- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000611787
感想・レビュー・書評
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壮絶な人生を送ってこられた在日・朝鮮籍の6人の方の中村一成さんによる聞き取りである。語られている内容はとても重く、複雑に心にのしかかる。そして何もかもペンディングされたままなのだ。なにも終わってはいない。
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■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
【書籍】
https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1001097688
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著者:中村一成(1969-) ジャーナリスト
写真:中山和弘
【メモ】
・『世界』2015年7月号~2016年7月号に掲載されたルポ「思想としての朝鮮籍」を、加筆・修正し書籍化したもの。
【書誌情報】
価格:本体2,000円+税
刊行日:2017/01/12
ISBN:9784000611787
版型:四六 並製 カバー 240ページ
在庫あり
イデオロギーではなく今なお譲れない一線(=思想)として「朝鮮籍」を生きる.高史明,朴鐘鳴,鄭仁,朴正恵,李実根,金石範――在日にとって特に苛烈だった40~60年代を含め,時代を駆け抜けてきた「歴史の生き証人」たちの壮絶な人生とその思想を,ロング・インタビューをもとにルポ形式で克明に抉りだす.在日から照射する「戦後70年史」.
<https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b279034.html>
【簡易目次】
1 「国民国家」の捨て子 高史明 001
2 民族教育への尽きぬ思い 朴鐘鳴 041
3 最後の『ヂンダレ』残党 鄭仁 073
4 子どもたちに民族の心を 朴正恵 113
5 在日朝鮮人被爆者の解けぬ怒り 李実根 147
6 文学は政治を凌駕する 金石範 181
【目次】
まえがき [v-ix]
目次 [xi]
1 「国民国家」の捨て子 高史明 001
「朝鮮語のできない朝鮮人」 003
すれ違う親子の言葉 006
一六歳での学び直し 008
言葉をもたない人間への共感 009
金天三 012
八月一五日 014
鉄格子の前で 018
武装闘争 022
善と悪 025
路線転換の人柱 027
土と生きる者たちの「思想」 030
文学との出合い 033
親鸞との対話 035
2 民族教育への尽きぬ思い 朴鐘鳴 041
ゴロツキ生活 043
解放 047
転機 049
阪神教育闘争 053
政治犯たちの信念 057
武装闘争路線への違和感 060
教員生活 064
自らの生皮を剥ぐ痛み 068
民族と祖国 069
3 最後の『ヂンダレ』残党 鄭仁 073
猪飼野の路地 076
源流としての貧困と差別 078
就職活動 082
『ヂンダレ』との出合い 085
『ヂンダレ』の同胞たち 087
編集長としての手腕 091
詩とは何か 093
流民の記憶 096
「ヂンダレ論争」 100
『カリオン』のたたかい 102
生きる縁 106
揺れ動く故郷 109
4 子どもたちに民族の心を 朴正恵 113
基地の町 116
官憲の弾圧のもとで 119
活動家の家庭 122
国籍の離脱 125
民族学級 128
“ろうごくのかぎ”としての言葉 131
ソンセンニムを返せ! 134
子どもたちとの対話 137
語られなかった母への想い 140
未踏の地 142
5 在日朝鮮人被爆者の解けぬ怒り 李実根 147
「廣島」と「ヒロシマ」 150
焼野原 152
解放 156
逃走犯 158
ヤクザ活動家 162
塀の内と外 164
帰国事業から朝鮮人被爆者救援活動へ 168
「日本国民の悲劇」 171
訪朝 175
宙に浮く言葉 178
6 文学は政治を凌駕する 金石範 181
「喪失」という原点 184
「祝いの地」 187
朝鮮籍という「譲れぬ一線」 188
『火山島』をめぐる討論 192
死者に正義を還す 195
究極の自由 198
出合いと別れ 202
密入国者 206
『三千里』 211
政治と文学をめぐる論争 214
統一祖国のヴィジョン 217
あとがき(二〇一六年一二月九日 中村一成) [219-223]
参考文献 [224-225] -
中村一成さんの本は「ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件」以来なのだが、この人の書く本はなぜこんなに引き込まれてしまうのだろうと思う。
この「ルポ 思想としての朝鮮籍」は、後半の3人にぐーっと引き込まれた。
わたしはこれまで「日本人」とは、「日本国籍を持つ者」だと自分の中で定義していた。が、この本を読んで「日本人」とは、「自分が日本国籍を持っていることに悩んだことがない者」ではないかと思うようになった。もちろんこれは「帰化」した元外国人はいつまで経っても外国人のままだ、という意味ではない。「マジョリティとしての日本人」を考えるとき、その「日本人」とは単に日本国籍を持つ者という意味ではなく、日本国籍を持つことに悩んだことがない者ではないだろうかと思ったのだ。
「火山島」という小説があるというのは知っていた。それが「4・3事件のことを書いた小説である」というのも知っていた。まだ読んだことはないのだが、あるとき、何気なく知り合いの在日の人に「この本、読んでみたいんですよね」と言ったとき、その人に「この本は襟を正して読まなければならない」みたいなことを言われて、それが妙に頭の中に残っていた(ちなみに「襟を正して」という表現はされず、わたしの中に「きちんと正座して」とか、そういう印象を持たせた言葉を言われたが、正確になんと言われたのかは覚えていない)。
この著者の金石範さんが一番最後に出てきて、なおかつこの本を中村さんが書くきっかけになった人でもあるらしいが、これを読むと知り合いの在日の人がなぜそんなことを言ったのか、とてもよく分かる。
というか、在日が戦中、戦後と非常に過酷な立場を強いられたことについては、もちろんそれなりには知っていた。が、この本で新たに「なるほど、そうだったのか」と知ることがたくさんあった。それは多分、わたしが今まで「何か在日の人は複雑な、よく分からないものを持っているが、それを聞き出すことはできないような気がする」と思っているようなことだったのだろうと感じている。というか、日本人のわたしは、このような話は知っておかねばならないとは思うが、このような話は直接聞けるような立場の人間ではない。
ここに出てくる6人はみな、1940年代から1950年代という「同時代」を生き抜いてきた人たちなのだが、人の置かれた状況、立場でこんなにもみな経験した歴史が違うのだということを考えると(にしても、この人たちには今でも「朝鮮籍」であるという共通点があるのだ)、なんとも言い難い思いがこみ上げてくる。
在日の複雑さ、について一端が垣間見えた本だった。