ゲド戦記 3 さいはての島へ (ソフトカバー版)

制作 : Ursula K. Le Guin  清水 真砂子 
  • 岩波書店
3.59
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本棚登録 : 502
レビュー : 56
  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000280730

作品紹介・あらすじ

大賢人ゲドのもとに、ある国の王子が知らせをもってきた。彼の国では魔法の力が衰え、人々は無気力になり、まるで国中が死の訪れを待っているようだと。ゲドはアレン王子を連れ、見えない敵を求めて旅に出る。

感想・レビュー・書評

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  • 力が失われゆく世界。
    均衡のために旅立つゲドとアレン。
    魔法使いの力の使い方に学ぶところがたくさんありました。
    でもまだ物語は終わりではない。
    続きが気になります。

  • 大賢人となったゲドのもとに一人の少年が訪れた。

    少年、エンラッドの王子であるアレンは島々で魔法使いやまじない師たちが魔法を使えなくなっていること、そして魔法の存在が忘れられていること、人々の心がすさんできていることを告げる。

    その言葉を受けて、ゲドは少年とともに世界の均衡を取り戻すための旅にでる。

    生と死について色々語られる物語だったように思います。
    アレンの若さゆえに持つ死に対する恐怖はよくわかります。

    たった一人の魔法使いによってここまで世界の均衡が崩されるというのはとても恐ろしいことではないのかなぁ……
    新たなクモが現れたりしないのだろうか。

    最後の最後、竜のカレシンに乗ってアレンとゲドが戻ってくるシーンは壮観であろうなぁ~
    アレンはその後アースシーの王となるが、ゲドは魔法の力を失って故郷のゴントに戻る。

  • このシリーズを最初から読んでいて今3冊目ですが、一番面白いと思いました。
    現実世界の比喩なのかな、と思いながら読んでしまうので、もっと子供のころに素直に読みたかったな、と思いますが、自分の子供時代を思うと理解できなかったかもしれません。(だから読まなかったのか…)

    • tamtam070513さん
      映画にもなった物語ですが、原作はとにかく面白かった!「大人買い」した父親に借りて、一気に全巻よみました。
      映画にもなった物語ですが、原作はとにかく面白かった!「大人買い」した父親に借りて、一気に全巻よみました。
      2012/08/10
    • ふみさん
      コメント&フォローありがとうございます!
      (私もフォローさせてもらいました)
      ゲド戦記、映画もテレビで見たんですが、全然違うのですね。驚きま...
      コメント&フォローありがとうございます!
      (私もフォローさせてもらいました)
      ゲド戦記、映画もテレビで見たんですが、全然違うのですね。驚きました。
      2012/08/10
  • 3巻が一番好き。主人公がすごい話は好き。その連れが、色んな事に悩んで迷いながらも前に進む力を持って、かつ主人公を尊敬している図も好き。よくがんばりました

  • 2018年8冊目。

    ちょうどこの巻を読んでいる最中に、著者のアーシュラ・ル=グウィンさんが亡くなった。
    奇しくも、テーマは「生と死」。
    黄泉の国でのゲドたちの冒険を、片隅で見守っていたかもしれない。
    三巻になって、映画版の主人公であるアレンや、敵のクモ、ウサギなど、馴染みのキャラクターが登場する。
    が、あくまで「モデルにしている」という感じで、映画と原作とではかなり違った。
    すごいなと思ったのは、謎めいた言葉や出来事を、いちいち腑に落とそうと説明しきらないこと。
    予定調和に逃げず、おそらく著者自身にとっても謎なものを、物語が浮かび上がるがままに、謎のままに提示しているんじゃないか、という印象。
    メインの読み手であろう子どもたちの想像力を馬鹿にしていない。
    だから読み継がれる豊かさを備えているんだと思う。
    ひたすら地下に潜っていた二巻とは打って変わって、アースシーの世界中、さらには黄泉の国まで巡る大冒険。

  • 第1巻の「影との戦い」が良かった分、少し物足りなさを感じてしまう。

  • 読んでて辛くなる内省的な話。少年ジャンプな合言葉みたいな(今は違うかもしれないけれど)勇気・友情・希望だけが出てくるお気楽な児童文学じゃない。老い、喪失、死。あまり向き合いたくない心理に対しての向き合い方がファンタジーを借りて述べられている。深いな~。
    にしても、アランが出てくるけれど、映画のゲド戦記ってほんと原作とは別物だとつくづく実感。

  • 果たして壮年となり大賢人となったゲドが世界の異変をつきとめるために若き王子アレンとともに最果ての島へ旅に出る。若き過ちから罪の意識に苛まれ影と抗う若きゲド、腕輪を奪還すべく洞窟にしたたかに忍び込みテナーと出会ったゲド。そしてもはや大賢人となりその強大な魔力と深謀遠慮な知恵を身につけたゲドはアレンを導きつつ、静かで深い省察を持って崩壊しつつある魔法の理のなぞに迫る姿はもはやRPGに出てくる老賢者の風格。でもそこはかなとなく慈愛を伴った人間味を残しているのが魅力的。
    「わしのほうは、うむ、いらんなものになった。いちばん、最後が、そして、おそらく、いちばんつまらんのが、この大賢人というやつだ。」
    「よくよく考えるのだぞ、アレン、大きな選択を迫られた時には。まだ若かった頃、わしは、ある人生とする人生のどちらかを選ばなければならなくなった。わしはますがハエに飛びつくように、パッと後者に飛びついた。だが、わしらは何をしても、その行為のいずれからも自由になりえないし、その行為の結果からも自由になりえないものなのだ。ひとつの行為が次の行為を生み、それが、また次を生む。そうなると、わしらは、ごくたまにしか今みたいな時間が持てなくなる。ひとつの行動と次の行動の間の隙間のような、するということをやめて、ただ、あるという、それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何者だろうと考える時間をね。」
    「いいかね、アレン、なにかするということは、簡単に石ころでも拾って、投げて、あたるかそれるかして、それでおしまい、などと、そんな、若いものが考えるようなわけにはいかないんだ。石が拾い上げられれば、大地はその分軽くなる。石を持った手はそれだけ重くなる。石が投げられれば、星の運行はそれに応え、石がぶつかったり、落ちたりしたところでは、森羅万象、変化が起きる。何にしても、全体の均衡に関わってくるんだ。一方風も海も、水や大地や光の力も、それから、獣や緑の草木も、すべてこれらのなすことは守備良く、正しく行われている。いっさいは均衡の崩さぬ範囲でな。暴風や巨大なクジラの潜水に始まり、枯葉が舞い落ちたり、ブヨが飛んだりするのまで、こうしたものはなにひとつ全体の均衡を崩したりはしないんだ。ところが、わしらときたら、今いる世界や、人間同士互いを支配する力を持っており、そうである限りワシらは木の葉やクジラや風がその本性にのっとってごくごく自然にやっていることを、その気になって学ばなければならない。わしらはどうしたら、均衡が保たれるか、それを学ばなければならないのだよ。知性があるのなら、あるように行動しなければ。選択が許されているのなら、それなりの責任を持って行動しなければ。褒めたり、罰したり、そりゃ、このワシにその力がないわけではないが、しかし、そんなことをして、人間の運命をいじりまわすなんて、このワシを一体何者だというのかね。」

  • 何不自由なく暮らしていたエンラッドの王子・アレンが、ゲドと共に世界の異変の原因を調べて旅をする。
    初めはゲドに「従う」形だったアレンだが、最後にはゲドに「道しるべ」とされる。
    ゲドを信じ、しかし疑い、絶望し、それでもまっすぐに成長するアレン。
    そして二人は、死ぬことを恐れる人々の心の隙間に入り込み、世界の均衡を乱していた魔法使いのもとへたどり着く。

    死ぬことを拒否することは生きることを拒否すること。
    生きることを拒否したために、世界の均衡を崩れていった。
    生きることってなんだろう。

    ふとそう思った。

  • 第1巻では若造ゲド、第2巻では青年ゲド、そしてこの第3巻では初老のゲドという感じで老成していっています。  それに伴い、「才能ある魔法使いの弟子」 → 「竜人(竜と話せる人)」 → 「大賢人」と称号が変わってきています。 

    さて、第2巻でゲドは世界に平和をもたらすとされる「エレス・アクベの腕環」を復元しました。  その時、KiKi は

    ゲドのようにお気楽に
    「見よ!  私は闇で光を見つけたぞ。  光の精を見つけたぞ。」

    とか

    「この人のおかげで、古き悪は滅び、 (中略) この人のおかげで、壊れたものはひとつになり、この人のおかげで、憎しみのあったところに平和がもたらされるんだ。」

    な~んていう風には思えないんですけど・・・・・ ^^;


    と書いたわけですが、案の定(?)、アーキペラゴ全域において魔法使いが大切にしてきた均衡が失われ、秩序とモラルが崩壊し始めていました。  そして、どうやらこの第3巻のメインプロットは「世界を平和に統治する優れた王の育成」ということになったようです。

    物語によれば過去にアースシー全土の王となったマハリオンという方が、「暗黒の地を生きて通過し、真昼の遠き岸辺に達したものが私の後を継ぐであろう」と言い残したということになっています。  そして、このマハリオン亡き後、これまで800年玉座は空っぽだったとのこと・・・・・・  そして、この第3巻ではゲドを訪ねてきたエンラッドの王子アレンがゲドと共に異変の原因をつきとめ、処置をほどこす旅に同行することになるところから物語は始まります。  これはどうやらグウィン版「行きて帰りし物語」となる気配プンプンです(笑)。



    エレス・アクベの腕環が戻ったにもかかわらず、魔法と均衡が失われ、いっこうに平和が訪れないのは、統治者である王が不在であることと、王不在の間隙を突くようにして邪なるものが動き出したことが原因だったということのようです。  そして、その邪なるものは己の欲望のままに禁じられた忌むべき魔法を使い、本人自身が「死を克服した」と錯覚し、又「死は克服できる」という甘言をもって民を惑わしていた・・・・・ということのようです。(実はこの解釈にちょっと自信がない ^^;)

    この邪なる者が「クモ」と呼ばれていた魔法使いで、全編にクモとクモの巣の比喩表現がチラチラと出てきます。  そうなって思い出されるのがトールキンの「指輪物語」のシェロブ、ローリングの「ハリー・ポッター」のアラゴグ達。  どうやら英米系の人たちはクモがよっぽど苦手らしい・・・・・(苦笑)  

    さて、このクモさん。  忌むべき魔法を使ったことにより生と死の世界を行き来することができる扉を開け、自分自身は生きている者も死者も自由に操る力を持つに至った王だと信じこんでいました。  結局アースシーに暮らす人たちも竜さえもそんなクモさんに太刀打ちできなかったのですから、彼の錯覚・思い違いも致し方ない部分はなきにしもあらずです。  でも、ゲドただ1人がそんなクモが抱え込んでいるのは栄光とはまったく正反対の「虚無」に過ぎないことを暴きます。  

    クモは、己の死を否定したが故に、真の名も、自分の生と死も、アイデンティティをも失い、実体をともなわない虚ろな影になりさがってしまっていた・・・・・ということのようです。  そして、ゲドはそんなクモの犯した過ちにケリをつけ、均衡と平和をもたらすために、生と死の間を行き来できる闇の扉を閉めるために、彼の持つ魔法の力の全てを使い果たします。  後に残されたのがゲドとさいはての島まで同行した「暗黒の地を生きて通過し、真昼の遠き岸辺に達した王者アレン」というのが物語のメイン・プロットらしい・・・・・・(実はこの解釈にもあまり自信がない ^^;)

    この物語、全体としてはこんな風(↑)に KiKi は解釈したんだけど、途中で何度もカッコ書きで書いたように実はあんまり自信がありません。  と言うのも、そういう全体の流れよりもとかく細部に引っかかり過ぎて全体像を見失いがちになりそうな読書体験だったんですよね。  そしてその細部でひたすら描かれていたのは「生とは」ということ、そして「死とは」ということ、もっと言えば「いかに生きるべきか」ということに尽きるような気がするんですよ。



    死を拒絶することは生を拒絶することでもあるんだよ。

    いいかい、アレン。  そなたはいつかは死ぬ。  いつまでも生き続けるなどということはない。  誰だって、何だって、そうだ。  永久に生き続けるものなど、ありはしないのだ。  ただ、わしらだけは幸いなことに、自分たちがいつか必ず死ぬということを知っておる。  これは人間が天から授かったすばらしい贈り物だ。  (中略)  それというのも、わしらが持っているのは、いつかは失わなければならないとわかっているものばかり、喜んで失っていいものばかりだからさ。

    生を拒否することによって死を拒否し、永遠に生き続けようだなんて!  だがなアレン、この言伝はわしには聞こえてこない。  わしが聞く意志を持たないからだ。  わしは絶望から発した助言など、受け付けはせん。

    自然はいつも自然の法則にのっとってあるものだ。  今度のは、だから、どう見ても均衡を正そうというのではなくて、それを狂わそうという動きのように思われる。  そんなことができる生物は、この地上には一種類しかいない。  (中略)  (人間の)生きたいと思う、その願望に際限がないからだ。  (中略)  ただ生きたいと思うだけではなくて、さらにその上に別の力、たとえば、限りない富とか、絶対の安全とか、不死とか、そういうものを求めるようになったら、その時、人間の願望は欲望に変わるのだ。  そして、もしも知識がその欲望と手を結んだら、その時こそ、邪なるものが立ちあがる。  そうなると、この世の均衡はゆるぎ、破滅へと大きく傾いていくのだよ。

    持つに値する力はたったひとつしかない。それは、何かを獲得する力ではなくて、受け入れる力だ




    これらは全て、ゲドが旅の途中でアレンに語る言葉なんだけど、これらの言葉こそがグウィンが言いたかったこの物語の肝なんじゃないかなぁ・・・・・と。  で、これらの言葉を噛みしめていると全体の物語が何だったのかがわからなくなる・・・・・・そんな読書体験だったように思うのです。  でも、恐らくそれはアレンも同じで、ゲドが語るこれらを深く胸に刻む時間があってはじめてアースシーの世界に平和をもたらす王になる・・・・・・ということなのではないのかな・・・・と。

    読んでいて時々感じたのはグウィンさんはどうやら「東洋思想」にちょっと近しい感覚を持つ人なのではないかしら?ということでした。  このゲドの言葉なんかを読んでいると、どうしても陰陽太極図が自然と頭に浮かんでくるんですよね~ ^^;  そういう意味ではアメリカ人っぽさが希薄な物語だなぁと思うんですよね。  少なくともアングロサクソン的な哲学はベースになっていない・・・・・。  でもね、同時にそれを大賢人から若造へのありがた~いご指導という舞台にしないと語れないあたりはいかにも「アメリカ的」だなとも思うんですけどね(苦笑)

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