- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000269018
作品紹介・あらすじ
リベットの実験をはじめ、近年めざましく発達した脳科学・認知科学の成果を踏まえて、古代から哲学者や思想家を悩ましてきた「意識」や「自我」に関する基礎的・哲学的問題をわかりやすく解説する。
感想・レビュー・書評
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文体とかはそんなに複雑な印象は受けなかったけど、一冊でわかると書いてあっても、扱ってる題材はぼくには難しかった・・・。でも読んでいて感情や感覚との意識の関係ってなんとなく気になった。
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人間の意識についてデカルトの二元論を始とした哲学などを歴史を振り返りつつも脳の基本的な構造を説明するとともに、臨床医学での様々な症例(患者さんにはとても気の毒な状況)や最近の脳科学の研究結果(LSDや瞑想など特殊な状況も含めて)を引用して考察している。体の動きは人間が意識するより先に始まっているという、この界隈(意識の論壇)ではとても有名な話も引用されていて、ここから意識の解明に繋がっていくのではないかと、期待感が高まりました。二元論などは、今や宗教(仏教は除く)原理主義者しか信じていないと思われますが、進化の過程で人間の脳がどのように発達してきたのか、あるいは他の生物(哺乳類、爬虫類、昆虫等)がどのような意識を持っているかなどとても難しそうではありますが、興味が尽きないところです。
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2022/03/24
パラパラ読み -
意識についてはやっぱりすんなり理解するのは難しくて、一冊でわかるとはいきませんでした。でも、これから深く知っていくための導入になる本だと思います。脳科学の分野は少し知識があったので、哲学的な分野でこれからどんなことを調べてみようか、好奇心が湧きました。
抽象的なので、文章がすんなり入ってこず何度も前に戻ったりして、かなり時間はかかりましたが読んでよかったです。
余談ですが、私たちの思う「意識」が、いかに曖昧で不確かなモノなのかっていう話。幼い頃に読んだ、ネットの文章を思い出しました。初めて読んだ時は、衝撃だったなぁ
Dr林のこころと脳の相談室
【1541】皆と同じようにipodの手術を受けたい -
【サポートスタッフ企画展示:2018春 ブックリスト掲載本】
▼LEARNING COMMONS イベント情報
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意識とは何か。そして人間に自由意思はあるのか。
大好きなテーマなので関連した本は沢山読みましたがこの本はスッキリとまとまっていて読みやすい。
とはいえテーマそのものが迷宮入りしそうな内容なので理解しながら読むというよりは直感的に読みすすめるという感覚が近いかも。 -
資料番号:011147048
請求記号:141.2/ブ -
その昔『ミーム・マシンとしての私』なども書いているサイエンスライターのスーザン・ブラックモアの著作。原題は"Consciousness: A Very Short Introduction"というタイトルで、装丁も安っぽいが、内容は意外に濃い。
タイトル通り「意識」についての議論をまとめた本になるが、意識とは何かを考えることは難しい。また意識とは何かを言葉で説明することは更に難しい。
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著者は、まずは意識とは何かを定義する必要がある、とする。当然だ。本書では、「ある動物(もしくはコンピュータや乳児)であることがそのようなものであるような何かが存在するなら、それは意識的である」というネーゲルの言葉を引いている。
これが定義として機能するのかはおくとして、とにかく「主観的経験」がいかにして生じるのかという問題が意識の「ハードプロブレム」として知られており、これが本書の主題となっている。
そして、この問題に対する著者の立場は比較的クリアだ。本書の最初の方に意識(主観性)は錯覚だと、している。この考え方において「意識を持つことができるのは、人間と同じくらい錯覚を持つことができる生き物のみである」としている。
もはやデカルトの心身二元論をまともに信じることはないが、いわゆるデカルト劇場と呼ばれる自我を統べるコントロールセンターである「意識」についてもいまや否定される。
「運動を立案する脳内の過程は、人が意識するよりも前に始まっている」という一見受け入れ難い有名なリベットの実験結果に沿う解釈として、自由意思を否定し、意識は後から脳がそのように錯覚したものであるとしている。
その後の多くの議論が意識は錯覚だとする論を前提としているので、この点がうまく理解できないときついのではないか。私個人としては仮説として比較的容易に受け入れることができた。
もう一つの大きな問題は、意識が錯覚であるにしても、なぜ進化の過程で意識を持つにいたったのかという問題である。人間は進化により生物として現在に至ったであるから、意識は適応の産物なのか、それとも適応した何らかの能力に付随する副産物なのか、そしてそれは何であるのかということが問題になる。
本書では、この問題は解決されていないとし、多くの理論があるとするだけでその具体的理論について挙げることもしていない。この部分はもう少し踏み込むべきところであったのではないだろうか。
最後に禅の話を持ち出すのはいただけない。いくばくかの部分を台無しにしてしまっているように感じる。
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オリバー・サックス、ラマチャンドラン、アントニオ・ダマシオなど脳神経科学者を多く引いているが、読み返したくなった。またダニエル・デネットも読んでみるかな。 -
【NASA推奨・意識の不思議と、最先端の脳科学の仮説と仏教の意識や宇宙観があまりに共通していることに驚愕するわかりやすい本】
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意識は錯覚だろうか>私たちが自分自身の心をひどく誤解しているかもしれないという可能性はいろいろな形で現れる。たとえば自由意思は錯覚である。
自我の問題は意識の問題と密接に絡み合っている。
数ある宗教の中で、仏教だけが自我を否定している。
瞑想を行えば、たいてい好ましくない考えを消しさることができるようになる。雑念と闘わない、雑念にいっさい関わらない、ただあるがまあmにしておく、というのが一番良い方法である。