丸刈りにされた女たち――「ドイツ兵の恋人」の戦後を辿る旅 (岩波現代全書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000291934

感想・レビュー・書評

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  • 著者が東京大学大学院在学中に、興味をもった第二次世界大戦におけるフランスで起こった「ドイツ兵の恋人」だったフランス人女性が丸刈りにされたことについて、フランスに留学をして聞き取りを行ってまとめた歴史研究。
    まず、そのような事実があることにまったく無知であった。日本人においては女性が丸刈りにされるというのは歴史にあまりないことで、ヨーロッパにおいては14世紀中世に不貞を働いたマルグリット王妃の例もあり、近代でも1970年代にアイルランドで女性の丸刈り事件が起きており、文化的背景というのがある。
    第2次世界大戦時にフランスで丸刈りにされた女性は数千人とも数万人ともいわれるが正確な数の把握はわからない。そして、この問題は社会において語ること自体がタブーとなっている。著者がインタビューを試みるたびに、第3者であるフランス人にとっては「あの人たちはドイツにフランスを売った売国奴。フランスの恥辱だ」と敵視されているし、当人たちとっては心の傷であり、惨たらしい過去の出来事であり、本人と家族の名誉のために語られることもない。しかも制裁の基準は結構あいまいであり、加害者がフランス一般市民であったり、当時の閉塞的な状況においてうっぷんを晴らすためのスケープゴートとして丸刈りが行われたという市民の恥(当時は正義と信じていても、年月がたち正気ではなかった)とする部分であるということも、真実を明るみにひきだすことを困難にしている。この点は著者が明確に指摘している。「語るための条件は、自分は無実で不当な暴力を受けたと信じていることである。ドイツ人に恋をしただけという理由がその最もたるものである」と。そして、「逆に、最も語るのが難しいのは、レジスタンスの情報を売ったり、ユダヤ人の居場所を密告したりした、個人を死に至らしめる場合もあった行動をとった人だろう」と。著者の試みは、歴史の一面を大きく明らかにしたのかという点では端緒にしかすぎない。被害者も高齢、加害者側の存在という問題、語って伝えるというよりも、語ること自体の困難さ。それらに正面から取り組んだ点に大きく私は評価と拍手を贈りたい。

  • こういう女性たちの存在を知ったのは、御多分に漏れず本書にも掲載されているキャパの写真だけれど、表面どおりにしか受け取っていなくて、「そっか敵の兵隊とくっついて子供産んじゃったのか」ぐらいに思ってた。言われてみれば、確かに、イベントの如く大勢の人間の前で(しかもその中には親しくしていた人たちだっているだろうに)ここまで辱めを受けるほどの罪なんだろうか。占領から解放されてある意味集団ヒステリー状態だったのかもしれない。だとしても密告とかスパイとかそういう犯罪ならともかく、普通に恋愛していた結果がこれだとしたら・・・フランス人とドイツ人のカップルなんて今ならいくらでもいるだろうに、それは今なら特筆するようなことでもないだろうに、それが約70年前には・・・と思うとやりきれない。

  • フランスがドイツ支配から解放されたあと、「ドイツ兵の恋人」だったために丸刈りにされた女性たちを知ろうとした本。
    証言だったり、記録からの書きおこしだったりと内容はいろいろだが、丸刈りにされた女性について調べることの困難さを物語っているように思う。

  • 新聞の書評を読んで興味を持った。
    丸刈りの事実については、遅ればせながら知ることとなった。

    戦時中ドイツ兵士と関係を持ったことについて、丸刈りなどの罰を受けることになったフランス女性のその後について、日本人が調べて書いた本。
    フランスの歴史について勉強していた著者は、卒論の研究テーマに「丸刈り」を選んだとのことだが、外国の若い女性が興味本位?で調べるには難題ではなかったか。
    わざわざフランスに住んで、いろんな形でアプローチしたようだけど、わずかでも対応してくれた人がいたことが奇跡にも思える。

    辛い過去を話してくれる人は圧倒的に少なく、内容として興味深かったのは、後半から、つまり実際に著者と面会した方達の証言が書かれているところだった。
    戦後をどのように生きたかがテーマとのことだったが、やはり証言が少なすぎて、中途半端な印象を受けた。

    余談だが…
    以前埼玉のとある地域に住んでいた。
    一時期アメリカに接収されたその地域は、現在アメリカの匂いがするおしゃれな地域に生まれ変わり、賑わっているようだ。
    長くそこに住んでいる方から「戦後はこの辺にたくさんの混血の子供がいた」という話を聞いたことがあった。
    大抵は日本人の母親から生まれた子達だろう。
    生きていれば、かなりの年齢だと思うが、今どこに…と時々考えてしまう。
    敗戦後と戦時中の話は別物かもしれないが、日本の「親子」も肩身の狭い思いをしたのは間違いない、と思う。

  • もっと難しく書いてあると覚悟していたのだが、意外と読みやすかった。
    第二次世界大戦時、ドイツの占領から解放されたフランスで、ドイツ人と仲良くしていたからと丸刈りにされた女性たちがいた。何かで見聞きしたのだろう、それも1回ではない頻度で。こういうことがあったことは既に知っていた。でも、そういうこともあるだろうなという程度のとらえ方だった。
    だが、このことは女性だけに対する差別的な扱いなのだ。男性でこれに比するような罰があるとすれば何が当てはまるのだろう。簡単に思い浮かばないと思う。つまりはミソジニー的な「おれたちの国の女(おれたちの女)のくせに、よその国の男と仲よくしやがった」というような感情のはけ口にされたといえる。しかも、多くが公的に行われたものではなく、各地方や町村の正義漢ぶった輩が私刑的に行ったもののようだ。間男された亭主が、誘惑した間男に制裁を加えるのでなく妻をいたぶるようなものだし、中世の魔女裁判とも似たようなところがあるだろうか。
    こういう面で社会的に女性は不安定で、自分の意思が通らない扱いをされることがある。この本では70年ほど前のことを話題にしているけれど、こういったことは今でもあるだろう。たとえばことし、甲子園の高校野球で女子マネジャーがグラウンドに入れないことがメディアや巷間の話題になったが、入れない理由(のひとつ?)が、男子と体力差のある女子がけがをしないための配慮だとか。そういった男性側の女性に対する過保護意識が世の中にはまだまだあると思う。書中で体験を語った女性の父親は、町の人々に先んじてわが娘を非難したり贖罪を求めたりする。それは村八分を恐れる小心な男の姿であり、自分の国の女性を丸刈りにしたがる男性たちの縮図そのものだ。こうした事象に対しては、男性のゆがんだ愛情や保護意識の表れと認識し、起こらないよう、起こさないようもっと敏感になるべきだ。
    話は換わって、著者は2人の「丸刈りにされた女たち」と会っている。今から10年くらい前の頃だ。2人のうち1人は「不幸な人生を歩むよう定められているの」と語り、もう1人は、大戦後に一度は結婚したドイツ兵の恋人と短期のうちに別れている。ついつい、戦後に再び出会い、その後は添い遂げたという物語を期待してしまうが、そうはいかないのが現実のようでもある。
    ただ、不幸な人生だというセシルの生き方は、そこまで不幸ではない気もしてしまう。戦後、自立して複数の国で仕事に就き、後には、すでに互いに別の人生を歩んではいるものの、かつての恋人と家族も交えたつき合いがあったのだから。というのは、かつての恋人どうしに生まれた新たな関係性を美しいものとしてとらえようとする、セシルの気持ちを無視した自分の勝手なのだろうが。
    そして、丸刈りにされたのは「ドイツ兵の恋人」だけではないことも認識しておかないといけない。著者が「(丸刈りにされた経験を)語るための条件は、自分は無実で不当な暴力を受けたと信じていることである。ドイツ人に恋をしただけという理由がその最たるものである。逆に、最も語ることが難しいのは、レジスタンスの情報を売ったり、ユダヤ人の居場所を密告したりした、個人を死に至らしめる場合もあったような行動をとった人だろう」と述べるような人たちもいるだろうが、そのような女性は丸刈りに値するような罪なのだろうか。また、ドイツ兵たちのために接収された施設で給仕や洗濯係として働いた女性が非難された例もあるとか。(私はおそらくいると思っている)日本人従軍慰安婦が声を上げ(られ)ないのも、こうした事象の背景にある人々の感情と底を一つにしている気がするのだ。

  • 本書のテーマは駐留ドイツ兵と恋仲になったフランス女性に絞られているが、実のところは時代と場所を問わない、「身勝手な男の嫉妬と場違いな支配欲の犠牲になる女性たち」の記録である。
    下卑た笑みを浮かべて女性の髪を切り、切られた女性をはやしたてる男ども。不鮮明な白黒写真に切り取られた、その下劣さがすべてである。国家への叛逆だの、貞節だのは畢竟建前にすぎず、関係ない。要するに「自分の所有物を、自分以外の人間にいいように使われた」、そのことが、男どもには気に入らないのだ。そしてその「罰」を、卑劣にも奪った外国の男ではなく、奪われた女性たちへと向けた。
    「敵との姦通」の罰が女性限定のものであり男性には下されなかったこと、その事実がすべてだろう。実際、ある女性は「ならば、同じことをした男の髪も刈るべきだ」と言っている。だがもちろん、「たかが女」の言葉などは、一顧だにされることはないのであった。

    著者がこの問題を終生の研究テーマに選んだきっかけは、芳紀18の頃、たまたま眺めたNHKのドキュメンタリーであったという。「いくら罪を犯したといえ、こんな野蛮な制裁が、人として許されてよいものか?」と。
    だが同じその番組を、彼女の父親は大きく身を乗り出し、愉快げな笑みを口の端に浮かべて食い入るように観ていたという。
    女と男がわかり合えることは、永遠にない。

    2016/11/6読了

  • 戦争とは何でしょう。
    銃で撃ちあい、爆弾の雨を降らすものでしょうか。

    そうではない、
    みんなが狂信者あるいは傍観者のいずれかになるような、
    みんなが尊厳を踏みにじり尊厳を踏みにじられるような、
    殺し合いのないところで我々が巻き込まれる戦争がある。

    嵐が通り過ぎたあとの沈黙と忘却を破るのはとても勇気のいることで、この本はそういう勇気ある試みの一つです。

  • 第二次大戦中、ドイツ人と何らかの関係をもったため、ドイツ第三帝国からの解放後、見せしめとして丸刈りにされた女性たちの戦後を綴った記録(2016/08/24発行)。

    本書は、上記の通りドイツ第三帝国からの解放後、見せしめとして丸刈りにされた女性たちの戦後をメインテーマとして書かれていますが、それ以外にも日本における丸刈りや、ドイツ第三帝国内で行われたドイツ人女性への丸刈りについても触れられており、サブタイトルや帯に書かれている宣伝文句より広い範囲をカバーしています。

    こういったテーマを基に書かれた書籍は、今のところ本書位しか見当たらないので、非常に興味深く読ませて貰いました。 只、丸刈りにされたと証言する女性が本当にされた人物なのか全く証明されておらず、証言の信憑性には多少疑問が感じられたのは残念でした。 今後、もし文庫化される事があれば、この点補間して貰いたいと思います。

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