動物の権利 (1冊でわかる)

  • 岩波書店 (2003年9月5日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784000268653

感想・レビュー・書評

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  • ぼくらが大好きな肉や魚は、スーパーで自然発生したわけではない。生きて動いていたのを誰かが殺して、ぼくらはそれを食べているわけだ。本人たちの了承を得て殺しているわけはなく、では肉や魚を食べないとこっちが死んじゃうか、というとそういうわけでもない。栄養的にどうなのかはよくわからないが、植物だけ食べても生きてはいけるだろう。では動物たちに、殺すことも含めて「迷惑」をかけることは許されるのか、を哲学的に考えた本。誰もが一度は考えるが、普通は結論の出しようもなく(結論を出した人の一部は菜食主義者になるのだろう)、そのまま「なあなあ」になってしまう、タブーの部分に切り込んだ本だ。
    普通はこういう話は「かわいそう」という感情論で答えを出すのだろう。が、それだけだと「猫をいじめるのは許せないが豚肉はおいしいから豚は殺していい」、「パンダはかわいいから保護するがミノムシなんかどうでもいい」という、論理的には筋の通らない話になる。

    動物を食べる話だけではなく、動物園、ペット飼育、動物実験、まで踏み込む範囲は広い。著者の主張ははっきりしていて、「必須ではない、避けうる苦痛を動物に与えることは悪である」だ。が、「必須」の定義が難しい。フォアグラをとるために、ガチョウやアヒルに無理やり餌を詰め込むことは虐待であって辞めるべきだ、という議論が今でも続いているけど、ではガチョウやアヒルに楽しんでもらえるように飼育して、そのあとで食べちゃうのはOKなのか? 前者より後者が「良い」のは間違いないし、当人に選択肢を与えたら後者を選ぶのは間違いないが、当人的には「食べられない」のが一番いいに決まっている。
    狩りや釣りはどうか? 穀物を食べて生きていけるのにわざわざ動物や魚を殺して食べるのは「必須」なのか? 自分がやらなくても誰かがやるから問題ないのだろうか? ぼくはフライフィッシングが趣味なのだけれど、釣った魚を殺したり食べたりしないで、そのまま逃してやることが多い(キャッチ&リリース)。魚にとっては殺されて食べられるよりマシだと思うが、そもそも食べもしない魚をレジャーのために針にかける(痛いに決まっている)時点で、ぼくはちょっと後ろめたい。

    著者の本音はみんな菜食主義者になり、畜産はやめ、狩りや釣りは問題外、動物園は動物に迷惑をかけていない(と思われる)ごくごく一部を除いて閉鎖し、動物実験はNG、ペットも犬猫などの家畜化された一部を除けば(それすら推奨されたことではないが)やめるべき、といういことなのだろうと思う。確かにそこまで行けば、哲学的/論理的にはすっきりするだろう。だが、そこまでは書かないのは、著者としても一切動物に迷惑をかけずに人間をやっていくのは無理だ、と思っているからなのだろう。後ろめたくなく動物を利用したいなあ、と思うからデカルトの動物機械論(動物は魂がなく、苦痛を感じる能力もなく、悲鳴を上げるように見えるのは機械が軋んでいるようなもの)みたいのが幅をきかせるのだと思う。

    それを言うならそもそも動物たちを含めた生態系に一番迷惑をかけている人間をざっくり減らしたほうがいい、という話になってくる。というわけで、この話をスッキリさせるのは大変むずかしい。

  • 【出版日】: (?)、(日)2003年9月?
    【購入日】: 2016年12月

  • 動物の権利、動物に関する倫理について勉強しようと思って読んだ最初の本。ただ、「動物倫理学」という分野の本を初めて読んだということもあって、内容についてあまり残っておらず、トム・レーガン『動物の権利・人間の不正 道徳哲学入門』を読んでから、改めて内容を見返した。
    改めて読み返してみると、自分としては、第3章「動物とはどんな存在か」が面白かった。

    本の構成としては、第2章に「動物の道徳的地位」について話がある。道徳的地位をもっている、つまり、道徳的に扱われる権利があるとはどういうことか。どういった動物が、その地位を持っているのか、といったことが主な内容になっている。このあたりの話は、他の入門書でも読んだ。
    第3章では、動物の道徳的地位を議論するときに大前提となっている「動物が感覚性を持っている」という想定について検討する。要するに、動物の権利を訴えるには、動物たちが、痛いとか気持ちいいといった感覚や、苦しいとか嬉しいといった感情を持っている必要があって、実際、あるであろうことは想像に難くない。ただ、どう考えても、そうした「感覚性」が、人間と同じようにあると考えるのには無理がある。第3章では、実際のところ、動物たちが身の回りの世界をどのように経験しているのか、その心の世界のあり様を考察する。

    動物に何かしらの心があることを証明するのに、とても経験的に納得のいく分かりやすい説明をしてくれているのがよかった。例えば、動物に「苦痛」があるのかどうかを次のような行動から推定する。

    (1) 不快な刺激を避けたり逃れたりする(たとえば、尖ったものから足を引っ込めるなど)
    (2) 不快なできごとのあとで助けを求める(たとえば、吠える)
    (3) 休息と治癒のために酷使したり怪我をした体の一部の使用を控える(たとえば、酷使された筋肉をかばって動かさず、別の足を好んで使う)
    (P63)

    こういった目に見える行動から、どの程度の感覚性を持っているのかを考えることができるという話である。そして、具体的な例として、足かせ罠にかかったキツネが、罠の「苦痛」から逃れるために、自分の足を噛み切って逃れたことなどが紹介されている。
    本のまえがきでも、各章に最低一枚は写真を配したとあるように、この本では、目に見える経験的なイメージを大切にしているように思う。それゆえに、曖昧になっているところもあるのかもしれないが、とても共感的に読み進められるところが、いいところだと思う。

    正直、他の本を読んでみて、動物の権利について考えるために必要な考え方や概念、具体的なテーマや事例がよくまとまっていたことがわかった。今にして思えば、入門書としては、最適な本だったのだなと思う。

  • 結論自体にはとても共感したけど、それに至るまでの論理が少し難しかった。動物の権利と哲学の主張が意外と近くにあることがわかった。

  • 【サポートスタッフ企画展示:2018春 ブックリスト掲載本】

    ▼LEARNING COMMONS イベント情報
    https://lc.nul.nagoya-u.ac.jp/event/?m=201804&cat=5

    ▼名古屋大学附属図書館の所蔵情報はこちら
    https://nagoya-m-opac.nul.nagoya-u.ac.jp/webopac/WB01397142

  • 「人間は生命を殺して食べることによって生きる存在である。それが人間存在の根源的な条件である」みたいなのをジョゼフ・キャンベルで読んで以来、「動物の権利」は、気になっているテーマ。人間の暴力性ということを考えていく上で外せないテーマである。

    というわけで、1年くらいに前に買ったんだけど、気が重くて、なかなか読めなかったのだが、なんとか読了。

    「動物」については、ロジカルに考えれば、考えるほど、食べちゃいけないな、ということになっちゃうんですよね。

    が、やはり肉は食べたい。というわけで、人間が肉を食べていい理由を考え始める。

    のだけど、私が考える反論くらい、すでに解決済で、あっさりと反論されてしまう感じですね。

    う〜ん、人間って、やっぱ罪深い存在だな〜、と。

    と思っても、引き続き、肉を食べ続けるんだろうな〜。

    この矛盾をなんらかの理屈で割り切ることなく、ホールドし続けることが、とりあえずのスタンスかな?

    悩ましいよ〜。

  • 『動物について真剣に考える』の簡易版

    ・動物虐待非難について
    第一に、不必要に動物を傷つけている場合
    第二に、動物虐待が人間に有害な結果をもたらすかどうかについては必ずしもそうと言えない。

    ・理性の有無で考えることはできない
    理由:子供の場合は?理性を欠いた精神的病気を持った人を搾取していいのか

    ・動物と人間の殺害の罪の重さ
    比較するものであれば平等と言えない

    ・介入と"純粋に援助が助けになる場合"の違い
    草食動物を助けても野生の食物連鎖など

    p54まで 6/4

  • 三葛館一般 480.79||DE

    当たり前のように肉を食し、ペットを飼う。
    そんな私たちの生活を見つめなおす一助となってくれる図書です。
    「生命あるもの」として肉食・動物園・動物実験・ペット等の問題を考えています。

    和医大図書館ではココ → http://opac.wakayama-med.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=57851

  • 著者は、「感受性を有する動物」は「道徳的地位」を持っていると主張します。
    そして「平等な配慮」に値するとも主張しています。
    動物は道徳的地位、あるいは道徳的権利を持っているのでしょうか。
    著者は動物の心の世界、利害を理解する枠組み、肉食の倫理、ペットや動物園で動物を飼うことの倫理について反論を交えながら論証していきます。
    後半には、野生動物を捕獲すべきか、動物園で動物を飼育すべきかなど、動物園廃止ディベートの論拠、証拠資料として使える部分も多くあります。
    動物の権利について知ることのできる良書です。

  • 分類=動物実験。03年9月。

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著者プロフィール

1956年、大阪市生まれ。大阪府立大学、東京大学で獣医学を、一橋大学で社会学を学ぶ。日本消費者連盟事務局、都留文科大学ほか非常勤講師を経て97年から長崎大学環境科学部助教授。博士(社会学)。専攻は環境社会学、科学史、平和学。著書に『環境的公正を求めて』(新曜社1994年、韓国版1996年)、『環境学と平和学』(新泉社2003年。韓国版同年)。共著に『人口危機のゆくえ』(岩波ジュニア新書1996年)、『講座環境社会学 第1巻』(有斐閣2001年)、『非戦』(幻冬舎2002年)、『地球環境問題と環境政策』(ミネルヴァ書房2003年)など。訳書にP・シンガー編『動物の権利』(技術と人間1986年)、M・ダウイ『草の根環境主義』(日本経済評論社1998年)、F・M・ラッペ&R・シュアマン『権力構造としての<人口問題>』(新曜社1998年)、D・ドゥグラツィア『動物の権利』(岩波書店2003年)、V・シヴァ『生物多様性の危機』(明石書店2003年)、W・ベロー『脱グローバル化』(明石書店2004年)など。論文に「水俣病事件における食品衛生法と憲法」『総合環境研究』8巻1号(2006年)ほか。長崎平和研究所研究員。長崎の自然と文化を守る会会員。長崎エスペラント会会員。

「2006年 『破壊される世界の森林』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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