- Amazon.co.jp ・本 (127ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000283212
作品紹介・あらすじ
哲学のフロントは、哲学が哲学ではないものと向かい合うその境界にある。哲学ではないものとは、科学でもあるだろうし、宗教でもあるだろう。しかし、哲学がもっとも鋭く対立するものは、一見すると哲学にみえる準‐哲学である。準‐哲学としてのアジア思想の側から、哲学とそのアクチュアリティを問い直す。
感想・レビュー・書評
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妙に文学的、自己陶酔的な、明晰さとはほど遠い文章。正直何を言っているのかわからない。肌に合わない。
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一 哲学はどのように生まれたのか
最も広い意味での哲学を考える。概念の創造だとした上で、それが果たして中国にはないのかドゥルーズと共に検討。ある、と応える。
胡適を読む。彼はなぜ哲学を哲学史にしてしまうのか。歴史の自覚によって閉じこもるのではなく、あくまで創造として哲学を捉えるべきだと主張する。
二 哲学と翻訳そして救済
ベンヤミンとボードレールを引いている。ちょっとむずかしくてよくわからなかった。事物の救済、
三 哲学と政治
西田幾多郎は非政治的なのではなく、否定政治学なのだと。それは西洋哲学と中国哲学の否定として日本の哲学を規定するところに由来しており、かえってこれほど政治的なものはない。この隠れた政治性が晩年に露呈する。
熊十力にも同じ構図が見出される。
四 哲学の未来
「哲学は概念を定義することによって、過去を救済し、事物を救済し、新たな社会的・政治的な共生の空間を発明する実践である」
哲学の使命とは? 被植民者に声を返すこと。
入植と侵略の問題。住まう者には歓待の義務があり、その不履行が罰せられる、ということが戦争である。
レヴィナスのメシア的な平和。レヴィナスの他者論も最終的には声を持つ成人男性の間や、近さや国家を特権化してしまうところがある。しかしなお、どうするか。
とにかく創造的。語られていないが語るべき、という地平の創出。
そして、声を返すことにせよ事物の救済にせよ、常に倫理との関係が切れることはない。 -
準哲学からの哲学入門。
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[ 内容 ]
哲学のフロントは、哲学が哲学ではないものと向かい合うその境界にある。
哲学ではないものとは、科学でもあるだろうし、宗教でもあるだろう。
しかし、哲学がもっとも鋭く対立するものは、一見すると哲学にみえる準‐哲学である。
準‐哲学としてのアジア思想の側から、哲学とそのアクチュアリティを問い直す。
[ 目次 ]
1 哲学はどのように生まれたのか(哲学の始まり;中国哲学の始まり)
2 哲学と翻訳そして救済―哲学を学ぶ意味とは何か(翻訳の哲学;翻訳という概念 ほか)
3 哲学と政治―哲学は社会の役に立つのか(近代東アジアの哲学経験―西田幾多郎と新儒家;西田幾多郎の晩年性 ほか)
4 哲学の未来―哲学は今後何を問うべきなのか(奪われた声;被植民者の沈黙に言葉を返す ほか)
5 哲学を実践するために何を読むべきか
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