医学と仮説 原因と結果の科学を考える (岩波科学ライブラリー 184)
- 岩波書店 (2011年9月16日発売)
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感想 : 35件
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Amazon.co.jp ・本 (128ページ) / ISBN・EAN: 9784000295840
みんなの感想まとめ
科学や因果関係の理解を深めるための重要な視点を提供する本で、特に疫学や統計に関心のある読者にとって有益です。著者は、日本の研究者が科学的な因果関係についてのトレーニングが不足していることを指摘し、誤解...
感想・レビュー・書評
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びっくりしました! 因果関係について知りたいとおもっただけなのに・・・
「科学ってなに?」と問われて、答えられないならこの本読めといわれます。原理主義者なの?
どうやら著者の津田敏秀先生は、日本の自然科学を学ぶひとたちは「科学哲学」が必須科目ではないために、「科学について誤った概念を持っている!」とお考えのようです。
例えば医学部にある誤解としては、「疫学」が直接的証拠とわからなかったり、医学研究に「実験」が必要と思い込んだり。「細胞や遺伝子をすぐに扱いたがるけど仮説のレベル合ってるの?間接的証拠なんだけど?」「せっかく医学部にいるんだから人を対象にしようよ。」とおっしゃるわけです。
実際過去に科学の基本がないために、「生活レベルの仮説検証」なのに「原子・分子」や「メカニズム」にこだわって失敗した事例もあるそうです。
ひとつは森永ヒ素ミルク中毒事件。大学の先生たちははやくから粉ミルクが悪いとわかっていたけれど、「原因物質」や「発症のメカニズム」にこだわり対応が遅れたそうです。同じことは水俣病事件でもあったといいます。
誤解は理系にとどまらず「法律分野」でも! ある最高裁判決のなかでは「一点の疑義も許されない自然科学的証明」が実在するかのような内容があったとか。
たしかに科学を飛び越えて、すこしオカルトっぽいですね。
次に「因果関係ってなに?」、はい来ました!
よくわかりませ~ん\(^o^)/
科学は因果関係の究明をめざしているから、目にはみえないものだけれど、「因果関係」は科学の営みだそうです。
だから、もし科学を営みたいんだったら、まずは「ヒュームの問題」?を頭に叩き込んでおけ! といわれました。
欧米あたりだと「ヒューム」と「科学」を結びつけて考えるのは、ビジネスマンでも常識だそうです。知りませんでした。(T_T) 「ヒュームさん」ってだれですか?
どうやら、原因と因果関係を定義して、経験主義?の限界を示したひとらしいです。
津田先生のおっしゃる通り、わたしは「科学ってなに?」と自問しながら科学哲学をまなび、「ヒュームの問題」を頭に叩き込む必要がありそうです。
というわけで「科学」や「因果関係」にご興味をお持ちでしたら一度「津田道場」に体験入門されてはいかがでしょうか。
津田先生が「電車の中で楽しく読める」ように書いたと言い張っている、118ページの薄い本です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
科学とは、科学的とは何かという議論が日本では欠落している。僕はずっとそう考えてきた。特に医学部では(他の学部についてはコメントできません)、上位解脱式に事物を教える高校教育の延長で大学教育を行ってきたため、批判的吟味についてなかなか涵養できない。科学や「科学的」を考えるのは、「こうなっているんですよ」と教わるだけではダメで、自分の頭で一所懸命考えて吟味しなければ学べない。日本の医学教育で科学論を学ぶ機会が少ない理由は他にもあるが(例えば、目的ではなく、まず方法から入る性向にあるとかーーーこれは研究だけでなく、臨床面でもよく観察される性向だ)、いずれにしてもこういう吟味や議論はどんどん進んでいくべきだと思う。
そんなわけで「医学と仮説」のような本がどんどん読まれて吟味されるのが望ましいと思う。本書はイントロダクトリーな本として面白いし、医史学的にも興味深い事例を紹介している。例えば、森永ヒ素ミルク事件の顛末は僕にはとても面白かった。医学生や研修医には是非読んで欲しいし、頭が柔らかくなりたいと希求するベテランドクター(がいたとしたら)本書はゼヒゼヒ読んで欲しい。
それと、法曹界における「因果関係」という言葉の奇異な使われ方についても同感だ。一意的なAが原因でBがおきた、というステートメントは医療の世界にはそぐわないというのが僕の意見で(これは因果関係の有無とは無関係に「そぐわない」)、このステートメントにすべて換言する法曹界の方法論には賛同できない。ただし、僕の意見は本書の著者とも若干異なる。
疫学至上主義という言葉を著者が使われたように、本書には若干の「言いすぎ」を感じなくもない。実験医学に対する強いルサンチマンも感じる(そのいくぶんかは納得いくけど)。
要素を集めたところで生物では全く機能しない(44p)
医学領域では研究に実験が必要という状況ではなくなっている(46p)
みたいな。僕なんかは、いろいろな方法が多元的、多面的アプローチをした方が楽しい方だから、メソドロジーの優劣はあまり問わない方だ。ある事象にとっくむのによりふさわしいアプローチがあるだけで。てなわけで、僕は何とか原理主義とか至上主義は苦手なので、下は議論のためのコメントではない(よって続編はありません)。
インターベンションに対するアプローチも若干異なる。ピロリ菌が胃癌の原因である、、ここはよい。しかし、原因がそこにあるというのと、介入が有効であるというのは同義ではない。糖尿病患者の無症候性細菌尿は将来の尿路感染のリスクではあるが、抗菌薬治療をしてもそのリスクは減らせなかった。両者は厳密に区別しなければならない。「敢えて除菌しないほうを選択する必然性は何もない」とは思わない。抗菌薬には耐性菌のリスク、副作用のリスク、お金のリスクがつきまとう。そこにリスクがある、だから行うのは当然と決めつけてはならない(行わない、と決めつけてもならない)。
ゼンメルワイス、スノー、リンド、高木兼寛(p37)は疫学的研究が医学に貢献した例を顕著に示している。しかし、彼らはその疫学的データに続いてインターベンションを行い、その価値を指し示した。介入試験(実験と言い換えるかどうかは恣意が生じるかも。シングルアームでも臨床試験は一種の人体実験なのでそう呼ぶことも不可能ではないだろう)ももちろん大切なのである。要素還元主義や実験は医学において必ずしも重要ではない、、、という筆者の意見は半分正しく、半分そうともいえない。
僕の立場から言うと、オセルタミビルと副作用の関係についてノーコメントというわけにはいかないだろう(70pより)。まあ、前にも似たようなことどっかで書いているので繰り返しだが。
こういうもめてる問題は、臨床現場には多い。敗血症性ショックにステロイドは効くか、、、みたいな。
オセルタミビルが神経系の副作用を起こすか?そうかもしれない。そうではない、と反論する向きもあろう。例えばセレクションバイアスの可能性をとったりして(実際、Epidemiologyではレターがでている)。一番まっとうな言い方は、「現時点では真実はわからない」であろう。
ところで、多くの薬では副作用の「因果関係」は証明されていない。事象報告だけで添付文書に注意喚起されている。副作用の証明は難しいし、実験的に証明するのは倫理的に無理である。だから、因果関係の有無と副作用情報(まあ、有害事象情報でもよいですが)は必ずしも一意的な関係にあるのではない。
だが、僕ら現場の臨床医にとってはそこはあまり関係ない。
まず、副作用があること「そのもの」は問題ない。僕らが使う薬全てに副作用のリスクがある。中枢神経に異常を来し得る薬も多い。イミペネム、キノロン、アマンタジン、、、
インフルエンザウイルスそのものが中枢神経に作用するという説もある。タミフルが原因という説もある。どちらにしても、患者に対するアドバイスは同じである。
処方するかどうかは、副作用の有無「だけ」が決定するわけではない。その効能とのバランスがそれを決定する。ロタウイルスワクチン(新しいほう)は腸重積の副作用が生じるが、与える利益のほうが大きいために多くの国で使われている。
タミフルは微妙な薬である。その効果が微妙だからである。だから僕らは銀翹解毒散を用いた臨床試験を行った(しょぼかったけど)。それは「タミフルを使うな」という意味でもない。オセルタミビルを使うべき条件、を中腰で吟味するのだ、という話である。副作用もあるかどうかはわからないけど、あるかもねえ、と中腰で注意する。まあ、こういう物言いはタミフル賛成派にも反対派にも理解されないけどね。 -
科学や因果関係について日本の研究者がトレーニングを受けていないため、専門家が誤った認識をもっているのではないかという認識の元書かれた本。
科学、因果関係、疫学あたりに関して概観するのによいかもしれない。 -
◎こころ:数値より手法、手法よりデザイン、デザインより因果関係を理解しておかないと、とんでもない間違いを犯すことになる。
○ツボ:医学メカニズムモデルより疫学的因果推論を重視。統計処理の前提は正しい因果推論。数字の読み違えがないように因果関係の考え方を把握する。因果推論への無理解が多くの社会問題を生んだ。
☆問い:あなたの研究分野で起こった因果推論の誤りはどんなものがあるか。それを再発させないためにはどうすればいいか。 -
医学
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実験的にメカニズムを明らかにして内部妥当性を高めることは、現象を結論づけること自体には必要ない。
現象は現象のみで十分結論できる。
それにハクをつけているのがメカニズムの理解。もちろん、新たな現象を見つけるステップとして使えるときはあるにせよ。
ヒュームの問題
1.aに曝露してbが起きた
2.aに曝露してbが起きなかった
3.aに曝露せずbが起きた
4.aに曝露せずbが起きなかった
日常、ボタンを押して電気がつけば因果を推定する我々が、1を見て、関係があるとも言えないけど、ないと考えるのはおかしい。
とかなんとかだったけど、流し読みなので理解しきれてない。読みなおす。 -
因果関係について、考えることができる良書。
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k
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国際がん研究機関IARCがピロリ菌による発がん性を疫学により直接的に認めていたにもかかわらず、日本の医学界はそれを認めなかった。動物実験や臨床試験がないからという理由で。。。日本は胃がんが多い国である。失われた10年の間に胃がんで亡くなった方に対する専門家の責任は重い。
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日本人の医学者は、実験によるメカニズムの解明にこだわりすぎていて、かえって本質を見失っている、そんな気がしてならない。
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2013 12/30読了。Amazonで購入。
先日、学会発表をやった後に「読んでおくといいよ」と薦めていただいた本。
やっと授業準備のないタイミングで読むことができた。
・まるで仮説を示さないような発表をした後なので、それこそこれを薦めていただいたわけであろうと・・・論文とかは基本的に仮説明示する形にするようにしているのでわかっているつもりではいたんだけど、できていなかったわけで、ゆめゆめ意識する。
・本書の中身としては疫学者である著者が、ヒトに関する観察(コホート研究等)で既に病気や中毒の原因物質と特定されたはずのものについて、日本だと実験が行われていないことや細かいメカニズム(分子レベルやゲノムレベル等様々な段階の)がわかっていないことを理由に「原因とは断定できない」って言われてしまったりする状況の問題を指摘する。
・疫学的/RCT等の実験ものの関係整理とか、医学における問題点の指摘が面白い・・・というのはなんか違う、怖いんだけど、興味深いし、DAGについて等はちゃんとやってなかったのでふんふん、と思ったりする
その他、気になった点のメモ:
・p.22 1章まとめ2:日本の医学研究者は人間での因果関係の証明(疫学研究)は「間接的」であると考える傾向がある。しかし、実は疫学研究こそむしろ「直接的」な証明として国際的に考えられている。日本での考え方が転倒している
・p.55 2章まとめ3:メカニズムと要素還元主義は、ベルナールの決定論と細菌学のミクロの観察から発展してきた/まとめ4:人間の観察ではなく、動物実験やメカニズム、ミクロの観察を科学の必要条件であると考えるのは、仮説のレベルを整理できていないためでもある
・3章・・・要素還元主義により、問題への対応が遅れた事例の紹介
・4章・・・「ヒュームの問題」。ヒュームも読まないとなあ・・・
・p.35 フーコー『臨床医学の誕生』読みたい
・p.41 ピアソン『科学の文法』読まないと -
「科学」とは何か。「因果関係」とは何か。
驚くことにこの質問に明確に答えられる日本の医学者は少ない。
医学教育の問題はまさにそこにあり、因果関係について論じられる医学者がいないことはたびたび日本社会の弊害になってきた。世界から取り残された疫学後進国である日本は、今はまだGDPに支えられた科学医学技術で先行リードしているものの、これからさらに医学的問題が明らかになり、後進していくだろう。
自戒をこめて言おう、医者はバカばっかりである。そして無知の知すら認識できない日本の医者は弊害を垂れ流していくだろう。
本書は何が日本の医学において問題なのかを丁寧に指南してくれる。
「はじめに」と「おわりに」の文はこれらの問題点を端的に表現できていて(もちろんこんな汚い表現ではない)最初に読むと良いと思う。
同門の先生の書なのでレビューするのもおこがましいのだが。津田先生は高度な知的さを有し、同時に飄々とした近所のおっさんさ具合は半端ない。こういう人がまさにデキる大人。 -
科学哲学ということを取り上げています。
科学というのは、すべてを解き明かす万能の杖ではないということです。
根本には、科学という方法論を信じるという思想的なところがあります。
例としてヒュームの問題をあげています。
ヒュームは、因果関係というのは、推測にすぎないと主張しました。
いくら過去の経験からAという事象がBという出来事の原因の可能性が大きいとしても、絶対にそうだとはけっして言えないということです。
ヒトは、ある事象から起こる出来事を勝手に憶測する傾向があります。
私たちは、疑いもなく因果関係を受け入れていますが、ヒュームはその点を疑問視したのです。
ヒュームの考え方は、懐疑論といわれています。
http://ameblo.jp/nancli/entry-11595605337.html -
何をもってタバコは体に悪いと結論付けることができるのか?
ヒュームは、「原因がなければ結果が無い」場合にのみ因果関係があると言いました。
これは、タバコの例でいえば「(肺がんにかかった人がもし)タバコを吸わなければ肺がんにかからなかった」という検証をしなさいということになりますが、それはできないわけです。
ここに、仮説検証実験の難しさがあります。
★★★
我々の仕事にあてはめれば、「改善施策が効果がある」ことをどう評価したらよいかということになります。
本書にはこれに対する答えが書かれています。 -
ヒュームの原因と結果は絶対的には結びつけることができないという点をベースにではどうすればいいかという議論。
統計学がヒューム後にできたが、あくまで確からしさをはかるものでしかない。現実には、原因と目されるものが起きてしまったあとに、もしそれがなかりせば、ある事象(結果)が本当に起きたかをしりたいのだが、それは決してわからない。
森永ヒ素ミルク事件や水俣病では、要素還元主義によって原因物質が突き止められないうちは、森永のミルク、水俣の魚が危ないということがわかっていても、差し止めができていなかった。 -
大半の医者は科学・因果関係・科学哲学などほとんど考えたことがない
医学において実験が必要不可欠、ということはない。スノーvsコレラ、ジェームズ・リンドvs壊血病、高木兼寛vs脚気など
要素還元主義だと原因の特定が遅れ、新型のアウトブレイクの際に対応が遅れる。煙草とか、公害とか、薬害とか
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