戦争とフォト・ジャーナリズム (岩波フォト・ドキュメンタリー世界の戦場から 別)

制作 : 広河 隆一 
  • 岩波書店
3.71
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本棚登録 : 30
レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (77ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000269728

作品紹介・あらすじ

フォト・ジャーナリストはなぜ戦争に赴き、一枚の写真によって何を伝えるのか。戦争報道はなぜ被害者の側に立たなければならないのか。

感想・レビュー・書評

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  • 戦場写真はいつも自分に衝撃を与える。

  •  ひとはなぜ戦争に行くのか。カメラマンたちはなぜ戦場へ行き、前線に行こうとするのか。命と写真のどちらが大切なのか――。

     筆者の見解はシンプルだ。「あくまで命が主で、その上で取材をするのは当然のことだ」。なぜなら、ジャーナリストは「人間の命と権利を守るという基盤の上に成り立っているからである」。危険を冒しても前線に行くのは、「戦争においてもっとも重要な報道」は、兵器の性能ではなく「被害者の報道」であるからだ。その姿勢を貫き、軍に絡め取られず、「ジャーナリストとしての魂」を譲り渡さないためには、何よりも「思想」こそが重要なのだ。

     その意味で、筆者がデジタルカメラを「悪魔の誘惑」と呼び、銀塩フィルムのカメラにこだわるのは興味深い。デジタルの即時性ではなく、フィルムのカメラという道具がうみだす少しの〈遅れ〉に、「心の回路」、撮影者の主体性が、反省的に干渉する余地が生まれ出る。
     いつ、どこで、なぜ、何を、いかにして。対象が自らのアイデンティティ=「思想」をつくり、「思想」が、そこにある対象の存在に気づかせる。時に国家と対立し、安楽と安逸を貪る社会に違和をつきつける広河の定義する「ジャーナリスト」は、孤立しているが、決して孤独ではない。だが、そこには同時に、いったい誰が被害者なのか? という重たい問いとの対話もまた、不可避的につきまとう。

  • フォトジャーナリズムとは何か、キャパ、沢田教一や自身の経験をもとに解説。戦場におけるジャーナリストの重要性が理解できた。
    有名な「ナパーム弾の少女」(ニック・ウト撮影)の写真は、「ここで待っていたら面白い場面が撮影できる」と米兵にあらかじめ言われて待機していたジャーナリストが撮ったという事実に戦慄をおぼえる。
    「ニックの写真はベトナム反戦運動に大きな役割を果たした。しかしどのような状況の中撮影されたのかは、多くの問題を問いかけている。」
    エディ・アダムスのベトナムで兵士が射殺される瞬間を撮った写真も、ジャーナリストに対するサービスで行われたのであり、「カメラが回っていなかったら、このとき男が射殺されなかったのは確かだ。」
    ジャーナリストのダークサイドにも踏み込んだ内容には、ショックを受けた。
    写真の読み方についても考えさせられる。
    もう少し写真が多ければ言うことなしの本だった。
    中高生にも読んでほしいな。

  • シリーズの別冊、最終巻。
    広河隆一の覚悟。戦争報道は被害者の立場に立たなければならない。ジャーナリストがいなくなってから権力は狂暴になる、だからジャーナリストは現場にいなければならない。つまり著者は、ジャーナリストに「報道」以上の役割を与える。第4の権力は市民から付託されたもので、その権力を生かすことを考えろ、とつまり言っているのである。
    カメラマンとジャーナリスト。フォト・ジャーナリストは写真家ではなく、ジャーナリストだと言い切る。著者の覚悟はすさまじい、と思う。

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