男の絆の比較文化史――桜と少年 (岩波現代全書)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000291644

作品紹介・あらすじ

日本において"男の絆"は、中世の稚児物語、近世の浮世草子や歌舞伎、近現代の幸田露伴や福永武彦などの小説、そして現代の演劇、映画、漫画に至るまで、連綿と描き続けられてきたモチーフである。さまざまな日本の文化事象に加えて、ひろく海外文化からの影響をも視野に入れて、男同士の絆の表象の系譜をたどり、その背後にある社会的規範のメカニズム、ジェンダーの機能を鮮やかに読み解く。

感想・レビュー・書評

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  • 【新聞に喝!】「LGBT」背景を意識し報道を 同志社大教授・佐伯順子 - 産経ニュース
    https://www.sankei.com/article/20230226-4FLDSO7HRFJPZNJN55OFXRAU4U/

    男の絆の比較文化史 - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b223934.html

  • 稚児物語、歌舞伎などの中に描かれ続け、
    現代の少女マンガにも継承されている、
    親密な「男同士の絆」という表象の歴史を考察した一冊。

    【まとめ】
     仏教が浸透し、武士が支配していたかつての日本では、
     修行の妨げ、あるいは戦闘の邪魔として女性が斥けられ、
     男性のみで構成された集団内で「男の絆」が深められたが、
     キリスト教的価値観が流入した後は、愛情は男女の間で育まれるべきだが、
     みだりに淫らであってはならないというダブルバインドが生じ、結果、
     昭和期の男子生徒には懊悩が、
     性的に抑圧された少女たちには妄想が
     醸成されたのではないか――といったところか。
     内容は、途中まではタイトル通り「比較文化」なのだが、
     考察する時代が下るにつれ、消化不良感が否めなくなってくる。
     現代(1990年代以降)の、
     女性を排除しない新たな男性同性愛の表象については
     次の機会に先送り、だそうだ。

    【詳細】

    第一章:稚児物語と〈男の絆〉
     薄命の美少年を象徴する背景の山桜。
     「サ」は田の神、「クラ」は神座を意味するので、
     サクラとは「田の神の依代」である。
     中世の稚児物語には、
     主人公が聖なる花に惹かれて歩みを進め、
     そこに佇む少年を見初めるという描写が見られ、
     聖なる花と稚児は宗教的・象徴的に不可分に結び付けられていた。
     しかし、稚児は感情的にも性的にも
     一貫して受け身の立場でしか描かれず、
     ステレオタイプな「女性性」を付与され、
     セックスは男性でありジェンダーは女性として扱われた。
     権力的にも性的にも弱者と位置付けられたのは、
     当時の支配階級における風俗に、
     男色関係を通じて若い貴族の勢力を取り込む、
     あるいは稚児の死を以て「太平」を祈念しようという
     政治的な意図が含まれていたためだった。

    第二章:トーマス・マンと〈男性同盟〉
     日本中世の稚児物語と
     ヴィスコンティの映画『ヴェニスに死す』(1971年)
     が共有するジェンダーの問題について。
     少年を眺める視線の主体が徹底して年上の男性側にあること、
     また、年長男性→少年という恋慕の一方向性も同じであり、
     年齢・社会的立場・容姿において
     年長男性にジェンダーとしての「男性性」
     少年に「女性性」が割り当てられている点が
     基本的に共通しており、
     二者間に認められる共鳴は偶然の一致ではなく、
     同質の社会的心性に裏付けられたものと言える。
     表象的崇拝と実態的抑圧の共存という矛盾こそが、
     日本中世の稚児物語とドイツ近代文学(映画の原作)
     に描かれた少年を結ぶ本質である。

    第三章:『禁色』の女性嫌悪と〈男の絆〉
     トーマス・マン『ヴェニスに死す』の精神を
     受け継いだ三島由紀夫『禁色』。
     しかし、後者の男性同士の恋慕には多様性が見られるし、
     『ヴェニスに死す』のタッジオは
     鑑賞されるだけの物言わぬ美少年だったが、
     『禁色』の悠一は少年ではなく、
     自分を見つめる俊輔の視線が当人の美的妄想に
     過ぎないことを悟り、見られる側の人格を踏み躙る
     年長者の暴力的なエゴイズムに抵抗する
     主体的な意思を獲得する。
     そこが稚児物語とも『ヴェニスに死す』とも異なる
     近代性であり、独創性だった。
     『禁色』に描かれたのは、愛する者との
     パートナーシップを求める同性愛ではなく、
     女性嫌悪・排除の思想に基づく
     男色=男性同盟=男の絆の世界だった。

    第四章:江戸の男色の美学
     寺院と貴族社会を中心に展開していた男色風俗が、
     近世には歌舞伎と武家社会を背景に発展、
     大衆化し、商品化された。
     江戸の男色観の特色は、
     権力的立場にある男たちの「高尚な趣味」として
     エリート意識と結びつき、高級な趣味嗜好と認識されたこと。
     仏教の世界でも、女性の存在が修行の妨げになるとの
     口実から男色が肯定された。
     武家においては「職場恋愛」も生じたが、
     三角関係の縺れから刃傷沙汰に発展することもあり、
     果し合いによるその解決は
     理念上の武士のアイデンティティと結びつき、
     死が戦士としての誇りであると同時に
     男色の究極の恋の表現と見なされた。

    第五章:漱石の「士族」意識と〈男の絆〉
     武士の末裔という
     強烈な自意識に支えられた「おれ」(坊ちゃん)のプライド。
     彼の内面においては、
     男としての自負心と自傷や戦闘における流血が融合しており、
     近世に『葉隠』が説いた武士的男性性の継承が
     窺える一方で、女性性を蔑視・排除し、
     憧れの女性をマドンナと呼んで賛美しながら、
     生身のセクシュアリティからは目を背けており、
     彼女は「坊ちゃん」のテキスト内で自己主張を封殺されている。
     男性のホモ・ソーシャルな集団は生身の女性を退けつつ、
     彼ら自身の存在確認のために幻想として美化した女性性を
     表層的なカリスマとして担ぎ続けた。

    第六章:〈近代武士道〉と戦時体制
     幸田露伴『ひげ男』(明治23年)に描かれた、
     戦士たらんと死に急ぐ少年武士と、
     生き延びて職務を全うすべしと説く官僚的武士の対比。
     ヒゲ男と美少年のコントラストは、
     年長者から少年への男色的な欲望を示唆していたが、
     双方は「男」としての強いプライドに拘る点が一致している。
     実利的な官僚性と髭による戦士のイメージを併せ持った主人公の姿は、
     立身出世して国に尽くす、明治近代国家が求めた
     理想的な男性像のモデルを提示した。
     露伴は時代の要請に応えるべく、人物像を時局に相応しく改変し、
     日清・日露戦争を経て第二次世界大戦へ突入していった戦時下の
     日本国民の心性に適応する物語を書き上げたが、
     それは武家の「男の絆」が本来含んでいた恋という動機づけを捨象した上で
     支配者への絶対服従を美化する、軍国主義を下支えする行動規範として
     近代武士道を再定義することとなった。

    第七章:「同性愛」の時代の男色実践
     南方熊楠に見る近代の男色。
     それは年長男性が年少の美男子に惚れ込んで親密な関係を保つ、
     稚児や若衆に魅せられる念者という歴史的定型を
     なぞったものだったが、男色の気風が書生社会に
     残存していた明治時代前半ゆえ、熊楠の思慕と実践も
     当時の男性としては珍しくなかった。
     しかし、英国滞在時にオスカー・ワイルドが逮捕・収監され、
     同性愛に対するイギリス社会の不寛容さに衝撃を受けたと想像される。
     更に、帰国時は日本においても
     男色への社会的な視線がイギリス・モデルにシフトする過渡期に当たり、
     困惑させられたものと見られる。
     大正期になると「変態」という概念が台頭し、
     男色は本格的に周縁化して、倒錯の一種と見なされるに至った。

    第八章:悩める昭和期の男子生徒
     男子校が育む男の絆――福永武彦『草の花』読解。
     視る上級生(年長者)と視られる下級生(年少者)という、
     古来の男色的な視線の構造を踏襲しつつ、受け身の側が、
     一方的に見られること・思慕されることへの違和感を表明し、
     年長者の独りよがりな理想・妄想を打ち砕くストーリー。
     江戸時代の武士や明治時代前半の書生とは違う、
     昭和の青年は、愛に肉体的な関心が付随することに
     不純さを覚えて悩み、また、
     男同士の特別な関係に倒錯ではないかという
     後ろめたさを感じる二重苦に苛まれた。
     しかし、女性を愛すべきだとの社会的なプレッシャーと、
     自身の欲望の狭間で苦悩する彼らは、無意識のうちに女性を蔑視し、
     全人的な親密性を「男の絆」にしか求めない指向を、
     男色の時代から確実に継承していた。

    第九章:女性のための美少年幻想
     1970年代、少女マンガに描かれた
     「男子の園で醸成される少年同士の思慕」。
     生徒の立場では女性が立ち入れない
     男子校という空間が、女性読者の好奇心を掻き立て、
     観客としての窃視願望を満たした。
     当時の女性読者は「女性は控え目であるべき」という
     良妻賢母主義モラルを植え付けられており、
     恋愛に積極的な女性主人公に感情移入しにくい傾向があったため、
     女性を主要ターゲットとする
     少女マンガというメディア内で「男の絆」が盛んに表現されたのではないか。
     しかも、外見的に女性性の記号を担う
     メインキャラクターが能動的な人物であることが、
     女性性と男性性を兼ね備えた人間像として女性読者の共感を得た。
     性的に抑圧されがちな女性が、
     そうした痛みを共有できる同性愛モチーフに共感する現象が生じ、
     そこに作り手と読者の「女の絆」の共同体を基盤とした「男の絆」の表象の
     新たな意味付けが登場したと考えられる。

  • 「オトコ」なんて・・・全員「ホモよ」って感じかな。
    痛いくらい・・・徹底的に男がやっつけられる。
    底流がイスラムにも感じるので、次回はぜひこちらを徹底的にやってくださいね。

  • 読んではみたものの主旨がつかめませんでした。自分の能力不足を反省。

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著者プロフィール

1961年生まれ。同志社大学大学院社会学研究科教授。専門は比較文化史。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。国際日本文化研究センター客員助教授等をへて、現職。著書に『遊女の文化史(中公新書)』、『「色」と「愛」の比較文化史』(第20回サントリー学芸賞、第24回山崎賞、岩波書店)、『「女装と男装」の文化史』(講談社選書メチエ)、『明治〈美人〉論』(NHKブックス)、『美少年尽くし』(改訂版、平凡社ライブラリー)、『男の絆の比較文化史』(岩波書店)ほか。

「2022年 『「専門家」とは誰か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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