丸刈りにされた女たち――「ドイツ兵の恋人」の戦後を辿る旅 (岩波現代全書)

著者 :
  • 岩波書店
3.78
  • (7)
  • (7)
  • (7)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 109
感想 : 17
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000291934

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 戦争の時代だから、現在だからに関わらず
    裁判官になりたがる人がいる。
    この書にある丸刈りの女性の中には、ナチへの密告者もいたかも知れない。でもその審判は国家や地方による裁判を経て刑の有無を審議する必要がある。

    AKBの峯岸みなみさんが丸刈りで謝罪したが、自主的とは言えまともに見れない、そのくらい女性の髪と言うのは大切だと思う。
    刈られてショートヘアーになるまでには数ヶ月必要か、その間の苦痛と言ったら想像に耐えない。

    筆者は丸刈りにされた女性たちから話を聞き執筆されているが、その行為自体が忘れたい記憶を呼び覚ましたのではないか。語りたかった残したかったと言うよりは、冥土の土産だろうか。

    日本も戦争に負け、沖縄や横浜にはたくさんのハーフの子供が生まれた。オペラの蝶々夫人を想わせるようだが、現実はあいのこと呼ばれたり孤児院にと今に見るハーフタレントのような扱いは無かったでしょう。

    話は戻って、丸刈りにされた女性たちもドイツ人との子供を産み、育てていく過程に丸刈りにされた記憶は失意しかないように思う。
    こうした時代のかなこんな行為が村や町の何の権利もない人によって行われて人の心に大きな傷を残した。
    その事は知れて良かった。

  • 丸刈りにされた女性の写真は キャパのを見た記憶がありました。
    しかし どの位の女性が このような目にあったとかは
    よく知りませんでした。

    ドイツの占領下で ドイツ兵達に協力したとか
    仲良く話をした というだけの女性。
    将来を約束するくらい 真剣に愛し合った女性。
    仲間を密告した女性。
    やってることは 全然違うのに まとめて丸刈りにされてしまった。
    勿論 上手く逃れた女性もいたそうだ。

    占領から開放されて 今までの鬱憤をはらすために
    女性がターゲットになった。

    しかし この事実はあったものの
    著者が 直接会ってみたいと 試みたそうだが
    亡くなっていたり 高齢のためもう話ができない人も多く、直接取材ができたのは 数人であった。

    丸刈りにされてしまった為というか
    丸刈りの ターゲットになる時点で 
    非国民としての 差別的な目で見られており
    その後 同じ場所に住むのが つらくなったりしたでしょう。

    戦争で殺されるのもつらいけど
    ただ 人として人を愛しただけでも
    こんなに つらい目にあわされてしまった。

    本当に戦争は 嫌ですね。
    もう二度と起きて欲しくないです。

  • キャパの写真がとても衝撃的だった。
    私も彼女達の行く末が気になっていたから、気になって購入した。

    女性じゃないと、分からないな。
    フランス人は、野蛮だな。こんな事思いつかない。
    コルシカ島では、丸刈りにして丸裸にする。
    ただ男たちは、正義だと大義名分を表に出し、自分たちの性欲を満たしたいだけ。
    そういうプレイがしたかっただけでしょう?
    丸刈りにして、スッキリしたかね?

    ドイツが表だってユダヤ人を迫害していたが、
    フランス人、イギリス人、ソビエト人みんな同類だし、
    逆に、ドイツより陰湿。
    綺麗ごとを言ったとして、彼らがして来たことは、ドイツと同類。
    それより、ソビエト、アメリカ、イギリス、フランスはすごくタチが悪い。
    彼らは、正義という名を基に、大掛かりな人体実験として原爆を落とした。
    ユダヤ人迫害だって小さいながらやって来た。
    ドイツの陰に隠れ、またドイツの所為にして、
    ポーランド人将校等をカチンの森で、16000人ほど銃殺、
    ウクライナ人を人為的に餓死させた、ホロモドール、
    富農を西シベリアのオピ川ナジノ島に、6000人を遺棄、

    彼らは、罰せられたのか?

    カチンの森も、すべてスターリンの所為にしたが、ベリヤがスターリンに、ポーランド人将校等を抹殺を提案しなければ起きなかった。
    ベリヤはスターリンにその後処刑されたが、

    ドイツ軍の協力者は男性にもいた、
    彼女たちは、ただ恋をしただけ、
    ドイツ人の男性は、人間ではないのか?
    見せしめをして何になるのか?
    なんか虚しいだけで、何も残らないし、意味がない。
    集団ヒステリー状態で、ただ鬱憤を晴らしたかっただけ。
    また、19世紀末に公開処刑はなくなったが、思想はその時代に遅滞した。
    いつまで経っても醸成はしない庶民の思想。

  • 心を売ったことが咎められた
    長く引っかかる写真の背景が少し理解できたような思い。

  • ユージン・スミスの水俣での撮影についての本で、入浴する少女の写真が現在は遺族の意向により公開が禁止されていることを知った。写真論はどうしても写した側から語られてしまう。写された側からのことばももっと大切にしたほうがよいのではと思って、そういえばキャパの対独協力者の女性を丸刈りにした有名な写真について研究した本があったはず、と図書館で探した。写真論ではなく、女性論の棚にあった。
    キャパの写真のように丸刈りにされた対独協力女性は二万人もいたらしい。

  • もう十年弱くらい前、偶然名古屋駅前のジュンク堂の書棚で見つけて、近くのカフェに入って読み始めたら、知らない事実ばかりに驚きつつ、その語り口が丁寧で登場人物へのリスペクトに満ちていて、心がひりひりしながらページをめくるのが止められなくて、夜遅くに読み終わるまでずっと居座った記憶がある。

    表紙には、髪を刈られた女性が街中のベンチに腰掛けて、額に手を当ててうつむいている写真が掲載されている。太ももに置かれた右手は、ぎゅっと握られているようにも、少し緩んでいるようにも見える。震えているのではないかしらと思う。恐怖、怒り、羞恥、悲しみ。

    「他人の髪を本人の意思に反して奪うのは許されない暴力だ」と、著者はあとがきで述べている。数日前に読んだ小説『あの図書館の彼女たち』でも、対ナチ協力者とみなされた女性が、パリの街中で髪を切られ、胸をナイフで刺され、手首を骨折させられていた。この本を読んでいたから、あの小説のシーンにただ驚くというよりは、その暴力性に背筋が凍る気がした。

    髪は女性にとって大事なアイデンティティの一つだし、それを男性もわかっている。その点で思いを巡らせると、女の大事なものを男が無理やり奪うというのは、ただある個人の身に降りかかった偶発的な出来事ではなく、男性性が前提のシステムが後ろ盾になった暴力だと思う。フランス人女性がドイツ人男性と体の関係を持ったのは、自分の利益のため、貧困からやむにやまれず、純粋に恋に落ちたから、いろんな理由があるはずで、それを無視して私的制裁を加えていいはずがない。だが、これまでの歴史の中でそういった女性の一人ひとりの姿はきちんと記録されてこなかったし、これからもされないだろう、といった旨を筆者は語る。スティグマを背負って戦後を生きた女性たちを「対ナチ協力者」と片付けるのは、あまりにも暴力的で、男性目線というか支配者側の視線のみの基づく歴史の語り方だと思う。等身大の女性たちのライフストーリーも、もっといえば「正義感」の裏の負の側面だって記録されるべきだ。

    話は少しずれるが、日本にも「パンパン」がいた。地元の隣町には赤線があった、と祖母がよく言っていた。飾り窓地域を警察が地図に赤い線を引いたことから、そう呼ぶらしい。その華やかな地域の近くに映画館があって、祖母は映画を見て近くの中華屋でラーメンを食べるのが楽しみだったらしい。その中華屋にきれいなお姉さんたちが来ていることがあった、と。当時はかわいい既製品の服はなくて、祖母はお金持ちの友達に中原淳也の雑誌を借りて、自分で服を縫ったと言っていた。下着もなくて、ブラもショーツも自分で縫ったそうだ。その話を思い出して、ふと、生々しい身体的な感覚や経済的格差は、もっと露骨に日常生活に転がっていたのかもしれないと思った。

    そういえば祖母は、私のロングヘア黒髪に異様にこだわっていた。与謝野晶子の短歌みたいだ、といつもほめていた。でもあの歌は妻子ある男との道ならぬ恋に支えられた、若い女性の自惚れ=はつらつとした自信、を詠んだものだと思う。私の髪であると同時に、好きな男にほめられるための髪なのだ。野暮な蛇足をするけど、知らない男に刈られるための髪ではない。

  • 367.235||Fu

  • 恋愛ストーリー

  • I liked how the author shared her struggles of research. Interviewing can be quite difficult.

  • 著者が東京大学大学院在学中に、興味をもった第二次世界大戦におけるフランスで起こった「ドイツ兵の恋人」だったフランス人女性が丸刈りにされたことについて、フランスに留学をして聞き取りを行ってまとめた歴史研究。
    まず、そのような事実があることにまったく無知であった。日本人においては女性が丸刈りにされるというのは歴史にあまりないことで、ヨーロッパにおいては14世紀中世に不貞を働いたマルグリット王妃の例もあり、近代でも1970年代にアイルランドで女性の丸刈り事件が起きており、文化的背景というのがある。
    第2次世界大戦時にフランスで丸刈りにされた女性は数千人とも数万人ともいわれるが正確な数の把握はわからない。そして、この問題は社会において語ること自体がタブーとなっている。著者がインタビューを試みるたびに、第3者であるフランス人にとっては「あの人たちはドイツにフランスを売った売国奴。フランスの恥辱だ」と敵視されているし、当人たちとっては心の傷であり、惨たらしい過去の出来事であり、本人と家族の名誉のために語られることもない。しかも制裁の基準は結構あいまいであり、加害者がフランス一般市民であったり、当時の閉塞的な状況においてうっぷんを晴らすためのスケープゴートとして丸刈りが行われたという市民の恥(当時は正義と信じていても、年月がたち正気ではなかった)とする部分であるということも、真実を明るみにひきだすことを困難にしている。この点は著者が明確に指摘している。「語るための条件は、自分は無実で不当な暴力を受けたと信じていることである。ドイツ人に恋をしただけという理由がその最もたるものである」と。そして、「逆に、最も語るのが難しいのは、レジスタンスの情報を売ったり、ユダヤ人の居場所を密告したりした、個人を死に至らしめる場合もあった行動をとった人だろう」と。著者の試みは、歴史の一面を大きく明らかにしたのかという点では端緒にしかすぎない。被害者も高齢、加害者側の存在という問題、語って伝えるというよりも、語ること自体の困難さ。それらに正面から取り組んだ点に大きく私は評価と拍手を贈りたい。

全17件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

【訳者】藤森 晶子(ふじもり・あきこ)
1979 年生まれ。東京外国語大学外国語学部欧米第二課程(フランス語専攻)卒業。ストラスブール第3 大学大学院への留学を経て、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程単位取得退学。著書に『丸刈りにされた女たち――「ドイツ兵の恋人」の戦後を辿る旅』(岩波書店、2016)。

「2023年 『デミーンの自殺者たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

藤森晶子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×