雑学者の夢

  • 岩波書店 (2004年4月21日発売)
3.00
  • (0)
  • (2)
  • (4)
  • (0)
  • (1)
本棚登録 : 21
感想 : 2
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (208ページ) / ISBN・EAN: 9784000269865

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 多木浩二の作品はチェックしているはずだが,古書店で発見した本書が2004年の発行でちょっとショック。本書は岩波書店の「グーテンベルクの森」というシリーズもので,さまざまな分野の執筆者に,自らの読書歴を交えて書かれたエッセイである。といっても,他に私の興味をそそるような著者はいないので,このシリーズ自体知らなかったことは仕方がない。
    多木浩二という人物は,彼の著書を10冊以上読んでいる私にとってもある意味捉えどころのない批評家である。しかし,そもそも私が「批評家」と呼ぶ人物は○○学者と呼べるような基礎をもっておらず,かといっていい加減な「評論家」ではなく,知識をひけらかす単なる博学者でもない。ある意味では,私自身が批評家でありたいと願う以上,この呼称で呼ぶ人物には尊敬の念を抱いている。
    といっても,本書がそんな読書歴に関するエッセイとは知らず,一見したところでは初学者向けの雰囲気があって,あまり読もうとは思わなかった。第一部は「記号と構造」と題され,ロラン・バルトとソシュールが論じられるのだから,「多木浩二たるものが何を今更」という印象があったが,第一部の最後に,「初期ベンヤミンの言語論」と題された第四章があり,最近オースター『ガラスの街』関連で読んでいるベンヤミン「翻訳者の使命」が検討されているらしいので,800円という安価も手伝って,購入することになったのだ。そして,なんとなく購入した外出先で「序文」を読んでいると,これまでほとんど知ることのなかった,多木浩二の略歴が自身の筆によって書かれているではないか!ということで,やはり書物ってのはきちんと読んでみるまで中にどんな発見物があるのか分からないのだ。だから読書はやめられない。私の同業者のなかには,けっこう目次を読んで分かった気になる人や,書物を冒頭から読まず,自分の知りたいことだけを効率よく得ようとする人が意外に多くてビックリする。
    しかし,多木浩二氏はそういう読書の愉しみを教えてくれる作品の著者でもあるから,彼自身の読書歴がそういうものであることを知って嬉しくなる。そう,多木浩二はそもそも始まりからして○○学者という経歴を有しないのだ。ほとんど独学に近い形で,興味の赴くままに,まさに「活字の海を航海する探検家」だといえる。ちなみに,多木は18世紀英国の探検家,ジェイムス・クックの研究に人生の一部を捧げている。
    既に書いたように,本書はロラン・バルトから始まる。そして一つさかのぼってソシュール。その辺りから,かなり言語学にはまったようだ。そしてバンヴェニストにたどり着き,あまりにも言語学に傾倒するバランスを戻すために,ベンヤミンが登場する。多木浩二にとってこれまでの著作でもベンヤミンが非常に重要な思想家であることは分かったが,ベンヤミンの言語論から入っているとは少し意外。そして,ベンヤミンの幼少期の記憶と都市の関係を論じた「1900年頃のベルリンの幼年時代」から,『パサージュ論』へと,だんだん歴史記述の問題へと関心を移行していく。
    晶文社のベンヤミン著作集はずいぶん集めてきましたが,5巻本の『パサージュ論』はまだ読んでいない。もちろん,この作品は誰かの概要で読まずに済ませるようなものではないが,やはり今私が関心を持っている事柄には必読書であることを思い知らされる。やはり,多木浩二氏の本からは必ず得るところがあるが,本書の魅力はやはり多木氏が飾らずに自分のことを書き記していることではないだろうか。概して,このレベルの著者は,私には非常難解だと思われるベンヤミンもフーコーも,全ての著書を読んでて当たり前,しかもその内容も理解していることが前提でその先を論じるような論調で書かれるが,多木氏はフーコーの著作に対しては未だに挑戦しているという。ベンヤミンの言語論についても,それ以前に言語学著作を多数読んだからこそ,少しずつ理解できるようになった,と素直に書いていること,これである。まさに「読書の愉しみ」を教えてくれる本。

全1件中 1 - 1件を表示

著者プロフィール

1928〜2011年。哲学者。旧制第三高等学校を経て、東京大学文学部美学科を卒業。千葉大学教授、神戸芸術工科大学客員教授などを歴任。1960年代半ばから、建築・写真・現代美術を対象とする先鋭的な批評活動を開始。1968年、中平卓馬らと写真表現を焦点とした「思想のための挑発的資料」である雑誌『プロヴォーク』を創刊。翌年第3号で廃刊するも、その実験的試みの軌跡を編著『まずたしからしさの世界を捨てろ』(田畑書店、1970)にまとめる。思考と表現の目まぐるしい変貌の経験をみずから相対化し、写真・建築・空間・家具・書物・映像を包括的に論じた評論集『ことばのない思考』(田畑書店、1972)によって批評家としての第一歩をしるす。現象学と記号論を駆使して人間の生と居住空間の複雑なかかわりを考察した『生きられた家』(田畑書店、1976/岩波現代文庫、2001/青土社、2019)が最初の主著となった。この本は多木の日常経験の深まりに応じて、二度の重要な改訂が後に行われている。視線という概念を立てて芸術や文化を読み解く歴史哲学的作業を『眼の隠喩』(青土社、1982/ちくま学芸文庫、2008)にて本格的に開始。この思考の系列は、身体論や政治美学的考察と相俟って『欲望の修辞学』(1987)、『もし世界の声が聴こえたら』(2002)、『死の鏡』(2004)、『進歩とカタストロフィ』(2005、以上青土社)、『「もの」の詩学』、『神話なき世界の芸術家』(1994)、『シジフォスの笑い』(1997、以上岩波書店)などの著作に結晶した。日本や西欧の近代精神史を図像学的な方法で鮮かに分析した『天皇の肖像』(岩波新書、1988)やキャプテン・クック三部作『船がゆく』、『船とともに』、『最後の航海』(新書館、1998〜2003)などもある。1990年代半ば以降は、新書という形で諸事象の哲学的意味を論じた『ヌード写真』、『都市の政治学』、『戦争論』、『肖像写真』(以上岩波新書)、『スポーツを考える』(ちくま新書)などを次々と著した。生前最後の著作は、敬愛する4人の現代芸術家を論じた小著『表象の多面体』(青土社、2009)。没後出版として『トリノ 夢とカタストロフィーの彼方へ』(BEARLIN、2012)、『視線とテクスト』(青土社、2013)、『映像の歴史哲学』(みすず書房、2013)がある。2020年に初の建築写真集『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』を刊行した。

「2021年 『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

多木浩二の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×