昭和天皇の戦後日本――〈憲法・安保体制〉にいたる道

著者 :
  • 岩波書店
3.90
  • (8)
  • (4)
  • (6)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 78
感想 : 8
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000610551

作品紹介・あらすじ

憲法改正、東京裁判、そして安保条約-昭和天皇は数多の危機をいかに乗り越え、戦後日本を形作っていったのか?『昭和天皇実録』を読み込み、戦後史像を塗りかえる!

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 豊下さんの本ということで、中身も見ずに買った。豊下さんには戦後日本の管理体制や安保条約の本の他に、象徴天皇の政治性を問題にした『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波書店)があるが、ぼくは後者に特に感激していたからだ。よく知られていることだが、昭和天皇は在位の過程で二度イニシアティブを取ったことがある。その一つは、226事件、もう一つは終戦の決定である。そして、戦後、天皇は象徴になったとされるが、政治に対する関心は戦後も変わることなく続いていた。戦後の日本は二つの政治中心を持っていたのである。豊下さんはこうした研究の蓄積の上に、今回公にされた天皇実録を読み込み、天皇がいかに政治的な判断をその都度していたかを確認する。本書で豊下さんは、戦後昭和天皇は二つの大きな局面にぶつかるも、それを乗り越えていったと言う。一つは東京裁判での天皇の訴追問題や新しい憲法下での天皇の位置の問題であり、もう一つは冷戦の中での共産主義勢力によって天皇制が否定されるのではないかという問題である。現今、憲法は押しつけだとの批判があるが、天皇は訴追免除とともに、新憲法に対してもマッカーサーに感謝していた。つまり、あの短期間につくられた憲法がなければ、天皇はある意味どうなっていたかわからなかったのである。と同時に、冷戦が深まる中では、天皇はマッカーサーを飛び越え、アメリカ本国と直接交渉をしていた。それは共産主義勢力によって天皇制が倒壊させられるのではないかという恐怖からであった。本書は最後に、現在の明仁天皇・皇后の行動が、まさに戦争の悲惨さを風化させず、憲法の精神を守ろうとしていることを論じる。それは、憲法の精神を踏みにじろうとする政治勢力に対する沈黙の抗議でもある。

  • 「南京大虐殺の記録」の世界記憶遺産登録への道は、
    安倍総理のおじいさんがつくったようなもの?

    昨日、読み終えた「昭和天皇の戦後日本」(豊下楢彦元関西学院大学教授著)に、大変興味深いことが書いてありました。今年の7月に出た本なので、ユネスコへの申請すらまだしていない時期に書かれております。

    それによると、1982年に日本国内でほとんど知られることがなかった、日中関係に重大な影響が及ぼされる事態が発生したのだそうです。そして、皮肉なことに、それが、「南京大虐殺の記録」の拠点施設である「南京大虐殺記念館」の建設につながったようです。

    その事態とは、岸信介元首相を会長に擁した「満州建国之碑」の「建設会」が発足したこと。満州国を「理想国家」と位置づけ、その「建国」を顕彰することを目的に、かつて満州経営の中心人物として辣腕をふるった岸信介を会長にして進めた計画。
    これに対し、日本で「満州建国之碑」を建てるなら、私たちは「日本侵略者之碑」を建てねばならなくなる」として、中国政府と共産党中央委員会は、全土に日本の中国侵略の記念館・記念碑を建立して愛国主義教育を推進するように指示を出し、翌83年に「南京大虐殺記念館」の設立が決定され、85年にオープンの運びとなった。

    ということだそうです。日本側の建設計画は結局、取りやめになったそうだけど、怒りに火をつけたのは日本だったわけで、なんともまあ懲りない連中がいるもんだなあと、昨日は恥ずかしくなった次第。

    (興味深い話)

    昭和天皇の戦後日本
    ~〈憲法安保体制〉にいたる道

    著者 豊下楢彦(元関西学院大学教授)
    岩波書店
    2015年7月28日発行

    「昭和天皇実録」から判明した事実を元に、昭和天皇が天皇制を守るためにどのようにGHQの占領政策に関わり、協力していったか。そして、憲法制定、東京裁判、日米安保という戦後の日本の体制づくりにいかに能動的に関わっていったか、そのプロセスを解き明かしている。1947年の段階で象徴天皇となっているにもかかわらず、昭和天皇は政治を“司って”いたことが分かる。「昭和天皇実録」の読み解き本でもある。大変に興味深い本だった。

    戦後、天皇制存続の危機は2度あった。一つはGHQや戦勝連合国による天皇制廃止、もう一つは共産主義化による天皇制打倒。昭和天皇にとって何より大切なのは天皇制の存続であり、もっと言うなら我が身より皇統を守ることであり、そのためなら何でもしたリアリストだったと著者は言っている。もちろん、昭和天皇実録やその他の史料からそれを証明している。

    具体的には何をしたか?まずは新憲法づくり。天皇主権を維持した松本試案に、GHQとともに反対した。その上で、毎日新聞のスクープを待っていたかのようにGHQが1946年2月から「密室の九日間」に作り上げたマッカーサー草案。そこに主権者としての天皇の存在はなかった。これを内閣が受け入れて一番ほっとしたのは昭和天皇にほかならない。彼は主権者でなくても、とにかく天皇制を守りたかったのである。憲法で保証されれば間違いない。

    では、なぜたった9日間で作ったのか?それは昭和天皇が望んだから。マッカーサーは以前から日本関係の職に就いていたため、日本通であり、天皇制なしに占領政策がうまくいくわけがないと最初から存続を決めていたことはよく知られている(会見して人間性に心動かされたというのは名目)。だから、すぐに憲法で存在を認めたかった。ところが、連合諸国11ヵ国による極東委員会の設置が決まり、新憲法はGHQの一存では決められなくなる。それが2月26日だった。11ヵ国には、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、オランダという天皇の戦争責任を問う国々がいる。時間がない。極東委員会発足までに憲法を決めてしまわなければ。そういう事情だった。
    現憲法がGHQからの押しつけだ、などと言って憲法改正を望む人はこの点をよく知っておいてもらいたい。

    また、自らが東京裁判で訴追されたときの釈明のため、事前につくったのが「昭和天皇独白録」である。独白の要約版である英訳版が、なんと独白録の本編より先に出来ていた事実をあげて、そのことを証明している。

    もう一つ、世界的にその勢力を拡大しつつあった共産主義から守る。そのために昭和天皇は、日本の非武装化とともに米軍に守ってもらい、その代わり沖縄を渡そうと考えたらしい。1947年9月19日、「沖縄メッセージ」を寺崎英成を介して連合国最高司令部外交局長ウィリアム・ジョセフ・シーボルトあてに伝えたことが「昭和天皇実録」で明らかにされており、天皇はアメリカが沖縄および他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望し、その占領がアメリカの利益となり、日本を保護することにもなるとの考えを示した。その際、アメリカによる軍事占領は、日本に主権を残しつつ長期貸与の形を望んだ。

    戦争末期の1944年9月、昭和天皇は米軍による東京への攻撃に備えて発言、「できる限り最後まで帝都に留まりたく、時期尚早な実行は決して好まないところであること、〔中略〕あくまで皇大神宮の鎮座するこの神州にあって死守しなければならない旨のお考えを示される」と昭和天皇実録に書かれている。神州とは日本本土のことで、本土以外はどうでもよかった。「領土は如何でもよい旨を述べられる」と実録にある。
    沖縄を渡し、日米安保体制を整えて共産主義から天皇制を守る、こうしたリアリズムがあったと著者は言っている。

    なお、1971年4月11日に行われた統一地方選挙において、東京で美濃部亮吉、大阪で黒田了一が知事に当選し、横浜市長選では飛鳥田一雄が選ばれ、「革新自治体」が躍進。その前年4月には京都で蜷川虎三という「革新知事の象徴」が6選をはたしており、その結果を知った昭和天皇は日本の共産化を恐れたのか質問、昭和天皇より「政変があるかと御下問あり」と卜部亮吾侍従日記には書かれている。

  • 昭和天皇がリアリストであり、皇統を護る事を憲法よりも上に置いて行動したという分析は、天皇を聖人君子や「良い人」と丸めてしまう論調よりも、余程現実的であり、昭和天皇も自身に与えられた使命を全うしようと生きた一人の人間という事で納得できる良書である。
    東京裁判では東條英機にすべてしょっかぶせる、安保条約では共産革命阻止のために米軍が内乱に介入できるようにする、沖縄は戦中は捨て石(最後の戦況確認手段)であり、戦後は米軍に占領を続けてもらう事で守ろうとした。
    しかし、第二章は、アンチ安倍政権のバイアスが掛かっているいる事が冒頭から見え見えで本書を台無しにしていると思う。
    本当の「人間昭和天皇」の実像を明らかにした上は、読者一人一人にこれからの日本を考えさせるべきであり、この本の趣旨からして著者の考えを押し付けるべきではない。

  • 二・二六事件、80年目の日に。

    昭和天皇にあっては、共産主義による天皇制の妥当という脅威に対処し、これを乗り越えることが憲法規定を遵守するよりも重要なことであった。

    昭和天皇は日本の敗戦から講和条約の締結に至るまでに、天皇制の維持それ自体が危機に瀕するような、二つの重大かつ深刻な危機に直面した。

    第一の危機として、憲法改正の成り行き次第では天皇制が廃止される危険性がありえたし、更に東京裁判の展開次第では昭和天皇自信が訴追される恐れもあった。


    これらを回避するために「象徴天皇制」は、天皇制を維持するための手段として、昭和天皇も歓迎した。


    <blockquote>30代において50代、60代の軍部指導者たちを相手に、立憲君主と大元帥という「二つの顔」を使い分けて自体に体操した昭和天皇にあって、占領期に駆使することになったのが、事実上の「外交権」であった。軍人として育てられた唯一の天皇である昭和天皇は、内政・外交の全般にわたっても「帝王学」を学んだ。こうした"偉大な素養"
    こそが、生田の危機を乗り越え、62年と二週間という歴代天皇で最長の在位を可能とした。(P.301)</blockquote>

  •  昭和天皇実録などの資料を参考に昭和天皇の終戦直後の行動、心情に迫る。

     この本に書いてあることはかなり衝撃的だ。
     終戦直後の昭和天皇は象徴天皇としての天皇制の維持と安全保障の為に密かに政治的に動いていた。国際情勢に明るかった昭和天皇が最も政治的な行動をしていたのは、皮肉にも象徴天皇になった直後だったのだ。
     政治家、昭和天皇の評価は難しい。今に至る歪な日米安全保障の成立に一役買ってしまった面もある。ただ、私は昭和天皇は自身の保身として天皇制の維持を考えていたのではなく、日本の安定の為に考えていたのではないかと思う。
     

  • 「安保条約の成立―吉田外交と天皇外交」の推測部分が、「昭和天皇実録」で裏付けられた。
    第Ⅲ部、「憲法・安保体制のゆくえ」も読みごたえがある。
    「自主憲法」と植民地的な日米地協定が併存する”歪なナショナリズム”は、どこかる来るのか?(P259)
    日米関係を「騎士と馬の関係」として捉え、「立派な馬」になりきらんとすることに「自主性」を見出そうととする、ナショナリズムが長年かけて醸成されてきたのだろう、とされているが、それだけであろうか? この本を読んだ後に残った疑問。
    読売新聞の渡邊恒雄会長が、A級戦犯が合祀された靖国参拝に厳しく批判しているという話は初めて知った。

  • 敗戦直後の近隣国の憎悪と共産化の波の中で、国家分裂や報復の危機が迫っています。アメリカが権原のない天皇の意見を聞いたのは、(占領政策と軍事戦略上の)国益と合致したからでしょう。本文の書き方ですが、発言を引用する場合、何時・誰が・どこでされたものかはくどい程注記が欲しい。推論が結論の形になり、繰り返される個所も気になりました。右傾化が危惧される中で本作が活発な論議を呼んで欲しい。多様な意見が共存する社会こそ安心できる世の中です。

  • 内外の共産主義から天皇制を守るために米軍駐留が絶対条件であったので、昭和天皇は沖縄を犠牲にしたと言えるのでしょう。そして日米地位協定、すなわち行政協定は議会を回避でき、事務当局レベルで処理することによって、全土基地化と自由使用を可能にしています。だから、日本は独立国家とは言えないでしょう。安倍政権は日米地位協定の撤廃や抜本的な改正をすることなく”戦後レジーム”からの脱却を声高らかに唱えていますが、全くもってお笑い草としか言いようがありません。茶番の最たるものです。なんなんだろうこの国は。

全8件中 1 - 8件を表示

著者プロフィール

前関西大学教授

「2014年 『冷戦と同盟 冷戦終焉の支店から』 で使われていた紹介文から引用しています。」

豊下楢彦の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×