帰還 (ソフトカバー版 ゲド戦記 )

  • 岩波書店 (2006年5月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784000280747

感想・レビュー・書評

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  • 読了して一番に思ったのは、「なんで続けた?」

    壮大な児童向けファンタジーだった三部作とはうって変わって、なんか読者に色々と考えさせる大人向けの小説になった。

    大賢人が力を使い果たした後の、その後の物語の重要性や、時代背景的に女性の権利に対して一石を投じる意義はわかる。でも、これってゲド戦記で続ける意味ある?未亡人の女性主人公で別物語としても良かったのでは?

    第三巻から第四巻は18年の時が空いているので、三巻までのファンタジーに夢中になった読者はちょうど第四巻の内容を理解できる年齢になっているんだろうけど、一気に読める現代ではいきなりテイストが変わりすぎて、ちょっと子どもには勧められないな。

  • ゲド戦記を読んできて
    一巻、二巻、三巻と
    読み進めてくるたびに
    様々なことを
    重ねながら読んでいる
    自分に気が付く

    少し前に
    もてはやされた
    「魔法使いモノ」とは
    全く似て異なる
    これぞ 読み継がれる物語
    であることを
    巻を追うごとに
    思い知らされます

    さて 第四巻での
    ハイタカことゲド、
    まったく魔法の使えなくなってしまった
    大賢人とは遠く隔たってしまった
    一人の初老の男
    それであるにも かかわらず
    そのなにもできなくなってしまった
    ゲドは
    なんと 魅力的な人物として
    読み取れてしまうのでしょう
    むろん テナーの存在も
    むろん テルーの存在も
    大きくかかわっている

    私たちは
    人はなぜ生きているのか
    人とはなんのために存在しているのか
    そんな ことまでも
    考えさせてもらえる
    第四巻「帰還」でした

  • 死と再生。
    論理から、生活へ。
    男と女。
    「女は屈辱なんて慣れっこになっている」という言葉が印象的。確かに、そう思う。慣れてしまわなくては生きていけない現実が、確かにある。

  • 魔法の力を失ったゲドは生まれ故郷のゴントへカレシンの背に乗って戻ってきた。

    そのゴントにいたオジオンはゲドの帰りを待つことなく死んでしまう。
    オジオンの死をみとったテナーは両親に火で焼かれ片目は見えず、顔の半分はやけどに覆われてしまったテルーとともに、オジオンの家で暮らすようになる。
    物語は主にテナー目線で進められていく。

    ようやくテルーが登場。こんな暗い過去を持った子だったとは。
    魔法の力が無くなったというのはゲドにとって大きな事で、なかなか受け入れられないことだったのだろうなぁ~

    今回の物語は女と男とはどのようなものなのか、それぞれの力とはということについて多く語られていたように思います。

    そして男が男になるには女が必要だし、女が女になるためにも男が必要なのだなぁと思いました。

  • 前作が1972年発行。本作は1990年。だいぶ経ってからの4作目。
    3巻目のラストでのゲドの姿と、本作でのゲドの姿にあまりにギャップがあって、途中でゲドが「大賢人」として再起するのだろうと期待を込めて読み進めたが一向にそんな気配はなく。
    どこかで『ゲド戦記』は3巻まででとりあえず完結というのを聞いたが、なるほどそういうことかと納得。
    1巻から3巻は児童室にあってもいいけど、4巻以降は一般書だなぁ。

    ゲドとともにアチュアンを脱出してオジオンの元で暮らしていたアチュアンの大巫女テヌーが、夫に先立たれた農園の女主人ゴハとして暮らしている。彼女を中心にした物語。

    なんというか1990年に発行されているからなのか。過酷な虐待を受けて傷ついた子どもや、男たちに虐げられる女たち(特に年老いた女)が描かれる。ゲドですら(?)魔法は男のものだと言ったりしていてイラつく。
    このあたり著者が物申したくて書いたのかもしれないなと思う。

    邦題は『帰還』だか、原題は『TEHANU』。

  • 力を失った後の老後というか帰郷後の話ということにまず驚いた 印象強く残ってる

  • 詩的な表現がたくさん出てきているような感覚になり、私の乏しい想像力では⁇となる事もしばしばであった。

    まぁ、なんとなく読みは得意なので問題ないのだが。

    テヌーはなんかあるんだろうなぁ、と思ってはいたけれどそこの位置なのか、と若干無理矢理納得。

    最終巻どうまとまるんだろう

  • 前巻まで読んで、このあと続きがあるのだろうかと思っていたが、予想に違わず、この巻については冗長な印象でプロットのおもしろさを感じることができなかった。続巻に期待したい。

  • ゲド戦記第四部。中年の後家となったテナーを中心に、これまでの主要人物のその後が語られる。ファンタジーとして完璧なラストをみせた前作から一転、犯罪ミステリーやサスペンスホラーといった言葉が浮かぶ生々しい内容。もはや児童書としてはふさわしくないといえるほどの、むしろ中高年の女性に読んでもらいたいような本格小説だと思う。「男と女」「育児」「家庭」「生活」「老後」など身近に感じるテーマを描きつつも、ファンタジーとしての魅力も失ってはおらず、これまでの物語に決着をつけている。終盤の二転三転する激しい展開にはハラハラし、結末には、真の家族とは血筋ではない、そう強く感じさせられた。大人の女性にオススメしたい本だが、すべての魔力を失ってカスッカスになったオジサンのゲドにことのほか魅力があり、何か救われた気持ちになったので中年以降の男性諸氏にも強く推したい(笑)。

  • タイトル*ゲド戦記4帰還
    著者*アーシュラ・K.ル・グウィン
    出版社*岩波書店

  • 読みづらく違う本に浮気しながらやっと読み終わる。ゲドはテナーに会いたいと思っていたのに、ウツになってしまっていたのかうれしいという感情がない。
    呪い師の言葉も意味がよく分からずこの巻はあまり好きではないかな。

  • こんな話だったのか。私一度読んでるはずなのに。
    以前の私は何を読んでたんだろう。
    今の私とは全然別の場所を読んでいたようだ。
    ずっと好きだった人の話、か。

  • とある1ファンが続編作ってみました、的なものと思う事にしました(笑)ジェンダー的な方向転換より、哲学的な掘り下げで進めて欲しかった。""

  • 2018年12冊目。

    4巻の大きなテーマは「力」だと思った。
    若い頃から力を持っていたゲドのこれまでの葛藤は、世界の均衡を崩さないための「正しい力の使い方」や、虚栄心からの「誤った力の使い方」に対するものだった。
    黄泉の国で力を使い果たしたゲドがこの巻で体験するのは、「失ってしまった力」という悩み。
    力を失ってしまったゲド。力から逃げるテナー。力を恐れられるテルー。
    そんな三者の共同生活の中で語られる力の本質。
    映画版でかなり謎だったテルーと竜の関係も、その裏の設定がこの巻でだいぶわかる。

  • 『それで、わたし、考えたの。人が力を持つためにはまずその力をとりこむだけの余地がなければならないって。』

  • オジオンが死んでハイタカが魔力をなくして、
    とてもさみしい巻だけど、
    ひきかえにハイタカが人間になっていくようでうれしくもあった。
    テルーの成長、ゲドとテナーの関係、
    ゆっくりだけど確実に強くなっていく絆に感服せずにはいられない。
    「帰還」は、ただゲドが帰ってきただけでなく、
    みんながそれぞれ帰るところをみつけていく物語なんだね。

  • ゲド戦記の世界においての「女性」というものが描かれている作品。
    主人公は2巻でアチュアンの墓所の巫女だったテナー。
    只の「女」として生きる道を選んできたテナーと、一人の「男」という魔法も何もない人間に戻ってしまったゲドが再会する。
    虐待され、火傷を負った少女、テルーも登場する。
    女とは、男とは。家族とは。

    翻訳が硬くて分かりにくいところもあるけど
    読み進められる本でした。

  • この物語の原語版が世に出たのが1990年、続いて日本語版が出たのが1993年なのだそうです。  いわゆる「ジェンダー」という言葉が「性の自己意識・自己認知(性同一性)」の問題を扱う世界で使われ始めたのが1950年代から1960年代にかけて、その同じ言葉が社会科学の分野で使われ始めるようになった(社会・文化的に形成された性;要するに性的役割というような分野で使われるようになった)のが70年代でした。  そしてその70年代に始まった定義が80年代に入るとフェミニストの間では「ジェンダー」という言葉の当然の定義となされるようになりました。  そういう意味ではこの物語が書かれた背景には確実にアメリカ社会における「女性の社会的自立・社会進出」の影響があったことは想像に難くありません。

    だから・・・・・なのか、そこかしこに「ジェンダー論」的な表現が顔を出します。  だいたいにおいて、「ゲド戦記」と銘打っている割にはこの第4巻、メインの登場人物は第2巻の「壊れた腕環」でゲドに助け出された元大巫女のテナーと彼女がひょんなことから引き取ることになった大火傷を負った少女テルー、更には彼女たちの生活を何かと助けるコケばばとよばれるまじない女っていう感じで、色々な世代の女性のオン・パレードです。  



    KiKi も自身が「男尊女卑がまだまだ当たり前だった時代」に社会に出て、社会人時代の最後の時期には一応役員と呼ばれるポジションまでいった♀なので、恐らくもっと若い時期、それも会社にいても会議には出席させてもらえず(会議の最中に呼ばれることがあれば、それは吸い殻で一杯になった灰皿のお掃除か、会議で使われた資料の追加コピーか、お茶のお代わりか)、「うちの課の女の子」と呼ばれていた時期にこの本を読んでいたら、コケばぁやテナーの気持ちにもっと寄り添うことができたように感じます。

    でも、今の KiKi にはちょっとそのあたりはウザったい・・・・・ ^^;  自分は一体何者なのか?  自分の人生とは?  人間とは??  というような大きな命題までは共感できるんだけど、そこからさらにジェンダーの領域までに踏み込んでいる 「女として生まれた自分の存在価値は?」 とか 「女の人生とは?」 という記述の部分になると、何気に古臭さとか偏狭さみたいなものを感じちゃいます。  まあ、逆に言えばそれだけ「時代の方が変わった」証なのかもしれません。

    今の KiKi がこの物語を読むとテナーの抱える悩みよりもゲドの抱える空虚さの方により共感できちゃう自分がいます。  社会の中でそれなりの「力」を持ち、それなりの「仕事」を成し遂げた人間は、それができていた世界から足を洗った瞬間に、「まるで子供のように、どっちへ向かえばいいのか、何をすればいいのかわからない」というのはよくあることだと思うんですよね。 

    魔法の力を使い果たしたゲドは、まるで高度経済成長期の「燃え尽きサラリーマン」が定年退職を迎え、「濡れ落ち葉状態」な~んていう不名誉極まりない形容詞付きで表現されていたのとどこか似通っています(苦笑)  とは言え、一介の「燃え尽きサラリーマン」と一度は「大賢人」とまで呼ばれた男はやっぱり違うわけで、痛ましいほどにヨレヨレ & 茫然自失状態のゲドであっても、ちゃんと自力で「自分を見つめ直す」根性と覚悟ができちゃうところが秀逸だと感じました。  特にゲドが魔法の力を失うに至ったのは「自分で選んだ道」でありながらも、どこか時代に、世の要請に流されてクモと対決せざるを得なくなったという要素があるだけに、事前の覚悟・心の準備みたいなものはお世辞にも確立していたとは言えないわけだから・・・・・。
      
    KiKi もある意味では何年か前に生き方の大転換を図りました。  組織の中で持っていたそれなりの「力」も経済力という「力」もその時に捨て去りました。  その決心をする大きな要因だったのは、ばぁばの認知症罹患という事態(要するに外側からの要請)だったけれど、幸い KiKi の場合は、若い頃から常に「10年先、自分は何をしていたい?」というのを考え続け「そうなるためには今何をすべき?」を考え実践するトレーニングをしてきたので、今現在の生活はそこで描いた自分なりに描いた Vision に沿っているから大きな迷いとか喪失感みたいなものとは無縁の生活ができています。  

    でも最近になって、その「要介護4の認知症罹患患者(うちのばぁば)の介護」を経験してみて初めて、「自分が何者か、何をしたかった人間なのか、自分の身近な人間が誰なのか、今自分はどこにいるのか がわからなくなってしまう可能性」に否応なく気がつかされ、万が一自分がそうなった場合の恐怖をかなり現実的なものとしてイメージするようになってきています。

    この物語で帰還したゲドは、「世間がかつての自分を求めにやってくる」ことに恐怖を感じていました。  でも、彼は魔法の力こそ失くしたけれど、自分が「ゲド」であり、呼び名が「ハイタカ」であることはちゃんと覚えています。  でもうちのばぁばのように、時に自分の名前さえ忘れてしまうようになったら、何を自分の核として生きていけばいいのか・・・・・?  

    物語ではそんな老年期にさしかかったゲドとテナーが描かれるのと同時に、彼らの色々な意味での後継者となるテルー(テハヌー)と 「暗黒の地を生きて通過し、真昼の遠き岸辺に達した王者アレン(レバンネン)」も活躍し、世代交代が描かれています。  もちろんその「世代交代」という現実をちゃんと認識できれば人は「それなりの生き方」を考えることもできると思うんですよね。  でも、うちのばぁばのように自分の亭主も自分の娘もわからなくなってしまったら、世代交代もへったくりもないわけで、そうなったらどうやって、何を支えに生きていけばいいのか??

    そんなことを考えさせられる読書となりました。

  • 死の国で力を使い果たし弱くなった姿を、ゲド自身とテナーが受け容れ、新たな生き方を模索しつつ、次世代を育む物語。
    読んでいる側も、ゲドの姿を受け容れていくことが同時進行する。

    弱いゲドを見るのは悲しい…しかし、それでも人生は続いていくのだなあ。

    そして、そうきました!?な展開。

  • まだ読んでないけど、なんかアイコンでかい・・・気になる・・・

    読み終えました。
    そっちいったか・・・。
    しかし、テルーの事を思うとほんと胸が痛くなる。

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著者プロフィール

1941年、北朝鮮に生まれる。児童文学者・翻訳家。2010年3月まで青山学院女子短期大学専任教員。主な訳書に、アーシュラ・K・ル=グウィン『ゲド戦記』全6巻(岩波書店)など。最近の著書に、『あいまいさを引きうけて』『不器用な日々』『本の虫ではないのだけれど』(かもがわ出版)、『大人になるっておもしろい?』(岩波ジュニア新書)、『そして、ねずみ女房は星を見た』(テン・ブックス)、『青春の終わった日――ひとつの自伝』(洋泉社)など。

「2019年 『子どもの本のもつ力』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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