- Amazon.co.jp ・本 (273ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000265904
作品紹介・あらすじ
「色彩とは何か」と問うとき、科学的世界像の自明性はとたんに揺らぎ始める。色彩現象とは、感覚か、物理的性質か、内面的な現実か。いずれの立場に立つにしろ、それぞれの考え方が隠している存在論的前提が露とならざるをえないからである。主観と客観の、精神と物質の二元論を超えて、生きられた多次元的な世界を記述するために、「生態学的現象学」の意義と可能性の解明を目指す。
感想・レビュー・書評
-
[心にふれた一文]
色彩はものの性質とは言いきれない
[心にふれた理由]
もしこのことが事実だとしたら、人間は別のものを見て同じ反応をしているだけで、真に共感する事はできず、すれ違いの中で生きているのだと思った。だからこそ、相手の気持ちに少しでも近づこうとする努力が大切なのだとも感じた。日体生には、目に見えてものが真実とは限らないという事を頭の片隅に入れておいてもらいたい。また、立ち止まり、疑うということの大切さも知ってほしい。
▼配架・貸出状況
https://opac.nittai.ac.jp/carinopaclink.htm?OAL=SB00530935詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
現象学の立場から色彩についての考察を展開している。
第1部は、色彩についての物理学的考察や心理学的考察からは抜け落ちてしまう哲学的問題を指摘した上で、そうした問題を現象学的心理学の立場から解明しようとするD・カッツの試みを紹介している。
ニュートン以来「色彩はものの性質ではない」という考え方が自明とされてきた。だが、この考え方とそれを補完する「色彩は感覚である」という考え方は、実体と仮象という「二元論」という哲学的な存在論を前提にしている。本書は、この前提をあらためて問いなおす試みである。
フッサールは、「射影」と「物」という現象学の枠組みに則って、同一の色であっても室内の照明の状況などに応じてさまざまな射影を示すという色彩論を展開していた。だが著者は、色彩心理学においてよく知られている色彩の恒常性やメタメリズムといった事実を参照しながら、フッサールの考える「色彩」が理念化の度合いの高いものであることを指摘する。他方メルロ=ポンティは、より日常的な知覚世界に近い場所である「生きられた世界」に定位して色彩を考察することで、色彩が同一のスペクトル上での比較を許さない「奥行き」を持っていることを明らかにした。著者は、この色彩の「奥行き」という発想が、カッツの現象学的心理学的な分析においてより精緻な仕方で展開されていることを明らかにする。さらに、それらの議論をJ・J・ギブソンの生態学的心理学に接続することで、いっそう豊かな考察へとつなげてゆくことができると著者は主張している。
第2部では、色彩について独自の考察をおこなっているゲーテ、ウィトゲンシュタイン、カンディンスキーの議論を検討し、現象学の立場から彼らの議論を再構成する試みがなされている。 -
[ 内容 ]
「色彩とは何か」と問うとき、科学的世界像の自明性はとたんに揺らぎ始める。
色彩現象とは、感覚か、物理的性質か、内面的な現実か。
いずれの立場に立つにしろ、それぞれの考え方が隠している存在論的前提が露とならざるをえないからである。
主観と客観の、精神と物質の二元論を超えて、生きられた多次元的な世界を記述するために、「生態学的現象学」の意義と可能性の解明を目指す。
[ 目次 ]
第1部 色彩の「奥行き」(「射映」と「奥行き」―フッサールとメルロ=ポンティ;色彩と空間;色彩の恒常性)
第2部 色彩の多次元性(ゲーテ― 色彩の「自然科学」;ウィトゲンシュタイン―色彩の「文法」;カンディンスキー―色彩の「内面性」;生態学的現象学へ向けて)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
はっきりいって実践じゃつかえない。色ってなんだろと思って、読後更にわからんよーになる本。でもゲーテの理論はやっぱきれい。そしてこの文も