身体をめぐるレッスン〈3〉脈打つ身体

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制作 : 鷲田 清一  石川 准  荻野 美穂  市野川 容孝 
  • 岩波書店 (2007年1月30日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000267298

作品紹介

物質としての身体は、その「持ち主」によって絶え間なく統御・酷使され、さらに、さまざまな技術によって能力の最大化を図られる。その一方で、身体の内部には、「持ち主」のコントロールを逃れ、飛び立とうとする生命力が脈打っている。身体に対する統御と、その統御を自らの力に変える身体の柔軟性、さらに、身体の有限性との折り合いのつけ方を、さまざまな生の実相に寄り添いながら描き出す。

身体をめぐるレッスン〈3〉脈打つ身体の感想・レビュー・書評

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  • このシリーズ4巻は、ちらちらと読む本だった。こないだ図書館で久しぶりに中をぴらぴらと見ていて、あ、橋本みさおさんの文章が入ってるーと、3巻を借りてきた。

    この巻の編者である石川准の序論にこうある。
    ▼身体は絶え間なく統御され、鍛えられ、酷使され、苦痛にきしむ。それでも身体は脈打ち感じ鼓動する。息づき脈打つ身体のことを、身体自身が語り出すとき、私たちは身体という他者の存在を肌身に感じるだろう。(p.xiii)

    「身体という他者」ってところが、キモのような気がする。

    巻末の橋本みさおさんによる「ALSを生きる」から、ニキリンコ「形容詞の迷宮」→向谷地生良「もう一つの当事者研究」→玉地雅浩「あふれ出す身体」とさかのぼって読む。この4編が「III 調整と和解」の章。

    橋本みさおさんの原稿は、石川准が「闘病記というより遊病記かと錯覚してしまうような」と表現する筆致で、ことこまかにというよりは、ご本人が「アバウトな人なので」というゆるさで書かれている。橋本さんのことは、ALS患者として世界的に有名、と『逝かない身体』で知ったのだった。

    自立支援法以前の重度脳性マヒ者等介護人派遣制度のころ、介護者グループの会合で「介護人を奴隷のように思っているのではないか? 私たちは意思を持った人間なのに」という意見が多くあったといい、それに対して橋本さんはこう書く。
    ▼ボランティア意識の高いグループでしたが、それは基本理念が違っています。私も含めて、全身性障害者は何を介護者に求めているのでしょうか? 健康なのは脳だけなので、身体の代わりをお願いしたいのです。(p.263)

    向谷地さんの原稿は、おそらく『技法以前』に収録されているもののもとになったのだと思う。べてるの前身であった教会での共同生活をつうじて、精神障害を抱える当事者の孤独、孤立には「関係の障害」があると見いだした向谷地さんは、同時に、自分自身の問題を見いだす。
    ▼そして、何よりも、ソーシャルワーカーである私自身が当事者と関わることの難しさに直面しているという現実は、疾患としての統合失調症などの治療や回復の困難さよりもむしろ、当事者と関係を築くことに対する私の「障害」と「生きづらさ」を一つの重要なテーマとして浮かび揚がらせたのであった。つまり、関わりが難しかったのは、精神障害をかかえる当事者ではなく、その当事者と向き合うことを通じて見えてきた「私自身」だったのである。(p.202)

    PT(理学療法士)の玉地さんの原稿もおもしろかった。認知心理学者の下條伸輔がアーティストと共同でつくったという「全てが斜めに見える部屋」の話。
    ▼この装置の中で床面に寝ると、実際は水平な床に寝ていても、人は身体が床面を斜めに滑っていくように感じるそうである。これは、物の見え方が変化すると触覚や重力の感じ方が簡単に変わることを示している。つまり、見え方の変化が滑りそうだという感覚を産み出すのである。(p.191)

    このIII章と、塚本昌彦・石川准の対談「身体のコンピュータ化、コンピュータの身体化」を読んだところで、返さないとイケナイのでいったん返却。その他の章はまたそのうち借りてきて読もうと思う。

    この対談は5年前におこなわれていて、その5年のあいだに、とりわけ携帯端末や電子ナントカの変わりようは大きかった(私は携帯をもってないので、ぼんやりとしか分からないが)。石川は5年前の時点でこう言っている。
    ▼ユーザーインターフェースということでいうと、今はかなり視覚に特化したユーザーインターフェースが全体を席巻しています。しかし、環境や条件によっては、視覚障害者でなくてもブラインド状態になるということがあるし、触覚が一番信頼できるセンサーであるというような状況もあると思います。すると、そういうものを活用してユニバーサルな道具を作っていくという方がビジネスとして広がりがありますね。(p.37)

    周囲で携帯端末などを使っている人を観察して思うに、「視覚に特化したユーザーインターフェースが全体を席巻している」方向はやはりそのままのように思う。これから触覚系が出てくることもあるのだろうか。あるかな。

    このさき、新しくて楽しいコンピュータの使い方が出てきて、そのことに社会的なコンセンサスが得られるようになれば、また変化があるんかな~と思う。塚本は、その例として、あんな日記を公開するなんてとブログのことをあげている。

    今からたとえば5年たったら、ツイッターがそんな風に言われているのかもしれない。自分でアカウントをもってない私には分かりかねるところもあるが、「フォロー」とか「ブロック」がどうのこうのとどなたかのツイートで読んだりすると、(非公開設定にでもしてないかぎり、あなたのツイートはまる見えですけど~、検索でひっかかったりもしますけど~)と思ってしまう。「まる見え」だということを分からずに使ってる人もけっこういるんかなーとも思う。

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