ジェンダー/セクシュアリティ (思考のフロンティア)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (125ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000264334

作品紹介・あらすじ

ジェンダー/セクシュアリティとは、私たちの生の、いかなる局面への名付けなのだろうか。それはどのような装置のもとで稼働し、なにを私たちにもたらしたのだろうか。剥き出しになった私たちの生を、「生の政治化」という視角から捉え直し、それが可能にする新しい自己と共同性の在り方を考える。

感想・レビュー・書評

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  • 成人すること、それは異性との出会い。もしくは、性への入門とも云える。同性との友情を基礎とする学生時代から、異性への門戸をたたくのが成人文化の入り口なのだ。いずれ結婚や恋愛を経験していくと、性とは何か深く悩む時期が到来するだろう。恋愛も友情の一種だと云えるが、繋がり方は友人以上に彼氏彼女の関係は厳格なものだとわかる。それは、結婚という前途を見据えての関係だからでもあり、性の遊びから恋愛相手、人生の伴侶へと関係性のレベルが一から百まで用意されているのが、友情との違いである。愛情はもはや性欲とは切り離され、いかに有意義な人生を分かち合うか、に焦点がかわってくる。しかし、だからこそ若さ故の恋愛という幼き夏の季節を大事にしてほしいと、大人達は若者にさとす。性への捉え方は、時間と共にかわる。老いと恋愛は共存できるか、という課題は恋愛の性の部分を、愛情に変容させることで補われる。そして、深く知り合う仲のはずの伴侶も、ひとりの人間としてみるとほとんど知らない領域の方が大きい他者のようだと、気付く時が来る。それは、死と生の最終形態は、孤独という代えがたき事実からくる人間の覚悟として、現れるズレなのかも知れない。熟年になってみると、老いと共に意識も思考も鈍化してくる。そして人間同士なんだからという括りで考えるようになる。若者のように性差をエロティシズムとして感じるのではなく、男も女も同じ人間だろうという観念の芽生えがやってくるのだ。そうした段階を踏まえての若者の恋愛と性の物語を、ある角度で考えるひとつの仕方が、このジェンダー・セクシュアリティなのだと思われる。

  • 【電子ブックへのリンク先】
    https://kinoden.kinokuniya.co.jp/muroran-it/bookdetail/p/KP00026006/
    学外からのアクセス方法は
    https://www.lib.muroran-it.ac.jp/searches/searches_eb.html#kinoden
    を参照してください。

  • 重要なのは自己の内部と関わることによって生きることであり、自分の性をただ集団への帰属の原理と看做さないことである。わたしたちは経験によってしか生を生きることができない。生は根源的に受動的なものであり、見せつけられるものである。問題なのはそのような自己の生をどのようにして認めるかだ。より良く人と関われる可能性はこのようにしてでしか開かれない。大雑把に言うと自分を好きになれないやつは他人も好きになれないっことなのかもしれない。

  • [前置き](自分の理解の漸進のためにモヤモヤを言語化してみた)
     ジェンダー論の中の、とある基本(本質的というと確実に語弊があるから代わる表現としては根本的という方がよさげかも)な事柄について著者が俺流に掘り下げたものが読める。でも思想すぎて……。

    [蛇足]
     本書を含めこのシリーズが想定する読者層は、他分野である程度の修行を積んでる人が最低ラインなのだろう。表紙の「フロンティア」を目に入れておきながらそのへんに気が回らない昔の私が悪かったのだが。それでも、はじめから玄人同士のために書かれている(にもかかわらず、マイナビ将棋BOOKSと同様に低級者へのマーケティングが行われている)。
     5年くらい前に、ジェンダーの思想家が沢山載ってると聞き、簡単に知れたら楽だろうと図書館で薄い本書を開いた。しかし、そういうのは図解雑学の仕事だったのだ。随所で寄り道らしきものが頻繁に出てくるうえ、苦手なフーコーすら出てきたため撤退。色々勉強してから再挑戦した(ちなみに、この本は「セクシュアリティ理論」の方がメインだった)。

    [感想]
     95頁ほどの薄さ。そのうちブックガイドは20頁強。小難しい。
     著者の問題意識を掴むには、現代思想の潮流のなかでのジェンダー論の一般的な位置づけを踏まえてはじめて準備ができる(と私は思う)。
     また、“動物的な生の停止がセックスの条件なのだ” (47頁) のように、生物学のお話になると、著者のクセが強く表れている(著者に限らないのかもしれないが)。
     個人的には構築主義&本質主義という軸のある後半(第2章)の方が興味深かった。
     再読後に疑問が浮かぶ。「テーマがこんな語り口を要請しているのか」と。これは橋爪式・池上式の思い切り割り切った説明が欲しいという意味ではなく、文字通りの疑問として(もちろん、そんな本があれば読む)。
     

    【書誌情報】
    著者:田崎英明(1960-)
    刊行日:2000/09/21
    9784000264334
    B6 並製 カバー 134ページ
    品切れ

    ジェンダー/セクシュアリティとは,私たちの生の,いかなる局面への名付けなのだろうか.それはどのような装置のもとで稼働し,なにを私たちの生にもたらしただろうか.こうした問題をミシェル・フーコーの『性の歴史』を糸口にして,「生の政治化」という視角から捉え直し,それが可能にする新しい自己の在り方を考える.
    https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b257294.html

    【抜き書き】
    “だが,この同一化は,マルヴィの議論が典型的にそうであるように,視線と視線のあいだでの同一化である.ある視線(観客の)が別の視線(登場人物の)と重ね合わされ,そのことを通じて,観客は登場人物(の身体)と同一化することができる.しかし,このとき,登場人物に合体し,その身体に寄生して棲みつくまで,観客の身体はどこにいて,どうしているというのだろうか.”
    [田崎2000:9]


    “〔……〕ここで少し「ジェンダー」について見ておこう.
     「ジェンダー」ということばは英語以外ではなかなか馴染みが薄い.男と女は土のように違うのか,どのように区別されて扱われるのか,どのような異なった振舞い方をするのか,ということを,歴史的,社会的,文化的に形成されてきた違いにすぎないと主張するとき,そのように捉えられた男性/女性の差異のあり方を現在では,私たちは「ジェンダー」と呼び慣わしている.このことばが世界的に普及したのは,たしかに英語圏のフェミニストの功績である.”
    [田崎2000:78]


    “フェミニズムの文脈では,今日,本質主義の批判が盛んである.いつの時代にも,ジェンダーのかたちを決定するような共通する「本質」が存在するという考え方に対する批判である.フェミニズムにおける本質主義批判に関して気をつけなければならないのは,そこで批判されている「本質」は,単に生物学的なものにとどまらないということである.
     たとえば,本質主義に対する批判者として真っ先に挙げられるべきフェミニストとしては,もっとも徹底した構築主義の立場を採るジュディス・バトラーが考えられる.彼女が本質主義と呼んで批判するのは,ジェンダーを生物学的なセックスに基礎をもつ自然なものであると主張する反フェミニズムの性差別主義ばかりではない.もうひとつの主要な論的は,ラディカル・フェミニズムを標榜するフェミニスト法学者で,おそらく,アメリカ合衆国で最もメインストリームのフェミニストといっていい存在であるキャサリン・マッキノンなのである.”
    [田崎2000:80]


    【目次】
    はじめに――生‐政治の方へ [iii-v]
    目次 [vii]

    I 理論的、マゾヒズム――生の内在性と装置をめぐる予備的考察 001
      理論的に語るということ  視線の交換  装置と主体  生の根源的な受動性  非器官的生と可視性の誘惑  装置と言説  これは私の言語ではない

    II 性、生、公共性 029
    第1章 個体化と錯時〔アナクロニー〕――微生物のセックスから 029
      世界のサヴァイヴァル  死の圧力の退潮  純粋なアナクロニズム  存在の時間性  共生進化論  生物学的な性の概念  性の起源  種と個体  個体化と遺伝子  純粋な個体化  個体化の暴走

    第2章 親密公共圏――あるいは、トラウマに基づく共同性 061
      二つの生  サヴァイヴァルとしての日常生活  セクシュアリティ,社会を構成するもの  社会工場  セックス/ジェンダー・システム  構築と主体  行為としてのポルノグラフィ  誘惑する声とトラウマ  親密公共圏  自己が構成する共同性

    III 基本文献案内 097
      ジェンダー/セクシュアリティに関して  生‐政治とポスト・フォーディズムをめぐって  ポテンシャリティをめぐって  精神分析からの線  共同体をめぐって

    あとがき(2001年1月追記 田崎英明) [123-125]

  • むむむ。論旨追いきれず。もう一度読み直す。
    「最近私たちは「他者」(異なる存在)と出会うということばかり聞かされて続けている。だが、そういった議論は「同じもの」同士ならうまくいくということを安易に前提としてはいないだろうか。けれども、文学や映画における分身のテーマの扱いを見れば分かるように、本当に同じもの同士が出会うと悲劇的な結末を迎えてしまう。同じもの、対等な者のあいだの愛(ベルサーニの『ホモズ』のひとつのテーマ)はいかにして可能なのか。このことはけっして自明ではない。同じものの共同体としての自己たちの共同体はいかにして可能なのか。この問いは開かれたままである。」(p.95)
    最後のこの指摘は、『シェイム』を想起した。唯一同じ痛みを共有している兄妹は、本来ならば、最も理解しあえる互いにとっての唯一的な存在であるはずなのに、その同じ傷ゆえに理解しあうことができないという「悲劇」を扱った映画。あの映画の主人公(マイケル・ファスベンダー)はセックス依存症であり、妹は誰でもすぐに寝てしまい、リストカットしまくるという役柄だったと思う。本書が取り扱う内容と近似しているのかも・・・。

  • [ 内容 ]
    ジェンダー/セクシュアリティとは、私たちの生の、いかなる局面への名付けなのだろうか。
    それはどのような装置のもとで稼働し、なにを私たちにもたらしたのだろうか。
    剥き出しになった私たちの生を、「生の政治化」という視角から捉え直し、それが可能にする新しい自己と共同性の在り方を考える。

    [ 目次 ]
    1 理論的、マゾヒズム―生の内在性と装置をめぐる予備的考察
    2 性、生、公共性(個体化と錯時―微生物のセックスから;親密公共圏―あるいは、トラウマに基づく共同性)
    3 基本文献案内

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    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • ジェンダー論を知りたくて読んだ。

    だが私にはわからん。いろんな意味で。

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著者プロフィール

 立教大学教員。ジェンダー/セクシュアリティ理論、身体社会論。
 主な著書に『夢の労働 労働の夢』(青弓社、1990年)、『ジェンダー/セクシュアリティ』(岩波書店、2000年)、『無能な者たちの共同体』(未来社、2008年)がある。

「2012年 『ディアスポラの力を結集する』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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