満蒙開拓団――虚妄の「日満一体」 (岩波現代全書)

著者 : 加藤聖文
  • 岩波書店 (2017年3月18日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000292009

作品紹介

満洲事変を契機として計画された日本各地からの農業移民は、日中戦争の本格化にともない、関東軍と陸軍主導の強力な国策となり、未成年の青年までもが満蒙開拓青少年義勇軍として送り込まれた。開拓先で現地民の反発を受けながらの厳しい生活の果てに待っていたのは、敗戦で難民となった悲惨な体験と、住む場所と農地を失い再び開拓民となる悲劇であった。そして満洲開拓民の残留孤児をめぐる、今なお清算されない国策の失敗のツケ。移民の計画から終局、そして戦後史までの全歴史をたどる。

満蒙開拓団――虚妄の「日満一体」 (岩波現代全書)の感想・レビュー・書評

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  • 満蒙開拓団とは、満州事変から太平洋戦争敗戦に至るまで、国が主導して行われた移民政策により、「満州国」に移り住んだ移民団を指す。
    具体的にどんな土地なのかも知らずに送り込まれた彼らは、厳しい自然環境と、現地民との軋轢に苦しみつつ、過酷な生活を送った。敗戦後は難民となり、命を落とした者も多かった一方、辛くも帰国した者にも厳しい現実が待っていた。親と生き別れ、残留孤児となった者も少なくない。満州から逃げ延びる際、自分の子供を手に掛け、生涯それを背負って生きてきた親もいる。
    そのような開拓団の悲惨な状況がなぜ生じたのか、政策から追っていく1冊である。

    1929年の世界恐慌により、生糸の価格が暴落したことで、日本の農村は経済的に大きな打撃を被った。閉塞感が漂う中、満州事変(1931年)が勃発し、「満州国」が誕生する。「五族協和」思想も生まれてくるが、これを推し進めるにあたっては、圧倒的に在住日本人の数が少なかった。
    農村問題に強い関心を抱いていた学者や官僚が満州移民構想を打ち立て、一方で、軍部による武装移民計画が持ち上がる。両者を結合させ、試験移民政策がスタートする。
    だが、現地の土地制度を十分に勘案しない中で強引に行われた計画は、当然、現地民の大きな反感を買った。送り込まれた移民側も、当初聞かされていた夢のような世界との落差に失望し、逃げ出すものも少なくなかった。
    試験移民は成功とは言えなかったものの、徐々に軍部が満州移民政策にテコ入れを強め、本格的な百万戸移民計画が成立する。ひとたび「国策」となった以上、簡単に引き返すことは不可能であった。
    全国規模で移民団が募られ、村の一部が移住する形の分村計画が行われる。疲弊する農村の、特に次男・三男の行き場が必要であったのだ。
    この一方で、軍務につかせる目的で義勇軍送出も決定される。各自治体に割り当てがされ、教師が青少年を説得するようにノルマが課された。
    しかし、日中戦争が長期化し、農村から成年男子が召集され、軍需景気で労働力が都市に流出する。移民の数は、目標としていた100万戸には遠くおよばなかった。送出が困難になるにつれて、被差別部落民や空襲罹災者が半ば強引に送り込まれるようになっていく。
    戦局が拡大し、開拓団による食糧増産が求められ、また有事の際の後方支援基地としても役割も果たさねばならない。
    求められる役割にそもそもこたえられる体制にはなかった。バランスを欠いたまま、敗戦を迎える。
    引き揚げが困難を極めたのは、開拓団の成年男子が召集され不在になっていたことも理由の1つだ。ソ連軍や現地民の襲撃により、困難な逃避行を強いられる中、集団自決が相次ぎ、途中で力尽きる者、現地の人に子供を託すものも多かった。
    何とか帰国した後も、すべての財産を処分した彼らに行き場はなかった。国は国有地を彼らに与えたが、多くは開墾に適さない土地であったという。
    日本の独立後、再度海外への移民が進められるようになり、その1つがドミニカだった。これもまた失敗に終わるが、この中にもかつて満州移民であった人も含まれていたという。

    国策により満州に渡った開拓団の人々の正確な記録はない。現地で生まれた子も記録されていない。
    最も近いとされている推定で、終戦時、開拓団24万2300人、義勇隊2万2800人、報国農場4900人、計27万人とされている。シベリア抑留者など、まったく不明なものも多いが、死者数はおそらくこのうち8万人前後という。
    民間人死亡総数が24万5000人と言われるが、在満日本人は155万人と推定され、開拓団の死者が死者総数の3割であるというのは相当高いと考えられる。
    国策により送り込まれたその先は、泥沼であったというほかない。そしてそのツケはまだ残留孤児のような形でなお続いている。
    そもそもごり押しであった政策。うまくいく見込みは小さかった。
    どこで留まるべきだったのか、どこで引き返せる可能性があったのか。
    検討する課題は多いものと思われる。

    時系列に沿って章立てされ、章の始めに要約がついているため、門外漢にも呑み込みやすい。
    「有識者」の姿勢を問いつつ、政策結果の責任の一端を担う「国民」には自覚を促す。
    著者の学者としての気概を感じさせる。

  •  「満洲国」の研究は数多くあるが、いわゆる「満蒙開拓団」に対象を絞った学術的な一般向け通史はおそらく本書が初めてで、当事者の「顕彰」や主観的・情緒的回顧で溢れる当該テーマにあって、政策形成過程の検証に重きを置いた内容となっている。硬直した精神主義や官僚のセクショナリズムや事後検証の欠如など、「満蒙開拓団」の劣悪な実施過程に日本社会のあらゆる問題に共通する病理を見出している。

  •  戦後日本社会で知らぬ者などいないはずなのに、研究者が誰もその通史を書いてこなかった「満蒙開拓」移民をめぐる政策史。満洲事変前後の移民送り出し論から、敗戦後の戦後開拓、南米移民、中国残留日本人問題までをたどり直す。
     
     著者は、たびたび「国策」の怖ろしさについて述べている。一度官僚機械が動きはじめてしまうと、その効果の検証や意義への反省は置き去りにされ、機械の歯車は回り続け、ひとびとは翻弄されつづける。問題は結果としての数字の帳尻を合わせることでしかないから、当初の、その政策の旗を振った個人は出発期のエンジンとしてしか必要とされないし、そもそもひとは結局数字でしかないから、その政策の結果、どんな生を生きさせてしまったかなどには本質的に関心がない。そのような意味で「満蒙開拓」は、日本国家における「国策」の典型だと筆者は述べる。
     おそらく、そのような姿勢・態度であるからこそ、「国策」なのに記録が残らない(残そうとされない)のである。記録がないから歴史的な経緯と責任の同定が困難になる。歴史的な責任の追及が為されないから、当時の政策担当者や政治家は誰も(社会的に)処罰も制裁もうけず、のうのうと生きつづけられてしまったのである。政治に関与する者たちが、歴史に審判される怖ろしさを感じずに済んできたのである。――まるで原発問題ではないか?

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