れるられる (シリーズ ここで生きる)

著者 :
  • 岩波書店
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感想 : 35
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  • Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000287296

作品紹介・あらすじ

人生の受動と能動が転換する、その境目を、六つの動詞でつづった連作短篇集的エッセイ。どうやって生まれるのか。誰に支えられるのか。いつ狂うのか。なぜ絶つのか。本当に聞いているのか。そして、あなたはだれかに愛されていますか?だれかを愛していますか?れる/られる、どちらかに落ちる時が、ある-。その六つの風景。

感想・レビュー・書評

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  • 平凡な人生が、思いがけないタイミングで変転することはだれにでもきっとありえるのでしょう。「れる」側がだったのが、「られる」側へ、あるいはその逆へ、もしくはその境目を漂うようにもなるのでしょう。

    だからこそ、どちら側へも見渡せる眼を持たなくてはいけないし、知らなくてはいけない。いつどうなっても、できるだけ正しく自分自身であるために、少しでもそう考えて生きなくてはいけない、ということを考えました。

    自分は眼に対して強い不安を常に持っているので、「聞く・聞かれる」の章で描かれている盲目となった方の話や展示の取り組みに強く興味を抱きました。116ページにある、「かろうじて光に支えられているだけの存在」という表現は、今、かなり実感として感じます。その有難さを慈しみながら、自分が知らないうちに引いている境界線について、考えてみようと思いました。

  • 著者の著作は本作が初読み。出生前診断についての章が最も心に残った。技術の進歩により出生前診断は容易に可能になった。しかし「診断を依頼した」という事実だけでも、母は罪悪感に苦しむ場合もある。だからと言って障害を持って生まれる児を全て歓迎する、と言うのは無責任には言えない綺麗事。一組の夫婦で担うにはあまりに重い生命倫理の問題。でも、誰しもが直面する可能性がある。
    この他の章のテーマである問題も、どれも「れる/られる」の境界は実は非常に薄く、自分が「られる」側に転じることもある。そのことを想像する力は、常に養っておきたい。

  •  「シリーズ ここで生きる」の1巻として書き下ろされたもの。風変わりなタイトルは、「生む/生まれる」など、人生の受動と能動を示している。

     全6章立て。各章のタイトルは、「生む・生まれる」「支える・支えられる」「狂う・狂わされる」「絶つ・絶たれる」「聞く・聞かれる」「愛する・愛される」というもの。

     これだけだと何のことだかわからないが、たとえば「生む・生まれる」は出生前診断の是非についての話であり、「絶つ・絶たれる」は著者の知人であった優秀なポスドクの自殺をめぐる話。つまり、命を絶つ・絶たれるの両面から、科学の研究現場にある構造的矛盾と、高学歴ワーキングプアの問題を探った内容だ。
     
     ノンフィクション作家としての取材の舞台裏を明かした、もしくは取材から派生したエピソードを綴った連作エッセイ集である。
     ただし、筆の赴くままに綴られたお手軽なエッセイではない。各編はそれぞれ丹念に作られたノンフィクション小説のようでもあるし、一つの社会問題について深く思索をめぐらせた「論考」としても読める。重層的で滋味深い一冊だ。

     6編それぞれ読み応えがあるが、私は第1章の「生む・生まれる」に最も心を揺さぶられた。これは、生命科学の分野で取材を重ねてきた最相葉月にしか書き得ない名文だと思う。
     印象に残った一節を引く。

    《現代は、病気や障害を突き止める技術が、病気を治す力や障害を生きる環境づくりよりも先走る時代だ。出生前診断を受けず、胎児の状態を知らないままでいることには強い意志を必要とする。診断を受けないと決めた一割弱の妊婦たちは勇気がないわけでも無知でいたいわけでもない。知らないでいるという、もう一つの大きな選択を成し得た人々なのである。
     私は彼らがえらいとか見上げたものだといいたいわけではない。ただ、彼らの選択を尊重したい。だから遺伝カウンセラーは出生前診断のコーディネイターであってはならないと思う。医師とは一線を画した公平な立場にあって、もし妊婦が診断を受けないことを望んだら、その決断を支えるのがカウンセラーの務めだろう。》

  • 「いのちの場所」(内山節)と同じ岩波書店の一連のシリーズの一冊。タイトルの付け方が面白いと読んでみることに。ただ、”連作短編集”とあるのを”小説”と思ってしまったが、実はエッセイ。というか極めて事実に即したノンフィクションテイストの骨太作品だった。

    過去の著作で有名どころでは「絶対音階」。その他、星新一にまつわる本や、「セラピスト」(本書の内容に連なるところがある)等、徹底した取材が身上とのことらしい。確かに今回の”短編集”でも多くの実例に当たり、効果的な引用で話に厚みを持たせるなど、巧みな構成だと思わされた。他の作品も読んでみたい作家さんだ。

    さて本書は、「生む・生まれる」、「支える・支えられる」、「狂う・狂わされる」、「絶つ・絶たれる」、「聞く・聞かれる」、「愛する・愛される」という、動詞の受動/能動態のタイトルの6編。 内容紹介文が「人生の受動と能動が転換する、その境目を綴った」とか、「どちらかに落ちる時が、ある―。」なんて書いてるから、支えているつもりが実は支えられていたり、愛してるつもりが愛されていたとか、物事は表裏一体なのよ的な不思議な話が綴られているのかと予想したが(しかも小説として)、さにあらず。あまり境目的な危うさはない。いずれにしても、著者の真摯な取材能力と深い洞察を通してそれぞれ短いながらも重厚な作品となっていて読み応えある。

    特に「生む・生まれる」は考えさせられるところが多かった。前半の人工授精に関して、著者は
    「遺伝子上の父親が誰であるか、母親でさえもわからないのである。これほど人間のアイデンティティを揺るがす行いがあっていいのか。」
    と激しく憤っておられるが、そこはあまりピンとこなかった。遺伝子上の親なんて知っても知らなくても、自分の中で納得できればいいと思っているからかもしれない。それより人工授精が戦後帰還兵の不妊を大義名分として研究がスタートし、ドナー不足から医学生の中から精子提供者を募り、その噂が広がり”優秀な”精子を求めて希望者が殺到したなんて笑えない話がゾっとする。
    後半の出世前診断の恐ろしさの指摘が著者の真骨頂だろう。単に染色体異常の発見に留まらず将来は身体能力、果ては人格に至るまで、胎児の段階で優劣の判断に発展しかねないという指摘、そこまでは誰でも思いつくこと(昭和の時代にすら手塚治虫が漫画の中で警鐘を鳴らしていた)。それよりも、現在でさえ(現在出生前診断はダウン症の発見に主に行われているらしい)、その検査結果で判断を迫られる母親の苦悩、いや結果次第で迫られる判断よりも、その検査を受けたこと自体がその後も良心の呵責になるという鋭い洞察。出生前診断を受ける時点ですでに選択への道を踏み出しているという指摘が実に深い!
    「決心なんてしなくてもよくなればいい」
    この言葉は重い。実に深いテーマだと、僅か数十ページの小作品がズッシリ心に落ちてくる感じ。

    「支える・支えられる」は震災・災害等の後のケアする者とケアされる者との関係に言及したもの。被災地に赴いた自衛隊の心労に頭の下がる思いがひとしおだ。
    一方で、ケアする者とケアされる者の間に”不公平な人間関係が形成される”というが、日本で顕著な現象なのかもれないなどと読んでいて思う。日本では下働きとも見做される職種の従事者も、例えばロシアでは職に貴賎はないとばかりに堂々としている(貴賎はなくても給与格差があるのは当人たちも勿論承知した上で)。 仕事と割り切って、ケアを受ける側も与える側も、日本ほどケアする側の心のケアが更に必要になるなんて事態は、少なくともロシアでは起きない?なんてことを想ったりもした。
    ”心のケアとはそもそも、支援者が自分たちの活動を指して使い始めた言葉”
    だから受ける側への配慮がないということか。日本ってあっちこっちに気配りしすぎな気もする。さまざまな角度から物事を見ていたら自分を見失ってた~♪ってやつ?(笑)(Mr.Children「Innocent World」)

    この「支える・支えられる」は、場合によってはどちらかの立場に立たされることがあるが、前章の「生む・生まれる」では、”生む”話は出生前診断、”生まれる”話は人工授精の話と、それぞれ別の話題だ。それ以外も受動と能動が転換するとか、どちらかに落ちるとかいう話ではない章が多い。宣伝文句の煽りかたには難あり、と言っておこう。


    「聞く・聞かれる」は、さすが『絶対音階』をものした著者だけに、いろんな例が多くて楽しめた。 無響室という施設、「大いなる沈黙へ」(フィリップ・グレーニング監督)の長編ドキュメンタリー、ジョン・ケージの「4分33秒」という楽曲、ダイヤローグ・イン・ザ・ダーク、、、。聴覚にまつわる様々な角度からの考察。

    そして最終章の「愛する・愛される」は、『愛のかたみ』を記し、ベストセラーとなり、のちに批判を浴び文壇を去った田宮虎彦の話をただひたすら綴る。じんわりと、愛し愛されることの幸せを噛みしめることが出来る素敵なエッセイとなっている。

  • 自分が支える側だと思っていたら、支えられる側にいる、そんな人生の境目を綴った、6章からなる。
    情緒的な話かと思っていたら、「セラピスト」のノンフクション作家らしい専門的な話を織り交ぜ、1章づつが重い。
    150ページ程度の薄い本だが、途中で何度も立ち止まり、考えさせられた。

  • 生む/生まれる、狂う/狂わされる、絶つ/絶たれる、愛する/愛される…。生と死、正気と狂気、強者と弱者…相反するものと認識している言葉と言葉の境目。何かがきっかけで、こちら側からあちら側へ。
    出生前診断、震災捜索活動でのメンタルヘルス、精神科の現場、理系の博士課程取得後の研究者の現実、など…ノンフィクションライターとして様々な現場をたくさん見てきた最相さんだから、本書は「エッセイ」という体裁ではあるものの、ひとつひとつのテーマはものすごく重い。そして、何が正解なのかを簡単に導き出すことができないゆえに、自分の思いも「れる」「られる」の間を何度も行き来した。如何に自分が偏った眼で物事を見ていたか。「あちら側」へ思いが至らなかったかということに気付いて愕然とする。本書を読むことは、自分の心の内側を深く掘り下げる作業でもあった。
    これまでの経験で、一番れるられるの間にいたのが、東日本大震災だった。被災者であると同時に、被災者支援の仕事に携わっていたこともあった。千々に乱れる思いを胸の奥に押し込めての震災後の一年は、簡単に言葉にはできない。だからこそ、「支える/支えられる」の章での最相さんの言葉は心に刺さった。
    「人を『してもらう/してあげる』関係に区分けするとはなんと切ないことか。しかし災害多発国であるこの国の頼もしさは、その切なさを知る人々がたくさんいるということなのかもしれない。強い国とは、軍事力でも経済力でもなくそういう国をいうのではないか。」
    命について、生きることについて、深く深く考えさせられる一冊。時には立ち止まって、色々と思い巡らせる必要があるのではないか。自分自身に問いかけるべきではないか。是非多くの人に手に取ってほしいなと思う。

  • つい 見過ごしてしまいがちなこと
    つい 見落としてしまいがちなこと
    つい すどおりしてしまいがとなこと
    つい 邪魔くさがってしまいがちなこと
    そんな ひとつ ひとつ に
    ちゃんと 焦点を当てて
    きちんと「思考」することの
    大切さを指摘させられた気がします

    私たちは
    生きている限り
    常に どこかにいて
    常に 誰かと向き合って
    常に 何かを考えて
    常に 何かと関わっている
    そんな存在なのでしょう

    自分が
    どこに 立っているのか
    思わず 考えさせられてしまう
    そんな 一冊です

  • ふむ

  • 他人と接するとき、特に相手に対して自分の方が力が上の立場にあるとき、相手に何かを「してあげている」という気分に陥ることがある。一方で、それは「してあげている」のではなく「させてもらっている」という事でもある。親は子供に一方的に愛情を注いでいるようでいて、実は子供の存在によって「親でいさせて」もらっている。どんな関係の中にも、そんな要素はある。

    「れる」と「られる」という言葉の間には境目があり、その境目ははっきりしているようで極めて曖昧なもの。この本ではその境目を底流としつつ、6つの切り口で人々の関係が描かれる。

    「生む、生まれる」では出生前診断
    「支える、支えられる」では被災者と救助者
    「狂う、狂わされる」では躁鬱病の人
    「絶つ、絶たれる」では天才的な才能を持ちながら自ら命を絶った研究者
    「聞く、聞かれる」では終末医療と機能障害
    「愛する、愛される」ではある文筆家と、それを支え続けたパートナー

    心を抉られるような現実がそこにはある。でも、そういうことに正面から向き合うこともまた、大人の責務。

    誰もが常に「れる」側であると同時に「られる」側でもある。それが当たり前の状態。それを心の中に置いておけば、生きるのが少し楽になるように思う。

  • タイトルからとっさに日本語の表現の本かと思って予約したが、いい意味で裏切られた。

    私は、他人のちょっとしたケガも直視できないくせに、ミステリーや推理ドラマが好きで、ドラマだからと遺体を見ても何の感情もわかないのだが、実際災害救助の現場で活動されている自衛官や消防士への心のケアがここまで必要なことだとは、本書を読むまで知らなかった。

    第2章 支える・支えられる

    人を「してもらう/してあげる」関係に区分けするとはなんと切ないことか。しかし災害多発国であるこの国の頼もしさは、その切なさを知る人々がたくさんいるということなのかもしれない。強い国とは、軍事力でも経済力でもなくそういう国をいうのではないか。第一次世界大戦下のフランスに派遣されて献身的な看護活動を行った赤十字救護看護婦、竹田ハツメの言葉にあるように、きらびやかな「飾り石」ではなく、目立たずとも人の役に立つ「裏石」のごとく地道な支援活動を続ける人々を通して、私はそう感じている。

    第5章 聞く・聞かれる

    私たちは文字を聞くのではない。言葉を交わす時、人が相手に聞いて欲しいのは文字情報だけではない。メールですれ違っても、会ってみたら誤解が解けたことは何度もある。言い淀んでいるのか、ため息まじりなのか、はずんでいるのか、微笑みながらなのか、しかめっ面なのか、あせっているのか、怒っているのか、相づちや沈黙、目の表情もまた、その人の存在そのものがコミュニケーションである。

    私たちに必要なのは聞くことと聞いてもらうこと。

    耳を閉じることはできないにもかかわらず、聞く耳がなければ聞こえない。言葉にしてもらわなければわからないといわれても、聞く耳がなければ聞こえない。聞く耳があって初めて聞こえる。聞き始めると聞かずにはいられなくなる。聞いてばかりいると狂い出す。

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著者プロフィール

1963年、東京生まれの神戸育ち。関西学院大学法学部卒業。科学技術と人間の関係性、スポーツ、精神医療、信仰などをテーマに執筆活動を展開。著書に『絶対音感』(小学館ノンフィクション大賞)、『星新一 一〇〇一話をつくった人』(大佛次郎賞、講談社ノンフィクション賞ほか)、『青いバラ』『セラピスト』『れるられる』『ナグネ 中国朝鮮族の友と日本』『証し 日本のキリスト者』『中井久夫 人と仕事』ほか、エッセイ集に『なんといふ空』『最相葉月のさいとび』『最相葉月 仕事の手帳』など多数。ミシマ社では『辛口サイショーの人生案内』『辛口サイショーの人生案内DX』『未来への周遊券』(瀬名秀明との共著)『胎児のはなし』(増﨑英明との共著)を刊行。

「2024年 『母の最終講義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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