法 (思考のフロンティア)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (111ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000270106

作品紹介・あらすじ

法の主体とは誰か-望むと望まざるとにかかわらず、われわれの精神と身体は法に貫かれている。法はつねにわれわれの生死に、存在そのものにかかわる経験としてあるのだ。法の起源とは何か、法と暴力、倫理との関係はいかなるものか。原‐形象としてのアンティゴネー、ベンヤミン、デリダの思考を通して、市民的不服従や歓待、死刑の問題を考える。法を生きるわれわれにとって、今、正義はどこにあるのか。

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  • 【目次】
    はじめに [iii-viii]
    目次 [ix-x]

    I 法はいかにあるか、法は何をしているか――法・暴力・神話 
    1 法とその「根拠」――ハート、ルーマン、デリダ 001
    2 法と暴力――ベンヤミンは今日 016

    II 法と倫理のあいだ 
    第1章 「市民的不服従」の思考 051
    1 原‐形象としてのアンティゴネー 051
    2 象徴への抵抗、有事への抵抗――「国民」か「市民」か 043

    第2章 歓待の掟――他性・言語・公共空間 054
    1 他性と応答 054
    2 難民の問い、世界市民の問い 066

    第3章 死刑を問う 075
    1 死刑廃止論の系譜――ベッカリーア、サド、ユゴー、カミュ 075
    2 主権の問い、赦しの問い――カントからデリダへ 088

    III 基本文献案内 099

    あとがき(2005年3月25日 守中高明) [109-111]

  • [ 内容 ]
    法の主体とは誰か―望むと望まざるとにかかわらず、われわれの精神と身体は法に貫かれている。
    法はつねにわれわれの生死に、存在そのものにかかわる経験としてあるのだ。
    法の起源とは何か、法と暴力、倫理との関係はいかなるものか。
    原‐形象としてのアンティゴネー、ベンヤミン、デリダの思考を通して、市民的不服従や歓待、死刑の問題を考える。
    法を生きるわれわれにとって、今、正義はどこにあるのか。

    [ 目次 ]
    1 法はいかにあるか、法は何をしているか―法・暴力・神話
    2 法と倫理のあいだ(「市民的不服従」の思考;歓待の掟―他性・言語・公共空間;死刑を問う)
    3 基本文献案内

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  • ポストモダン法学

  • ちょっと、小難しい書き方をしてらっしゃいます。

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著者プロフィール

1960年東京生まれ。早稲田大学法学学術院教授。詩人。著書に『脱構築』(岩波書店、1990)、『存在と灰:ツェラン、そしてデリダ以降』(人文書院、2004)、『法』(岩波書店、2005)、『終わりなきパッション:デリダ、ブランショ、ドゥルーズ』(未來社、2012)、詩集に『守中高明詩集』(思潮社、現代詩文庫、1999)、『系族』(同、2009)などがあり、訳書に、デリダ『シボレート:パウル・ツェランのために』(共訳、岩波書店、1990)、『たった一つの、私のものではない言葉:他者の単一言語使用』(岩波書店、2001)、『コーラ:プラトンの場』(未來社、2004)、『精神分析の抵抗』(共訳、青土社、2007)、『赦すこと:赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの』(未來社、2015)、ブランショ『他処からやって来た声:デ・フォレ、シャール、ツェラン、フーコー』(以文社、2013年)などがある。

「2016年 『翻訳そして/あるいはパフォーマティヴ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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