日中の120年文芸・評論作品選 断交と連帯 1945-1971 (4)
- 岩波書店 (2016年6月13日発売)


本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
本 ・本 (328ページ) / ISBN・EAN: 9784000272247
感想・レビュー・書評
-
分厚くサイズも大きな本だが、貴重な資料でもある。論評作品とあるが、取り上げられているのは、少し上げる程度でも、開高健、平塚らいてう、火野葦平、草野心平、高橋和巳、井上靖など、著名な面々だ。敗戦当時の日本人の本音、中国の本音が垣間見える。伝聞で認識している価値観とは異なる話もあり、新鮮だった。
ー 天皇の放送は、降伏か、それとも徹底抗戦の訴えか、どちらかであると思った。そして私は、後者の予想に傾いていた。ここに私なりの日本ファシズムへの過重評価があった。私は敗戦を予想していたが、あのような国内統一のままでの敗戦は予想しなかった。アメリカ軍の上陸作戦があり、主戦派と和平派に支配権力が割れ、革命運動が括烈に全国をひたす形で事態が進行するという夢想をえがいていた。国内の人口は半減するだろう。統帥が失われ、各地の派遣軍は孤立した単位になるだろう。パルチザン化したこの部隊内で私はどのような部署を受けもつことになるか、そのことだけはよく考えておかなければならないが、などと考えていた。ロマンチックであり、コスモポリタンであった。 竹内好
ー アメリカ帝国主義の占領初期は、四大同盟国によるポツダム宜言と一一カ国が参加した極東委員会の対日基本政策の文書が指示し、また「空手形」が出されたこともあって、偽物のいわゆる「民主改革」が行われた。しかし、それらの改革が実質的かつ持久的な何らかの効果を生み出すことはなかった。しかも、アメリカ帝国主義が鳴り物入りで吹聴した「土地改革」について言えば、実際の結果は地主階級に便宜を与えただけで、かえって一般の農民をさらに苦しめることになった。戦犯の審判について、粛清、財閥解体、いわゆる「新憲法」や「普通選挙」などの類は、いずれも外観を飾り繕っただけの有名無実なもので、さらに言えばアメリカ帝国主義が自分たちのために反動的な統治を推進する道具として利用されている。マッカーサーは日本の戦犯の大なり小なり、取り調べをすでに終えた人もそうでない人も、一群また一群と釈放したではないか。甚だしきに至っては、極東国際軍事裁判の一ーカ国の代表がすでに二年半をかけて訊問し、厳粛なる判決を下したA級戦犯の中で釈放された人さえいる。どれほど信義に背いた荒唐無稽な行為だろうか。アメリカ帝国主義が操るいわゆる「普通選挙」のもとで、反動的な売国政治家の吉田のような傀儡たちが日本政治の舞台を力ずくで占領しているのだ。 梅 汝璈
ー 「しかし現在では、あなた方日本人はわが国に対して、何んの負担ももつてみません。日本は全植民地を放棄しました。そして逆にアメリカ帝国主義の支配下にあります。現在の日本は、軍事基地を中心に考へるとアメリカの植民地であり、また独立した政府があつても、その政府がアメリカによって左右されてあるかぎりでは半植民地状態にあると言へませう。いまの日本は外国に対して借金を全くもつてないのと同様です。外国こそあなた方に対して負担をもつてる。それはイギリスでもフランスでもなく、アメリカです。日本は長い歴史と伝統をもつ偉大な民族です。いつまでもこの状態に甘んじてある筈はない。このやうなことを、私は日本の友人に会ふたびに話してきました。」
「いま日本の国民を教育してるのは誰か。アメリカ人です。つまり彼らこそ反面教員です。政治的にも経済的にも日本人を圧迫してあるからですが、同時に我が中国にとつても、アメリカ帝国主義は絶好の反面教員の役割を果してます。」
「第二大戦後十五年になりますが、我が中国は実に百年以上、外国帝国主義のため圧迫されつけてきました。イギリス、フランス、それから日本、アメリカと変ってきました。御承知のとほり中国は後進国です。皆さんのお国に比べたら、様々の点で遅れてます。日本は第一に工業力が実にすばらしい。第二に経済的発展性が高い。第三に教育が普及してます。これらの点でわが国はおくれてあるのです。人口が多いから、高等教育を受けてある人も少い。日本では中等教育はどこまで普及してゐるでせうか。すべての日本人はその教育を受けてあるでせうか。」
ー 国民政府は国内において棚ぼた式の戦勝を好機として生かすことができず、役人の腐敗と悪性インフレなどでしだいに民心を失っていった。それにたいし、延安にある中国共産党政権は、旧満洲を影響下におきたいソ連から軍事支援を受け、国民政府の失政を衝いて、着実に勢力を拡大していた。一九四八年秋になると、林彪が率いる共産党軍は東北をめぐる戦いにおいてついに優勢に立つようになった。国民党の独裁や政治腐敗および経済面での失策は国内で批判にさらされただけでなく、アメリカをはじめ西側諸国の目にも「非民主的」に映り、その無能ぶりは国際的な不評を買った。風向きが大きく変わったなか、延安側は「新民主主義」を印とし、中国共産党こそ「民主」と「自由」を実現できると標榜した。さらに、土地改革を約束し、民生活の改善を目標に掲げた。国共両党以外の政党や知識人および多くの民楽は共産党の「民主」に期待を寄せ、国民党はしだいに支持基盤を失うようになった。
徹底抗戦を考えていた人もいただろうが、改めて聞くと衝撃だ。戦争が終わってハッピー位に考えていたか、その後に控える想像もつかない植民地生活に怯えるか、戦争末期の疲弊感から勝手にそのような感覚が強いのかと思っていたが、確かにそうだろう。しかし今となっては。麻痺してしまっているか、仕方ないとせざるを得ない、落胆や諦めの上に、今の日本があるという事を再認識する。詳細をみるコメント0件をすべて表示
著者プロフィール
張競の作品





