権力関係に配慮する運動であり、特権を補強するのではなく、それと対峙しながら進む運動だ。(p.27)

    9/17に始まった占拠の2日後、19日にイーライ・シュミットはこう記す。
    ▼…非現実的な理想主義者や熱狂的な活動家にならなくても、希望を持つことはできると思う。迷いがあっても構わない。何かを実現したいと思っているだけで、具体的にどうすればいいのか、また、それが何なのかさえ分からなくても問題ない。僕たちは、まだ自分たちの要求を正確に列挙できないかもしれないが、少なくとも要求があることは分かっているし、何かを成しとげたいと思っている。(p.152)

    「アトランタ」の章では、占拠の現場をめぐる歴史の分岐点が簡単にまとめられている。アトランタは、住民の過半数を黒人が占める都市。1968年に暗殺されたマーチン・ルーサー・キング牧師の遺体は、アトランタで木製の荷車に乗せられ、二頭のラバに引かれて市内通りをめぐってから、サウスビュー共同墓地に葬られた。

    1865年、1906年、1960年、1996年、2011年と、この地でどんな占拠がおこなわれてきたか、歴史的にも今も、市中心部を牛耳る企業の力がいかに人種問題と深く関わっているかが書かれたなかで、アトランタにオリンピックがやってきた1996年の記録が目をひいた。

    ▼市当局は、記録的な速さで新しい刑務所を建設した。この刑務所は、五輪に合わせて建てられた最初の施設だった。さらに市当局はウッドラフパークを閉鎖し、改修に取りかかった。市にとって、五輪は公園内で寝泊まりするホームレスを追い出す絶好のチャンスだった。改修が終わった公園には、見晴らしのきく広い斜面がもうけられた。警察が、貧しい身なりの者たちを排除しやすくするためだ。

     アトランタ五輪組織委員会の当局者は、五輪のために市中心部から貧しい黒人の排除を警察に要請したことはないと主張した。だが大会期間中、貧しい身なりの者たち(そのほとんどは黒人だ)の姿はウッドラフパークから消えた。その一方で、地元の刑務所の収容人数は、開会式前の2200人から、大会期間中は4500人に急増した。五輪組織委員会の当局者は、ただの偶然だと主張した。(pp.204-205)

    華やかな博覧会やイベントなど国策興業があるときには、キナ臭いことが必ず起こっていると『無縁声声』平井正治さんが書いていた。まるで同じやと思う。

    巻末の解説で、湯浅誠さんが、この占拠運動は何よりもまず「民主主義の学校」だと書いている。私は「自治の学校」だと思った。選挙で選ばれた自分の言動は「民意」だと言いつのっている首長もいるが、自分に投票しなかった人をも代表するポジションにいることを、この人はあえて無視している。99%の「民」はもっと多様で、「ぼくの考え」くらいでは代表されないし、その中に対立だってある。必ずしもひとつにはならない99%がどう折りあっていくか、場のつくり方としても力になる本。

    (5/11了)

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