セカンドハンドの時代――「赤い国」を生きた人びと

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レビュー : 18
  • Amazon.co.jp ・本 (624ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000611510

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  • さすがにドストエフスキーの国の話らしく、読んでいる間は鬱々として愉しまず、時おり挿まれる笑い話は苦みが過ぎて笑えず、読語の感想は決して愉快とはいえない。しかし、景気悪化がいっこうに留まることなく、それとともに戦前回帰の色が濃くなる一方の、この国に住んでいる身としては読んでおいた方がいい本なのかもしれない。副題は「『赤い国」を生きた人々」。歴史的にも何かと因縁のある国でありながら、戦後アメリカ一辺倒でやってきた日本にとって、ソ連、そして最近のロシアという国は、近くて遠い国といって間違いはないだろう。

    筆者は、昨年(2015年)のノーベル文学賞受賞者で旧ソヴィエト連邦ウクライナ共和国生まれ。このぶあつい書物は、テープ・レコーダーを肩にかつぎ、街頭や個人の家に出向いては無数の人々の声を録音してきたインタビューを文章に起こしたもの。文中にたびたび(沈黙)、と記されているように、筆者は聞き役に徹し、ほぼ相手の話した通り忠実に書き起こしたものと思われる。それだけに、読みやすくはない。内容が内容だけに、感情的になりがちな話し手の息づかいまで聞こえてくるような書きぶりに、こちらのほうまで息苦しくなってくる。

    タイトルにある「セカンドハンド」とは、中古品のことで一昔前には、それを略した「セコハン」という言葉はあたりまえのように使われていたものだ。では何がセカンドハンドなのか。ゴルバチョフ主導により行われたペレストロイカ以後、共産主義国家であったソヴィエト連邦が崩壊し、ゴルバチョフの後を受けたエリツィンにより、かつてのソ連はロシア連邦となって資本主義国家への道を踏み出した。しかし、民主主義や自由という言葉にあこがれ、よりよい生活を夢見ていた人々を襲ったのは、失職、預金封鎖、ハイパー・インフレの嵐だった。

    かつては技師や研究者であった人々が、国家の方針転換で職をなくし、食べ物を手に入れるために、物売りや清掃人の仕事をして食いつながなければならなかった。そして、その子どもたちの時代、現代ではスターリンの肖像をプリンしたTシャツを着た若者の姿が目立つという。かつて、目にしたものが、批判され打倒されたはずのものがいつの間にか復権し、大手を振って町を席巻している。昔を知る人々にとっては、まるで美しく輝いていた共産主義が中古品になって出回っているという気にもなる。タイトルの由来である。

    それにしてもである。人々の口にする言葉が画一的というか、人はちがっていてもまるで同じフレーズを唱えることに驚く。ペレストロイカで皆が夢見たものはソーセージ、それにジーンズ。そして、一時期の混乱を経て、今、ソーセージは確かに街に氾濫しているが、人々の頭にあるのはカネ、カネ、カネだ。人よりうまくやって金を得ることが何よりも大事なことになった。キイチゴ色のスーツを着て、金の鎖をじゃらつかせ、メルセデスに乗った勝ち組が大通りを闊歩する。

    昔はこうではなかった。みんな貧しかったが、そのかわり大金持ちが威張りくさるということもなかった。スターリンは偉大だった。ソヴィエトは立派な大国だった。ゴルバチョフは、CIAの手先で、ユダヤ人たちに国を売り渡してしまった。あの偉大なソヴィエト連邦は、一発のミサイルも撃つことなしに共産主義国家を雲散霧消させてしまった。91年のクーデターを阻止するため、広場に集まった人々の口にする言葉は、みなおどろくほど似かよっている。

    インタビューに応じる多くが、当時のインテリ階級で共産主義の理念に賛同し、熱心に活動してきた人たちだ。文学好きで、チェーホフやプーシキンの全集を備え、劇場に足を運び、舞台を楽しんでいた人々が、ペレストロイカ以後は、生きるために、まずは食べる物を獲得することに自分の全エネルギーを費やすことになる。その空しさを、切々と訴えるのだが、子どもたちには理解してもらえない。ジェネレーション・ギャップは、世界共通でもあろうが、彼らの言うように互いが異なる国に住んでいるというほどの認識までにはさすがに至らないだろう。

    べネディクト・アンダーソンによれば、国家とは「想像の共同体」であって、地政学的な概念ではない。そういう意味では、かつてのソヴィエト連邦と、現在のロシア連邦は地理的には共通する部分が多いが、同じモスクワに住んでいても、ソ連当時のモスクワに暮らしていた人々と、現在のモスクワに住む人々は、まったく異なる国の国民であるといえる。ずっと故郷を離れていたモスクワっ子が、ペレストロイカ後のモスクワを見てその様変わりに「ここはモスクワではない」とつぶやいても無理はないのだ。

    軍によるクーデターを阻止した人々が狂喜の後、激しい落胆に襲われた理由は、民主主義は突然やってきたりはしないということだった。ヨーロッパは二百年にわたって民主主義を育んできた。ロシアは、一朝一夕には変わらない。アメリカとの軍拡競争に明け暮れ、リベットを打って兵器を作ってきた多くの工場や研究所の閉鎖は大量の失業者を生んだ。おまけに軍縮はこれも大量の失業軍人を輩出した。「自動小銃と戦車しか知らない男たち」は、なすすべもなくウオッカを飲んで女を殴った。

    政府の上層部は、共産主義を廃止すれば、民主主義や資本主義が、自然成立するとでも考えていたのだろうか。目端の利いた者が早いもの勝ちにパイを奪い合い、かつてそれなりの秩序の下にあったロシアは、ならず者が力で牛耳る国家になり果ててしまう。目を覆いたくなるような悲惨な状況が、次から次へと語り継がれる。まるで悲劇的作風の短篇小説を大量に集めたものを読まされている感じだ。しかし、これは小説ではなく事実。KGB出身のプーチンが、それなりの支持を得たのは曲がりなりにも治安を回復させたことにある。

    西側からは歓喜の声を持って迎えられたペレストロイカの実態が、かくまでひどいものだったのかと、改めて思い知らされた次第。煮え湯を飲まされた世代と、過渡期の地獄を知らない世代にとってスターリンは英雄なのかもしれない。第二次世界大戦の生き残りは言う。「スターリンのことを悪く言うが、スターリンがヒトラーに勝利しなかったらロシアはどうなっていたんだ」と。年よりは、スターリニズムの恐怖を知らないわけではない。彼らは彼らの国家の夢をいまだに見ているのだ。想像の共同体である偉大なロシアの夢を。

    国家が想像の共同体であるなら、この国にだって憲法に象徴される戦後民主主義の理念を共有する人々の共同体がある一方、戦前の価値観をセカンドハンドで手に入れ、ほこりをかぶったそれを今風に飾り立ててさも素晴らしいものであるように見せる人々がいる。この国もまたセカンドハンドの時代に入りつつあるのではないか。とても他山の石として見過ごせるような本ではない。

    全編を通じて感じるのは、人々の語彙が単色であることだ。何人の人の口から唯物的な暮らしを意味するものとして「ソーセージ」という単語が出るか。新興成金の着る服はみな「キイチゴ色」で、他の色はない。言葉がプロパガンダ化しているのだ。この同調圧力の強さは、いったん戦時ともなれば強みだろうが、事態の急変を乗り切る際には弱みとなろう。レミングの暴走と化すのだから。この本から学ぶことがあるとすれば、そこではないか。道を誤らないためには、他人任せにせず、自分の目や耳をつかって、今起きていることを自分の言葉で語り、書きとめていく必要がある。それを反語的に教えてくれているのがこの本ではないのだろうか。

  • ユートピア5部作の中で1番読むの大変だった。ソ連の体制分からない(汗)
    望みはブラジャーとジーパンだったのに、人生全てを捧げて作り上げた国が消えて、残されたのは紙屑同然になった貯金と自己責任。
    ロシアで今もソ連を懐かしむ人達がいるのが理解できなかったけど、これ読んで納得しました。
    巨大なドーナツを皆で切り分けて穴をつかまされたって表現が的を得て妙。

    誰でもバレエのチケットが振り分けられ、詩人の朗読を聴くためにドームが満杯になるって凄い。
    でもやっぱり、密告と収容所がまかり通る世界はいかん。

  • 今まであたりまえのように暮らしていた生活が、日常の小さな喜びすら味わうことができないほどに一変する現実に向き合ったとき、わたしたちはどうやって生きていくのだろう?ましてや、それが自分や家族の生存すら危うくなるような現実だとしたら。
    今わたしたちは、パンデミックという世界の誰もが経験したことのないような現実を目の前にしている。今までどおりに生活できない息苦しさも感じている。おそらく、パンデミック後の世界は、今までとは違った世界になるにちがいない。つまりは、それまでの世界が「セカンドハンド」となるのだ。

  • 1991年、ソ連邦崩壊。世界史年表にしたらたったこれだけの
    文字数で済んでしまう。だが、その1行は多くの人々の生活を
    根底から変えた。

    これまでの価値観を180度変えてしまった「20世紀の実験場」
    の崩壊は、市井の人々に何をもたらしたのか。「赤い国」を
    生きた普通の声を集めたのが本書だ。

    国ががらりと姿を変える。今まで「悪」とされて来たことが「善」
    となり、「善」とされてきたことが「悪」となる。資本主義への
    移行期間に、金儲けのチャンスを見出す人もいれば、ソ連時代の
    価値観を捨て去ることへの感傷を抱え込む人もいる。

    ソ連はユートピアのはずだった。アダムとイブが住んでいたのは
    ソ連ではないのか?と言われるくらい。何故なら、着る物もなく、
    食べる物もリンゴしかないのに、自分たちを幸福だと思っていた
    から・・。あ、これはアネクドートだったわ。

    社会主義から資本主義への転換。それがもたらしたのはハイパー
    インフレと紙くず同然となったルーブル紙幣。そして、混乱の
    どさくさに紛れて国営企業を手中にし、大金を懐にしたオリガ
    ルヒと呼ばれる新興財閥の台頭だった。

    「ロシアには強い腕が必要なんです。鉄の腕が。ムチを持った
    監視者が。だから、スターリンは偉大なんですよ!」

    このように語る人がいる。だから、ロシアはプーチンを選んだ。
    再び「強いロシア」を実現してくれる指導者を求めて。

    「あの頃は良かった」。実際にはデストピアだったソ連を、懐かし
    み、「あの時代」に戻ることを希求する人のなんと多いことか。

    以前、ルーマニアでもチャウシェスク時代を「あの頃は良かった」
    と懐古する人たちが現われたのも、ソ連を懐かしむことと同じな
    のかもしれない。

    政治が、経済が、生活が、がらりと変わってしまったら誰でも
    「昔に戻りたい」と感じるものなのだろうね。

    ただ、近年の日本で「大日本帝国よ、もう一度」と夢見ている人
    とは似て非なるものだとは思う。

    600ページを超える大作だが、ひとつの国歌が体制を変化を余儀なく
    された時、人々は何を感じ、何を思っていたのかを知ることの出来る
    良書である。

    尚、本書の著者がノーベル文学賞を受賞してから、日本でも岩波現代
    文庫で作品が出ている。私がどうしても読みたい『アフガン帰還兵
    の証言』も復刊してくれないだろうか。

  • 原題:Время секонд хэнд: Святла́на Алякса́ндраўна Алексіе́віч (2013)
    著者:Светла́на Алекса́ндровна Алексие́вич[スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ](1948-)
    訳者:松本妙子


    【版元】
    価格:本体2,700円+税
    刊行日:2016/09/29
    ISBN:9784000611510
    四六 上製 カバー 624頁

    [PR]
    20世紀の壮大な実験,ソ連.それが人びとの心になにを残したのか探るため,作家はソ連崩壊後,自殺者の家族や,強制収容所の経験者,民族紛争を逃れた難民,地下鉄テロの被害者,デモに参加して逮捕拘禁された学生らに聞き取りをおこなう――.街頭や台所で交わされるさまざまな市民の声を集め,21世紀のいま甦りつつある抑圧的な国家の姿をとらえた大著.

    ■編集部からのメッセージ■
     2015年にノーベル文学賞を受賞した、ベラルーシの女性作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの最新作です。/テーマは「ソ連」。ソ連という国家はなんだったのか、そこに暮らしていた人びとはどうなったのか、それは人びとの心になにを残したのか――ソ連崩壊後そのような問いを胸に、作者は旧ソ連各地でインタビューを行いました。/自殺した人たちの近親者、強制収容所の経験者、民族紛争を逃れてきた難民、地下鉄テロ事件の被害者、デモに参加して逮捕拘禁された大学生……この本ではさまざまな年代・立場・考え方の人間から集められた、いろいろな声が響き合います。そして、そうしたインタビューの数々を読み進めていく過程ですこしずつ焦点が結ばれてくるのは、過去が「使い古し=セカンドハンド」のものとして引き継がれてしまった現代の姿です。/本書はアレクシエーヴィチのライフワーク「ユートピアの声」の完結作であり、集大成の作品となります。また、日本をふくめた現在の世界の状況を考えるうえで大いに示唆的な一書です。
    https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b266311.html

  • ノンフィクション

  • ちょうどワールドカップロシア大会が始まったばかりだけれど、これを読んだ後では、ちょっと複雑な気持ちである。

  •  ソ連崩壊後のロシアとは、明治初年度の没落士族たちがアル・カポネ支配下のシカゴに放り込まれたようなものだということがまことによく分かる。
     著者は2015年のノーベル文学賞受賞者。
     祖国ベラルーシやロシアでは危険人物扱いされて不自由を強いられているだけに、この賞もまだまだ捨てたものではないとあらためて思う。

  • ソ連からロシアへの移り変わり。
    国家の崩壊と誕生を生き延びた人々へのインタビューから本書は成り立っている。

    貴重にしても、ありふれた題材ではある。
    国家による抑圧と解放、偽りの国民概念。
    実際、本書もその領野からの声をひろっている。

    ただ、もっと切実な日々の生存者としての言葉と、
    きらめくような共産主義/自由主義への憧れの言葉、
    そうしたものは国家の変遷とは無関係に充満している。
    (憧れとは、そこに在るものであってはならない)

    そうして密度を増した人間的時空の中に「ソヴォーク/粗連人」
    という不名誉な表現で現れる国民概念はフィクションであったとしても、
    真実であることを妨げない強度を持っている。

    かつての共産主義者から、兵士、革命にかかわったもの、アルメニア難民、エトセトラ
    本当に幅広く、一人一人粘り強く耳を傾け続けた労作だ。

    ロシアの精神を見るとともに
    断絶した声の交錯は、どこの社会にも普遍的に見られるものだ。
    それは和声としてまとめるべきものでもない。
    ただ春雨が来る前の空気と鳥の声を身体が覚えていられるように
    こうした声の地鳴りに耳を澄ませてもいいんだと思う。


    >>
    わたしたちには西側の人間が幼稚にみえる。というのも、彼らは、わたしたちのように悩んでいないし、ちっぽけなニキビにだってあっちには薬があるんだからね。それにたいして、わたしたちは収容所で服役して、戦時中は大地を死体でうめつくし、チェルノブイリでは素手で核燃料をかきあつめていた……。そして、こんどは社会主義のガレキのうえにすわっているんですよ。戦後のように。わたしたちはとても人生経験豊かで、とても痛めつけられている人間なんです。(p.42)
    <<

    >>
    列車がベラルーシ駅に近づくとマーチがなりひびき、アナウンスをきくと心臓がばくばくしたものです。「乗客のみなさま、列車はわが祖国の首都、英雄都市モスクワに到着いたしました」。「活気ある、強大な、無敵をほこる/わがモスクワ、我が祖国、わが最愛の……」この歌に送られて列車を降りるのです。(p.110)
    <<


    >>
    ひと月前はみんながソヴィエト人だったのに、いまではグルジア人とアブハジア人……アブハジア人とグルジア人……ロシア人に、わかれちゃった……(中略)
    見た目はふつうの若者。長身で、ハンサム。彼は、自分の老いたグルジア人の教師を殺した。学校で自分にグルジア語を教えたという理由で殺したのです。落第点をつけられたといって。こんなことができるものなの?(中略)
    神さま、お救いください。信じやすく見さかいのない人びとを!(p.308,309)
    <<

  • 【2017年度「教職員から本学学生に推薦する図書」による紹介】
    貞許 礼子 先生の推薦図書です。

    <推薦理由>
    旧ソ連崩壊前後の人々の声。2015年ノーベル文学賞受賞作家の作品です。


    図書館の所蔵状況はこちらから確認できます!
    http://mcatalog.lib.muroran-it.ac.jp/webopac/TW00358768

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