ゲド戦記別巻 ゲド戦記外伝 (ソフトカバー版)

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  • Amazon.co.jp ・本 (542ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000280761

作品紹介・あらすじ

アースシーを鮮やかに照らしだす五つの物語「カワウソ」「ダークローズとダイヤモンド」「地の骨」「湿原で」「トンボ」と、詳細な解説を収める番外編。ル=グウィンの構想した世界の全貌が見えてくる一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 文章を読むのが辛くなって違う作家の本に移りやっと読む気になり全巻制覇。
    短編になっているがローク設立やゲドの話や謎の少女の話、全てが楽しくまた最初から読んでみたいとおもいながら読破。

    この巻は読むに耐えない例え話はなかったのでこんな感じで話が進んで欲しかった。

  • 当初は「ゲド戦記外伝」、後の版ではゲド戦記第五部「ドラゴンフライ――アースシーの五つの物語」として位置づけされた、<アースシー>をめぐる中短篇集。ローク学院設立時のエピソード、設定を別の世界観に変えても通用しそうな普遍的ラブストーリー、ゲドの師匠のそのまた師匠のお話、ゲドが大賢人であったころの活躍など。表題作<ドラゴンフライ>は唯一、物語が未来に進み、単純なフェミニズムというわけではない、女性の生き方に対する信頼と希望を感じさせる中篇。<湿原で>は、もっと人間そのものへ向けての敬意をうかがわせる、美しい物語が好ましい。巻末に歴史資料があり、これまで断片的に語られてきた過去数千年の物語をまとめて確認できる。本編の面白さには及ばないものの、<アースシー>の世界をじっくりと堪能するには充分な一冊。

  • タイトル*ゲド戦記 外伝
    著者*アーシュラ・K.ル・グウィン
    出版社*岩波書店

    アースシーを鮮やかに照らしだす五つの物語「カワウソ」「ダークローズとダイヤモンド」「地の骨」「湿原で」「トンボ」と、詳細な解説を収める番外編。ル=グウィンの構想した世界の全貌が見えてくる一冊。

    (あらすじより)

  • ゲド戦記をIからVまで読んで、良質なデザートのようにこの1冊を楽しみながら読みました。周辺世界の出来事を詳細にイメージすることで、ゲド戦記をいきいきと語ることができる、さながら史家のように記すことができるのですね。
    巻末の「アースシー解説」は含蓄あります。このイマジネーションが、romanの根源です。
    Le Guinに敬意を表して。

  • ファンタジーとフェミニズム。男性には微妙な組み合わせと思うが、私は女性なので、平気。
    女性はより感覚的で水平的、男性は理論と権力みたいな古臭さはあるものの、基本的には人間として生きる時に、何を重視するかがテーマだと思う。
    古来からの知恵には本当の価値があるなんて、都会人のノスタルジーだとも思うが、この価値観のぶれなさは魅力的。

  • KiKi が「ゲド戦記」を購入した頃、このシリーズは岩波少年文庫のラインナップには含まれていませんでした。  で、仕方なく今手元にある「ソフトカバー版」を Box Set で揃えたわけですが、その後だいぶ経ってから発刊された岩波少年文庫版とこのソフトカバー版の一番大きな違いは、こちらのソフトカバー版では外伝扱い(事実、外伝ではあるんだけど)で第5巻が「アースシーの風」となっているのに対し、岩波少年文庫版では第5巻がこの「ドラゴンフライ アースシーの五つの物語」と位置付けられ、「アースシーの風」は第6巻扱いになっていることでした。

    で、調べてみると実際のところル=グウィン女史が書いたのも岩波少年文庫に収録されている順番だし、Wikipedia を見ると

    「ドラゴンフライ」は「アースシーの風」と深いかかわりがあり、先に書かれたこちらを読むと理解が早い。


    とあったので、KiKi もそのオススメに従ってまずはこちらを読んでみました。

    この本に収録されている作品は以下の通り(Wikipedia より転載)です。


    「カワウソ」
    ロークの学院開設の功労者にして、初代守りの長、メドラ(カワウソ/アジサシ)の一生を通じて、学院の黎明期を描く。

    「ダークローズとダイヤモンド」
    エシーリ(ダイヤモンド)とローズの恋物語(ローズの方は真の名が明かされない)。

    「地の骨」
    アイハル(ダンマリ、のちにオジオン)がヘレス(ダルス)に師事した時と、二人が協力してゴントの大地震を鎮めた時の顛末。

    「湿原で」
    ロークから逃げ出した魔法使いイリオス(オタク)と、彼を匿った未亡人エマー(メグミ)、そしてイリオスを追ってきた大賢人ゲドの物語。

    「トンボ」
    「アースシーの風」の重要人物オーム・アイリアン(ドラゴンフライ)の幼年期と青春時代、ロークへの旅と呼び出しの長達との対立、竜への覚醒までを描く。

    アースシー解説
    アースシーの世界観について、文化や歴史、伝説などの、作者による解説。



    それぞれに大筋としてはなかなか読みごたえのある物語だったとは思うのですが、正直なところ KiKi にはあまり気に入りませんでした。  今日はその「気に入らない」ことに関して Review を書きたいと思います。
      
    この「ゲド戦記」のシリーズ。  第3巻までの物語は「魔法使い」な~んていうファンタジーにはお約束の人々が活躍し、同時にその人たちが「賢人」と呼ぶに相応しい知性・謙虚さを持ち、人の欲望に端を発している「ご都合主義的な魔法の使い方」を拒否し、世界の均衡を保つことを大切にしているお話だったと思うんですよね。  そんな中で「生と死」とか「本当の自由」というような命題について、現代社会に生きる我々に与える1つの視座を提示する奥深い物語だったように思うんです。  そして「生死」を扱うことや世界の均衡を扱うことにより、その精神性と極めて近いところにある「信仰」、特に「アニミズム的な宗教」というものにも触れ、それとのギリギリの共存のあり方を描いた物語にもなっていたというのが KiKi の印象でした。

    でも第4巻の「帰還」あたりから、そういう大きなテーマを扱っているようでいながらも、どこか「フェミニズム色」が強くなってきて、「その色が強くなってきた」とか「舞台背景として漂っている」程度だったらまだいいんですけど、ことこの外伝に至って、

    世界の均衡を歌うアース・シーにおいてもっとも均衡を崩していたのは男性中心主義の魔法使いたちだった。


    というようなお話にすり替わってしまったような印象があります。  何て言うか、3巻までの世界観を強引に歪めて自分の社会的主張を声高に叫んでいるような不自然さを感じずにはいられなかった・・・・・そんな感じでしょうか?  

    一つ一つの物語の細かい筋立てをちょっと無視して、もう一度ここに収録されている作品を俯瞰してみると、第1作の「カワウソ」では、ローク学院創立の歴史の第一頁として一対の男女の愛が描かれます。  でも、少しずつ少しずつ女性が存在しづらい場所にロークが変化していきます。  その後、「ダイヤモンドとダークローズ」では恵まれた魔法使いの才を持って生まれながらも、女性との接触を禁じられる魔法使いの世界に背を向けて幼馴染との愛と音楽に生きたダイヤモンドの生涯が描かれます。

    その次には「湿原で」で女性絡みではないもののロークから逃げ出さざるを得なくなった魔法使いが身を寄せる場所として「伝統的な価値観に縛られた善良な女性 ≒ 未亡人エマー(メグミ)」が描かれます。  しかも物語の中では「社会的には軽視され侮蔑されているけれど実は才能豊かな女呪い師」がチラチラと登場するのに対し、出てくる普通の男どもは誰も彼もがどこかに粗野さ・下卑さみたいなものを漂わせています。

    そして極め付けが「トンボ」でここに至って、何等かの力を持って生まれたアイリアン(トンボ)♀を、女人禁制のロークに送り込むことを画策した男、ソウゲは学院に女性を連れ込んだ前科持ち。  自分が何者かを探しているトンボは男装して学院に入り込もうとするも、それを一瞬で見破られ、それでも「守りの長」は受け入れてくれた・・・・・。  ところが反対運動が起きて、学院の長や院生を二分する「社会問題」になって、どうたらこうたら・・・・・・。  ここまでくると、「え?  これ、いったい何のお話ですか??」てな気分にさせられます。

    このゲド戦記。  メインの登場人物は有色人種だし、白人はどちらかというと乱暴で侵略が生業みたいなカルカド人の設定だし、そういう意味でル=グウィンさんは「マイノリティ」とか「社会的弱者」に共感を覚えるタイプの人なんだろうなぁ・・・・とは、最初から感じていました。  まして彼女のお父さんアルフレッド・L・クローバーは世界的な文化人類学者で、お母さんは彼の研究をベースにあの「イシ 2つの世界に生きたインディアンの物語」を描いた作家です。  白人優位主義とかアメリカお得意の「力が全て」みたいな姿勢にはどこか懐疑的なものを持たずにはいられない人であることは理解できるような気がします。

    でもねぇ・・・・・そこから発展していった行き先がフェミニズムですか??  しかも、どことなくその主張が表層的に感じられちゃうのは KiKi の気のせいでしょうか??  もっと言えば、これってこのシリーズの中で語ることなんでしょうか??  そういう意味では??ばかりが大きく残る読書だったというのが正直な感想でした。

  • 外伝を読んでから、アースシーの風を読めはよかったかな…

  • フェミニズムが色濃くで過ぎていて、三巻までの抑制された感じがないと。
    男だからかな…。

  • 5巻を中断し、こちらを読む。
    完成された児童文学にフェミニズム成分ぶち込みという4巻読了後には暴挙としかとれなかった内容が、
    こちらではかなり成功している気がしました。
    女性のオタクに対しての忌避感、マッチョイズムへの抵抗感みたいなものが、何となしに腑に落ちました。
    「飯を喰った後皿を洗う男、洗わない男」に過敏な描写が4巻とこれとに出てきていた気がしますが、
    大変いわんとすることは良く判るのですが、そういうスマートな安定は花屋の男、カッフェ〜の男の様な、記号的な欺瞞を感じざるを得ず、
    全く男女間の溝は深く、ごもっともであることと、そうありたいと願うだろうか俺はという事との、
    どうにも交わりそうにない遠さを、ポカンとして、考えてしまいました。

  • やっぱり私はゲドが好きで、
    ゲドがでてくる話にはどきどきわくわく!
    かっこいなぁ
    だからゲドがあんまり出てこない四巻と六巻よりもはじめの方が好き。

    で、この五巻も、
    ゲドでてくる話以外は、
    ふーん、というかんじで読みました。

    まぼろしの森に私も行ってみたいなぁ。
    アイリアンが行った家も、
    カワウソのことを思うとなんだか泣けてきます。

  •  いつもは、岩波少年文庫のシリーズを借りて読んでいたのだが、これだけは貸し出し中だったので別シリーズの本で読んだ。訳者あとがきがなかったのが残念。

     ゲド戦記にまつわる5つの短編が時代を追って描かれている。
    最初、「影とのたたかい」が詠みづらかったように、太古の話は読み進めるのに時間がかかり、そしてゲドの生きる時代に近づくにつれてだんだんと読んでいくスピードも上がっていった。

     作家という職業は、ペンと紙があれば、小さなヒントを基に様々な偉大な物語を語り出していくのだな、と感じた。
     そして日本でも、その他の国・地方でもそうであったように、物語は歌い手(琵琶法師や吟遊詩人)によって広がり、大衆の人々に知られていくのだな。とまた思わずにはいられない作品である。

  • ゲド戦記、別巻。

  • 今までファンタジーがこんなにおもしろいとは思わなかった。
    所詮つくりものだって思ってた。
    でももう一つの世界があって、それを自分でも想像できる。

    それから男であること、女であることってどういうことだろう?
    この2つが一つになることで何が起こるのだろう?
    この物語の裏には何が隠れているんだろう?

    そういうことを考えて、自分なりに答えを探したいと思わせてくれた一冊。
    これはたぶんずっと愛読するだろうと思う。

  • p98
    「どの魔法も別の魔法とかかわりあっているんだよ。」
    「たった一枚の葉っぱが動いても、このアースシーのすべての島のすべての木のすべての葉っぱが動くんだ。なんにでも様式があってな、それをこそおまえさんはよく注意して見つけださなきゃならん。様式にのっとらなければ、物事は正しい方向に進まない。自由はそこにしかないんだからね。」

    p103
    悪賢い連中は天候を武器として使っていた。彼らは雹を降らせては敵方の収穫を台なしにしたり、大風をおこしては船を沈めたりした。そしてそういう連中のおこす気まぐれな激しい嵐は連中がねらった場所をはるかに越えて、百マイルも離れた農場の百姓や海をいく船乗りたちまでも泣かせていたのである。

    p130
    「でも、もし、ロークが今、昔のようだったら、強いことが人びとに知れて、わたしたちを恐れる人びとがまた襲撃してくるかもしれませんよ。」ヴェイルが言った。(中略)「あえて申せば、わたしたちの問題は男たちにあるのです。」「男たちのほうが、女こどもより他者にとっての重みがずっと大きいのです。ここに五十人の魔女がいたとしても、連中はほとんど注意をはらいません。でも、力ある男が五人いるとわかってごらんなさい。連中はまたわたしたちに攻撃をしかけてきます。」

    p348
    その子のなかには、自分にない力や自分の知らないことはなんでも脅威や挑戦とみなし、相手をやっつけるまで戦わずにいられない競争心があったからです。(中略)この少年は大人になるにつれて、ますます強い競争心を抱くようになりました。他人よりすぐれていたい。いつも一番でいたい。(中略)目的が目的以下の、目的に達する手段になってしまうのです。(中略)どんなことであれ、誰かが自分より少しでもいいところを見せると、もう我慢できなくなりました。不安になり、いら立ってくるのです。

    p354
    「わたしはほかの人たちのことがわかっていませんでした。ほかの人たちが他者だということが。わたしたちはみんな他者なのに、そうでなくてはならないのに。」

    p368
    「わたしの名まえはわたし自身。たしかにそうだ。だけど、じゃあ、名まえってなんだろう?それは他人が自分を呼ぶものだろう?もし、他人がいなくて、自分だけだったら、なんで名まえがいるね?」「そうか、だから名まえは他人に授けてもらわなきゃいけないんだ。」

    p413
    自分が長たちに恥をかかせられたから、こんどはむこうの鼻をあかしてやろうなんて、なんて馬鹿なことを自分は考えたんだろう。この娘を罠にかけようとして、その罠に自分がはまってしまった。ゾウゲは今、自分がこれまでいつも自分の嘘を信じこんではみずから念入りに編み上げた網に自分がひっかかってきたことを、苦々しくも認めないわけにはいかなかった。

    p441
    「外より内がずっと大きい」

    p446
    「光は闇の中にこそ。」(中略)「わたしたちは誰もみんな、いるだけで他人に災いをおよぼしているよ。」

    p464
    「あんまり長い間変わらないでいると、なんであれ、自壊するものです。森が永遠の命を保っているのは、死ぬからです。森は死んで、死んで、生きるのです。」

  •  ゲド戦記の外伝
     *カワウソ
     *ダークローズとダイヤモンド
     *地の骨
     *湿原で
     *トンボ
     の5編と、アースシー解説がのってます。

     実は、ゲド戦記で一番いいなぁと思ったのがこれ。
     きっと、アースシーの世界やゲドの生涯に共感を覚えるには、本編は短すぎるんだと思う。たとえば「デューン砂の惑星」って4巻だけど、時間でいうと10数年のことだ。が、新しい惑星の生態系から、政治構造、とか、とにかく丸ごと全部ってなるとそれぐらいの分量が必要なんじゃないかと。
     本編の竹を割ったような潔さ、それはそれでよかったんだけど、もっとシンクロしたいという読み手の欲求は不完全燃焼。
     なので、外伝読めてよかったよ。

     それにしても、ゲド戦記では、女性は家や男に縛り付けられている。ロークの学院にも「女だから」という理由で拒絶されている。
     やはり、こういうのが理不尽だと感じて欲しいから、あえてル=グゥインは書いたのだろうか?
     とにかく、不思議。
     つか、縛り付けられててもたくましい、ってところでジブリに目をつけられた気がしてならないところが、いや。
     ジブリの描くおばちゃんキャラ(ラピュタのドーラとか)好きだけど、あざといとも感じます。

  • (2006.11.24読了)(2006.08.03購入)
    ゲド戦記Ⅰ~Ⅳを読んで一休みしてしまいました。残るは、Ⅴと別巻です。
    書かれた順番からして別巻のほうが先のほうがいいということですので、Ⅴの前に別巻を読みました。
    この本には、ゲド戦記に関連して書かれた5つの話が収められています。
    ●概要(3頁)
    「カワウソ」は「ゲド戦記」の始まる300年ほど前の、いまだ混乱状態にあった暗黒時代の物語で、アーキペラゴのいくつかの慣習や制度がどのようにして成り立ったかに光があてられている。
    「地の骨」は最初にゲドを教えた魔法使いを教えた魔法使いの物語で、これを読むと地震を止めるのは大魔法使いといえども一人では無理だとわかる。
    「ダークローズとダイヤモンド」は、アースシーのここ200年なら、いつでも起こりえた話である。ラブ・ストーリーである。
    「湿原で」は、ゲドがアースシーの大賢人だった6年間のエピソードの一つを物語ったものである。
    「トンボ」は、第4巻の数年後の話で、第5巻との橋渡しをするもの。竜の橋である。
    物語のほかに「アースシー解説」がついており人と言語、歴史が記述されています。作者が物語を書くに当たって、頭の整理のために用意したものです。

    ●「カワウソ」
    これは、ロークの学院がどのように生まれたかを語るものである。
    カワウソはハブナー港の造船所で働く船大工の息子だった。カワウソは生まれつき魔法を操る力があった。12歳になった頃、カワウソを取り上げた産婆がやってきて、仕事が済んだらわたしのところによこしてくれんかねと言った。産婆は、知っていることをすべて彼に教えた。姿かえと呼ばれる老人は、カワウソに目くらましの魔法と姿かえの術を教えた。
    カワウソは自分の作った船に魔法をかけて戦争に使えないようにしたがイヌに見破られ、捕まってしまった。カワウソには地下の水脈や鉱脈のありかを探れる能力があった。
    カワウソは、鉱脈探しの能力で、命は助けてもらった。・・・。
    魔法は、権力者に利用されるだけのものだったが、学校を作り、権力に支配されない魔法使いを育てることになる。
    ●「ダークローズとダイヤモンド」
    ダイヤモンドは、ハブナーの製材所の息子として生まれた。彼はいい声をしていて、耳もよく、音楽が大好きだった。彼には魔法の力もあった。魔女の娘ローズに魔術を教えてもらいながら遊んでいた。16歳になった彼は、魔法使いの弟子になることにした。
    彼は、音楽とローズを忘れることができず魔法使いの弟子を辞めてしまう。
    二人は、旅の楽師として生きることにする。魔法使いにはならず恋に生きた人もいたと言うことです。
    ●「トンボ」
    女魔法使いの話です。ロークの学校には、男性しか入れない。ゾウゲに勧められて、ロークの学校に入ろうとする。ゾウゲは男の格好で、男と偽って入れと言う。
    ロークの学校の入り口で、守りの長は、名前を聞いて入ることを許してくれた。「お入り、娘。」と言って。
    ロークの学校では、娘の入学について意見の一致は見られず、森で暮らしながら、自分は何者なのかを探る。そして、自分を見つける。○○○だった。

    著者 アーシュラ・K.ル=グウィン
    1929年 カリフォルニア州バークレー生まれ
    アメリカの作家

    ☆関連図書(既読)
    「闇の左手」U.K.ル・グィン著・小尾芙佐訳、ハヤカワ文庫、1978.09.30
    「影との戦い ゲド戦記」ル・グウィン著、岩波・同時代ライブラリー、1992.03.16
    「空飛び猫」ル=グウィン著・村上春樹訳、講談社文庫、1996.04.15
    「帰ってきた空飛び猫」ル=グウィン著・村上春樹訳、講談社文庫、1996.11.15
    「素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち」ル=グウィン著・村上春樹訳、講談社文庫、2000.08.15
    「空を駆けるジェーン」ル=グウィン著・村上春樹訳、講談社文庫、2005.03.15
    「影との戦い ゲド戦記Ⅰ」ル=グウィン著・清水真砂子訳、岩波書店、2006.04.06
    「こわれた腕環 ゲド戦記Ⅱ」ル=グウィン著・清水真砂子訳、岩波書店、2006.04.06
    「さいはての島へ ゲド戦記Ⅲ」ル=グウィン著・清水真砂子訳、岩波書店、2006.04.06
    「帰還 ゲド戦記Ⅳ」ル=グウィン著・清水真砂子訳、岩波書店、2006.05.10

    (「BOOK」データベースより)amazon
    アースシーを鮮やかに照らしだす五つの物語「カワウソ」「ダークローズとダイヤモンド」「地の骨」「湿原で」「トンボ」と、詳細な解説を収める番外編。ル=グウィンの構想した世界の全貌が見えてくる一冊。

  • タイトルでは「外伝」となっているけど、原著は第5巻(アースシーの風)よりも先に外伝が出版されたので、5巻の前に読んだ方が5巻を読んだときに分かりやすい。アースシーの歴史を作った、アーキペラゴに生きる/生きた人たちの物語と、アースシーの設定資料。

  • 保管

  • 短編集というほど軽くない、中身の濃い中編を集めた物。
    ゲド戦記の最後を飾るにふさわしい内容の本。とはいえ、読む順番としては5巻の前に読むべきだったらしい〜失敗した。

  • 長かったこの世界も、ようやく外伝までたどり着きました。
    徐々に脇役へと進んで行くゲドでしたが
    外伝も彼の話ではなかったです。

    憶えのある名前がちらちらと出てきたり
    初めてなのか、憶えていないだけなのか
    新しい名前も出てきたり。
    ひとつだけ、最後の方にゲドがでてきたりして
    時間軸がいつなのか分かったり…。

    最後の話は読んでいて途中であれ? となっていました。
    そのまま読み進めて、やっぱりw という結論に。
    飛べないのか、という台詞に、ちょっと納得しました。

    面白かったか、と言われると…どうなのでしょう?
    読めはしたのですが…ちょっと物足りなさ感が
    あったような気がします。

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著者プロフィール

アーシュラ・クローバー・ル=グウィン(Ursula K. Le Guin)
1929年10月21日-2018年1月22日
ル・グィン、ル=グインとも表記される。1929年、アメリカのカリフォルニア州バークレー生まれ。1958年頃から著作活動を始め、1962年短編「四月は巴里」で作家としてデビュー。1969年の長編『闇の左手』でヒューゴー賞とネビュラ賞を同時受賞。1974年『所有せざる人々』でもヒューゴー賞とネビュラ賞を同時受賞。通算で、ヒューゴー賞は5度、ネビュラ賞は6度受賞している。またローカス賞も19回受賞。ほか、ボストン・グローブ=ホーン・ブック賞、ニューベリー・オナー・ブック賞、全米図書賞児童文学部門、Lewis Carroll Shelf Awardフェニックス賞・オナー賞、世界幻想文学大賞なども受賞。
代表作『ゲド戦記』シリーズは、スタジオジブリによって日本で映画化された。
(2018年5月10日最終更新)

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