コレモ日本語アルカ?――異人のことばが生まれるとき (そうだったんだ!日本語)
- 岩波書店 (2014年9月11日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000286305
感想・レビュー・書評
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長年の疑問を一冊の本が解決してくれた一例。
日本の作品において、中国人キャラクターが語尾につける「〜ある」の起源を追う。本書ではそれを「アルヨことば」と呼び、調査対象は主に文学作品となっている。(1980年代以降は漫画紹介天国で、「よくここまで調べ上げたなー」と執念すら感じた)
実際「アルヨことば」で話す中国人を見かけず、謎に思われている方も多いと思う。頭にこびりついていた疑問が少しずつ剥がれていくようなアハ体験になりました笑
文学作品における最初の記録は何と宮沢賢治作品の中にある。
作品名は「山男の四月」という童話で、あの『注文の多い料理店』に収録されている。山男が見た夢に六神丸という薬を売る中国人が現れ、仕方なくそれを飲んだ山男はたちまち縮小化、行李の中に閉じ込められてしまう。そこで同じく縮小化した別の中国人と会い、山男は彼の助言に従って近くにあった丸薬を飲んで元のサイズに戻り、そして…
同じ中国人でも薬売りは「アルヨことば」をガッツリ使い、一方縮小化された方は完璧な日本語を使われていたのが印象的だったし、(夢オチものではあるが)話自体今読んでも面白い…
同時代の文芸雑誌『赤い鳥』に登場する中国人像は、A.手品や超能力に長けている B.人さらい C.敵対すべき存在のいずれかで描かれていた。(『サイボーグ009』の006こと張々湖にAの要素が受け継がれているっぽい。火を吹くところとか特に。メディアがあまり発達していなかったから、多少時代を経てもイメージが変わらなかったのかな)
六神丸売りにも当時の中国人像が投影されていると思うが、中国人だからと一括りしないところに賢治さん元来の優しさを感じる。
更に時代を遡ると「アルヨことば」の起源、幕末の横浜に行き着く。
ここでまた新たに用語を一つ。「アルヨ」に限らず、二つ以上の言語が接触する場で自然発生的に用いられる奇形的な言語を「ピジン」と呼ぶ。
日本語辞書が発刊されていたものの、それもあまり完全ではなかった模様。「横浜で通じればOK」のノリだったようで、当時の語彙集にはバリバリ欧米訛りのワードが列挙されている。(例:「大丈夫」→”die job”)
また文末に「〜あります」を加えること、更に中国人は発音上の問題から「〜ある」を付けることも明記されているという。(!)
以降「アルヨことば」は「四月の山男」や、日清戦争以降の文学作品に登場する。(かの「のらくろ」シリーズでは、敵の豚軍が階級関係なく「アルヨことば」を多用している)
一方満州に渡った日本人達の間にも「ピジン」は流布していた。現地語を覚える気のなかった彼らは日本語を中国語風に読んだり、「〜ある」に倣って語尾に「〜有(ユー)」を付けたりと好き放題。日本人(或いは関東軍)が残していった言葉が抗日映画に使用されたり今でも知っている人がいたりする等、後半はしばしば苦い気分でいた。
「何も知らなかった子供時代に真似するのが好きだった『アルヨことば』の歴史を描き出し、ある意味で永遠に供養したい」と著者は語る。「満州ピジン」のように、成仏させてはいけない事実も心に刻もう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「〜アルヨ」の起源と派生を辿る本。1859年の開港、横浜言葉、「あります」語法、宮沢賢治、夢野久作などの文学作品、のらくろ、手塚治虫、高橋留美子といった漫画などを紹介。ステレオタイプの形成と歴史との関連が分かる面白い本でした。
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役割語の典型例として挙げられていた「アルヨ言葉」の由来を明らかにする。「横浜ことば」に加え、「満洲ピジン」の実態が紹介されている。戦後に映画などで使われた鬼子ピジンについても。言葉もさることながら、満洲入植の実情も見えて、考えさせられた。
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アイヤー、面白かたアル。みなさんも読むヨロシ。
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日本人と外国人・中国人との接触によって生まれた横浜ことばや満州ピジンである<アルヨことば>の諸相を文献資料によって幕末から現代まで見ていく。 キャラクターの系譜は童話(成人男性)→漫画(成人男性)→漫画(チャイナ少女)となり、語尾の「アルヨ/よろし」が衰退し「ね(ネ)」に変わっていく。