朱子 “はたらき”と“つとめ”の哲学 (書物誕生)

  • 岩波書店 (2009年1月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (200ページ) / ISBN・EAN: 9784000282871

みんなの感想まとめ

深い洞察と新しい視点を提供する本書は、朱子学の伝統的なイメージを覆す試みがなされています。著者は、朱熹の思想を再評価し、彼の生涯や時代背景を通じて、朱子学の核心に迫ります。特に、命と令、物と職の関係を...

感想・レビュー・書評

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  •  本書は第一部で朱子の人生とその生きた時代を外観し、第二部で著作を読み解くという標準的な入門書の体裁をとりつつ、第二部の解釈では第一部の内容を無視するという大変奇異な内容の入門書となっている。というのも、本書で実践されているものは「朱子学」そのものだからだ。皮肉にも、プロローグにおいて「『朱子』の語と尊崇されてきた言語テキストを『朱子学』の観点から読むのではなく、一人の人間として時代と歴史の中に生死した『朱熹』の側から捉え直す」と宣言されているにもかかわらず、である。著者は根本的に誤解しているようだが、朱子学とは朱子の思想に沿って儒学を実施するという「方法」の問題であって、「朱子学」として固定化された解釈の「内容」の問題ではない。いかに朱子の思想を歴史に沿って再構築したとても、儒学を行うかぎりそれは「朱子学」であることに変わりない。朱熹のテキストが「古典」になりうるとしても、「朱子学」が現代において価値を持ちうることは決してありえない。著者の試みは最初から達成し得ないのである。以下、本書が「朱子学」であることを示す。

     『中庸』における朱子の「命猶お令のごときなり。性即理なり」という注釈について、著者は、「朱熹は董仲舒の『命なるものは天の令なり』の持つ重大な意義を程頤の『性は即ち理なり』によって完璧に受け止め、成就したのである」(102ページ)とする。ここで著者は「令」を『呂氏春秋』によって「いつ、誰にということがパーソナルには設定されていない「きまり」、あるいはそのような「きまり」を公開するという形でのオープンな指示」(106ページ)の意味ととる。さらに、これを「令」(りょう)に比定して北宋時代の「天聖令」を引き「令」は職務条項であるとした上で、「性」に結びつけようとする。一見したところ自然な議論であるが、董仲舒は前漢の人物、『呂氏春秋』は戦国時代の成立、「天聖令」は北宋時代の成立とはいえ現存していない唐の時代の「令」の内容を受け継ぐものであり、これらは全く異なる時代のものであるにもかかわらず、なんの留保もなく同列に論じられる。一方で、第一部における議論では、朱子の上の解釈はその時代感覚によるものだとしているのである(64ページ等)。これはいかにも不自然である。この違和感の理由は『朱子語類』のが次の通り引用されることで明白となる(111ページ)。「『心』というのは、おおづかみには官人のようなものだ。『天命』というのは、だから君主の命だ。『性』は職事と同じ」。なんのことはない。これは上の「解釈」と全く同じである。つまり、朱子の発言を裏付ける「根拠」とするために、同じ趣旨の発言を過去の膨大な漢籍の中から探してきたにすぎないのである。「儒学」というのは、自分の言いたいことをそれ以前のテキストの中に捏造することによって翻って根拠とすることに他ならない。しかし、朱子学に至って、この「解釈」は捏造であることに幾分自覚的となった。自由に「読む」ことも容認するようになったのである。しかし、ここでは朱子の「解釈」を裏付ける根拠を文献から見出したとしているのであるから、新たな朱子の解釈であるどころか、朱子が克服の対象とした「儒学」に立ち戻ってしまっている。

    「格物」の「物」を「事物の理」と読むのは朱子の完全に創作であるが、これをさらに著者は天理(=「職務条項」)の息づいている「いのち」、その「いのち」の「行為」、「行為」を行う「生き物」と独自に解釈し、その根拠を『礼記』に対する後漢の鄭玄や唐の孔穎達の注釈、後漢の『説文解字』、『論語』に求める。「事」と「職」については、第一部においても『荀子』を引用して結びつけている。一方で、上述の「令」の解釈と同様に、「理」と「職」が結びつけて理解されるのは、「『債務』と『職務』に通有する『つとめ』の感覚が国家公務員の中に育ち、さらに広く『つとめ』の感覚が支える信用秩序創出の可能性が育ちつつある時代」(64ページ)に朱子が生きたためであるとする。これも朱子がその時代に即した読み方を新たに提示したとしながら、そうした読み方がすでにその前の時代に存在したことを指摘しており、明らかに矛盾している。つまりは「解釈」を古典に勝手に読み込むという朱子が避けたことを、この著者はあえて朱子になり変わってこの現代にわざわざ行っているのである。

     何故こんなことが起こりうるのかを考えるに、おそらく著者は、朱子には古典を字義通り読む意図など(少なくとも客観的には)これっぽっちもなかったということを忘れているのだ。つまり、朱子の思想を解釈するにあたって、その根拠としている古典を訓詁することは全く無意味であるにとどまらず、かえって朱子の意図を歪めることにもなる。古典を読むことを通じて世界を客観的に、また多面的にとらえ、その実相を叙述する読書という過程は、必要ではあるが根拠にはなりえない。同じ過程を経たからといって同じ結論になるわけでもない。あくまで根拠は別のところに求められなければならない。朱子は注釈という学問形態をとりながら、実践が必要であることを再三指摘している。著者は注釈を丹念に読み込む中でそのことをすっかり忘れてしまったのであろう。

  • 朱熹のテクストを読みなおすことを通じて、既存の朱子学のイメージをくつがえすような、朱熹の本当の思想を明らかにする試みがおこなわれています。

    本書は二部構成になっており、第一部では朱熹の生涯と彼の生きた時代についての解説にあてられています。とはいっても、概説的な時代状況の説明ではなく、社倉にかんする朱熹の政策提言に焦点をあてています。その背景に著者は、皇帝個人を中心とするパーソナルな人間集団として国家秩序を理解するか、それとも職務と権限というパブリックな機能をもつシステムとして理解するかという対立が当時の中国において存在していたことを指摘します。

    こうした議論は、朱熹のテクストを読み解く第二部における議論と密接につながっています。著者は、朱子学における「理」が、国家の実現するべき「事業」を秩序づけて官吏に分担する「職」のあり方と相同的な関係にあることを明らかにしています。こうしたテクストの解釈を通じて著者は、封建的な身分秩序を人びとに強制してきた悪しきイデオロギーであるとする朱子学のイメージを塗り替え、生き生きとしたものとして現代によみがえらせようとしています。

    著者のこれまでの研究成果にもとづいた内容で、朱熹の思想を朱熹そのひとのテクストにもとづいて解釈する著者の思索の現場に居合わせているような臨場感をおぼえました。

  • [ 内容 ]
    朱子学は封建的な大義名分論としてイメージされるが、「朱熹」その人は実は朱子学者ではない。
    本書は、南宋という時代を生きた朱熹という一人の人物の生涯をたどり、そこに交錯する歴史の現場に立ち会いつつその思考の核心を捉える、新たな「読み」の実践である。
    職・理・事・命・性などの重要語をめぐる朱熹の注解に肉薄するとき、彼が鋭敏な眼で現実を見据え、時代の課題に向き合い、生涯を賭けて彫琢した哲学的ヴィジョンが姿を現す。

    [ 目次 ]
    第1部 書物の旅路―朱熹、その生と思索の現場から(朱熹の生涯;朱熹の生きた時代;「職」と「理」)
    第2部 作品世界を読む―『四書集注』に見る哲学的ヴィジョン(「天命之謂性」の注解を読む―『中庸章句』より;「明明徳」の注解を読む―『大学章句』より(1)
    「格物」の注解を読む―『大学章句』より(2))

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 薄いが革命的な朱子学研究の書物だと思う。著者の説のポイントは「命」(パーソナルな任命)を「令」(パブリックな仕来り)と読み替え、「物」を「職」と読み替える点にある。どちらも『説文』や『呂氏春秋』や『春秋繁露』に出典のある訓詁であるが、これをもとに従来、明確でなかった「天命之言性」の「性」が「天から与えられた職務事項」と分析される。また、「物」が「職」と読み替えられることで、「格物」が「天から受け継いで我がものとした命の職務事項を果たすこと」という朱子学のテーマが読み解かれていく。前半の「たたかう民政官」としての朱子という見方も(著者が昔から主張しているがやはり)新鮮で、朱子等が実践した「社倉法」という村落共同体の穀物備蓄システムを中心に朱子の生きた時代を語っていくところも大変興味深い。また、自らのものでありながら、根本においては天から授かった私有されない生命という観点は、生命倫理の文脈からも貴重な指摘だと思う。さらに、訓読や読解の随所にみられる著者の言語感覚の鋭さも勉強になる。中国思想を学ぶ人は玩味すべき本であろうし、生命について考えたい人にも参考になる良書であろう。

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