ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (424ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000614139

作品紹介・あらすじ

やりがいを感じないまま働く。ムダで無意味な仕事が増えていく。人の役に立つ仕事だけど給料が低い——それはすべてブルシット・ジョブ(ルビ:クソどうでもいい仕事)のせいだった! 職場にひそむ精神的暴力や封建制・労働信仰を分析し、ブルシット・ジョブ蔓延のメカニズムを解明。仕事の「価値」を再考し、週一五時間労働の道筋をつける。『負債論』の著者による解放の書。

感想・レビュー・書評

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  • 人類学者でありアナキスト活動家でもあるデヴィッド・グレーバー(1961-)による現代社会への問題提起の書、2018年。

    学生時代に、書店で『アナーキスト人類学のための断章』という本を見かけ、その著者デヴィッド・グレーバーの名前を知った。「アナーキスト」と「人類学」という二つの語の結びつきが奇妙に感じられて印象に残ったのだが、これまで読んでみることはなかった。本書を読むと、「人類学」と「アナキズム」の結びつきが決して突飛なものではないということが、少しずつ了解されてきた。本書の中でも彼は自分の政治的立場を明確に述べている。「わたし自身の政治的立場は、はっきりと反国家主義である。つまりアナキストとして、国家の完全なる解体を望んでいるし、そこにいたるまで、国家にいま以上の権力を与えるような政策には関心がない」(p359)。

    グレーバーが本書の主題として取り上げるのは、現代の大多数の労働者が全く無意味に見える業務に生活のほとんどの時間を費やしている、という問題である。彼はこれを「ブルシット・ジョブ」と命名する。現代人を苛むブルシット・ジョブの正体は何なのか。なぜそれは人間にとって有害なのか。なぜそれは増大してきたのか。なぜ人々はそれを減らそうとしないのか。こうした問いを、経済的、政治的、歴史的、社会的、文化的な多様な視点から解明していく。

    以下では、私が捉え得た限りの論点を備忘録的に挙げておく。

    □ ブルシット・ジョブの定義

    ブルシット・ジョブは、以下の三要件を満たす有償労働として定義される。

    ① 実質的な価値が無く、無意味で、不必要で、有害な業務である。
    ② 被雇用者本人が①を自覚しており、その業務の存在理由を正当化できない。
    ③ ②にもかかわらず、被雇用者は①が真ではないかのごとく取り繕うよう、自他双方への欺瞞を強いられる。

    一般に「割に合わない仕事(シット・ジョブ)」とされるものは、「無意味な仕事(ブルシット・ジョブ)」とは区別される。前者は不当に低収入ではあるが社会的に有益な仕事であることが多いのに対し、後者は過剰に高収入ではあるが社会的にはまるで無意味な仕事であるから。

    □ ブルシット・ジョブの諸類型

    ブルシット・ジョブの典型として以下の五類型が挙げられている。

    ① 取り巻き(flunkies)・・・上司に実際以上の権威があるかのごとく偽装するために上司のそばに侍る業務。具合的にいかなる業務がそこに割り当てられるのかは、二次的な問題とされる。女性秘書など。

    ② 脅し屋(goons)・・・消費者を脅迫して故意に彼らの不安を煽ることで、本来は存在しなかった需要を捏造する業務。広告業など。(美容技術を施した女優の美しさをみせつけることで)「われわれは視聴者が番組本編をみているあいだは自分たちに欠陥があるようにおもわせ、CM時間にはその〔欠陥への〕「解決策」〔商品〕の効能を誇張してみせるのです」(p63)。

    ③ 尻ぬぐい(duct tapers)・・・構造的に欠陥がある組織や無能な上司によって惹き起こされる損害の後始末をする業務。組織の不具合や上司の無能さといった問題の根本原因を解消することよりも、その問題に対応することに人員を割いたほうがましだ、と考えられている。

    ④ 書類穴埋め人(box tickers)・・・官僚機構において手続き上必要とされる書類を作成する儀式的な業務。そうした書類やひいては手続きそのものが実質的に有意味であるのかどうかは、二次的な問題とされる。なぜなら、官僚機構においていったんある制度が導入されれば、その実質的な是非は問われることなく、制度の永続的な運用が自己目的化されるから。背景には、実質的な業務よりも形式的なペーパーワークのほうが重要とみなされる、官僚機構特有の倒錯がある。

    ⑤ タスクマスター(taskmasters)・・・他者にブルシット・ジョブを割り当て、それを監督する業務。場合によっては自らブルシット・ジョブを作り出し、それを他者に割り当てることもある。中間管理職など。

    「ブルシット・ジョブを生み出しているのは、資本主義それ自体ではありません。それは、複雑な組織の中で実践されているマネジリアリズム〔経営管理主義〕・イデオロギーです。マネジリアリズムが根を下ろすにつれ、マネジリアリズムの皿回し――戦略、パフォーマンス目標、監査、説明、評価、新たな戦略、などなど――を維持するだけが仕事の大学スタッフの幹部たちが登場します」(p86)。

    □ なぜブルシット・ジョブは非人間的なのか

    そもそもブルシット・ジョブの問題は、①「無意味性」(社会的価値が全くない無意味な業務であること)と、②「欺瞞性」(無意味な業務であることを自覚しながらさもそうではないかのように自他双方に対して欺瞞を強いられること)の二点にある。このそれぞれが人間精神に対して暴力的に作用するからである。

    ①について。人間は、他者との関係性において、はじめて自己の価値を確認できる。つまり人間は、自己の意志と能力を用いて、社会的に有意味な状況を構築することができて、はじめて自己の存在理由を確認することができる。よって、無意味な業務であるブルシット・ジョブを強いられる状況は、人間の自尊心を損なうという点で、人間性に破滅的な影響を及ぼす。これは、「他者にとっての自己」への攻撃であるといえる。

    ②について。人間は、自己を自己として率直に受け容れることが可能となって、はじめて自己が自己であるという根源的な自己同一性を確認することができる。よって、自己欺瞞を伴うブルシット・ジョブを強いられる状況は、自己同一性の感覚を不安定化させてしまうという点で、同じく人間性に破滅的な影響を及ぼす。これは、「自己にとっての自己」への攻撃であるといえる。

    また、ブルシット・ジョブが強要されるとき、そこには権力が作用している。労働の現場では、上位者による下位者への理不尽な権力行使が頻繁に起こるものであり、ときにそれはサディスティックな虐待行為にまで発展する。さらにひどいときには、それは権力の表現それ自体を目的としてなされていることもある。そこでは、労働者はその自由意志を無化され、雇用者に操作されるだけの道具的存在に貶められる。このような状況では、自律的主体であろうとする精神に深刻な傷痕を残すことになる。

    □ なぜブルシット・ジョブは増加したのか

    そこには、産業資本主義から金融資本主義への変遷という、経済的な背景がある。

    ①産業資本主義のもとでは、自動車産業に代表されるように、企業は実質的な財を生産しそれを販売することで利益を上げていた。②しかし、1970年代頃から台頭しはじめる金融資本主義のもとでは、FIRE部門(金融、保険、不動産)に代表されるように、実質的な生産に基づいて利益を上げるのではなく、自分や他人の資産を動かしてそれを増殖させることによって利益を上げる(則ち、他者に債務を負わせ、その利子によって利益を上げる)。③そこでは、複雑な資産運用を管理するうえで、ひとつひとつの操作の適正性を保証することが求められ、そのために各段階ごとに細分化した手続きが増加し、この煩瑣な業務を担う経営管理部門に多数の人員が割かれることになる。

    ④このような金融部門の経営形態が他の業種にも広がっていく。⑤あらゆる企業において、社会的な実質を伴わない経営管理上の形式的な手続き業務としてのブルシット・ジョブが大量に形成されていく(複雑化する業務→そのひとつひとつの適正性をチェックするためにそのひとつひとつごとに課せられる膨大な書類作成と事務手続き→さらに複雑化する業務)。⑥それと同時に、実質的な生産活動を担うブルーカラーよりも、こうした社会的には無価値なブルシット・ジョブを担う専門職ホワイトカラー(コンサルタント、アナリスト、マーケティング専門家、会計スタッフ、法務スタッフ、それらを統括する無数の中間管理職など)の存在感が増していく。⑦ついには、かつて有意味とみなされていた実質的な業務までもが、ブルシット化していくことになる。

    「わたしのいいたいのは、実質のある仕事のブルシット化の大部分、そしてブルシット部門がより大きく膨張している理由の大部分は、数量化しえないものを数量化しようとする欲望の直接的な帰結だということであるはっきりいえば、自動化は特定の作業をより効率的にするが、同時に別の作業の効率を下げるのである。なぜかというと、ケアリングの価値を取り巻くプロセスや作業や成果をコンピューターが認識できるような形式へ転換するのには、膨大な人間労働を必要とするからである」(p337)。

    金融資本主義は、いっさいの人間的社会的事象を、資産価値と同様に計量可能=交換可能=比較可能なものとみなし、数値化することが即ち効率化であると思い込む傾向がある。

    □ ブルシット・ジョブの存在はネオリベラリズムと矛盾しないのか

    現代の支配的なイデオロギーであるネオリベラリズムが経済効率に至上の価値を置いているということを考えれば、労働力の無駄遣いでしかないブルシット・ジョブの存在自体が極めて矛盾したものに映る。それにもかかわらず、現代の経済システムがこうした膨大なブルシット・ジョブによって成立し維持されているのであれば、実はそこで駆動しているのは経済の命法ではないのであって、何らか別の政治的な意図が働いているのではないか。

    ここでグレーバーは、現代の経済システムが中世の封建制と類似していると指摘し、それを「経営封建制」と名付ける。中世の封建制においては、封建領主が、法的強制力という政治的手段を用いて農民が生産した富を収奪し、支配と権威の確保という政治的目的のためにその富を配下の者たちに再配分する。また、現代の経済システムにおいても、企業が消費者や納税者から収奪した富は、かつての産業資本主義のように労働者に還元することはせず、富裕層や企業上層部の資産を増大させるのに加えて、ブルシット・ジョブおよびそれを担う管理部門の役職を新設するのに費やされる。こうしてブルシット・ジョブおよびそれを担う膨大な被雇用者が際限なく再生産されていく。

    つまり、現代の経済システムも中世の封建性も、「物財を実際に製造し、運搬し、保全するよりも、その物財の領有や分配を基盤におき、それゆえに、システムの上部と下部のあいだに諸リソースをまわす作業に人口のかなりの部分が従事する政治-経済システム」であり、「その人口は、複数の層[略]が複雑に位階化されたヒエラルキーへと組織される傾向にある」(p238)という点で共通している。

    そこでは、ヒエラルキーの高さと複雑さが、その頂点にいる封建領主=企業経営者の権威の大きさを象徴するとされる。つまり、ブルシット・ジョブならびにそれに従事する多数の被雇用者は、経済的には無駄でしかないが、雇用者の権威を可視化しかつ実際以上に粉飾して誇示してみせるという政治的目的のために、大量に必要とされることになる。

    この意味では、現代の経済システムは、資本主義ではないということになる。新自由主義イデオロギーは、決して全地球的に貫徹されているのではない。それは、もっぱら経営者が労働者に対して強要するだけのものだという意味で部分的なのであり、経営者自身は効率至上主義の命法が及ばぬ例外としてそれに服従してはいない。つまり新自由主義は、純粋に経済学的な命法としてそれ自体で独立している根源的なものではなくて、ある特定の政治的思惑に従属しているのである。

    以上からもわかるとおり、「ブルシット・ジョブは「民間部門」には存在せず、非効率な「公共部門」にのみ起こりうる」という議論は、新自由主義が部分的なものでしかないという点を見落としたことから生じる誤解である。「すなわち、経営者たちは時間的・エネルギー的に最も効率の良い方法を科学的に研究し、それを労働の編制に適用した。ところが、その同じ方法を自分たちに応用することは決してしなかったのである[略]。その結果、ブルーカラー部門において、きわめて情け容赦ない効率化とリストラが敢行されたのと同時期に、ほぼすべての大企業で無意味な経営職および管理職のポストが急速に増殖した」(p37-38)。

    □ なぜブルシット・ジョブは減少しないのか

    その背景には、歴史的に形成されたイデオロギー状況がある。

    中世から近代へ移行し、資本主義が誕生することによって、一生涯を賃労働に縛りつけられる労働者が生み出されることになった。こうした歴史的状況に呼応するかのように、中産階級とそのイデオローグたちは、「労働は自己規律と人格形成の契機として道徳的に価値がある」という「労働=善」のイデオロギーを広めていく。その典型例としてカーライルの言葉が引かれている。「ひとは働くことによって自身を完成する」。「真の労働はすべて神聖である」。「苦役の生涯をうったえる諸君はなにものか? 不平をいうな。わが疲れたる兄弟よ、顔を上げよ。かなた神の永遠の世界に、諸君の仲間である労働者が生き残り、かれらのみが神聖な一隊の不死の者として、人類の帝国の天なる親衛隊として、残っているのを見るがよい」(p298)。つまり、「労働は、無意味な苦役であるかもしれないが、人格を陶冶するものであり、それ自体で価値がある。その報いはあの世で受け取れ」という。「徳はそれ自体が報いである」を労働へ応用したのである。この「苦痛であるがゆえにこそ、価値がある」というマゾヒスティックに倒錯した弁証法は、現代人をブルシット・ジョブに縛りつける呪いのひとつであろう。労働とは、自己否定なのである。この苦役に対する報酬は、自尊感情と、社会的承認と、商品の消費を通した自己実現である。

    (同時期に生まれたもうひとつの呪いについて。かつて天上の星々とともにあった時間は、産業革命期に時計が普及することによって、人間による所有と管理と売買の対象となった。こうして、「労働者は、たとえ無意味であることが周知の業務であっても、労働時間のあいだはそれに従事しなければならない」という通念が生れた。なぜなら、労働者の時間は、労働者自身のものなのではなくて、彼らを賃金によって買い上げた雇用者の所有物であるから。賃労働において怠惰は、道徳的堕落であると同時に、法的には盗みとされるようになった)。

    (なおカーライルを引用した箇所に付した注において、これと対照的なニーチェの労働観が紹介されていて興味深い。ニーチェはカーライルのような労働の称賛の背後に「すべての個体的なものに対する恐怖心」を見出す。「人々がいま労働[略]を見て結局感じるところは、そうした労働が最善の警察であること、それが各人を制御して、その理性や欲情や独立欲の発展を力強く妨げることができるということである。なぜかといえば、労働は異常に多くの神経力を使い、それを思索や瞑想や夢想や配慮や愛情や憎悪から奪ってしまうから」(p398-399))。

    なぜ、社会的にも有益である実質的な仕事は、社会的に無意味なブルシット・ジョブと比べて、低い報酬しか支払われないのか。なぜ、労働の社会的価値と経済的価値は反比例しており、かつ多数の人々がそれを妥当なこととして是認してしまっているのか。この事態も、「労働は、苦痛であればあるほど、それゆえに価値がある」という呪いによって説明できるだろう。則ち、社会的に有益である実質的な仕事は、その有意味性ゆえにすでに報われているのであり、その上さらに高額な報酬を要求するのは不当である。なぜなら、社会的利益の実現を目的とする仕事を選んだにもかかわらず、その仕事の成果に対して高額の報酬を要求することは、社会的富の不均衡な分配を惹き起こすことになり、仕事の目的と矛盾するから。同様に、社会的に無益なブルシット・ジョブは、その無意味性ゆえにすでに苛まれているのだから、その上さらに低い報酬しか支払われないのは不当である、ということになるのだろう。この根底には「嫉妬」の構造があるように思われる。「嫉妬」は労働者の分断状況を作り出しているという点で、深刻な問題である。

    「[略]、否定しようのないことが一点ある。そのような労働の状況が、憎しみと反感に満ち満ちた政治的状況を助長しているということである。必死にがんばっているのに仕事がない人びとは、雇用を得た人びとに対して反感を抱く。雇用を確保している人びとは、貧困者や失業者に対する反感を抱くようにそそのかされている。貧困者や失業者は、たえず、たかり屋とか寄生虫といわれつづけている。ブルシット・ジョブにはまった人びとは真に生産的であったり有用であったりする労働をおこなっている労働者に反感を抱き、真に生産的で有用である労働をおこなっているのに十分な給料をもらっておらず、品位を貶められ、その意義を十分に理解されない人びとは、有益であり立派で魅力的なことをしながら同時に裕福に暮らしていける数少ない仕事を独占しているとみえる人びと――そのような人びとを「リベラル・エリート」と呼ぶ――に反感をおぼえる。かれらは、こと自分たちが(適切にも)腐っているとみなす政治エリートを嫌悪するという点では、一致団結する。しかし、政治エリートといえば、自分たちにむけられる以外の、このような無内容な憎悪の形態は、非常に都合がよいとみている。というのも、自分たちから注意を逸らすことができるからである」(p320-321)。

    ブルシット・ジョブという現象から見えてくるのは、労働は搾取と抑圧と分断の最前線にあるということである。

    □ ベーシックインカムの導入へ

    生活を労働から切り離し、不条理なブルシット・ジョブから人間を解放するための手段として、ベーシックインカムの導入が提言される。

  • 『わたしの第一の目標は、社会的効用や社会的価値の理論を展開することではなく、わたしたちの多くが自分の仕事に社会的効用や社会的価値が欠けていると内心考えながら労働している事実のもたらす、心理的、社会的、そして政治的な諸効果を理解することにある。』
    面白かった!
    最初にタイトルを聞いた時、ビジネス書か自己啓発本かと思ったのだけど、著者は文化人類学者。
    仕事について現在の人々の証言という横の広がり、これまでの歴史という縦の流れと様々な角度から考察し、何で今の世界がこんなことになっているのかを詳しく読み解いていく。
    コミカルな文章で訳もとても良く、読みやすかった。
    グサグサ来ることたくさんあったけど…。
    今後の思考の助けになってくれそう。
    著者の他の本も読みたい。

  •  ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)とは何か。なぜそんな仕事が存在するのか。

     ブルシット・ジョブとは働いてる本人すらクソどうでもいいと感じ、そんな自分を騙して働く仕事のことである。給料はいいのに欺瞞のせいでその人は苦しんでいる。だからブルシットなのだ。
    (もし、特定の業種をブルシット・ジョブだと主張する人がいたらその人はグレーバーの論を理解していない。それはただの職業差別で止めるべきだ。)
     グレーバーは自分の仕事がブルシット・ジョブだと訴える数多くの証言を集め(そんな極端なケースが!とも感じたが)、その姿を浮かび上がらせる。

     そして個人がブルシット・ジョブと感じるミクロな問題から、なぜブルシットな仕事が存在し、製造やケアなどの仕事が低賃金化していく中でブルシット・ジョブは増殖を続けていくのかというマクロな問題へ。
     そこには金融などの増大に加え、価値のある仕事はその価値ゆえに対価をもらうべきではないという観念など様々な労働を巡る観念の変遷が関係している。

     大事なのはブルシット・ジョブ減らし非ブルシット・ジョブ(やその賃金を)を増やすということではないようだ(この対立軸をうまく利用したのがトランプ)。価値として数値化しにくいものを数値化しようとすればそこにブルシット・ジョブが生まれる可能性がある。全ては複雑なのだ。
     グレーバーが最後に対策としてあげたのが仕事と生存を切り離すベーシックインカムなのもこの複雑さ故なのではないかと感じた。

     何より大事なのは自分の仕事のブルシット性に目を向けることなのだと思う。全てを変えるのは自分のブルシット・ジョブな部分に気づくことからなのだろう。

     400ページの分量で内容も複雑だがぜひ多くの人に読んでほしい一冊。ブルシット。ジョブの概念で世界の見え方が変わる。
     今年の流行語大賞はブルシット・ジョブで決まり!

  • -エッセンシャルワーカーが低賃金な謎を解き明かすラディカルな本

    医療、福祉、家事、教育、育児 etc。
    コロナ禍でエッセンシャルワーカーと持ち上げられ感謝されるが、そこに実質的な市場の原理は働かず、なぜか低賃金、時に無償労働になるケア・ジョブ。
    エッセンシャルゆえに彼・彼女らが消えれば明日にも大混乱になる。一方でロビイスト、XXアナリスト、XXストラテジスト、トレーダーが明日消えても、世界に実質的に与える混乱はないが、高額な報酬を得る。
    この神の見えざる手が及ばぬバミューダ海域は長年の疑問だったけど、本書はピューリタリズムで広まった無償の神性労働と有償の苦痛な労働の固定観念まで遡って解体していく。その過程がロックで心地よい。
    ラッダイト運動の説明は目からウロコ。単に機械への恐怖心による反抗だと思っいたが、実際には工業の黎明期に雇われた女性、子供の収入が、家長である男性(職人)の所得を上回ったために発生したジェンダー闘争?の側面があった(結果、男性を工場で雇用することが義務化された)

    一般的に言われることは、機械が人間の雇用を奪うというのは迷信で、実際にはサービス業への労働人口の大移動をもたらし、先進国の統計上はほぼ完全雇用が達成されたとされる。
    しかしそれはまやかしであり、政治的に生み出された巨大な官僚資本主義により、人為的に生み出された迷宮のような「仕事ごっこ」=「ブルシットジョブ」がその穴埋めをしていただけだった。
    これは今の日本人に1番刺さる内容ではないか?
    省エネ家電、GOTOなんちゃら、オリンピック等々で生み出された事務局の数々とその官僚的複雑さが人為的に生み出す無意味な穴埋め仕事の山。

    資本主義は長らく「生産」要素をファクトリーの尺度でしか測らず、サービス=ケアワークの観点を無視してきた。

    生活をするために仕事をする=生活するために「無意味であっても」仕事的ななにかを作り出さねばならない。

    この矛盾を断ち切る手段が「生活と労働の完全な分離」=ベーシックインカム というのは、若干飛躍が過ぎる気がして、まだ府落ちてないけど、同時に反論する根拠もない。

    なにしろ労働は突き詰めると神学問答、というのはゾクっとした。その固定観念を揺るがした力強い知見。

  • <ブルシット・ジョブ>とは
    ⇒「被雇用者本人さえ、その存在を正当化しがたい、無意味で、不必要で、有害でもある雇用の形態」

    「社会的貢献度の高い労働が搾取され、ブルシット・ジョブが高い報酬を得るのはなぜか?」
    「自動化が進んでも、ケインズが予測した週十五時間労働はなぜ達成されないのはなぜか?」
    「仕事のブルシット部門がより膨張し、実質ある仕事のブルシット化も進むのはなぜか?」

    資本主義の原理によって効率化されるはずの民間企業でもダミーのホワイトカラーの仕事が無数につくりだされるおびただしい事例や、アンケートや聞き取りをもとに、ブルシット・ジョブに就く多くの被雇用者自身が社会に貢献していないと感じている現状を提示し、現代社会に上記のような問題が存在することを示したうえで、その原因を探る試みです。

    著者はその理由としていくつかのポイントを挙げます。
    ・経済ではなく政治によって分配がなされる、認識自体が難しい経営封建制の成立
    ・「仕事は罰であり、仕事をしないことは悪」とする、宗教由来の潜在的な価値観
    ・「ケアリング労働」のような数量化しえないものを、数量化しようとする欲望の帰結

    2011年のウォール街占拠運動にも携わったことでも知られる著者は、具体的な業界としては金融業(次に情報産業など)を最も多く俎上にあげており、経済の金融化がブルシット・ジョブの増大に大きく関与しているとしています。ホワイトカラーの増大が効率性とはなんの関係もない例としては、ユニリーバに買い上げられた工場に関する実例(P235)が象徴的な事例となっています。また、「ケアリング労働」に関する言及も多く、仕事の本質は搾取の対象となりやすい「ケアリング労働」にあり、今後は自動化が進むことによって益々その割合が増大するという指摘も重点です。

    終章では、「本書は、特定の解決策を提示するものではなく、ほとんどの人々がその存在に気付きさえしなかった本」だとしながらも、具体的な対策について述べています。読み終えて、現在、自分自身が生きる社会そのものがフィクションのように感じられました。

    以下は参考までに、各章ごとのメモの一部を残します。
    ----------
    【序章 ブルシット・ジョブ現象について】
    本書の原型となる2013年寄稿の試論とそれへの反響。
    【1.ブルシット・ジョブとはなにか?】
    「ブルシット・ジョブ」の定義。殺し屋や王などの特殊な例から境界を考察する。
    資本主義下において社会主義体制にあったようなダミー仕事が増殖する現状。
    【2.どんな種類のブルシット・ジョブがあるのか?】
    ブルシット・ジョブの五分類
    →取り巻き/脅し屋/尻ぬぐい/書類穴埋め人/タスクマスター(不要な上司/不要な仕事生成)
    【3.なぜ、ブルシット・ジョブをしている人間は、きまって自分が不幸だと述べるのか?】
    人間とは本質的に社会的な存在であることについて。
    産業革命以降の「時は金なり」という新しい価値観。
    【4.ブルシット・ジョブに就いているとはどのようなことか?】
    人間の時間が他人の所有物になりうるという発想の社会的・知的起源。
    ソーシャル・メディアの台頭の理由。
    【5.なぜブルシット・ジョブが増殖しているのか?】
    近年、急速に増加するブルシット・ジョブの仕事の割合。
    ホワイトカラーの増大が効率性と関係がない例と、増殖する不要な管理者とその業務。
    経済の金融化と情報産業の発展、そしてブルシット・ジョブの増殖のあいだにある、内在的な関係。
    【6.なぜ、ひとつの社会としてのわたしたちは、無意味な雇用の増大に反対しないのか?】
    政府や企業のトップが不在でも支障がなく、ごみ収集事業者がストを行っただけで街が居住不能になった例。
    自己目的化した労働の道徳性。
    仕事の定義と宗教的な価値観について。
    経営封建制の特異な性質。
    【7.ブルシット・ジョブの政治的影響とはどのようなものか、そしてこの状況に対してなにをなしうるのか?】ブルシット・ジョブの増殖を駆動している経済的諸力。
    「価値」と「諸価値」について。現在進んでいるのは、諸価値を価値の論理に包摂せんとする企て。
    ケアリング労働と数量化しえない仕事の重要性。
    現状に対応するための政策について。

  • ろくに仕事もしていない私であるが、最近切実に「仕事」について考える。今の私にぴったりの本であった。

    ケインズは1930年に20世紀末には「週15時間労働」になるって予言していたのか。
    表紙カバーの紹介文を読むだけで読みたくなる。

    難しいかと心配していたがそういうことはなく、とても饒舌で、楽しくてタメになるおしゃべりを聞いているような感じで読めた。
    日頃なんとなく思っていたことを言葉にしてもらったような部分もあるし、私にとっては初めての、でもとても納得できる知見もたくさん得られた。

    抜き書きしたいところが多すぎる。要点だけではなく、例え話等込みで大量に抜きたくなり…
    図書館で借りて読んだのだが、この本もちょっと高いけど買うべき本である(言い訳をするなら、買えば多分積読になる、私の場合。図書館の返却期限があってこそ読める)。




    "ひとは、たんにそのプロセスが不条理であるから苦しむだけではない。あらゆる官僚制的儀式と同じで、実質的な作業よりも、それをプレゼンし、評価し、管理し、議論することにはるかに多くの時間を費やさねばならないがゆえに苦しんでいるのである。" 241ページ

    "報酬が多く人気もあるが究極的にはブルシットであるようなオフィス仕事" 250ページ

    "第一に、仕事をすることで得られる最も重要なものは、(1)生活のためのお金と、(2)世界に積極的な貢献をする機会であるということ、第二に、この二つには倒錯した関係性があるということ。すなわち、その労働が他者の助けとなり他者に便益を提供するものであればあるほど、そしてつくりだされる社会的価値が高ければ高いほど、おそらくそれに与えられる報酬はより少なくなるということ、である。" 271ページ

    "ブルシット・ジョブが惨めさを生みだしているのは、世界に影響を与えているという感覚のうちにつねに人間の幸福が織り込まれているがゆえである。この感覚は、仕事について語るさいには、たいてい社会的価値が大きければ大きいほど、受け取る対価は少なくなるだろうということにも、たいていの人が気づいている。そしてアニーのように、多くの人びとが、子どものケアのような有用でありかつ重要な仕事をやるか(他人を助けることで得られる満足感それ自体が見返りであり、それ以上の報酬は期待すべきでないと説教されつつ)、あるいは無意味であり自尊心を傷つけられる仕事を受け入れるか(原因はなんであれ心身ともに破壊するような労働に就かないような人間は生きるに値しないという浸透した感覚以外にとくに理由もなく、心身を破壊されつつ)、選択を迫られている。"
    315ページ

    "労働のなかにあって、苦行である度合いを低くしたり、むしろ楽しいものにしたり、他者のためになっていることへの満足をおぼえさせたりする、そのような要素はすべて、その労働の価値を下げるものとみなされるということである—そしてその結果、報酬の水準を低くすることが正当化される。(略)
    私たちの労働が強化されているのは、わたしたちが奇妙なサドマゾヒズム的弁証法を発明してしまったからなのだ。その弁証法のおかげで、私たちはひそやかな消費の快楽を正当化するのはただ職場での苦痛のみであると感じてしまうのである。それと同時に、ますます仕事が睡眠時間以外の生活を侵食するようになっているという事態は、わたしたちが(略)「生活(a life)」という贅沢を持ち合わせていないこと、逆にいえば、時間を割く余裕のあるものといえばひそやかな消費の快楽のみであることと裏腹である。カフェで一日中政治について議論したり、友人の複雑でポリアモリーな恋愛事情のゴシップを報告し合うのには、とても時間がかかる(実際一日丸ごと必要だ)。それとは対照的に、バーベルを上げたり、近所のジムでヨガ教室に参加したり、デリバルーに宅配を頼んだり、『ゲーム・オブ・スローンズ』を観たり、ハンドクリームや家電を買いにいったりといったことは、たとえば仕事のあいまとか休憩時間とか、どれもきっちりた定められた時間枠のなかで実行可能である。これらはどれも「代償的消費主義(compensatory consumerism )」とわたしが呼びたいものの例証である。それでもってわたしたちは、生活の持ち合わせがないという事実、あるいはあるとしてもかぎりなく乏しいという事実を埋め合わせることができるのである。" 319ページ


    この後も抜き書きしたいところがいくつもあるのだが、もう無理。

  • ブルシット・ジョブ。
    従事する人自身さえ、完全に社会に対し無意味だと思え、そのことを取り繕わねばならないと思う仕事。

    これは暫定的定義であり、かつ経済学が切り落としてきた主観的要素をはらんだものだ。
    けれど、こういう視座を作ることで見えてくることがある。

    この数十年、生産性は上がっており上がっており企業の利益も上がっているのに、どうして労働者の賃金が上がらないのか。
    それは、政治と経済が癒着した経営封建制による。
    上層部の権力を保全するために、管理職が増殖する。
    ここへの人件費に吸い取られてしまう。
    逆に、ブルシットでない仕事、ケアリング労働は、なくなると社会が崩壊するため、低賃金に留められる。

    私自身、ケアリング労働者で、中間管理職だ。
    無意味だと思える仕事がとみに増えてきた。
    無意味だと思うからこそ思うからこそやりがいがない。
    自分の周りで起きていることも、この枠組みで理解できることが多いように思われ、ぞっとする。

    大部な本で、読み通せるか不安だったが、読めてしまった。
    著者、グレーバーについては全く知らず、今回調べたら、昨年亡くなってしまったそうだ。
    経済学者だと思っていたら、人類学者だったとは。

    グレーバーは普遍的ベーシックインカムの導入を提唱する。
    それでうまくいくのか、自分にはまだ判断できないが。
    資本主義の限界をどう超えるのか、議論はこれからのところで亡くなってしまったのだなあ。

  • 注目新刊:グレーバー『ブルシット・ジョブ』岩波書店、ほか : ウラゲツ☆ブログ
    https://urag.exblog.jp/240529969/

    私たちが「クソどうでもいい仕事」に忙殺されてしまう意外な理由(藤田 結子) | 現代ビジネス | 講談社
    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56414

    ブルシット・ジョブ - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b515760.html

  • 久しぶりの単行本。まだ読み始めたばかりだが、ちょっと思っていた内容とずれていた。本書でいうブルシットジョブは職種自体で、なくなってもだれも困らない、しかも従事している人自身が自分の仕事を何の役にも立っていないと感じている。それでいて給与は高い。私が、昨年「現代思想」でこのことばを知って以来、考えていたのは、どんな職種であろうと、本来業務と関係のないところで、ムダな仕事がどんどん増えているということ。たいがいはミドルマネージャーが管理と仕事をしているふりをするために、現場に各種報告などムダな業務の遂行を要求する。私は、そういう仕事がやってきたら、頭の中でブルシットジョブと唱えながら、短時間で済ませるようにしている。どうせやるなら、意味のあるものにして、という発想もあるが、そんな時間はない。そうやって、時間外は月45h以内を何とかキープしている。さて、本書を最後まで読んで、考えが深まるだろうか。・・・深まった。以下、読書後の感想。

    やっと読み終わった。4000円分の値打ちはあった。ここでは、自分が考えるブルシット・ジョブ(著者がいう部分的なブルシット・ジョブ)について書いていく。今の会社に入って30年。最初の5年ほどはまだまだアナログだった。1995年、Windows95あたりから、パソコンがひとり1台になり、社内のネットワークを使って仕事をするようになった。「パソコンが入って仕事が楽になったでしょ。」当時の総務部長。「いやいや、かえって忙しくなっていますよ。」同じころ、各教室の清掃は外部委託するようになった。始業からのおよそ1時間、時間ができたわけだ。まったくもって余裕はできない。テストの作成についても、すべて本社または外部で作ることになった。これは職員のスキルアップのために大事な仕事だったと思うが、そういう時間もなくなった。少しは余裕ができたのか。できない。なぜならば、新たな仕事が次々と生まれるからだ。特にパソコン、ネットワークを使っての。「部長連中は仕事を増やすからなあ」これは当時専務の弁。いわゆるミドルマネージャーは現場職員のモチベーションをアップするのが最大の仕事だろう。そこで、目標を定めインセンティブをあたえる。すると各部署へ数値の報告(改ざんも容易な)を求めることになる。これが手間である。もともとモチベーションの高い職員にとっては本当に余計なお世話なのである。言われないと仕事をしない職員がいるからだろうが、何かと報告を求められる。そこにかける時間を顧客に向けた方がよほど会社に貢献できそうだ。(もちろん世の中にも)好き勝手に仕事をさせると、コンプライアンスに反するようなことをする職員がいるからだろうが、イレギュラーな対応についてはとにかく申請書が要求される。ブルシット・ジョブを作っているのはいったい誰なんだ。などとイライラしていると精神的に良くないので、私は、ブルシット・ジョブがやってきたら、「ブルシット、ブルシット」と心の中でつぶやきながらさっさと終わらせて、他の仕事にとりかかる。そうして、時間外勤務を月45時間以内に収めるのを目標に(改ざんはしない、月末に総計を見るのを楽しみにしている)日々の仕事にあたっている。それと、今回の緊急事態にあたって、ブルシット・ジョブ生成装置と思われる人びとはけっこう役に立っている。だから、すべてを排除するのがよいとは思わない。けれど、ブルシット・ジョブが減って、1日5時間×週4日勤務くらいですむようになれば、自分の世界をもっと広げられるような気がするなあ。もっとも、私の場合、あと4年もすると、自動的にそんなふうになるんだろうけど。おっと、忘れてはいけない。著者は政策の提言は控えると言いつつ、最後にベーシックインカムについて言及されている。やっぱりこれだな。生きるために働かざるを得ない、という状況をなくしていく。そうすることで、ブルシットだと自覚しながら働いている人の数は減らすことが可能だろう。ストレスはかなり減るのではないだろうか。みんな、好きなことを仕事にできればいい。

  • 仕事の価値とは何か、或いは、価値のある仕事とはどういうものか、ほとんどの人は一度は考えたことがあるとおもうが、世の中にこれ程、自分の仕事は無益である、ないし有害である、と考えている人がいるとは、正直思っていなかった。
    私自身は製造業に勤めているためか、その様に感じた事は幸いに無い。作っているものが、本当に人類の為になっているか、という疑問はあるが、それはどちらかと言えば現代の消費社会に関する疑問に近い。そうでは無く、自分の仕事が世の中に何も影響を与えていない、少なくとも良い影響を与えていない、と感じている人が多い、と言うのはかなり意外であった。そのような仕事が存在する理由が、その仕事が存在する事そのものである、と言うことも。
    価値を生み出すものは労働であり、逆に言えば価値(=市場的価値)を生み出し得ないものは労働ではない、と言うこと。市場的価値を多く生み出しうるもの(金融など)ならば、それはどんなものであれ労働であり、それに係る仕事ならば、どんなに有害であっても許容される。その構造を維持するためならば、無意味ないし有害な中間のポジションがいくらでも増えようとも、体制側からすれば、それは正しいことなのだ(プロテスタンティズムに基づいた労働そのものが修養的意味をもつとする刷り込みに対する言及は、個人的にはかなり面白い)。そして、経済というものが人間の生活を維持するためのケアリング的営み(まだ経済と呼ばれていなかったもの)から、余剰を生産し流通することを指すようになった事で、無意味な体制を維持する事が自己目的化していくことになる。
    一方で、市場的価値に換算できないケアリング領域を含む仕事、最も良い例が家事だと思うが、それらは仕事自体が報酬とみなされ、報われることが余りに少ない。実際には、そう言った仕事の方が、遥かに多くの人を生かしているとしても。このあたり、サンデルの公共善、価値に換算しえないものや、価値に換算することで腐敗するもの、への言及に通底するものがあるように思う。
    最後にベーシックインカムが書かれているのは唐突な感じは否めないが、著者が指摘しているように、あくまでガチガチに固まったブルシット構造を突き崩す一法の提案であり、これを結論とするのではなく、思考の材料とすべきだろう。

    非常に興味深く、かつ他に取り上げられる人がいない良いテーマを扱う論なのだが、多くのレビュアーの方が指摘するように、とにかく読み難い。原文の問題(1〜4章のインタビュー事例が多すぎ、論点が散漫。あとジャーゴン多すぎ)と訳の問題(ジャーゴンや分かりにくい言い回しの単語を直訳+ルビで載せている。巻末でフォローするくらいなら、いっそ噛み砕いて意訳したほうが良かったのでは)があり、色々もったいない。正直、半分ぐらいで読むのが苦痛になるレベル。論文ならばともかく、ブルシットジョブのあれこれ事例を挙げて定義を明確にする前半より、労働価値の考察に踏み込む後半からが、読み物としては本当に大事な部分だと思うのだが…。

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著者プロフィール

1961年生まれ。アメリカの文化人類学者、アクティヴィスト。アメリカ国内の大学で教鞭を執ったのち、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス人類学教授に就任。2020年9月、滞在先のイタリア・ヴェネツィアで急逝。著書『負債論』『ブルシット・ジョブ』は刊行後各国で翻訳され世界的なベストセラーとなった。主な著書に『アナーキスト人類学のための断章』(高祖岩三郎訳、以文社、2006年)、『負債論 貨幣と暴力の5000年』(酒井隆史監訳、以文社、2016年)、『官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』(酒井隆史訳、以文社、2017年)、『民主主義の非西洋起源について 「あいだ」の空間の民主主義』(片岡大右訳、以文社、2020年)、『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(酒井隆史ほか訳、岩波書店、2020年)などがある。

「2020年 『改革か革命か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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