- Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000259620
感想・レビュー・書評
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日本になぜ多量に(世界一?)ブロンズ偉人像は存在するのかの謎に迫る。脱亜入欧に沿った文化芸術策推進の中で、政治的理由などにより結果的にこのような銅像が流行した。戦前は軍人中心だったのが、戦後は反動で「平和の裸体像」が異常に造られた
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今まで銅像は芸術作品の一つと思っていた。なぜなら、それは芸術家によって作られているからだ。しかし、本書では銅像が簡単には芸術作品と言えないことを、シャチホコ、襖絵、仏像、台座、ゆるキャラなど様々な事例を援用して論考する。とは言ったものの、今まで読んできた銅像関連の書物とは違う芸術論のため、分かったような分からないような、消化不良気味。
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≪目次≫
序章 銅像時代のはじまり 1909
第1章 屋根の上のつくりもの
第2章 さすらう金鯱
第3章 殿様の銅像
第4章 横浜清正公ストリートにて
第5章 台座考ー建築家と記念碑
第6章 ある騎馬像の孤独ー戦争が終わって転々とす るもの
終章 銅像時代のたそがれ 2009
≪内容≫
東大の文化資源学を専門とする大学院教授の著書。「銅像」と名打っているが、その内容は銅像の周りをグルグルしている。しかし、明治になってヨーロッパの影響を受けて銅像が作られたこと(亀井茲明の影響が強い)。銅像としては、神武天皇像(金沢兼六園内)は戦争祈念碑(忠魂碑)的要素が強く、実在の人物像としては、大村益次郎像(靖国神社)よりも津和野の亀井茲監像が2年古く(1890年)造られたこと。銅像は彫刻家が台座は建築家が手掛けたこと(古くは)。など、有益な事実が次々と現れた。特にあとがきの東大内の銅像のゆくえを書いた顛末が私にも一番面白かったのは、どうしてだろう。そこには今の銅像の位置づけが見えるからかもしれない。