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Amazon.co.jp ・本 (300ページ) / ISBN・EAN: 9784000267106
感想・レビュー・書評
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平田俊子の『(お)もろい夫婦』を、朝っぱらから布団の中で朗読してみたりするのだった。あー読んでてキモチいい。
中学の頃に、暗唱好きのコクゴのセンセイがいて、それは「木曾の最期」とか、「春はあけぼの」とか、「方丈記」の冒頭とか、「徒然草」の一部とか、教科書か資料集に必ず載ってるような古典だった。平田俊子の詩を朗読するときの感じは、あの中学のときの暗唱に似ていて、やたらキモチいい。
で、ほかの詩も読んでみたいぞーと図書館の蔵書検索をしてみるが、なぜか詩集がほとんど入ってない。仕方ないので、現代詩文庫の『平田俊子詩集』を借りてきてみた。『ラッキョウの恩返し』や『夜ごとふとる女』や、『(お)もろい夫婦』などから集めてきて編んだもので、いくつか未刊詩篇、それにエッセイや、何人かが書いた詩人論=つまり平田俊子論も入っている(伊藤比呂美や富岡多恵子や笙野頼子、それに吉増剛造も書いている)。
詩人論もけっこうオモロイし、コンパクトな平田俊子詩集ではあるのだが、字が小さくて、二段組みで、ちょっと読みにくい。現代詩文庫のシリーズ揃いの装丁もはっきりいってそそらない。
図書館に平田の詩集がほとんどないので、個別の詩集は少しずつリクエストしてみようと思う(たぶんヨソから相貸でくるであろう)。
平田は小説も書いているようで、そのうち読んでみようと思うが(図書館の蔵書検索でひっかかったやつだと『旅を数えて』に入っていた短編を読んでいるはずだが、どんなやったか全然思い出せない)、とりあえず図書館にあったやつの中から、21世紀文学の創造シリーズ別巻『日本語を生きる』に平田が入ってるのを見つけて、このシリーズはけっこうおもしろかったよなーと思って借りてきた。
このシリーズは別巻まで含めて10冊のうち、斎藤美奈子が編んだ2冊は、けっこうおぼえている。『男女という制度』はたしか買って読んだし、『脱文学と超文学』も読んだおぼえがある。ほとんど記憶にない他の巻も、タイトルを見てみるとなかなかおもしろそうで、また読んでみようかと思う。
さて、『日本語を生きる』は、言葉のトライアスロンとして、
小説、戯曲、詩の三形式をそれぞれが自由に定義して小説(20枚くらい)、戯曲(20枚くらい)、詩(無制限)を書き下ろす。
ただし、それぞれに何らかの形で、「56歳、男性、高田さん」を登場させる。
56歳は、谷川、高橋、平田の2002年6月時点での年齢の平均、「高田」は、たにかわ、たかはし、ひらた から一字ずつとって合成した。 (p.5)
という条件で、3人がそれぞれ創作し、その後ろに、鼎談「いま、言葉の力はどこにあるのか」が入っている。本の前半分が3人の作品、後ろ半分が鼎談というボリュームである。
この三者三様が実におかしい。タイトルのつけかただけでも全然違う。
谷川は、「小説・高田」「戯曲・高田」「詩・高田」、平田は「ブラジャー・ロード」「これからの『楡』」「穴」、高橋は、小説「タカダさん」、戯曲「タカダさん」、詩「タカダさん」。
てっぺんから順に読んでもいいのだが、私は、平田作品→鼎談→谷川作品→高橋作品、という順で読んだ。平田の小説「ブラジャー・ロード」は、大きなカラスアゲハ、というイメージ喚起力に、うたれた。
鼎談を読んでみると、3人が、このトライアスロンというゲームの「縛り」にけっこう苦労していて(このゲームは暑いさなかだったらしく、汗をふきふき、暑い暑いと言いながら書いたと話している)、その苦労話が笑える。
また、3人を比べてみると、谷川、平田のことを「二人は詩人だなあって痛感しました」(p.134)と言う高橋がいて、谷川は「言葉の出てくる次元みたいなものが共通のような気がしますね」(p.135)と答え、平田は「私たちはつくろうとしているのに、高橋さんは別の方向を目指している気がしたんですけど」(p.135)と言う。
自分は小説は書けないと思った、具体的なディテールが面倒くさくて書けない、と谷川が言うところ、平田も同意しているところがおもしろい。
高橋 谷川さんはディテールが大事って詩のなかで言ってるじゃないですか(笑)。
谷川 詩ならいいんだけど、ストーリーを書くとなると、ディテールが連続しなければいけない。洋服も書かなければいけないしね、部屋の様子も書かなければいけない。それに抵抗感があるのかなあ、そんなもの書いてどうすんの? みたいなのがあるんですよね。
平田 私もそういうこと書くのダサイって感じありますね。
谷川 あるよね。
平田 ディテールってあまりに日常的だったりするから。 (p.140)
小説も詩も、括ってしまえば「文学」なのだろうが、3人の、縛りゲームの結果である作品を読み、この鼎談を読んでみて、違うな-たしかに違うなーと思った。
あと、高橋が、詩を書いていた人が小説へ行く例はいろいろとあるが、小説から詩へ行った人はほとんどいないと(高橋は、小説→詩の人は島田雅彦以外にほとんど知らないと)、「詩から小説に向かっては道が開けているのに、小説から詩に向かう道は(ほとんど)閉じられている。この不可逆的な関係の存在は、文学の根幹に関わる重要な問題であるのに、なぜか、深く問われたことがありません」(p.256)と「あとがき」で書いていたのが、そう言われてみれば、そうかもなーと、印象に残った。詳細をみるコメント0件をすべて表示
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