- 本 ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000610070
感想・レビュー・書評
-
第一次大戦の開戦原因(開戦責任ではない)について、様々な専門分野の学者がそれぞれの視点から考究するもの。
研究のキークエスチョンとして、サラエボ事件から開戦までの当時者の拡大、イタリアと他国の行動の相違、躊躇・逡巡と開戦への傾斜、イギリスの開戦決定、平和主義思想の無力さ、異なる状況下での戦争熱の共通性をあげた。
その上で、植民地獲得競争との関係、経済的相互依存関係(ノーマンエンジェルの大いなる幻想が有名)、国際分業論、平和主義運動、民衆思想・感情・ナショナリズムなどが研究の対象となった。
結論を言うと、国民感情・ナショナリズムの果たす役割に決定的な重みを与えている。
・植民地競争もうまく外交的にマネージされた
・ブロック経済で植民地を囲うよりも相手本国との自由貿易の方が利益が大きい。特にドイツ
・経済的相互依存によって、自国GDPよりも輸入が増えたイギリスの危機感・不満感は大きく、made in Germanyという書籍がドイツの経済侵略論に火をつけ、実際の侵略を想定する小説も流行って両国民の敵愾心が増していく
・平和主義や労働者間の連帯は大きな動きとして存在したが、ナショナリズムと併存しており、自国が侵略された場合には、自国防衛を第一にするらという議論
・ボーア戦争でも戦争熱が大変なことに
結局、どこの国も民主の戦争熱に押される形で戸惑いながらも意思決定を行っていったという結論となっている。
確かに、これまでも第一次大戦の経緯論を読んできて、危機を回避するたびに怒りや不満が蓄積し、そのガスのような空気に一気に点火されると言ったような雰囲気の圧力が開戦原因に至ったというのは体感的に納得できる。イギリスの与野党の政治家が八月初旬にドイツとの開戦に踏み込まなかったら、議会ではなく議会を取り巻く民衆に倒されるという危機感、これは太平洋戦争に突入しなければクーデターが起こっていたかもという当時の宮中の危機感と同根かもしれない。
そうなると、今を生きる我々の教訓としては、ガスを溜めないように、少しずつ放出して形作っていくことが求められるということであろうし、ナショナリズム或いはナショナリズム的なものがいかに危険なものか認識するということであろう。そういう意味では、スキャンダルやらマイナカードやら瑣末などうでも良いイシューにエネルギーを使う日本の政治というのはある意味、危機の安定性はあるのかもしれない????詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
第一次世界大戦開戦理由の教科書的通説(帝国主義の末路)を検証し、当時の社会の姿を描くことがこの本の主眼である。書き手が大戦を専門とする近代史の学者ではなく、経済史などを専門とする多様な学者であることがこの本の出色であろう。そのため、この本によって描かれる時代は、帝国主義外交の盛衰、グローバル経済の発展、平和主義運動の台頭、ナショナリズムの過熱化と様々である。開戦理由をああでもない、こうでもないと逡巡する点がある意味魅力である。
外交努力はなされ、経済的に戦争は損であるという考え方も流通していたのに戦争は起きてしまった。この本から得られる教訓は、「戦争なんて起こらないと油断してはならない」ということだと思われる。l
著者プロフィール
小野塚知二の作品





