子どもと悪 (今ここに生きる子ども)

  • 岩波書店 (1997年5月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (200ページ) / ISBN・EAN: 9784000260640

みんなの感想まとめ

子どもとの向き合い方や自身の子供時代を振り返るきっかけを与えてくれる一冊です。やわらかな文章が心に響き、思春期の葛藤や親の存在の大切さを再認識させられます。特に、著者が提起する「悪」というテーマは、子...

感想・レビュー・書評

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  • p25 鶴見(鶴見俊輔)さんの場合も自殺の意図が見られた。急激な人格の変容は、象徴的には「死と再生」の過程として表現するのが一番ぴったりであり、人格が急に変化するときは、その背景にいろいろな形で「死」がはたらいていることが多い。自殺はもちろん防がねばならない。 鶴見少年や日高少年が、ほんとうに自殺していたら、現在の日本は非常に大切な人材を二人失っていたことになる。自殺はそんな意味でも「悪」である。(私:しかし、天才なはずなのに他界した子どもというのはいない)

    p29 田辺さんの万引と創作の関係について考えているとき、シオランの「善良なるものは創造しない。それは想像力を欠いている」という言葉を思い出した。これは実に名言である。p31この「善良なるものは創造しない」というのは、本章を通じて多くの例をあげて述べてきた「創造性と悪」という点にしっかりと呼応する言葉である。(これは「創造の病」の変形語だな?)

    p40 悪とは「善の欠如」であるという理論が神学のなかで考え出された。神の創造した世界なので、本来は悪というものはないのだが、善の欠如態として悪は存在することになる、と考える。これは神学的には見事な考えである。現実を見ていると悪が存在するように思えるし、さりとて至善の神が悪を創ったとも考えられないので、このような説明を考え出したのであろう。

    p44 集団の維持にはある種の規約が必要となり、その規約を破ることが、悪になってくる。

    p97暴力と攻撃性
    英語にアグレッションという言葉があり、日本語では攻撃性と訳される。そこから派生したアグレッシブ(攻撃的と訳される)という言葉がある。アメリカ人と話し合っていて、人物評のときに、何某氏はアグレッシブな人である、というのが肯定的な意味で用いられるのを知って驚いたことがある。そもそも「アグレッシブ」を攻撃的と訳すところに問題があるのかも知れないが、それはやはり日本でいう「元気な」と言うのとは異なる。日本では「元気で仲良く」というのが「よい子」のイメージとして定着している。しかし、アグレッシブな子どもは、自分ということを前面に出し、それを妨害するものに対しては向かってゆく姿勢をもっている。

    p106 簡単な例をあげると、今から百年以前に、日本人が歩行していた距離と、現在のそれを比較しても、比較にならぬほどわれわれは自分の足で歩くことが少なくなっている。このようなことが多く積み重なって、現代人は自分の身体から相当に切り離された存在になってしまっている。

    p110 教員がサラリーマン化したのと同じように、生徒も「生徒」という「職業」にサラリーマン化」してしまったのだ

    p112 ホイジンハの「ホモ・ルーデンス」(私:人間は遊びで進化した)

    p115 殺すとか、うんことか、うっかりすると「いけません」とすぐに止められそうな遊びを通じて、子どもが癒されていく点に注目して欲しい。

    p206 アメリカで「うそつき」というのは、きわめてきつい言葉で、お前の人格を認めない、というのに等しい。
    p145 欧米で「うそつき」などと言うと、なぐられても仕方がないほどである。その代り、彼らはジョークが好きである。そして、ジョークとウソとは明確に異なることになっている。その点、日本人は区別をあいまいにして、「ウソ」と言う。柳田が言った「ごじょうだんでしょう」というのは、確かに一昔前、東京ではよく言われたことである。誰か知恵のある人が英米人の言う"You are Kidding"からヒントを得て発明したのかも知れない。しかし、それは今ではすたれ、「ウッソー」の方は大いに使われているので、日本人のウソ好き傾向は、まだ保持されているのかも知れない。(私:1997年に書かれている)

    p145 強調したいことは、日本が西洋文化を取り入れたとき、それに熱心な家は、日本の伝統から離れて「ウソは絶対に悪である」という思想は輸入したが、ジョークの技術をまったく輸入しなかった。それに加えるに武家道徳である。私の友人のスイス人が、「日本のインテリは大変だ。孔子様とキリスト様に睨まれているから」と言ったが、これは名言である。鶴見俊輔の母親はまさに、キリスト様と孔子様を背後に教育をしたのだから、鶴見少年としては、それに対抗するためにウソをつくより仕方がなかったと思う。キリスト様や孔子様が強くなってくると、人間関係が切れてくる。そのなかでの厳しさは、子どもに対して好ましくない効果をもたらす。

    p161 つなぐものとしての性
    性そのものは悪ではない。とすると、そのことによって「援助」する側もされる側も納得し、満足するのがどうして悪なのか。これを「唯一の神」を持ち出すことなく、われわれは説得的なことが言えるのだろうか。
    もし、人間を心と体に分けて考えるにしても、性は体のことであると言い切れるだろうか。それにはどうしても心のことが関係してくるのではなかろうか。性は心にも体にも深くかかわっている。それは「つなぐ」力をもっている。そのように言えば、性は男と女とをつなぐものでもある。そして、それは光と闇とをつなぐものでもあると言えないだろうか。性によって天国の体験をする人も、地獄の体験をする人もあるのではなかろうか。

    p168 ただ一つだけ言えることは、日本に限らず世界じゅうに、いじめは大昔からあったということだし、現在もあるということだ。だが大昔や中昔、普通の昔にもあったこのいじめで、現在の日本ほどの数の子どもの自殺者が出たような記録はあるのだろうか。多分ないと思う。

    p182 人間はどうしても異質なものを排除する傾向があることを指摘したが、日本では特にそれが強いことも認識しておかねばならない。端的に言えば、個性的な子どもがいじめられやすいことになる。

    p184 思春期の問題は従来からあったのに、今、どうしていじめが激化するのか、そのひとつの要因としてすでにあげた子どもへの圧力の強さがある。他の要因として、非常に端的な表現をすると、思春期に至るまでに、「悪に関する体験学習が少なすぎる」ということがある。これは少し思い切った表現だが、たとえば、いじめにしても小さいときから、兄弟の間や、子ども同志で少しずつ経験すると、それが悪いことを身をもって知るし、その限度というものがわかってくる。ところが、現在は子どもの数も少ないし、大人の監視の目がとどきすぎて、いわゆる「よい子」として育てられてくる子が多い。これらの「よい子」は、日本においては自分の生きたいように生きているのではなく、規格にはめこまれていることが多い。
    そのような型にはめられた子が、思春期になって、内から突きあげてくる不可解な力に直面し、親や教師のコントロールに対して、急激に反発するとき、その限度がまったくわからなくなってしまう。

    p190 対策を立てられる側が、「対策」という言葉を聞いて、何となく嫌な感じがするのは、端的に言うと自分が「もの扱い」されているからであろう。

    p191 それはそのとおりかも知れないが、このような立派なことを言う人は、現場と関係のないところにいる「評論家」とか「学者」とかが多いからである。人間は一般に実際的かかわりをもたずにいると、立派なことが言えるようである。

    あとがき
    いつか書いてみたいと思いつつ、「子どもと悪」についてなかなか書けなかったのは、悪に関連する個々の事象については、いろいろと書けるのだが、やはり書物を書くとなると、どうしても「悪とは何か」という根本的な問題を取りあげねばならず、これはまことに難しいことである。ともかく、今度は書くと決心したので、第Ⅱ章にそのことについて論じてみた。しかし、実際にはあまり満足のいくものは書けなかった。このことは今後も続けて考えていきたい。また何年かすると、「悪」について、もう少しつっこんで論じられるようになるかも知れない。

    この本に載っていた参考図書
    p21 新藤謙 ぼくは悪人 少年鶴見俊輔
    p48 ルマン・ヘッセ デミアン
    p51 スピノザ エチカ 児童書ではない
    p55 オルコット 若草物語
    p85 穢れなきいたづら 映画
    p101 家族ゲーム 映画 
    p102 河合隼雄 中年クライシス
    p108 脇浜義明 ボクシングに賭ける
    p112 ホイジンガ ホモ・ルーデンス
    p124 ロビンソン 思い出のマーニー
    p134 "柳田国男『柳田國男全集第9巻』ちくま文庫" "「ウソと子供」「ウソと文学との関係」"
    p138 河合隼雄 あなたが子どもだったころ
    p145 河合隼雄 こどもの宇宙
    p145 バーネット 秘密の花園
    p145 カニグズバーグ クローディァの秘密
    p150 A・ヤッフェ編 ユング自伝1
    p168 岩城宏之 いじめの風景
    p170 ジル・ペイトン・ウォルシュ 不思議な黒い石
    p170 河合隼雄 物語とふしぎ
    p203 パティ・ディビス "わが娘を愛せなかった大統領へ・虐待されたトラウマを癒すまで"

  • 大人として子供とどう向き合うかを考えるための本であると同時に、自分の子供時代を振り返るための本でもあると思う。読みながら、私自身の思春期の様々な葛藤が思い出され、またそれを黙って見守ってくれた両親の有難さを噛みしめた。やわらかな文章が胸に沁みる。

  • いちばん印象に残ったのは、表紙の裏についている
    谷川俊太郎さんの詩☆
    胸に沁みました(^ω^)

  • すでに子育てを終え、しみじみ振り返る中でこの本を読みました。
    以来、何度か読み返しています。
    河合先生は、きっと多くの子どもや親御さんの相談を経験される中で、「悪」という問を立てられたのでしょう。
    私たちが一般的に「悪」というモノに出会ったとき、その事象にどのように向き合うといいのかを教えてくれる本です。
    「子ども」の成長や自立の中で多角的に「悪」を捉え見ていくことの大事さと、成長のすき間に入り込んで来る「悪」を通して学ぶことの何と多いことか・・・。
    私たち大人は「悪」を「悪」と捉える締め付けられた視点の他に、子どもの「悪」から多くを知り学べることを認識したいものです。

  • ・そもそも悪ってなんだろう?
    ・子どもが悪さをしたとき、どのように対処すればいいのだろう?
    ・その行為の中で、子どもが発露したかったその奥にある感情は何なんだろう?
    こういったさまざまな疑問を考えさせられる本。

    僕も人の親になったとき、また読み直して見たいと思う。

  • 背ラベル:371.45-カ

  • そもそも悪はどこからくるのか?世界の哲学的なお話も載ってて興味深かった。「子どもと悪」と聞くと、それはもちろん親としては、子どもから悪を遠ざけるべきだと思うけれど、必ずしもそうではないのかもしれない。ただ、成長につながる少しのやんちゃな体験と、本物のガチな悪との境目が難しいな〜と思う。著者もそれをうまく書けなかったってあとがきに書いてあったくらいだから。読み終わる前と後で、子育ての考え方が少し変わった気がする。

  • 子ども時代の悪について暫く悶々としていた頃に読み、少し解きほぐされ考えの後押しにもなった本。

  • 子どもと悪、と大人を三角で結んでその関係を考えていく。
    子どもの悪の裏に潜む事情や意図、想いをどれだけ汲み取れるか、そしてどれ程介入していくのか。悪というけれど、その先にあるものは時に創造性だったり、善だったりする。そういうふうに変えていくのは子どもの力なのだけど、大人の関わりが必要になってくる場合もある。
    自分の子ども時代と重ねて子どもの視点から思い当たることも、大人になって子どもと関わる今の視点から考えさせられることもたくさん。

  • 書かれていることについて、自分の経験を振り返っても、そうだよなぁと思う部分と、認めたくないけどたしかにそういう暗い部分があると認めざるを得ないこともあるなと思った。
    悪と創造性の関係についてはすごく同意。

  • 子どもの気持ちに寄り添ってながら大人がスッと読める不思議な本だった。大人になりきれないまま子育てに追われた両親を思うと、不安と向き合い切れなかった苦しみも分かる気がしてくる。ほんとうの大人への道のりはなかなかに遠く、子育てもきっとその過程なんだろう。

  • メモ、ー部分は雑感。

    P51 悪の様相を考えると、そこに何らかの「関係の解体」が存在している
    P74 プロメテウス 盗みの話のルーツ 盗みによってなされることがよく示されている
     火はあかり、闇のなかを照らす 人間の意識の象徴
     個人が自分を個として何物にも従属しないと意識すること、自立
     しかしこのことは従属させたい側からすれば悪 ここで盗みという手段が生まれる
     ヨーロッパ文化における英雄、プロメテウス 一度はゼウスと敵対し火を盗みとる必要がある
    P103 ワイルドネス、暴力 による悲劇を生じさせないため、大いに関連する自分の身体について考える
    P105 身体と悪 汚いものが排出される身体だから~悪 に結び付けられる 清潔に保つコントロールを子どもには大切な仕事とされる
    P107 身体性を置き忘れた子 →アレルギー疾患などの増加?
     ーしかし、これは化学製品に常に暴露されるようになっていることも理由のひとつかもしれない
    P143 日本が西洋文化をとりいれたとき、「ウソは絶対に悪」は輸入したが、ジョークの技術をまったく輸入しなかった
    P146 秘密を持つ子は暗いと決めつける人もある 何でも話す子はよいこと確信している教師や親も多い
     しかしそんなに簡単ではない
    P182 日本では個性的な子供がいじめられやすいことになる。教師も日本人であるので、知らず知らずのうちに異質なものを憎む態度が子供たちに伝わり、子供たちのいじめを背後から無意識のうちに支持していることが生じる場合がある。
     -ひと昔まえから相変わらず、教師がステレオタイプ的よいこを好む姿をみると、学校とはどのような機関であるか思い出させてくれる。一定のクオリティの品を出荷しようとする19世紀的な工業社会のattitudeで、本来の意味での師のものではないだろう。
    P218 日本の親や教師は教えたり、指導したりすることにせっかち。子どもの中から自ら育ってくるものを待つことができない。子どもの心のなかから悪とみえる形をとって芽生えてきたものが、どのように変容するのかその経過を見る前にすぐにその芽をむしりとってしまう。大人たちの善意が強すぎる。

  • 親、教師、子どもに関わる人に読んでもらいたい!!!
    子どもが「悪いこと」をするとき、そこには何が働いているのか。そのとき大人はどう対応すれば良いのか。
    河合先生お得意の、「平易な言葉でわかりやすく」、『若草物語』や『思い出のマーニー』などから具体例も豊富に考え方を示してくれる。
    あー子どもに関わる大人が全員この本読んだら、教育も変わるのになーーーーーー

    「怒り」が苦手なひと、「いじめ」はどうしたらなくせるのか考える人にも良いヒントをくれる本。



    あー!教育界に対していいたいこといっぱいある!!

    それと、この谷川俊太郎さんのこの素晴らしい詩は、この本のために書かれたのね!!ピッタリな詩!!!
    谷川俊太郎さんと河合隼雄先生、二人は本当に、心の通じ合う友達だったのだなー
    それは素晴らしい関係だな…
    特にお二人のように何かを突き抜けてしまうと、真の「友達」になれる人は少ないと思うから…

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    まんびきはしたことないけど
    わたしはひとのこころをぬすんだ
    ぬすんだことにもきづかずに

    へやにかぎはかけないけど
    わたしはこころにかぎをかける
    かぎのありかもわからずに

    うそはついていないけど
    わたしはほほえんでだまってる
    ほんとのきもちをだれにもいわずに

    いいこだから わたしはわるいこ

  • ずいぶん前にかかれた本で、著者もいっているように表面をなぞるだけのような文章かもしれない。が、現実の悪に対面するのは、すごく難しい。

  • 悪の存在についてー…

    私は幼い頃、悪い子だった。
    先生に歯向かい、男の子を罵倒し、悪口をいいまくった。お金をちょこっと盗んだこともある。
    そのきっかけは何だったのだろう。
    たぶん、自分がした優しさに胸が苦しくなったから。
    初めて誰かに好かれたから。
    そんなことが、苦しくなったから。その経験の反動で悪を知った。不思議なきっかけ?そうともいいきれない。
    子供の心は複雑だけど、なんだか真理をついている。

    悪を肯定する、訳ではない。けれど、いいこちゃんでいるという悪い子。そろそろ疲れないかな?

  • <閲覧スタッフより>
    子どもの抱える「悪」。それは大人への反抗心から生まれるものでもある。遊びの中に孕まれる暴力や嘘と同様に「いじめ」もまたそうした「悪」の中から立ち現われてくるものかもしれない。子どもの世界を規制して頭ごなしに否定するのではなく、限度を超えぬ守りとしての役割を大人が果たせることを説いています。
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    所在番号:371.4||カハ
    資料番号:10109737
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  • 子どもの創造性と悪には密接なつながりがあるのではないか、というお話。
    作家や学者などの子ども時代の話や、文芸作品に描かれた子どもの姿などを例に、「悪」とみなされる行動が子どもにとってどのような意味をもつかを論じている。

  • 「悪」とは、「やってはいけないこと」に等しいのか。
    でも、一見「悪」に思えることでも、後々になって考えると必ずしもそうとは言い切れないことってたくさんある。

    例えば、小さいころに昆虫を殺して遊ぶこと。
    「悪」だと決めつけて、全て禁止してしまったら、「死ぬ」ということがどういうことなのかを知る機会がなくなることにつながるかもしれない。

    あと、「悪」の奥にあるもの。
    それをすることで、子どもは何を訴えようとしているのか。
    表面の「悪」を退治することだけに熱心になって、その奥の根本の問題を見過ごしてしまうことは、取り返しのつかない「悪」を招く結果になるかもしれない。

    「悪」は奥が深い。
    すべて悪に拒否反応を示すのではなく、悪いことは悪いこととしながらも、その意味をさぐり、時にはその必要性を認めることも考えなければいけないのかもしれない。

  • 人間の創造力と悪との関係からはじまり、宗教では悪がどのように捉えられているのか、物語には悪がどのように描かれているのかなど、様々な場面に現れる悪について、様々な角度から具体例も交えながら考察していく。
    そして、現代のいじめの問題から親子関係に至るまで、幅広く考えをめぐらせていく筆者の問題意識の高さに共感を覚える。
    悪とはいったい何なのか、子どもとはいったい何なのか、根本的で重要な問題についてとても考えさせられた。

  • 命にやさしくなるためには、命を遊んでみることが必要だ。チャンバラ、虫殺し、人形ごっこ…
    自分の心を混沌のまま丸ごと引き受けること。こどものこころを裁かないこと。悪も善も、ひとところにあるもののはず。

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