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Amazon.co.jp ・本 (80ページ) / ISBN・EAN: 9784000614153
作品紹介・あらすじ
非常時というかけ声のもと、みんなと同じでなくてはいけないという圧力が強くなっています。息苦しさが増すなかで、強そうなひとの意見に流されてしまうことって、ありませんか? でも、あなたがいちばん耳を傾けるべき存在は、じつは、もっと身近なところにいるのです。あなたの最強のチームをつくるために、そのひとを探しに出かけよう。
感想・レビュー・書評
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2007年当時、教育基本法の改正などもあり、愛国や自己犠牲を強いるような風潮に大きな危惧を抱かれていたという梨木さん。
昔、吉野源三郎さんの著書「君たちはどう生きるか」を読んだ後、梨木さんがずっと抱えていた、その問いかけに対する一つの答えのようなものが、「僕は、そして僕たちはどう生きるか」だったそうだ。
そして2015年、「僕は、そして僕たちはどう生きるか」の文庫化にあたって行われた講演を元に文章化したのがこの本だ。
短い内容だが、梨木さんから次の世代へのメッセージがギュッと詰まっている。
重い言葉を意味を考えずに軽く使うことで、言葉が空疎になっていること。
近頃やたらと目につく「日本すごい」を連呼する家族自慢のようなはしたなさ。
この二つは、私自身がモヤモヤと感じていたことに、きちんとした輪郭を与えてくれた。読みながら、何度も首肯した。
以下それについて書かれた部分を抜粋(自分の言葉で書くと意味が変わってしまう気がするので)
p.12 「みんなちがって、みんないい」の重み
怖いのは、「みんな同じであるべき」「優秀なほど偉い」という考え方が当たり前のように場を支配しているのに、指導者が「みんなちがって、みんないい」と、その言葉のほんとうの意味も考えず、さして慈愛の気持ちも持たずに、型どおりにそれを繰り返していることです。
そうすると、言葉が空疎になり、なんの力も持たなくなります。
そんな言葉の形骸化が起きると、その言葉自体が陳腐なものになってしまうのです。
空洞化し、無力になる。
言葉の力とはなんでしょう。
p.14日本語について
けれど形容する言葉は、じつに使い方が難しいです。
大きな容量のある言葉を大した覚悟もないときに使うと、マイナスの威力を発揮します。
「今までに例のない」「いまだかつてない」「不退転の(決意で)」などなど、実際はそれほどのこともないのに大げさな言葉を使うと、実態との間に隙間ができるのです。
そこにヒューヒュー風が吹き荒んで、虚しさを掻き立てる。
言葉が、張子の虎のように内実のないものになってしまう。
だから、効果がないばかりか、じつに逆効果なのです。
こういう言葉遣いをするのは現代の政治家に多い。
インパクトの強い言葉で聴衆の気を惹きつけないといけないという気持ちが強すぎるのでしょう。
その結果、ほとんど真実でないことまで繰り出してくる羽目になってきた。
私は、今の政権の大きな罪の一つは、こうやって、日本語の言霊の力を繰り返し繰り返し、削いできたことだと思っています。
同じメカニズムで、国の底力を奪ってきたものに、ことさらに大袈裟な「日本すごい」連呼シリーズがあると思います。
以前はなかった現象ですが、ある時から急に目立つようになりました。この大袈裟な言葉も、言葉の価値を虚しくさせます。
そんなこと、わざわざ言われなくても日本という国に誇りが持てた時代があったのです。
だって、はしたないじゃないですか、自分の家族自慢ばかりしているようなもので。
自分というアイデンティティの一部、家族のようなものだから、だめなところも目につく。ついグチも言いたくなる。でも、心の中ではこの国に生まれてよかった、と思っている。
愛国心、ってそいう「ささやかだけれども堅固」なものだと思うのです。
言葉を発することの重み、改めて考えさせられた。
「日本すごい」を連呼するのは、既に多くの人が、「もうすごくない日本」に気づいているからではないだろうか。
”ほんとうのリーダーのみつけかた”に続く、
”今、『君たちはどう生きるか』の周辺で”、と
”この年月、日本人が置き去りにしてきたもの”
は、大人へ向けたメッセージと思われ、中学生には少し難しいかもしれないが、読んでみてほしい。
2021.7.8詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「僕は、そして僕たちはどう生きるか」を読んだ後に読んでみたかった一冊。そして、読んでみたかった理由のもう一つがこの本のジャケットが可愛いかったから。
あえて平仮名で表記されているこの「ほんとうのリーダーのみつけかた」は、内容はビジネス書のタイトルのようであり、かと言って、やっぱりビジネス書ではなく、決してあの手この手の理論でねじ伏せられてしまいそうな内容でもない。論理的で、読みやすく、平易な言葉で例えるのであれば、読みやすいという点で、中学生以上用(いや、もしかしたら大人向けかもしれない)の教本のようだ。
そして、この本をより理解するという点に於いては、「僕は、そして僕たちはどう生きるか」とセットで読むと、これら2冊の本の内容を共に100%理解できないと思った。(本当は、200%といいたいところであるが、実はもう一冊読まなくてはならないことが後でわかる)
本作のはじめに出てくる「同調圧力」。他と同じ調子になるように、全部同じ調子になるように、圧力がかけられることと、いう意味である。つまり、みんながカラスは白いというと、自分はカラスは黒いと思っていても、カラスは白いと言ってしまうこと。これって、日本人特有なのかなぁ?と、思っている。私は絶対、同調圧力に屈してしまう。
家族に「『カラスが目の前にいる。』でも、『みんなそのカラスを白いカラス』と言っている。例えば、貴方ならどう答える?」と、聞いてみた。みんな「黒い」と言う。だけど、それが知らない集団の中にいた時、拘束された集団の中にいる時、条件が有れば言う可能性があるかもしれないと言っていた。
それは次の「みんなとちがって、みんないい」のテーマにもかぶっている。みんなと違っていていいのであろうか?日本人の国民性でみんなと同じであれば、安堵しないだろうか?だから、みんなと違うと不安になるのだが…これは私だけ?
一方で「みんないい」と言われると、安心するかもとも思う。この言葉が本来持つ意味こそが大切だと感じる。
群れで生きる人間のコミュニケーション手段は言葉である。日本人の私たちの場合、日本語だ。自分の気持ちと異なる日本語を使ったコミュニケーションをしたときは、すぐに訂正する。つまりは、日本語を正しく理解し、使用することが、気持ちが伝わるコミュニケーションということ!
そして、本作の説明の順番としては前後するが、もう一つ、正しいコミュニケーションのために、「え?そうかなぁ?」と、思ったことを大切にする。その場で反対を表明する勇気がなくても、おかしいと思ったことは、伝える。黙っていることが美徳でなく、思ったことは伝える。そして、伝えるべきときを逸さないようにする。でないと、相手には伝わらない。これは親が子供の教育でよく言っていることだと思う(動物の躾でもよく使っている気がする)。私たちは子供の時に教えられているのに、なぜ大人になっても実践できないのだろう?いや、大人になってもできないのではなく、大人になって、できなくなったのではないかと思った。
正しいタイミングで自分の意思を伝えること…簡単なことなのでが、身に付けるのは意外と難しい。一生をかけて身につけていくものなのであろうと、改めて実感する。
私の本当のリーダーとは、「私の中の目」つまりは、誰よりも私のことを知り、いつも私の味方。私の側に立って考えてくれる。
群れというのは、本来、個人一人の考えで集まってできるもの。群れに属する前に、個人として存在すること。全てを相手に明け渡すのではなく、考えることができる個人になる!
そして、自分自身を批判することができる力を持つことが大切。他人の批判はしやすくても、自分の批判はしづらいもの。私の場合、批判をするというよりも、反省してしまうことの方が多い。いや、反省ではなく、もしかしたら後悔かもしれない。
自分の劣位にある分野を認めること。劣位であることを認めるとなぜか人間として負けたような錯覚に陥るような気がするが、劣位であることからの発見と、成長に繋げる志が持つことが、劣位の意義であるように感じた「敗者であることの奥深さ」であった。
最後に筆者の「君たちはどう生きるか」の解釈の章がある。
「君たちはどう生きるか」の中でコペル君が、叔父さんと二人、銀座のデパートの屋上で街を見下ろしている時、霧雨で霞んでいるような世界に、何十万という人びとが生きていることに思い至ったコペル君は「恐ろしいような」気持ちになる。
つまりは、自分が屋上から見ていることを知らない少年。また、自分を見ている人がいるかもしれない。見ている自分。見られている自分。それに気がついている自分、自分で自分を遠く眺めている自分、いろいろな自分が、重なり合って、コペル君出なくても、頭がクラクラする。
この「君たちはどう生きるか」が、1973年に発刊されて、今もなお受け入れられている理由は、客観性と、それに伴う主体性の「揺らがなさ」であると解説されている。
その例としてあげられているのが、インスタである。インスタは、人目を引くことに価値を置き、他者に評価してもらう。他者が主となり、個人としての主体性がないということになる。つまりは自分をジャッジする視座が、外界にある。自分をジャッジする視座を外界に置かず、自分の内界に軸足をもつことこそが、吉野源三郎氏のヒューマニズムであるとのこと。止むに止まれぬものとして、自身の内側を貫いて出てくる強さがある。
また、もう一つは、「子どもたちに向けられる熱のこもった眼差し」。この作品に滲む「子どもたちを守りたい」という「育む力」の強さであると記載されている。
これを読んで、「僕は、そして僕たちは」をより理解するためにもう一度「君たちはどう生きるか」を読んでみたいと思った。-
kurumicookiesさん
ネタバレになるから、読まない方が良い?
↓
君たちはどう生きるか / 財団法人大阪国際児童文学館 子ど...kurumicookiesさん
ネタバレになるから、読まない方が良い?
↓
君たちはどう生きるか / 財団法人大阪国際児童文学館 子どもの本100選 1868年-1945年
http://www.iiclo.or.jp/100books/1868/htm/frame081.htm2020/12/23 -
猫丸さん、
うわぁ、読みたい!読んでしまう(≧∀≦)
猫丸さんはすでに「君たちは」読まれたのでしょうか?猫丸さん、
うわぁ、読みたい!読んでしまう(≧∀≦)
猫丸さんはすでに「君たちは」読まれたのでしょうか?2020/12/23 -
kurumicookiesさん
実は未だ、、、だから「僕たちは」積読中、、、お粗末。kurumicookiesさん
実は未だ、、、だから「僕たちは」積読中、、、お粗末。2020/12/23
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私が抱くリーダー像は、指揮する引っ張るより目標へ導いたり、力を引き出せるような存在であること。
そういった意味で、挫けそうになったり怠けそうになる自分を良い方向へと再起さるためには、自分が自分自身のリーダーになることが必要なのかもしれない、、、そんなことを考えていました。
リーダーに関する本を読めばヒントがあるかな、、と思い過ごしていたそんな時に図書館で出会い、これだ!なんて直感が働いて手にとりました。
(梨木香歩さんが著者という安心感もあります。)
ほんとうのリーダーのみつけかた。
著書ではリーダー=心の目(良心)を指しています。
一番大切にしないといけないのは、あなたの中で自分を見ている目=内的なリーダー
今欲しかった心(思考)のピースがいっぱい詰まっていて、成長する足掛かりをもらえました。
時になれば、自然と本から出会いに来てくれるんだな、、、
心の視野を広げる考え方、見つめ方をやさしく教えてくれる。梨木さんから現代の若者へ贈るエールのような素敵な一冊でした◎ -
以前の『僕は、そして僕たちはどう生きるか』が書かれた時の講演の記録をもとに文章化されたのが本書だ。
『僕は…』は、衝撃的な本だった。「群れの中にいて、個人でいる」ことについて考えさせられた。それは、梨木さんがエッセイなどで何度も私たちに投げ掛けてきたものだったのだが、あれほどストレートにくるとは…。
『僕は…』が書かれたのは、教育基本法が変わり、何かが大きく変わろうとしていた時、伝えなければならないと連載を始めたという。
そして今、さらに危機感を持ってこの本を認めた。
新型コロナウィルス蔓延に伴い「非常時」という言葉を耳にするようになった。その中で戦時中のような同調圧力がますます加速してきたと梨木さんは言う。
「若い方々がまるで戦時下のような緊張感や抑圧をしいられていることにいたたまれない思い」だと。
そして「いつか、私などの想像もつかない、伸びやかな精神を持つ次世代が現れんことを、夢見つつ、祈りつつ」と結んでいる。
これは梨木さん、若い人たちへの祈りの書だ。
それは、私たちの祈りでもある。 -
梨木香歩さんの西の魔女が死んだが面白かったので、この本も読んでみました。物語じゃない本ってあんまり読んだことなかったけれど、胸にじんと沁みたお話でした。
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リーダーシップとは何かを細々と勉強していて、梨木香歩さんの語るリーダーとは何だろうと思って手にとってみた。
内容としては吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』に対して著者が回答のような形で書いた『僕は、そして僕たちはどう生きるか』という本にまつわる話を中心に、若い世代に群れ(同調圧力)の危険性と、自分で考えること(自分の中にリーダーを持つこと)の重要性を伝えるというもの。
…なんだけど、一番胸を打ったのは最後に付いている『この年月、日本人が置き去りにしてきたもの』という短い文章だった。これを読めただけでも読んだ甲斐があった。
その記事には、『科学の辞典』(1950出版)について、刊行によせて書かれた文章が引用されている。それが、著者の言葉を借りると「戦後の灰燼からようやく立ち上がろうとしている時期(にあって…)新しい時代の子供たちにその血肉になるような読み物を与えねばならぬ、という気概にあふれていた」。
新しい時代を作ろう、その中心となる子供たちを育もうという決意が熱くて、大袈裟でなく感動のあまり泣きそうになった。
今の日本社会から私が受け取るメッセージと言えば「人手が足りないから働いて欲しいし、でも少子化が進むと頭数が足りなくて社会体制が保たないから子供も産んでね、頼んだ!」というもので、そこに子供を社会として育もうという温かな視線は感じられない。極めつけにこの前本屋さんに行ったら『子育て罰』という新書まで売っていて気が滅入った。
そうでない時代があったんだ。それとも私がまだ知らないだけで、今の日本にも次世代を育む温かい灯火がともっていることを願いたい。 -
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図書4月号のPRによると、5/13に増補版(現代文庫)が出るとのコト。
若い人々を甘い言葉や、判ったような激で騙そうとする輩が多い。
...図書4月号のPRによると、5/13に増補版(現代文庫)が出るとのコト。
若い人々を甘い言葉や、判ったような激で騙そうとする輩が多い。
この本から、そんな偽りのリーダーを見極め、自分自身の生き方を支えるヒントを得て欲しい、、、2022/03/29 -
「ほんとうのリーダーのみつけかた」書評 批判精神を持ち続けるための鍵|好書好日(評者: 宇野重規 / 朝⽇新聞掲載:2020年10月03日)...「ほんとうのリーダーのみつけかた」書評 批判精神を持ち続けるための鍵|好書好日(評者: 宇野重規 / 朝⽇新聞掲載:2020年10月03日)
https://book.asahi.com/article/137821362022/04/10
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本書は、梨木香歩著「僕は、そして僕たちはどう生きるか」が文庫化された時に、書店で行われたトークセッションの「講演」内容を文書化したものと、雑誌「図書」に梨木香歩さんが寄せた文章を2つ載せたものになっているようだ。
ということは、先に「僕は、そして僕たちはどう生きるか」を読むべきだった・・・。
それはさておき、本書の元になったトークセッションが行われたのは2015年。この時点で、「世の中が変にきな臭くなってきました」と言っている。どうやら2013年に成立した「秘密保護法」をひとつの大きな原因として挙げているよう。それから5年の時を経て、コロナ禍という事態・・・著者の言う「きな臭さ」は増しているような気がする。
この本で言うところのリーダーとは結局、自分の中に見出すもの。結局は、自分で考え、自分の考えたことを大事にして、失敗などもきちんと受け止め、自分に対しても批判精神を持ち・・・というところか。「え?」と疑問に思うことを大事に、と書かれている。
梨木香歩さんの言いたいことひとつひとつはもっともだし、梨木さんの内省の深さは本当にすばらしいし、それを落ち着いた文章で表現されているところはさすがだけれど、少し詰め込みすぎてまとまりがないようにも思えた。ページ数が少ないので、さっと読めるけれど、まとまりがない分、さらっと読んだだけでは自分の中でまとめきれなかった。
繰り返すけれど、主張ひとつひとつには納得。 -
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梨木さんは小説家だから、本当は作品でこういうことを読者に考えて貰いたいと思っているだろう。なのに、この形で本にした、ということの重さを考えたい。
どうしても言わずにはいられない、この装丁からも、タイトルからもわかる通り、子どもたち自身が手に取って、読んで考えてほしいという、梨木さんの切なる思いが伝わってきた。
とても示唆に富む本なので、もっと色んなことも語ってほしいと思ったが、そうすると本が厚くなるし、子どもが手に取りにくい。あえて、子どもたちに今一番伝えたいことだけに絞って本にしたのだと思う。
自分の中に客観的に自分を見つめる、「自分のリーダー」を見つける。
この本の中に、戦争中、中国人捕虜を生きたまま銃剣で刺せと命じられた兵士が、それを拒んだというエピソードがある。そういう話を聞いても私なんをぞは、立派な人だなあ、と思うだけだが、梨木さんはこう言っている。(その兵士はAさん、としてある。)
「Aさんは英雄じゃない。英雄だったら、そこでこんなことはやめろと叫び、その中国人を助けて、でもその場で本人が銃殺刑になったかもしれない。Aさんをはそれはできなかった。言われた通り、その場には出た。でも、それ以上はしなかった。ここまではする。でもそれ以上はしない。これ以上はしてはいけない。やってしまったら、そこであなたのなかの「自分」ということの連続性が切れてしまう。それは魂の存続の危機。「それ以上はやるな」。おそらくこれはAさんのなかのリーダーの声。ギリギリで発せられた魂の声。」(P34,35)
その声を無視して(つまり自分の中にリーダーを発見していないと)、やれと言われるままにやってしまい、「自分ということの連続性」を失った人も多勢いただろう。
法や社会のルールが、自分の魂に反することを要求したとき、どうするか。
Aさんはその後暴行を受け、靴を口にくわえて雪の中を四つん這いで走らされたという。上官の命令がきけないとは、犬にも劣る、という意味で。
『あなたがもし奴隷だったら』でも、みんながそれを行い、それは正しく、やらなければ非難され、やれば褒められることを、本当にやらないと言えるか?という問いがあったが、同じだと思う。(そこでは奴隷を鞭打つことだった)
いじめも同じ。
自分の中にリーダーを持ち、その声に従える人が、自分も他人も大切にできる。
人の命にかかわることでなくても、自分の中にリーダーがいれば、たとえ敗北しても、尊厳をもっていられる。
「尊厳を感じさせ、かつ優雅である負け方にはいろいろあります。少なくとも、一番情けない負け方だけはするまい、それは自分が劣位であることを認められず、何とかして優位に立つため、ネチネチとあの手この手で相手を貶め、報復しようとすることです。負けを受け入れられないんですね。器があまりに小さいと、敗者であることが引き受け、れないのです。」(P46)
政治家とかにも読んでほしいところです。アメリカの大統領にも読んでほしい。子ども向けの本にも書いてあるよ、って。
この文章をきちんと理解できる子どもは多くはないかもしれない。でも、理解できる少数の子どもに届けばいいなと思う。
もちろん大人が読むのも良い。 -
人がリーダーを求める気持ちを肯定しつつ、そのリーダーとはなんであるかをわかりやすくて説いてくれている。
後半は育む力とは何かを問いかけ、大人の責任に言及している。
吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』へのアンサー本と言っている『僕は、そして僕たちはどう生きるか』刊行は2011年だが、再読してみたい。 -
『僕は、そして僕たちはどう生きるか』の文庫発売を記念して行われたトークセッションを書籍化したもの。同調圧力に屈せず、自分の考えをまとめ、表現するためには何が必要かについて語られています。読みやすいので、この本を入り口に、著者の他の本へと読み広げられるといいと思います。
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結局、本当のリーダーは自分の中に。
①彼がいう、リーダーの条件とは、
「毅然として、穏やかであること」
リーダーがすぐに興奮したり、落ち着きがなかったりしているようではだめだ。
☆ゆったりとしていて、余裕がある。
そんな人がいいよなあ。
②そう、あなたの本当のリーダーは、その人なんです。
③「え、そうかな」と思ったことを大切にする。
☆情報は都合のいいように伝えられる。多方面から情報を入手できるようにしておく。環境をもつこともまた大切。それと共に自分の頭で考えることも。 -
読み込んでいきたいなと思う本でした。特に今の私に響いた箇所は
「尊厳を感じさせ、かつ優雅である負け方」
「劣位にある自分をしばらく味わう
自分が「その分野では」劣位にあるのだ、ということを客観的に認める
自分の軸足は揺らがない」
「その後悔のおかげで、人間として肝心なことを、心に染みとおるようにして知れば、その経験は無駄じゃない
それから後の生活が、そのおかげで、前よりもずっとしっかりした、深みのあるものになる」
「子どもの新鮮な想像力、感受性がいかに強い力を持つか」
子どもの発想や想像力感受性は本当にキラキラした宝石みたいなその時にしかない特別なものだと思う
そして、「この年月、日本人が置き去りにしてきたもの」心に留めていきたいなと思います
素敵だなと思う方にお勧めされた本だったけれど、読んで良かったなあ、原作である『君たちは、どう生きるか』も読みたいなと思いました。
それから選挙権持っているこの国の将来に責任ある大人として、自ら調べて自分の意見を持つ義務があるなと、今まで有耶無耶にしてきたところを改めてしなければいけないなと思いました -
政治家による母語の破壊と国の底力の低下との相関関係になるほどと思う。どんどん言葉が壊されていく中で私にできることは、自分の頭と言葉で考えること。ゆっくり丁寧に言葉を選ぶこと。「私」と対話することを疎かにしないことだと思った。
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「君たちはどう生きるか」のことが結構書かれていて、結局「君たちはどう生きるか」が読みたくなったのでそちらを読むことにした!
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ほんとうのリーダーを知ることができました。これから、嫌なことがあったり、自分を見失ったりした時は、ほんとうのリーダーに相談しようと思います。
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