生と死と愛と孤独の社会学 (定本 見田宗介著作集 第6巻)

著者 : 見田宗介
  • 岩波書店 (2011年11月9日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (183ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000284868

作品紹介

「見田社会学」と称される独自の世界を創造した著者が、自身の全仕事を振り返り、重要な作品だけを精選してその精髄を体系的に示す。統計資料などは最新データに更新、テクストに改訂を加えた上、「定本解題」を収録する、初にして待望の決定版著作集。

生と死と愛と孤独の社会学 (定本 見田宗介著作集 第6巻)の感想・レビュー・書評

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  • 『まなざしの地獄―尽きなく生きることの社会学』(河出書房新社、2008年)や『現代日本の心情と論理』(筑摩書房、1971年)、『社会学入門―人間と社会の未来』(岩波新書、2006年)などから、7編の論考を収録しています。

    「まなざしの地獄」は、永山則夫の精神についての考察です。事件の社会学的背景を論じるのではなく、高度成長を支えた労働者の実存的な疎外状況の内に分け入っているところに本論の特徴があります。とくに、永山の心象風景を表わした「精神の鯨」を食べてしまう寓話に「存在の飢え」と呼ぶべき実存の危機を見出し、それが彼の「憂鬱」から「怒り」への道筋を準備したという著者の議論は興味深く読みました。

    「新しい望郷の歌」は、高度成長期以降の日本が伝統的な「家郷」を失い、都市において「第二の家郷」を築こうとした日本人の心情の変化について論じられています。また「花と球根」では、ベストセラーとなった大島みち子と河野実の往復書簡『愛と死をみつめて』のブームが、「失われた家郷」に代わる「新しい望郷のうた」を求める人々によって作り出されたことが論じられています。

    こうした著者の戦後日本社会史の大まかな見取り図が提出されているのが、「夢の時代と虚構の時代」という論考です。高度成長前期を「理想の時代」、高度成長期を「夢の時代」、そして高度成長以後を「虚構の時代」という概念で切り分けて明瞭な議論が提示されています。大澤真幸の『虚構時代の果て』(ちくま学芸文庫、2009年)でも、現代の社会状況について考察するために踏まえるべき「前史」として、著者の社会史の枠組みが継承されており、その概要を簡潔に知ることができます。

  • ある貧困家庭で育ったひとりの少年(彼は後に殺人犯となる)を軸に1960、70年代の日本の社会情勢の在り方が描かれている。その時代の社会背景を知らずに読んだので、入り込んでいくことが難しく苦労した。貧困は人を社会的地位の渦の中で苦しませる。彼は田舎暮らしからの反動で上京を夢見ており、中学卒業と同時に上京する。周囲からは勤勉な若者と評判があったが、どこで暮らしていても本来の自分の家柄が纏わりついており、コンプレックスを抱えるとともに、他者の目を気にしながら生きている。彼は殺人事件を起こしてしまうが、殺人事件に至ってしまうまでの、彼を対象とした、日本の社会的背景が描かれている。人と深く関わらない、キャラを演じる、孤独を感じながら生きていくなど、私のテーマにも少し近い部分があり、参考になった。

  • まなざしの地獄 見田宗介

    要約
    N・Nとうひとりの青年の生活史記録を軸として展開される。
    N・Nは1965年3月青森県の中学を卒業した後、
    集団就職の一員として東京に上京している。
    N・Nは7人の兄妹とともに母親に育てられた。
    貧しさをバカにされ、中学校を半分も出席していない。
    3年生になって上京を夢見るようになる。
    上京への期待は、家郷嫌悪によるものだった。
    幼いころN・N一家の住んだ部屋はベニア板を隔てて、飲み屋の隣であった。
    N・Nはベニア板に穴をあけ、毎晩覗き見をしていた。
    一家の生活とはまるで異なる世界を発見し、空腹を抱えながらのぞぞきつづけた。
    東京はN・Nにとって、無限の可能性を秘めた別世界であった。
    後にN・Nは別世界との間に、階級という見えない壁が存在することを知るようになる。

    都市の資本のために、安価な労働力を供給し続けてきた日本の村々は国内植民地のようであった。
    N・Nを都市に向かって押し出した家郷の斥力があった。
    都市には多くの求人があり、1965年も1人の中卒者に対して4つの企業から誘いの手があった。
    一方に斥力、一方に旺盛な引力があった。
    だが、都市が要求し、歓迎したのは本当の青少年ではなく、新鮮な労働力であっった。
    素朴で仕事熱心でねばり強い地方出身の勤労青少年の像にあうようなふるまいを当然のこととして要求する暗黙の視線があった。


    N・Nの転職の理由は、じつささいなことであった。
    それはN・Nに限らず、現代の多くの転職少年が、雇い主や周囲の大人に残してゆく印象である。
    この理由のなさにこそ理由がある。
    ささいな理由で生活を変えてしまうということは、社会的存在感の稀薄を暗示する。
    N・Nをはじめ都市への流入者たちが、言葉その他で体験したおぼえのある、
    さまざまな否定的アイデンティティの体験、つまり自分が、まさにその価値基準に同化しようとしているその当の集団から、
    自己の存在のうちに刻印づけられている家郷を、否定的なものとして決定づけられる。
    家郷と都市から二重に閉め出され、二つの社会の裂け目に生きることを強いられる。

    人間の存在は、その現実にとりむすぶ社会的諸関係の総体に他ならず、
    その諸関係の解体は、確実にその人間の存在そのものの解体をもたらす。

    戸籍そのものは、無力な一片の物体にすぎないにも関わらず、
    一人の人間の生の全体を狂わせるほどの巨大な力を持たせるものは何か?
    それはこの過去性にひとつの意味を与えて、彼をあざける、彼にその都度就職の機会を閉ざし、彼の未来を限定する他者たちの実践である。
    人の現在と未来とを束縛するのは、この過去を本人の現在として、また本人の未来として、執拗にその本人にさしむける他者たちのまなざしであり、他者たちの実践である。
    戸籍がN・Nを絶望に追いやったのではなく、戸籍を持って差別をする社会の構造がN・Nを絶望に追いやったのだ。

    演技の陥穽
    自己をその表相性において規定してしまうまなざしのまえで、
    人はみずからすすんで演技することを通して、他者たちの視線を逆に操作しようと試みる。
    ところがこの演技こそまさしく、自由な意思そのものをとおして、
    都会のひとりの人間をその好みの型の人間に仕立て上げ、形成してしまうメカニズムである。

    怒りの陥穽
    N・Nの個々の反抗には、ほとんど理由らしい理由の存在しないものであった。
    しかしこの理由のなさにこそ理由は存在していた。怒りなどの否定的な感情は、
    人が今ある存在を実践的にのりこえ、変革してゆくときに不可欠の前提である。
    しかしこの怒りなどの感情は、それがあまりにも直接的でなまなましくわれわれをおそうとき、
    われわれの超越への意志を緊縛し、あらがいがたい強力をもって、われわれを内在性のうちに引き戻してしまう。
    情況に対していったん距離をおき、これを明晰に総体的に把握することを許さない。
    怒りはわれわれを、情況の単なる否定性、同位対立者としての境位に呪縛してしまう。
    ある人はある人よりも貧しく、ある人はある人よりもいっそうさげすまれている。
    だから貧困や屈辱の体験は、直接にはいつも、同胞と自己とをまさに差異づけるものとして、孤独のうちに体験される。だから
    この直接性にとどまる限り、それは同胞への怨恨や怒りとして経験される。
    この蟻地獄の総体をのりこえさせる力は、怒りそのものの内部にはない。

    自己自身の存在と方向性を、一つの総体的な展望のうちに獲得せしめるような、
    精神の力にほかならないだろう。

    われわれはこの社会の中に、はてもなく、はりめぐらされた関係の鎖の中で、それぞれの時、
    それぞれの事態のもとで、こうするよりほかに仕方がなかった、面倒をみきれない事情のゆえに、
    どれほど多くに人々にとって、許されざるものであることか。われわれの存在の原罪性とは、
    なにかある超越的な神を前提とするものではなく、われわれがこの歴史的社会の中で、
    それぞれの生活の必要の中で、見捨ててきたものすべてのまなざしの現在性として、
    われわれの生きる社会構造そのものに内在する地獄である。




    秋葉原の事件のような理由なき犯罪と呼ばれる犯罪が増えている。
    この社会に適応できた人間にとっては、犯罪を犯す理由が理解できない。
    N・Nの場合もそうであった。
    犯罪を犯した理由がほんの些細なことであり、理由という理由が存在しなかった。

    個々の人たちへの怨恨は軽くても、社会に対する怒りが強かったため、
    ほんの些細な理由で犯罪を犯してしまう。社会に対する怒りを持つに至った理由が、
    本人の手記をもとに詳細に描かれている。
    都市と地方、貧困、格差、レッテル・ラベリングなど様々な問題が背景にあった。
    N・Nの周りの人たちがとらざるを得なかった選択、まなざしが、N・Nの怒りを作りだした。
    社会への漠然とした怒りが、まわりの同胞への直接的な怒りとして爆発してしまった。
    理由のなさにこそ、理由があったのである。

    では、どうすれば、このような犯罪を防ぐことができるのだろうか?
    N・Nは刑務所の中で、哲学・文学・経済学の書物をむさぼるように読み
    教養を渇望し、同胞への怒りに対峙しようとしたことが示されている。
    同胞に対する怒りを、いかに相対化できるかが重要になるのだろう。

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