記号論のたのしみ 文学・映画・女 (岩波モダンクラシックス)

  • 岩波書店 (2000年7月7日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (312ページ) / ISBN・EAN: 9784000265362

感想・レビュー・書評

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  • 記号論の楽しみ 文学・映画・女

    俺は頭悪いから少し難しかった。普段から難しい文章に触れている人には良い入門書になると思う。
    経験則として、理解したいものに対してはとにかく触れ続けることが一番だと思っている。分からないながらでも何冊も通読していけば、次第に理解できるようになる。


    目次
    1 人文系の諸学、批評、記号論
    2 文学の記号論にむけて
    3 詩のテクストの記号論
    4 映画とフィクションにおける語り
    5 戯曲と小説におけるアイロニーの記号論
    6 ジョイスの「イーヴリン」の記号論
    7 パパのコードを解読する ー作品並びにテクストとしての「ひどく短い話」ー
    8 ママのコードを解体する ーテクストとしての女性の体ー
    記号論の用語解説

    「パースの展開した記号論(semiotic)とソシュールの構想した記号学(semiologie)」

    「それと同じことで、発話のことばが直接われわれには向けられておらず、他の誰かに向けられているように思えるときにも、そこに成立する欺瞞的な状況は本質的に文学性をおびてくる。J・S・ミルが詩はじかに聞かれるものではなくて、盗み聞きされるものなのだと言っているのは、この点を強調したものである。あまり幸運なこととは言いかねるが、盗み聞きやのぞき見の生ずる状況は何ほどかは文学性をもっているのである - またそうであればこそ、この二つは正真正銘の文学の中にも大きな顔をして出てくるのだ。コミュニケーション行為のこの要素を念頭において考えてみると、読者が文学能力を発揮するというのは、その発話のむけられた人物を想像したり、名目上の聞き手にむけられたものではない意味とか、名目上の聞き手が理解できない意味とかを知覚するということであることが多い。そしてコミュニケーションが巧妙になれば、解釈もそれに対応して巧妙になることを要求される。」

    「記号はものには言及しない、概念を意味するのであり、概念は現実ではなくて、思考のもつひとつの局面なのだというわけである。このエレガントな説得力をもつ考え方は、たしかに素朴な実在論、俗流唯物論、その他否定的な形容詞をつけることのできる種々のイズムに対して、有効な批判を提出した。しかし、だからと言って、世界を厳密にひとつの概念に変える力をもっていたわけではない。記号論者にしたところで、世界が自分のまわりに厳として実在するものとして、ものを食べ、体を動かしているのである。「パン屋」ということばが指示対象をもたないからといって、この看板(つまり記号)の出ているところで日々のパンを買えないわけではない。ボルヘスの言う通りであって、「残念ながら世界は実在する。残念ながら私はボルヘスである」ということになるのだ。」

    「私がこの章を通して狙ったのは、文学の形式面での特性とは人間のコミュニケーション行為が通常もっている諸要素を重層化させたり、複雑化させたりする過程の産物であるということを示すことであった。この行為は、記号論的な過程自体に内在する - その過程がもつ意味を産出し、かつ伝達する能力に内在する、人間の生の不可欠の要素としての快楽を、その根本にもつものにちがいない。文学のテクストを生みだすために、言語にさらにさまざまのコードを付与しようとすると、そこには戯れとかゲームの要素がつよく介入してくることになる(もっとも人間の社会化の多くの部分についても同じことである)。」

    「文学の記号論の役割というのは、そのような訓練の性格を明らかにするとともに、その完遂を期して、コミュニケーションの技術に注意が集中するようにしむける点にある。このような文学的訓練がわれわれの文化全体にとって価値をもつのは、文学研究における記号論的な問題の微妙さを感じとる訓練を受けた人々が、われわれを危機的な状況に追いこまずにはおかない時代の中にあって、コミュニケーションのメディアを利用しながら、われわれの文化を生かしかつ機能させ続けるのに必要な思想を生む可能性をもつからである。」

    「私の解釈はゆきすぎであろうか。しかし進む方向が正しければ、ゆきすぎなどということはあり得ない。これまでに書かれた哀歌のすべてがこの詩の理解を深めてくれるのである。この一行に含まれているヒントをもとにしてひき出すことのできる多様な読みは、すべて意味のあるものなのである。どの方向に解釈を進めていっても、やがては成果の減少する点にいたりつくであろうが、それでも成果ゼロの地点は無限の彼方にある。記号論的にみた場合、以上のようなささやかな解釈実践の教える大切な点とは、(1)この詩を読むためには、それが属するジャンルの伝統と(ジェラール・ジュネットはそれを「原テクスト」と呼ぶ。彼の 『原テクスト入門』(一九七九)を参照)、その伝統に帰属するいくつかのテクストを知っていなくてはならないということ、(2)詩のことばが省略性をもつために欠存している要素(物語、戯曲、演説と関係する要素や個人的な要素)を補足する技術をもっていなくてはならないということ、この二つである。この二つの点を合わせると、記号論の立場から前を研究するさいの大前提が浮かびあがってくる - つまり一篇の詩とは、他のテクストとの関係の上に成り立つテクストであって、それを解釈するためには、十分な技術をもった読者が積極的に関与する必要があるということである。」

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