- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000613422
作品紹介・あらすじ
どん底の境遇から思想を獲得し,国家と対決した金子文子.武闘派サフラジェット,エミリー・デイヴィソン.イースター蜂起のスナイパー,マーガレット・スキニダー.百年前の女たちを甦らせ未来へ解き放つ,三つ巴伝記エッセイ!
感想・レビュー・書評
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100年以上前に生きて戦った、金子文子、エミリー・デイヴィソン、マーガレット・スキニダーという3人の女性に関しての伝記。雑誌の連載を単行本化したもの。3人の物語が交互に書かれ進んでいくので、話の筋を追いかけるのが少し大変。なかなか壮絶な物語なのであるが、残念ながら3人ともに知らない女性であり、心を寄り添わせることは難しかった。
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3人の女性活動家、金子文子、エミリー・ディヴィソン、マーガレット・スキニダーの評伝。
金子文子については、昨年(2019年)彼女をモデルにした映画が公開されたこともあり、名前だけは知っていたが、残りの二人については本書で初めて知った次第。
ちなみに、金子は反体制の活動家、ディヴィソンはサフラジェットと呼ばれる女性参政権の活動家、そして、マーガレット・スキニダーはアイルランドの独立を目指した活動家である。
本書の構成は各人のエピソードを順番に一人づつ紹介する形ではなく、細分したものをそれぞれ一人一章とし、3人分をそれぞれ交互につないでいく形になっている。
また、各省の終わりに次の章のキーワードとなる語が大きいサイズで、かつ太字で記載され、次の章ではそのキーワードが言い方を変えて、しかし大きいサイズでかつ、太字で繰り返される、という非常にユニークなスタイルがとられていることも印象的。
金子の悲惨な生い立ちや、まだ23歳の若さで絶命するまでの壮絶な生きざまは、前述の映画ではどのように描かれているのか、非常に観てみたくなった。
また、デイヴィソンのサフラジェットについては、本書を読んでその詳細を知り、こういうことがあったからこそ、ディビッド・ボウイが「サフラジェット・シティ」という曲を歌ったり、ポール・マッカートニー&ウィングスが彼らの大ヒット曲「ジェット」の中でサフラジェットについて言及していたのかと、数十年たって初めて理解した。
加えて、スキニダーのアイルランド独立運動についても、やはり音楽ネタになってしまうが、ジョン・レノン、ポール・マッカートニーをはじめとする数々のミュージシャンが歌にしてきたアイルランドに平和を求める内容についての下地はここら辺にあったのか、と深く納得した次第。
著者の文章のうまさもあり、しっかりと読ませる良書。
ただ、できれば3人の肖像写真くらいは載せても良かったのではとも思った。 -
究極に自立?自律?していた金子文子の記録です。
他にあと2人、武闘派サフラジェット、エミリー・デイヴィソンと
イースター蜂起のスナイパー、マーガレット・スキニダーが出てきますが、
もう金子文子しか心に残らなかったです。
彼女が死なないでいたら、どんな仕事を残しただろう。
少なくとも今よりは、日本の女性の地位はマシだったんじゃないか。
男に従属するようなことは、無くなってたんじゃないか。
もっと彼女のことを知りたい、と思った。 -
金子文子も、エミリー・デイヴィソンもマーガレット・スキニダーも知らなかった。金子文子は瀬戸内寂聴の小説でも出てくるそうな。エミリー・デイヴィソンは女性の参政権を求めて活動したサフラジェットの人で、ダービーでイギリス王の持ち馬の前に立って死んだという。そこに至る過程も、その知的印象に対して行動が過激でマッド・エミリーとの異名があったとか。だけど読んでいくと、マッドなのはエミリーではなく、そのまわり、特に男社会の対応にあったのではないか、とも思う。マーガレット・スキニダーはスコットランド人でありながら、アイルランドの過酷な状況に怒り、独立運動に参加した狙撃の名手だった。いずれも世界史の教科書には出てこないし、近現代史でもなかなかトピックス以上の存在感はないだろう。ただ、そういう人たちがいたというのは、何か考え込むところがあるなぁ。
そういえば先日読んだ政治家の本棚、なかで小泉元首相は、戦争になることを思えば、不満なんて言っていられない、なんだってがまんできる、と述べており、佐藤優、池上彰からたとえが極端だ、と批判されていたっけ。
本書を読んで、この女性たちのことを思えば、現代を生きる不安に対して不満を言うことはできない、とまず感じた。ただ同時にそれは、なんでもがまんできる、ではないのだ。まだなにか考えられること、行動できることがあるのではないか、と思えたのだ。絶望的な環境の中で、それでも自分の生きる道を求め、行動したのが彼女たちだったわけだからね。 -
100年前の3人の女性たちの熱い魂の闘い。
社会の不平等から自らを確立しようと活動した先人たちが美しい。
カタカナが多すぎた。 -
読み終わった後
表紙の花に囲まれた少女が
金子文子さんなのだ
と しみじみ 見つめてしまいました
そして
帯文の「生きる主権は我にありー百年前にあった未来」
の一文を なぁるほどなぁ
と しみじみ 考えさせらました
少し前のイギリスの映画「未来を花束にして」(2015年)を当然のことながら思い起こしていました
そして、
金子文子、エミリー・デイヴィソン、マーガレット・スキニダー、の三人を こういう形で紡ぎ合わせて
綴っていく ブレディみかこさん に
あらためて たいしたものだなぁ
と 思いました
ちなみに
いま 並行して
「アレクシェーヴィチとの対話」を読んでいるのですが
なにか
「このままじゃ いかんだろう!」
「いつまで おなじ愚かなことを 続けているのか!」
という様な共通している「憤り」「思考」を
感じてしまいます。 -
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」がとても面白かったので、ブレイディみかこさんの著書のものを図書館で探して読んでみました。女性の権利のために戦った三人の女性について、彼女らしい視点、論調で綴られています。この本を手にしなければ三人のことを知ることはなかったと思うので、よい機会になりました。
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過酷な環境を生き抜いた2人の女性の物語。
現状を打開するために闘い続けた彼女たちの記録には、驚かされるだけでなく励まされる。最後まで生きること、闘うことを諦めてはいけない。 -
金子文子、デイヴィンソン、マーガレット・スキニダーに関する評伝。
氏は託児所に務めている時、そこはかなりハードな家庭環境の子が通ってくるところで、その幼児たちをみるたびに「なんか金子文子みたいな子どもたちだな」と思っていたそうだ。金子文子、聞いたことが無かった。参考文献には「何が私をかふさせたかー獄中手記」とある。この「何が私をかふさせたか」は聞いたことがある字面だった。1903-1926、大正期日本のアナキストとある。確かに幼児期の家庭内はすさまじい。
文はフリー・ジャズみたいな雰囲気でちょっと読みずらい。というか挫折。
2019.5.30第1刷 2020.5.15第4刷 図書館 -
大逆罪で投獄された日本のアナキスト金子文子、英国サフラジェットのエミリー・デイヴィソン、アイルランド独立に向けたイースター蜂起に関わっていたマーガレット・スキニダー。3人の女性の物語が交互に織りなされる。
一つ前に読んだみかこさんの本、this is Japanで女性の貧困問題に触れられていて、その文脈でサフラジェットについての映画「未来を花束にして」に言及があったので、図らずもその主人公エミリーを扱ったこの本を続けて読めてよかった。
実は金子文子もサフラジェットもよく知らなかった。そんな状態で見た「エノラホームズの事件簿」が、ただのエンタメ映画かと思いきや、エノラの母が過激な女性参政権活動家という設定で、へーそんな人たちがいたんだと記憶に残っていたので、少しは知識が広がったか。その文脈で、金子文子は女性参政権云々というよりは、階級社会の歪みで苦しめられた出自から社会制度そのものに反発していたのだろうが、きっと彼女が女性でなければまた別の道を歩めたのだろうし(彼女は両親に捨てられ、嫁入り前の年齢になると金がかるからと祖母に捨てられたのに、弟は父が引き取ったとか)、そういう意味で彼女が反発したのは男性と女性というカテゴライズ含め、富裕層と貧困層、日本人と植民地の人々という、出自次第で虐げや搾取が当然のごとく行われていた当時の日本そのものだったのだろう。
ところで本筋には関係ないが、エミリーらサフラジェットのハンストに対し、強制的に食事を取らせる刑務所の描写に背筋がゾッとした。受刑者の人権なんてなんのことみたいな時代がつい前世紀まであったとは。で、読み終わって新聞記事を読んでいたら、昨今の入管による入所者への扱いの記事が目に入り、21世紀の出来事なのに100年前の話とオーバーラップしてさらに怖くなった。