- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000610391
作品紹介・あらすじ
軍の命令か、医の倫理の逸脱か-。終戦直前の一九四五年春、名門大学医学部で行なわれたおぞましい「実験手術」により、米軍捕虜八人が殺された。当時、医学部第一外科の助教授であった鳥巣太郎は、この生体実験手術に抵抗し、四回あった手術のうち参加したのは最初の二回(正確には一回半)であった。しかし、戦後に行なわれた「横浜裁判」で、首謀者の一人として死刑判決を受けた。鳥巣は苦悩の末、死を受容する心境に達したが、鳥巣の妻・蕗子は様々な妨害をはねのけ、再審査を請求し、減刑を勝ち取った。本書は、鳥巣の姪である著者が、膨大な戦犯裁判記録のほか、知られざる再審査資料、親族の証言などを基に、語り得なかったその真実を明らかにするものである。
感想・レビュー・書評
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1945年5月、米軍のB29 55機は九州に爆撃に向かい、このうち2機が撃墜された。乗組員たちは、あるものは住民によってその場で殺され、あるものは怪我を負って後に命を落とし、あるものは捕虜となった。生き残ったのは11名。うち、1機の機長のみが情報を得るため東京に送られ、残りの捕虜の処遇は西部軍司令部に委ねられた。東京の捕虜収容所はすでに満員だったためである。軍司令部も処置に困ったが、当時の日本軍は裁判なしに捕虜を処刑することも多かった。したがって、この際の捕虜も処刑する方向だった。だが、経緯の詳細は不明だが、捕虜のうち8名は大学医学部で「生体解剖」されることになった。悪名高い九州大学生体解剖事件である。
そもそも誰がこの忌まわしい事件の首謀者だったのか、詳細は明らかでない。
事件の中心にいたものが、あるいは空襲で死亡し、あるいは裁判を前に自殺してしまったこともその一因である。生き残った者も、自分の罪を重くしないように、証言を歪めた場合もある。
本書の著者は、外科教室の助教授であった人物の姪にあたる。最近になって国立国会図書館に裁判資料が保存されていることを知り、この資料や他の証言などを元に、当時、何があったのかに迫ろうとしたのが本書である。
ことが明るみに出たのは終戦後の秋のことだった。事件に関する投書があったのである。BC級戦犯の逮捕が続く中、著者の伯父、鳥巣助教授も逮捕された。
主導したと思われる教授が自殺した後、鳥巣は、教室の準責任者として、事件の責任を問われた。GHQによる本件の裁判は合同裁判であり、これほどまでに人々の耳目を集めた事件では、スケープゴートとなるものが必要であった。つまり、誰も責任を取らないという結末では収まりがつかない。誰かが責を負えば、関与した他の者の罪を軽くできるという弁護側の方針もあった。
実際のところ、鳥巣の本件への関与は薄かった。
「実験手術」と称された生体解剖は計4回行われた。1回目はそれと知らず、教授に命じられて手術室に入った。軍関係者が同席する威圧的な雰囲気で行われたそれは、明らかに治療のためのものではなかっただが、当時の封建的な教室の空気の中では、教授命令は絶対だった。代用血液の効果などが調べられ、悪いところなどない臓器が切除された後、捕虜は絶命した。
帰宅した鳥巣は妻にこの話をする。妻は激しく反対した。もう捕虜の手術には参加しないよう夫に懇願した。2回目の手術があると知った鳥巣は、教授に止めるように進言したが、はねのけられた。参加を命じられたものの自室にこもり、手術が終わるのを待った。そろそろ終わる頃かと手術室を覗くと手術は続いており、やむなくごく補助的な役目を果たした。3回目・4回目は参加していない。
だが、教授が死亡してしまった以上、責任を負うとなれば鳥巣なのだった。
加えて、鳥巣には「本当に止められなかったのか」という負い目もあった。積極的に主導したのではなくても、やはり責任はあるという思いがあった。
一方、鳥巣の妻はあきらめなかった。時には、手術に関与した他の被告の家族から白い目で見られながらも、夫の減刑のために奔走した。
一度は死刑判決が出ながらも、妻の努力の甲斐もあり、鳥巣の刑は10年に減刑される。出所後、鳥巣は小さな外科医院を開き、開業医として患者のために尽くして一生を終える。
後年、鳥巣は、『生体解剖-九州大学医学部事件』を書いたノンフィクション作家の上坂冬子にインタビューを受ける。その際、命令に従うよりほかに仕方がなかったのではないかと問う上坂に、鳥巣は強く言ったという。
「それをいうてはいかんのです。」
「どんなことでも自分さえしっかりしとれば阻止できるのです。」
「ともかくどんな事情があろうと、仕方がなかったなどというてはいかんのです」
戦争がなければこの事件はなかっただろう。戦争の狂気の中で、突然突きつけられる異常な事態に、自分ならば確信をもって「否」と言えるのか。
ざらりと苦い事件の後味とともに、その問いが重く残る。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
戦時中のことを日頃語ることのない伯父さんが,発した
「日本は永久に戦争を放棄したのだ」
「軍人は決して責任を取らんものだ」
という言葉.
これを読んだ後,ドシンと,そしてストンと,入ってきます.
ぜひぜひこの時期のご一読を -
蕗子の心の内なのか筆者の感想なのかわからない部分がある。筆者は夫妻の姪であって作家ではないから仕方ない。
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/728172 -
戦争は全てを狂わす。その中でも良識をもった人は確実にいることも知った
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熊野以素 著「九州大学生体解剖事件 七十年目の真実」、2015.4発行。1945年春、九州大学で米軍捕虜8人の生体実験手術が行われ、当時助教授の鳥巣太郎は裁判で死刑の判決。後、妻蕗子の再審請求で10年の減刑に。本書は鳥巣の姪、熊野以素が膨大な戦犯裁判記録などを基に、九大事件の真相に迫ったもの。
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恥ずかしながら、自分は、この事件をあまり知らなかった。
しかし、この本を通じて、過去にこのようなことが行われたことがあったことを知り、日本の歴史の、あるいは、戦争がもたらす悲劇を知った。
内容は、1945年、終戦間近の春、九州大学医学部で米軍捕虜8名に対して行われた生体解剖実験、そして、戦後行われた、B級戦犯裁判。その後。
戦犯裁判記録、再審査資料、親族証言などを基にした小説のように進むノンフィクション。
著者は、この書籍の主人公となる鳥巣太郎の姪である。
九州大学生体解剖学の当事者、首謀者の一人として責任を押し付けられる鳥巣医師。
裁判では絞首刑を言い渡されるが、再審査により10年の懲役に減刑。
それには、一人の医師と夫を信じ再審査を請求する妻の存在があった。その姿に胸を打たれる。
他の医師達、陸軍幹部は、それぞれの自分の保身に走り、死んだ者に責任を押しつけ、鳥巣医師を首謀者の一人にしてしまう。
裁判で明らかになる、九州大学生体解剖学の当事者たちの責任逃れ、果ては、軍幹部まで、責任を逃れようとする姿には呆れるばかり。
戦争がもたらす狂気、そして、誰もが陥るかもしれない人間の弱さ、同調圧力、それがよくわかる。
裁判の自分だけは助かりたいとの思いの中で捏造され,スケープゴートが作られる恐ろしさ.正義なんてどこにもない.ただ,愛する人を救いたいという思いで嘆願し続けた蕗子の献身に心打たれた.真実は明らかにされるべきだ.
死刑判決を言い渡され、「巣鴨プリズン」で、自分の罪を棚に上げて、命乞いをする者…。
それと相対するように、別の事案で、B級戦犯裁判で同時期収監され、「来なさんなや」との言葉を残し絞首刑となった岡田資中将という人物が対照的だった。
戦争というものがなければ、この岡田資という人物は、さぞ、人格者として、人々を導いたことだろう。
戦争という非常時がもたらした、人間の狂気、人間のエゴ、人間のいざという時の、人間の弱さと強さ。
鳥巣氏が晩年に語った言葉。
「軍人は決して責任を取らんものだ」
まさにその通りだ。
そして、「日本は永久に戦争を放棄したのだ」という言葉を忘れてはいけない。
同じような悲劇を繰り返さないためにも。