分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議

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  • 岩波書店 (2021年4月8日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (234ページ) / ISBN・EAN: 9784000614665

作品紹介・あらすじ

クラスター対策に3密回避。未知の新型コロナウイルスに日本では独自の対策がとられたが、その指針を描いた「専門家会議」ではどんな議論がなされていたのか? 注目を集めた度々の記者会見、自粛要請に高まる批判、そして初めての緊急事態宣言……。組織廃止までの約四カ月半、専門家たちの議論と葛藤を、政権や行政も含め関係者の証言で描くノンフィクション。

みんなの感想まとめ

未知のウイルスに立ち向かう専門家たちの葛藤と努力を描いたこの作品は、専門家会議の発足から廃止までの約五ヵ月を振り返り、政府や行政の声も交えた貴重な記録です。臨場感あふれる描写と分かりやすい構成により、...

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    コロナの罹患者を乗せたダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に到着したのが2020年2月3日。あまりに急なコロナの襲来に、政府は慣れない対応に追われ、国民は不安と恐怖に駆られることとなった。

    しかしそれからわずか数日後に、コロナ対策のためのアドバイザリーボードが厚労省内に設立された。WHOでSARS対策に携わった押谷、同じくSARS蔓延時にWHO西太平洋事務局長として指揮をふるった尾身など、感染症対策の専門家たちが厚労省から依頼を受け、アドバイザーとして組織を結成したのである。その後、このアドバイザリーボードの委員たち数十名が、そのまま内閣官房下の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」に移ることとなった。これがコロナ初期に「3密」「最低7割、極力8割」という明確な言葉で国民に行動を促した「専門家会議」であった。

    自分も本書を読むまで勘違いしていたのだが、専門家会議はあくまで「アドバイザー」としての立場であり、実際の政策立案にはタッチしない方針だったという。首相会見の際に、専門家会議代表として尾身氏が横で解説をしていたため、てっきり立案にまでガッツリ関わっていると思っていたのだが、実際にはテーブルを異にしていたらしい。

    だが結果として、専門家会議は政府を越えて「前のめり」に情報を発信していくことになる。
    その理由のひとつが、政府の対応の遅れだ。当然のことだが、専門家会議はあくまで「感染症対策」のみを目的とした組織であり、政府にその旨を助言するのだが、政府は財政・経済対策を念頭において公衆衛生政策のアクセルを踏まなければならない。必然的に関係各所への根回しが連鎖的に発生しうるため、緊急対策を講じたくても時間がかかってしまう。また、他政策との兼ね合い上、専門家会議の提案を100%飲むのではなく、実現可能なものとしてマイルドに修正する必要もある。そのため、どうしても専門家会議からしてみれば「遅く・弱く」なる。こうした事情を裏に抱えながらも、専門家会議は見解を国民に伝え続けたため、専門家会議がイニシアチブを取るように見える構図が出来上がってしまったのだ。

    それならば政府が強く専門家会議を主導してまとめ役になればいいのでは、と思えてしまうが、実際には政府がリーダーシップを発揮しなかったのである。
    例えば、専門家会議が「密閉・密集・密接」を避ける「3密対策」の見解を出したときのこと。その3日後の2月27日、安倍首相は突如「3月2日から春休みまでの全国一斉休校の要請」を宣言した。これは完全に寝耳に水であり、構成員の誰も聞かされていなかった。そもそも専門家会議の勉強会で「エビデンスが無い」と見送られた話である。
    構成員の武藤は、「自分たちが前に出て、予想以上に目立ってしまった。そのことで、政治家が専門家を出し抜くようなイニシアチブを取ろうとする引き金になってしまったのではないか」と話している。要は政治的な面子を守るための争いの引き金になってしまった、というわけだ。
    専門家会議の正しいあり方としては、科学的見地をもとに政府に有効性のあるアドバイスを行い、政府はそれを比較検討したうえで実効性のある政策を打ち出すことである。だが、そうした科学的なデータを無視して政治家の思惑に沿うようアドバイスを組み替えてしまっては、政策に一貫性が無くなってしまう。

    また、このように専門家会議に諮らずに物事を進める場合もあれば、専門家会議が出した案について修正を求める行為も頻繁に発生していた。
    例えば医療逼迫による人工呼吸器不足の試算について、厚労省は内容を削ってほしいと言い、専門家は譲れないと言う攻防が繰り広げられている。
    内容をかいつまんで説明すると、大規模流行時に重篤患者数が増加すると、地域の人工呼吸器の数が足りなくなってしまうことが想定されていた。専門家会議が作成した図には、国内の10万人あたりの使用可能な人工呼吸器台数が赤実線で示されていた。
    この赤実線について厚労省は「こんなものは入れる必要はない。入れてどうするんだ」と言い、西浦らクラスター対策班のメンバーは、事実だから書くべきだと反論する。厚労省は「それがわかったからどうなるんだ」と応じなかったという。
    両者のスタンスが食い違うのは、官僚組織側は説明責任を負っているからだ。極端な話、役所は「本当にそうと言えるのか」と詰められ続けてしまえば、9割がた「そうなる」と思っていても、残りの1割の不確定要素を無視できずに「そうなる」とは言えなくなる。赤実線は資料の解像度を上げるためのデータであるのだが、不確定要素をわざわざ入れるのはリスクにつながる。かつ、赤実線が示されたところで呼吸器を増台する方法がなければ、いたずらに国民の不安を煽るだけだ。
    確実なデータが揃ったうえでの意思決定でない限りは、国会で詰められる原因となってしまう。しかし、コロナという未曽有の事態に際して「確実」などあるわけがない。加えてサイエンスは失敗が前提であり、新しい知見が出てくれば、前のものは間違っていたとしてアップデートを繰り返しながら確度を上げていく分野である。
    間違うことができない官僚組織と、最善を尽くしても間違うことが前提となる専門家の間の溝が、両者を一組織としてまとめることを困難にしていたのだった。

    尾身「政治家は自分たちでリーダーシップを発揮したいという思いが当然あるに違いない。そもそも政府と専門家の意見が違うことがあっても当然だ。政治家に求められるのは、専門家の意見を聞いたうえで、最終的に国の責任で判断してくれることである。ただ、今回課題として残ったのは、ある場合には専門家に意見を聞いて、ある時は聞かないで決めてしまうという、一貫性の欠如だ」
    ―――――――――――――――――――――――――――
    以上が本書の大まかなまとめである。
    読んだ感想だが、抜群のノンフィクションだった。当時のコロナ対応の実態を知れるだけでなく、国と専門家との間のズレ・食い違いを余すとこなく描いた暴露本、としての読み方もできて非常に面白い。
    本書が刊行されたのは2021年4月のコロナ第4波中だが、コロナ禍が終わったあとの今だからこそ、答え合わせのように俯瞰的に読むことができる。是非オススメの一冊だ。
    ―――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    1 義勇軍の設立
    2020年2月初旬、未知のウイルスに感染した乗客の存在が判明したダイヤモンド・プリンセス号が、横浜沖に停泊させられたまま、乗客や乗員、医療関係者に感染を拡大させていた。
    その恐怖の最中の2月16日、突如出現したかに見えた専門家会議は頻繁に独自の「見解」や「状況分析・提言」を出し、記者会見をして注目を浴びた。

    専門家会議委員の押谷は、前向きの接触者調査――確認された感染者の濃厚接触者を探し出して徹底的に検査し隔離する対策――を行っても感染者が出てこないことに注目する。その時に、押谷はこのウイルスの重要な特徴――多くの人は誰にも感染させないが、例外的に1人が多数に感染させる例――がある可能性に気づいた。ということは、多くの人に感染させる集団(クラスター)を起こさないようにすることが流行を抑える鍵となる。

    2月24日19時、専門家会議の見解が報道解禁され、「密閉・密集・密接」を避ける3密対策の原型が盛り込まれた。この日を境に、専門家会議は政府に対する助言組織を超え、「専門家会議」という新たな固有名詞を獲得し、のちにそのイメージは実態を離れてひとり歩きし始めることになる。
    発表を重ねるうちに、専門家が対策を助言しているのではなく、決定しているかのような誤解が広がっていく。政府の政策決定プロセスが見えず、さらに専門家会議の議事録が公開されないこともあり、自分たちの命に関わる重要な決定から疎外された思いを感じ始める人も増えていった。そして本来は対策を決定する立場にない専門家会議が、批判の矢面に立たされることになっていく。


    2 クラスター対策
    押谷は、クラスターを見つけ出してその連鎖を止めるという対策を考案する。
    押谷「このウイルスは完全に制圧することは困難です。ゼロにできない以上、ウイルスが多少社会の中で伝播していくことも許容しなければならない。一番の問題は、木を見て森を見ないことです。大きなクラスターを起こさなければ、多くの感染連鎖は自然に消えていく」

    専門家会議が独自の見解を出した3日後の2月27日、安倍首相は国務大臣で構成する新型コロナウイルス感染症対策本部の会合の最後に、「全国すべての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について、来週3月2日から春休みまで、臨時休業を行うよう要請します」と述べた。
    それまでに行われた専門家会議の勉強会でも学校休校については幾度も議論されてきたが、科学的なエビデンスがないとして、休校に賛成する構成員はいなかった。政府決定はあまりに急な方針転換であり、専門家会議の構成員は誰も知らされてなかった。
    武藤は、「自分たちが前に出て、予想以上に目立ってしまった。そのことで、政治家が専門家を出し抜くようなイニシアチブを取ろうとする引き金になり、一斉休校につながってしまったのだとしたら、これからの政治と科学の関係は非常に難しくなる」

    2月14日、札幌市で道内初の国内感染事例が判明し、道内の広範囲で感染源のわからない感染者が報告されていた。もはやクラスター対策だけでは流行を制御できないかもしれない。この病原菌の難しさが再認識された。

    3月2日、専門家会議が北海道の分析を中心とした2度目の見解を出す。
    〈この一両日中に北海道などのデータの分析から明らかになってきたことは、症状の軽い人も、気がつかないうちに、感染拡大に重要な役割を果たしてしまっていると考えられることです〉
    最初の版では、「無症状」という言葉が入っていた。前回2月24日の見解では、専門家は「無症状」の文言を厚労省から外すよう指示され、いったんは削られたものの、最終的には復活したという紆余曲折があった。その無症状者からの感染について、厚労省は再び削除するようにと強く主張したのだ。

    このことについて尾身は悩んでいた。科学的に見れば、この1週間あまりの間で無症状者が感染させるという見立てが変わったわけではない。無症状者からの感染は文書に入れたほうがいいという考えに揺るぎはなかった。
    だが、厚労省は「国民が不安になる。さらにそれを国民に伝えたところで何かできるわけではない」と譲らなかった。
    最終的には、感染現場である北海道の知事から「無症状という表現は外して欲しい」との要望があり、見送った。
    もしも厚労省からの要望だけであったら、説得を試み続けたであろう。だが、現場からやめてほしいという声が強くあるまま強行突破すると、専門家と自治体との信頼関係が崩れてしまう。専門家の立場だけでなく、「感染症対策全体」のマネジメントを考えての決断だった。


    3 感染拡大
    WHOは3月11日、ついに世界的流行を認め、パンデミック宣言を発した。
    日本政府の水際対策は遅れを取っていたため、押谷は渡航者に14日間の健康観察を行うことを進言する。専門家会議の構成員から出た意見をまとめ、「厚生労働省への要望」として提出した。しかし、厚労省からのメールで、指定された地域についていくつも修正が加えられる形となった。データも無しに特定の国が危ないと書くと、外交問題に発展する可能性があるからだ。
    3日を争って緊急で取りまとめた「要望」だったが、ヨーロッパからの帰国者・入国者について2週間の待機が開始されたのは3月21日からとなった。さらに指定された地域以外全世界からの健康観察が行われたのは4月3日になってからだ。このタイムラグが感染拡大の一端になったと脇田は考えている。
    「実際に対策がとられるまでに2週間ほどかかってしまったところは、自分の押しが弱かったところだと思っています。要望を出したあとに、もっと強く言わなければいけなかった。出すだけで満足してしまった部分があったのかもしれない」

    それにしても市民に対する「見解」ならまだしも、厚労省に対する「要望」までも役所が事前に細かくチェックしたり、書き換えたりするのはなぜか。
    齋藤「専門家の文章はそのまま政策には使えないこともあります。どうしても実際の政策に反映するには脇が甘いところがあります。論理的に見えて、情緒的なところもある。それがベストな解なのか、断言することで他の選択肢がなくなることもありえます。一方、役人の文章はできないことを隠しがちです。こうやって解決しろと書かれても、現実的にはできないことがいっぱいある。たとえば専門家会議など役所に近いところのクレジットで文章が出ると、メディアや国会からはなぜできないんだと責められ、その説明に追われて、本来やるべき対策ができなくなることを役所は懸念しています」
    「『本当にそう言えるの?』と突き詰めていったら、8割方そうなるという見解すらも、エビデンスがないと役所としては出すことができなくなります。感染症の初期はエビデンスが十分にない一番難しいフェーズなので、躊躇なくスピード感をもって対策を行う必要がある。専門家といえど、政府の対策本部のもとに設置されている以上、まったく整合性がとれないことが書かれても困るのです」


    4 緊急事態宣言発出
    3月の3連休後、コロナ疑いの発熱相談外来の患者数が増え、重症患者の数も増大していた。3月下旬になると患者は病院からあふれる一歩手前になっていた。

    日本医師会は、医療と医療従事者を守るために、専門家会議よりもさらに一歩前のめりであった。
    日本医師会常任理事であり専門家会議構成員でもある釜苞は、3月30日に行われた日本医師会の記者会見で緊急事態宣言について、「爆発的に患者が増えてから出しても手遅れ。もう発出していただいたほうがよいという意見が専門家会議ではほとんどだ」と話した。専門家会議の構成員からは、「専門家会議の意見として正式発表する前に話されては困る」という批難があがった。しかし、前のめりにならざるをえないほどに、日本医師会には各地の医師会から医療逼迫の声が集まっていたのは事実である。

    3月28日には、西村大臣と安倍首相の間で緊急事態宣言を出すことがすでに話し合われていた。残りはいつ発出するかだった。
    4月5日、西村は尾身、押谷、西浦と緊急事態宣言に向けた非公式の話し合いの場をもった。西村にとって、この話し合いで一番印象に残っているのは、5日午前に西浦から示された、人と人との接触の「8割削減」についてであったと話す。
    「8割の接触削減をするのは世の中の人にとって相当厳しいんじゃないか」と西村は思った。「しかもどうやって削減するのか個々人にはわかりにくい面もある。ただし7割削減では感染が収まるまでにもっと長い時間がかかるという話を聞きました。その後すぐに安倍総理と相談して、『専門家はこう言っているが、どうしましょうか』と話し合いました」
    対して安倍首相は「8割では国民の理解が得られない」と反発。そこで『最低7割、極力8割』という言葉が採用された。
    4月7日10時から基本的対処方針等諮問委員会が開かれ、緊急事態宣言が東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪、兵庫、福岡の7都府県で5月6日まで発出されることが了承された。

    小池都知事は3月25日に記者会見で「感染爆発重大局面」というパネルを掲げ、「ロックダウン」を防ぐために不要不急の外出を自粛するように呼びかけた。小池都知事の発言に対し西村大臣は、「都知事がロックダウンという言葉を使ったので、都市封鎖との混同ではないと誤解を解くために緊急事態宣言発出が遅れた」と言う。
    だが、これに対して小池は「専門家が発信している言葉を引用しているだけ」と反論し、「物事は大きく捉え、明確なメッセージを出さなくてはならないのです」と自説を述べた。

    尾身は言う。「サイエンスというのは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、前のものは間違っていたということになる。そういう積み重ねが科学であり、さらに公衆衛生はエビデンスが出揃う前に経験や直感、論理で動かざるをえない部分がある。一方で役所は間違わない、間違いたくないという気持ちが強かった」
    対して厚労省の正林は、このように説明する。
    「一般論として役所には無謬性の原則はあります。ただ、緊急対応でやっていることに100パーセントはないでしょう。でもそういうことを言うと、国民がつらい思いをしているのに役人は怠けていると言われることもある。できるだけ間違わないように力を注ぎ、そして実効性があるように専門家と意見調整を行ったところはあります」
    無謬性を背負う官僚組織と、最善を尽くしても間違うことが前提となる専門家の間の溝は、埋まることはなかった。


    5 PCR検査拡大の是非と緊急事態宣言解除
    緊急事態宣言が発出されてから、専門家会議に対する批判は日に日に高まっていた。それまでは未知の感染症に対して、科学的知見を発信する専門家会議に対する信頼感は大きかった。だが、いったん緊急事態宣言という大きなハンマーが打たれたあとは、外出自粛や休業要請など苦しい生活を強いられる人たちが増え、純粋に感染症のことだけを考えるわけにはいかなくなり、感染症対策と経済の両立が必要だという空気に変わっていった。

    尾身含む専門家会議の構成員はPCR検査の拡大に肯定的であった。しかし、政府や都道府県のPCR検査の拡充は遅れている。市民の行動変容も進んでいない。そこで人々の意識を変えるために、4月15日、厚労省の記者会見室で西浦が中心となり、人と人との接触機会を減らす対策をやった場合とやらなかった場合の推計値を発表した。

    「対策をまったくとらなければ、国内で約85万人が重症化し、その約半分が死亡する恐れがある」

    押谷はこの件について「あの数字は言うべきじゃなかった」と述べている。
    実は押谷は、このころ過労で入院している。押谷はPCR検査の拡大に否定的な立場であった。NHKスペシャルなどに連続出演した際に自らの意見を発表すると、「検査をしなかったことで感染が広がった」という批判が殺到するようになった。これが過労の一因であった。

    結果的に緊急事態宣言は5月31日まで延長されることになるが、専門家会議の勉強会では緊急事態宣言の評価について激論があった。
    延長をめぐって、政府から宣言の効果を検証したいという強い要望があった。だが、データ分析を行ってきた西浦は、今見ているデータは2週間前の感染状況を反映しているだけで、宣言期間内の最初の頃しかわからず、十分に目標を達成したか判断できないと主張していた。
    対して尾身は、「エビデンスがないのはわかる。しかし、市民に理解してもらうためにはある程度方向性を示さなければならない。それには今までの常識や直感に基づいた何かしらのデータが必要だ』と西浦に猛反発した。

    緊急事態宣言終了に向け、政府から出口戦略の考案について専門家会議に依頼があった。
    尾身はクラスター対策班の鈴木に「どこまで感染者数が下がれば、クラスター対策ができるのか」と詰め寄った。鈴木は苦渋の表情でこう言った。「(10万人に対して)0.5です」
    0.5なら本当にいいのかなんて誰にもわからない。しかし、大まかな解除基準を示さないと前に進まない。全国一律の数字を決める妥当性、ゼロコロナシフトへの切り替えの是非、緊急事態宣言の延長……、喧々諤々の議論が交わされた。

    5月10日、尾身は官邸に行きこの数字を打診したが、政府からは「厳しすぎる」との意見があった。そのため最終的には「1週間単位で見て新規報告数が減少傾向にあること」「直近1週間の累積報告数が10万人あたり0.5人程度以下であること」を目安とし、「直近1週間の10万人あたり累積報告が、1人程度以下の場合には、減少傾向を確認し、特定のクラスターや院内感染の発生状況、感染経路不明の症例の発生状況についても考慮」すると決定。その後、諮問委員会の承諾を得て、北海道、埼玉、千葉、東京、神奈川、京都、大阪、兵庫の8都道府県を除く、39県を緊急事態宣言の対象区域から解除した。


    6 専門家会議の解散
    緊急事態宣言発出後から、専門家会議のメンバーは批判の矢面に立たされることが多くなった。構成員であり弁護人の中山は「弁護士でありながら専門家の暴走を止められなかった」として民事訴訟を起こされ、尾身は殺害脅迫を受け警察による警護がついている。脅迫状は他の専門家たちのもとにも届いた。

    武藤は言う。「今まで新しい生活様式など専門家会議の発言が世の中から怒られたり、国会でも野党から追及されたり、なんで自分たちはこんなに責め続けられないといけないんだろうとずっと思っていました。でもこの論考を読んで、政府が頼りないから専門家が前のめりにならざるをえなかった、専門家が政府の責任を負わされたことに気づきました」

    そこで武藤は牧原と一緒に、法的根拠のない専門家会議を解散し、特措法の下に新たな会議体を組織すべきという案を専門家会議に提出した。

    5月25日、緊急事態宣言解除の際に安倍は尾身と共に会見を行い、「世界的にも極めて厳しいレベルで定めた解除基準を、全国的にクリアした」として、こう高らかに宣言した。
    「我が国では、緊急事態を宣言しても、罰則を伴う強制的な外出規制などを実施することはできません。それでも、そうした日本ならではのやり方で、わず1カ月半で、今回の流行をほぼ収束させることができました。まさに、日本モデルの力を示したと思います」

    たびたび首相会見に同席して発言してきた尾身だったが、牧原は「首相と一緒に会見をやらないほうがいい」と尾身に進言していた。
    押谷は尾身に言う。
    「尾身さんが役職を務めたWHOのRD(地域事務局長)はいわば総理のような役割。だから決定した事項に関してその理由を説明する義務があるが、今の立場では尾身さんは説明してはいけなかった。10万人あたり0.5人という算出基準は何かといった技術的なことはいいですが、尾身さんが総理に代わってなぜ○0.5人を選んだかということは説明してはいけないんです」
    押谷はこのように考えていた。
    「専門家が人の命に関わること、亡くなるのが100人なのか、1万人なのかという分かれ目にあるような決定をしてはいけない。僕らは選挙で選ばれたわけではない。そんな突然集まってきた専門家が人の命を預かって、政策を決めるような国のあり方っておかしいでしょう」
    それまで尾身は自分が「前のめり」だとも思っていなかった。だが、WHOのRDの時には当然だった説明を行うだけで、専門家が責められることにも気づいていた。
    尾身はふと我に返ったかのように笑った。
    「WHOの時の癖が抜けなかったかもしれない」

    解散・改組の理由を述べた「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について」という文章、いわゆる「卒業論文」を専門家会議が出したのが6月24日だった。
    会見で脇田が、これまでの専門家会議の活動から見えた課題を説明した。
    「本来であれば、専門家会議は医学的見地から助言等を行い、政府は専門家会議の提言を参考としつつ、政策の決定を行うものであるが、外から見るとわかりにくくなっていたのではないか。また、専門家による情報発信においても、あたかも専門家会議が政策を決定しているような印象を与えていたのではないかと考えます」
    政府への提案としては、次の感染拡大に備え、専門家助言組織の責任範囲と役割を明確にする必要があること、政府のリスクコミュニケーションのあり方の検討、倫理的・法制度的・社会的課題など感染症対策の推進を通じて副次的に起こりうる問題を先取りして議論すべきだと話した。

    尾身のもとには「卒論」会見後、「前のめりだなんて自分を卑下することを言わず、使命感をもって積極的にやりましたと言えばいいじゃないですか」と幾人もから連絡があったという。
    尾身「でも私は前のめりだったと認めたほうがいいと思いました。自分たちのことは反省せずに、政府への批判ばかり言っていたら自画自賛だと思われる。我々も完璧ではない、反省すべきところは改めていくと伝えたかった」
    専門家会議の特徴は、この反省すべきは反省できるという点ではないだろうか。間違ってはいけないと考える政治や行政とはそこが大きく異なっていたのだ。

  • ◯とても面白い。NHKのドキュメンタリーさながら、臨場感があり分かりやすい。
    ◯専門家会議って国の組織じゃなかったのか、から、感染症の感染拡大、専門家たちの市民を守るという思い、専門家が訴えられる?!まで、波瀾万丈というかジェットコースターのような展開。
    ◯著者のスタンスも非常に好感。事実をどちらの立場に立つのでもなく、ありのまま伝えようという意志を感じる。だからこそ、行政、政治家、専門家と幅広い取材が可能となったのだろう。その記載内容に信頼がおける。
    ◯去年のその頃の自分を思い出しながら読めるという同時代性も良い。これは是非多くの人に読んでもらいたい。

  • 2020年の年明け以降、世界は新型コロナウイルス感染症に蹂躙された。
    中国・武漢から始まり、世界へと滲みだした感染症は、多くの死亡者を出しながら、野火のように広がった。人と人とが触れ合うことで広がる感染症の性質から、多くの国で都市封鎖(ロックダウン)や活動・往来の抑制が行われ、経済にも大きな影響が出た。
    現在のところ、日本では第五波がほぼ収束し、落ち着きを見せているが、世界全体では感染の再上昇が見られる国もあり、なお予断を許さない。

    本書では、日本で、2020年2月~7月に設置された新型コロナウイルス感染症専門家会議の成立から解散までを追う。
    先が見えない中で、構成員である専門家も、何度か「ルビコン川を渡る」決断をし、「分水嶺を越える」経験をする。誰も本当の未来が確実には予測できない中、専門知識を武器に、より良い方向へと社会の舵取りをしようという、それは必死の毎日だったのだ。

    本書では、専門家会議の構成員の証言から、専門家会議がどのような経緯で発足し、中では実際、どのような議論が行われていたのかを再構成する。
    専門家会議の前身である厚労省アドバイザリーボードができたのはダイヤモンド・プリンセス号が横浜に入港した2020年2月3日。構成員は12名。それがそっくりそのまま、2週間後に内閣官房付の専門家会議となった。

    そもそも感染症は完全に防ぐことは困難であるうえ、相手は未知のウイルスである。どのような対策を取るのがよいのか、手探りが続く。
    専門家会議としては、市民にわかりやすく科学的に正しい知識を伝えることが急務だった。
    しかしそこにはどうしても政治が絡む。出そうとする文言にチェックが入り、せめぎ合いが続く。ここは譲って、ここは譲らない。感染症を抑えるために、市民にどのように伝えるのが効果的かを予測しながらの判断となる。

    対策を取るにはまずデータ収集が重要なわけだが、ここからして非常にアナログだった。各自治体で書式が異なるうえ、基本は紙ベース。学生ボランティアなどがそれに眼を通し、必要な情報をピックアップしていく。まずは書式を揃え、情報を入手しやすい形にまとめる試行錯誤が続く。
    個人情報であるため、取り扱いも困難である。データ分析をするために専門家がやってきたのに、権限がなくてデータにアクセスできないなどということも起こる。
    また、当初使用されていた部屋は通信環境が充実しておらず、各々が持ち寄ったルーターで通信していた。何しろこの手のデータは重い。1ギガ、2ギガというものを数回やり取りしただけで、全員がWi-Fiにつながらなくなることもあった。これではオンライン会議も無理。スマホを数台並べてスピーカーモードにし、電話会議を行うことすらあった。

    そんな中で、日本独自の三密回避やクラスター対策といった方針が決められていく。
    感染が広まるにつれ、苛立ちは専門家に向けられることも増えていった。専門家の立場としては提言を行っているわけだが、記者会見などで具体的に話をするのは専門家であることが多く、どうしても注目が集まってしまう。
    脅迫を受ける者が出る。心身を壊す者も出る。訴訟を起こされた者すらいる。ギリギリの状況で激務が続いた。
    市民の側は、具体的な数字を欲しがる。緊急事態宣言が出た後、〇万人中、△人の発症者であれば解除できるといった形のものである。しかし、いくら専門家でも確実なことは言えないわけである。そこをどう判断し、どう落としどころを見つけるか。専門家の間でも激論が交わされる。

    実のところ、専門家会議という組織には、その存在に法的根拠がなかった。
    その中で、危機感から「前のめり」の強めの対策を訴えてきたわけだが、いささか無理が生じてきた。1つは専門家自身が政策を決定しているように受け取られる恐れがあること。もう1つは経済への影響が多大になり、感染症の専門家だけの議論では収まらなくなったこと。
    専門家会議は解散の方向へと向かう。
    2020年7月3日、専門家会議は廃止、以後、新型コロナウイルス感染症対策分科会として活動していくことになる。

    本書の内容はここまでだが、周知のとおり、その後、GoToトラベルやオリンピックを経て現在に至る。
    新型コロナウイルスパンデミックを総括するにはまだ早いが、手探り状態で進んでいた緊迫のドキュメントとして、読み応えのある1冊である。

  • この本は、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の発足から廃止までの約五ヵ月を振り返り、専門家たちの視点を核に、政府や行政の声も合わせた「乱世」の記録です。

    未知のウイルスを前に、使命感から命を削るように動いてくれた専門家たち。

    多くの人に読まれて欲しい本です。

  • 2021年の今日もメディアで発言をされている尾身氏を拝見しているので、私は本書を読むまでは、専門家会議が一旦解散して別の形やメンバーに変わっていることは全くわかっていなかった。
    本書は2020年7月3日に専門家会議が解散するまでの話である。

    本書著者があとがきに「本書ではできる限り、私の存在や考えを文中に出すことなく、それぞれの取材相手の方の葛藤や思考を記録するように努めた」(214ページ)と書かれており、それが成功しているし、そのお陰で読みやすかったと思う。

    まず読み始める前に本書をブクログに登録した際には、自分の本棚のカテゴリ内の、小説ではない、ノンフィクションやエッセイなどを入れておく『その他』に入れた。
    しかし読み進めていくうちに、これは『公権力の罪』のカテゴリに入れることにした。
    (専門家会議のことを公権力と捉えたのではない)

    なぜなら、2014年に読んだ門田隆将著「死の淵を見た男」は『東日本大震災』というカテゴリを作ってあるのでそこに入れてあるが、その時の自分の感想と同じであるし、『公権力の罪』のカテゴリに入れてある他の何冊かと本書とには共通点があるからだ。

    「ああ、また政府と省庁か…」「(監督省庁は違えど)ああ、また文言の削除か…」「思っていた通り、これも政府の危機管理能力の欠如だな」という印象を受けたのだ。
    もっとも、私は尾身氏や専門家会議に対して、本書に書かれているような世間からのマイナスなイメージは元々持ったことがなく、本書をまだ読んでいない時期にも私の中での不信感は官邸や省庁や自治体に対してだった。
    (たぶん今までにその手の書籍を数冊読んでいたからだと思う)
    専門家会議が政策を決定しているという誤解は私は最初からしていなかった。

    だから本書を読んで、尾身氏や専門家会議の方達への印象がマイナスからプラスへ変わったのではなく、ゼロ(言い換えれば、正直、特段意識していなかった)からかなりのプラスへ変わった感じだ。

    それに引き換え、官邸や、国民ではなく官邸向きの仕事しかしていない印象の省庁は、ひどいひどいとは思っていたが、ここまでひどかったことに呆れるしかない。

    マスク配布や一斉休校など、全く専門家会議に知らせることなく、意見をきくでもなく、いきなりのことで、メディアを通して突然その事実を知った専門家会議の先生が思わず椅子から転げ落ちそうになるほど驚くという、そこまで酷いとは。

    本書は、メモしておきたい箇所が非常に多く、スマホでちまちまと抜き書きを沢山していたのだが、それは間違いなく過去最高の長さになってしまった。
    ただ、単に自分への覚え書きのつもりでもここに載せてしまうと、私の雑な抜き取り方のせいで本書の内容との齟齬をきたしてしまうかもしれないし、かなりの内容の暴露になってしまい著作権侵害になってもいけないので、非公開メモの方に記録しておく。
    (そんなに良かったのなら買えばいいのだが)

    それくらい、「読んで良かった」「(主に、やっぱりな、な闇を)知れて良かった」と思える書籍だった。

    しかし書き方として、少しだけ残念に思った箇所もある。
    ①専門家会議等の関係者一覧以外に、本文にだけ登場する重要な役割を担った先生方の一覧も欲しかった。
    大抵どの方も肩書きというか所属名というか、それが長〜いし、途中でこの方はどういう方だったっけ?と思っても一覧が無いので、本文中を遡って探すのに困ったから。

    ②巻末の関連事項カレンダーに、全部は無理なのはわかるがもう少し本文の中に出てくる重要事項を落とし込んで欲しかった。

    ③「方丈記」や「聖書」などからの引用文と、本書では肝である専門家会議の提言とが、同じかっこ〈 〉で括られていたことだ。
    後者は非常に大事な部分であるのにわかりにくかった。
    太字なり【 】なり、とにかくもっと際立たせて欲しかった。

    最後に、本書を読んで私はほぼ確信し、諦めた。
    今後、(ピンポイントでわかるはずもないが)大体の時期と場所を割り出せる研究を日々している各種の専門家が、例えば「巨大隕石がいつ頃この辺に落ちてきそうだ」「近いうちにこの地域で大規模な地震が発生する」と政府に提言したとしても絶対に政府も省庁も動かないだろうな、隠すだろうな、自分達だけそっと避難するだろうなということを。

  • 対策案の考案、厚労省等の関係各所との調整、国民への情報発信などを、凄まじいスピード感で実行していった専門家の先生方に、敬意を表したい。

    もどかしく感じたのは、省庁内部や、国と地方など、縦割りに伴う信頼関係の薄さ、連携不足であった。
    特に、感染状況のシミュレーションに用いる感染者数等のデータを、地方自治体の発表資料から手作業で引っ張ってきていたことには衝撃を受けた。

    最近になって、科学的には徐々に解明されてきているにも関わらず、ワクチン接種や医療体制拡充などの対策がなかなか進まないのも、各組織間の連携がうまく行っていないことも原因にあるように思う。

    専門家会議に参加されていた先生自身による振り返りの著書等もあるようなので、読んでみたい。

  • 旧専門家会議は、特措法の下に無かったので、法律上立場が曖昧だったので廃止されて、その後に分科会に再編されたようです。(この辺の事情知らなかった)

    普段メディアで目にするコロナニュースだと、扇動的だったりして見る度に右往左往だけしてしまいがち。
    この本で昨年の6月まで活動していたコロナの専門家会議の中が、どう動いていたかが描かれていたので、これ読むとニュースから受ける印象が変わると思う。

    SNSでは、批判一本槍な風潮も目につくけど、それぞれの組織の仕事のやり方や専門性の違い。
    または、法律との兼ね合いが絡まって、これを普通の人が解きほぐして、運営を行うのは至難の業だという事が痛い程よく分かった。

    どの組織についても顔が見えないと批判的に見がちになる。

  • 大変興味深く拝読した。コロナが出てきた直後の意思決定がどのようにされていたのか、断片的な報道では知り得なかったことがまとまっている。未知のウイルスに対する初期対応の難しさがひしひしと伝わってくるまた、どう意思決定者に伝え、国民にコミュニケーションするか、何を課題として議論すべきかという点が、コロナ対策の本質的なテーマなのだとも再認識する。

    読んでいろんな疑問が一年越しに晴れた。なぜあんなにも意思決定が遅く感じられたのか、専門家はどんな立場だったのか、などなど。最終的に思ったことは、政治の意思決定と、科学分野の検証プロセスはあまりにも相性が悪いということ。
    そのギャップを埋めるために、結局は「人」同士のやりとり、つまりは政治的なかけひきがクッションとなっていたわけですが、専門家の方々の努力というか、思慮の深さには頭が下がる思い。

    非科学的で非合理な判断、イニシアチブをとろうとする政府が何よりも大きな原因だと思いつつも、また一方で、こういった人たちの能力と言葉を信じて、ともに危機を乗り越えていくぞ、という強い意志と、受け取る側のリテラシーが未熟だったこととも、日本のコロナ対策の問題では根深い要因だったようにも思う。

  • 読むきっかけ:新聞広告で知り、専門家会議の運営に興味を持つ。

    尾身氏をはじめとする専門家の矜持に低頭する。

    以下、文中の尾身氏の心に響いた言葉。

    「サイエンスというのは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、前のものは間違っていたということになる。そういう積み重ねが科学であり、さらに公衆衛生はエビデンスが出揃う前に経験や直感、論理で動かざるをえない部分がある。一方で役所は間違わない、間違いたくないという気持ちが強かった。」

    「リーダーは感情のプロである必要がある。リーダーとは何かといった本には、決断力やコミュニケーション、大きな方向性を示すことなどが書いてありますが、でももっとも重要で難しいのは、感情の、怒りのコントロールです。怒ったとしても、根拠のある怒りが必要だ。後で尾を引かないような怒り方をすることが重要です。」

  • 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は政府に対し状況分析や科学的根拠を持って対策を提案するため2020年2月に設立された。同年6月、西村大臣からの唐突な廃止発表まで約5ヶ月間、「3密の回避」、「人との接触8割減」、「新しい生活様式」などを打ち出してきた。
    本書は専門家会議の議論や葛藤の様子を会議メンバーや関係者の証言で振り返るノンフィクションである。議論の内容、政治や行政との溝と連携のあり方、市民生活への影響などについて、どのように考えていたかが生々しく伝わってくる貴重な一冊だ。
    未知のウイルスに対して、手探りながらも高所大所からレベルの高い議論がなされ、庶民目線ではなかなか難解なところもあったが、いくつかのポイントは理解できた。それを以下に示す。
    ①政府、官僚組織には「国民の不安を煽ってはならない」という考え方と「間違うことがないという前提で物事を進める無謬性の原則」がある。対して、専門家会議の立場は「サイエンスは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、間違っていたことを反省し、次に生かす。100%のエビデンスがなくても見解や提案として出せるものは出す」ということでスタンスが違う。
    ②政治家に求められるのは専門家の意見を聞いた上で最終的に国の責任で判断すること。今回課題になったのは、ある場合は専門家に意見を聞き、ある時は聞かないで決めてしまうという一貫性の欠如(尾身氏)
    ③国も大事だが、前線に立つキープレーヤーとなる知事の意見を聞かないと、暴走集団になってしまう(尾身氏)
    ④専門家の文章は論理的に見えて情緒的なところもあり、そのまま政策には使えない。一方、役人の文章はできないことを隠しがち。
    ⑤役所はパターナリスティック(父権的。強い立場にあるものが弱い立場にあるものの利益のためだとして、本人の意志を問わずに介入・干渉・支援する)な考え方なのに対し、西浦氏はベネフィットとリスクの情報を双方が共有するインフォ―ムドデシジョンを促すべきだという立場を取った。
    ⑥日本モデルはその都度アジャストすること。基本的な考え方は一貫しながらもその時々の状況や相手に応じて作成を変えていく柔軟さは中国やロシア、トランプ政権にはないよさ(尾身氏)
    ⑦専門家会議は特措法に紐付いていない法的に極めて不安定な組織であり危うい立場を余儀なくされた。対策の歪みや不満の矛先が彼らに向かい、脅迫されたり、警護がついたり、訴訟を起こされたり、一時的な入院生活を送ったメンバーもいた。政府が頼りなく「前のめり」にならざるを得なかったため、責められる立場になった。
    ⑧専門家会議の「卒業論文」で尾身氏は「前のめり」だったと認め、反省した。
    全体を通して、専門家の方々のご苦労がよくわかり、それに比して「専門家の意見を聞いて考える」という決まり文句で巧妙に責任を回避してきた政府への憤りが再燃した。

  • ●日本は何度でもチャンスがあった。それを幾度も逃してしまったからです。度重なる震災の時も、SARSや新型インフルエンザパンデミックの時も同じことを言い続けてきた。保健所や自治体の機能強化や人員の拡充、PCR検査能力の強化、リスクコミニケーション…鴨長明の方丈記にも、喉元を過ぎれば人はすぐに忘れてしまう、と書かれてある。
    ●専門家会議。国から頼まれてもしないのに専門家独自で、見解を発表したり、会見をするなんて普通はやらないわけです。政府の政策決定のプロセスが見えず会議の議事録が公開されないこともあり、本来は対策を決定する立場にない専門家会議が、批判の矢面に立たされることになる。
    ●尾身副会長は、自治医大卒、WHOで活躍し、ポリオを根絶させた人物。
    ●多くの人は誰にも感染させないが、例外的に1人が多数に感染させる例がある可能性に気づいた。多くの人が誰にも感染させていないのに流行が大きく広がっていると言う事は、1部のスーパースプレッダーがいると言うこと。
    ●情報を単純化して白かっ黒に分けるのではなくて、ありのままを、難しいなら難しいと伝えるべきなのです。ここで何もしないと感染が爆発的に拡大してしまう、完全には防御できません。それをどれだけ抑制できるかの瀬戸際なのです。
    ●厚労省はまず見解の文章を確認したい。それを下から上層部に順次上げていかなければならないと言う。「こういう時に忖度が起こるんだ」「今こそ我々の分水嶺ですね」

  • 未だ治まることのないコロナ禍の中、連日、総理大臣や関係閣僚・官僚が会見を行う。その中で「専門家の意見も参考にしながら、検討した」といった言葉を何度も聞いてきた。

    その専門家たちがどんな面々で、どんなことを話し合いながら政府に提言し、どのような形で反映されてきたのか。「コロナ対策専門家会議」が発足して、解散するまでに五か月間の動きを追った作品。

    専門家会議の提言、それを受けた関係閣僚・官僚の会見。現場が見えてないんじゃないかと憤る人も多かったのではないかと思う。かくいう私もその一人だ。だが、この作品を読むとそのカラクリの裏側が見えてくる。

    状況に応じた提言をしてそのつど修正を図っていけばいいとする専門家、省庁は間違ってはいけないとする官僚、手柄を我が物にしたい閣僚―。「専門家会議」はほぼそのままの形で「分科会」として現在も政府に提言する立場をとっている。そんな中、私たちはいったい何を信用すればいいのか。この国の危機管理を大きく問う一冊だ。

  • 「コロナ対策専門家会議」を舞台にしたノンフィクション。現在進行中のコロナ対策をテーマにするのは早いのかな?あっという間に時代に置いていかれるのでは?と、少し斜めに見ていたが、昨今、医療系のノンフィクションの秀作を書かれている河合氏の作とあって手に取った。
    つい今しがたのようで、ずっと昔のような気もする、昨年の2月から最初の緊急事態宣言が解除される頃まで。舞台裏はこんなだったのか、専門家達はここまで力を振り絞って闘って下さったのか、と改めて頭が下がる思いがした。時を経なければ見えないものがある反面、記憶が曖昧になることで記録として残せないこともある。後者の意味で本書はタイムリーな出版だったのだろう。
    何冊か読んだ新型コロナ対策をテーマにした本で、専門家の方々の尾身会長に対する敬意と信頼を感じたが、本書はまさにそうだ。今も孤軍奮闘されている。このような素晴らしい専門家がいらしたことをありがたく思う。

  • コロナ対策に関する提言で頻繁にマスコミに登場した「専門家会議」。3密とか、人との接触7割減とか、さまざまな提言を発信されました。その専門家会議は発足から約半年を経て、後継の組織へと引き継がれたのですが、その半年間に政権や厚労省などとどのようなやり取りがあったのかを追ったドキュメントです。
    感染症の専門家であっても新型コロナは初めて遭遇する感染症で、”サイエンスは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、前のものは間違いということになる。そういう積み重ねが科学であり、公衆衛生はエビデンスが出そろう前に経験、直感、論理で動かざるを得ない部分がある(本書より尾身先生の発言を抜粋)”という姿勢で臨まれたのに対し、政権や厚労省は”間違いたくない。誤ってはならない(無謬性の原則)”という姿勢で臨むため、どうしても両者の考え方には溝ができてしまう様子が克明に記録されています。
    あくまで政権に科学的なアドバイスを与えるという立場で関わるはずだった”専門家会議”が、あたかも政策を決定している当事者と勘違いされるほどに前面に出ざるを得なかった事情、疲弊する経済界や自粛疲れの市民からのいわれのない誹謗・中傷を受けながらも”コロナ禍の収束に向けて何かできないか”と粉骨砕身で臨まれた様子が伝わってきます。
    学者として譲れない部分と政権や行政とのすり合わせの中で妥協を強いらる状況への葛藤、感染症の専門家としての責任感や、どこまで政策決定に責任を持つのかという迷いとか、さまざまに変化していく状況下での専門家の皆さんの動きが鮮明に描かれています。コロナ禍がいまだ収束せず、多忙を極める専門家の方々の姿を、よく取材できたなぁ、と驚きを禁じ得ない印象です。
    記者会見でよくお見掛けする尾身先生はかつてWHOで感染症対策の最前線を経験された方で、記者会見などでは一見クールな印象を受けますが、本書からは責任感の強さや使命感に燃える熱さが伝わってきて、この方が日本のコロナ対策の中枢にいて下さったこと、今も責任ある立場で関わって下さっていることが日本にとっての幸運ではないかとさえ感じさせられました。

  • 専門家委員会と厚生労働省の軋轢。コロナ禍における専門家たちの正しくあろうとする信念と、国民がパニックに陥るリスクをなるべく排除したい国側の思惑のせめぎ合い。規制・制約の嵐だが、何のために設けられ、守られてきたルールかを考えると安直に批判もできない。当事者のほとんどはそんなことは百も承知で、それでも未知の世界レベルの危機に対してどうすべきかを無私で考え続けた人たちのリアル。

  • なんともう6年も前の出来事になってしまったのか、という思いと、遠い過去のように思えるような気分の間で読んだ。
    当時、職場の国際課に籍を置いていた私は、年明けすぐ位には中国で新たな感染症が出たらしいよ、といううわさは聞いていた。

    国際会議の準備に追われるなか、「誰かブレーキ踏んで!(国際会議を中止にして)」と思っていたのは事実だけど、でもここまで大きな出来事になるとは思っていなかった。
    連日行われる閣僚会議というのか、各省のコロナ対策報告の資料がその都度送られてきていたが、気になるのは外務省や国交省の報告が先で、厚労省などは最後の方にちょろっと出てくるだけだったこと。
    当初は水際で食い止めることこそが唯一の方針だったとしても、省庁の序列順の発表というのは部外者には違和感が残った。

    コロナ対策専門家会議は、国の機関ではない。
    感染症対策の専門家たちが、自主的に立ち上げた組織だ。
    法的権限は何もない。
    ただ、政府に提言し、政策の根拠としてほしいと。

    けれど内閣の責任、省庁の面子などで、思うように対策を講じることはできなかった。
    逆にマスコミの前で発言する専門家たちに対抗するように、政府は彼らに何の相談もなく学校の全国一斉休校や、布マスクの配布を決めた。
    そんなことよりもっと優先してほしい政策があるのに。

    厚労省に対して発信する文書ですら、厚労省からの書き直し指示(修文)が入る。
    理由としては、きつい言い回しは国民が不安になる、やれる保証のないことを書かれては困る、等。
    一番矢面に立っていたのは、副座長の尾身茂氏だが、彼は何度も役人や政治家と意見をすり合わせ、どこまでできるのか、何は譲れないのかを伝えあった。

    が、「なぜ国民の暮らしに制限をかけるのか」「どんな権利があってそれをするのか」と、不平不満は彼のもとに集まる。
    本来は政府が責任をもって主導していかなければならないのに、なぜ一個人が叩かれる?

    尾身氏はWHO西太平洋地域事務局長としてSARS制圧をした時に、記者会見等の質疑応答に答えていた経験があるので、マスコミの前に出ることに疑問を持たなかったのだそうだ。
    しかしWHO時代は責任者として行っていたことで、コロナに関しては内閣か厚労省が前に出なくてはダメだったと思う。
    現在、後手に回ってしまった失敗は全て彼らの責任としてケリをつけられているような気がする。

    また、緊急時であり個人情報も含まれるということで議事録の開示もままならなかったときに、モリカケ問題や『桜を見る会』などの安倍政権の文書改竄と同じ扱いを受け批判の対象になったという無念。

    命懸けで、コロナの拡大を防ごうとした人たちへの評価が、低すぎるのではないかという思いが強くした。

  • 専門家会議のみならず政治家、厚労省官僚、学生ボランティア、現場の医療者等々多数の登場人物がそれぞれの立場でいかにして未曾有のウィルス禍と向き合ったかが淡々とした筆致で綴られる。ずっと緊迫した群像劇を見るかのよう。尾身先生の人間力に圧倒され感動。「問題が起こることは当たり前で、平穏な人生などそもそもない」。

  • 専門家会議は、事前準備されたものでなく、寄せ集めであった。
    尾身先生の人間力は、すごい。
    専門家会議の位置づけが不明確であった。
    専門家会議は、やはり前のめりになっていた。
    役人と専門家 同じ言葉を話していても、食い違いが生じる。橋渡し役も必要。

    重症度も低いことがわかった。

    もっと、日頃から御用学者と密接に関わっているものと考えていた。が違った。

  • コロナ対策ふりかえり本。専門家会議の発足から解散までのドキュメンタリー。どのような議論があったか、どのように施策が決定されたか等が多くの関係者に丁寧に取材されている。私たちの記憶にまだ新しいニュースも多く、その裏で起こっていたことに臨場感がある。

    読むにつけ、尾身さん、西浦さん、押谷さん、河合さんをはじめとした専門家会議メンバーの献身に頭がさがる。想像以上にボランティアで得なしの役割。答えがない問題に手探りで取り組むときの科学者のアプローチ方法に感心した。

    ふりかえりが非常に重要だと思うけれども、政治的な理由でうやむやにしようとしている人たちがいる。次に起こったときにつなげたい、という専門家会議の遺言が活きてほしいと切に願う。

  • 【おすすめポイント】2020年初頭、大型クルーズ船での集団感染が報告され中国武漢市での都市封鎖が始まった頃、日本の各都市でも感染が広がり政府に専門家会議が置かれました。2020年2月から6月、初期の混乱期のドキュメントです。政府の対応や専門家たちの苦悩、日本の状況が見えてきます。
    【請求記号】498.6:Ka
    【配置場所】2階
    【URL】https://mylibrary.toho-u.ac.jp/webopac/BB28184592

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著者プロフィール

河合 香織(かわい・かおり):1974年生まれ。ノンフィクション作家。2004年、障害者の性と愛の問題を取り上げた『セックスボランティア』が話題を呼ぶ。09年、『ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち』で小学館ノンフィクション大賞、19年に『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』で大宅壮一賞および新潮ドキュメント賞をW受賞。ほか著書に『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』『帰りたくない 少女沖縄連れ去り事件』(『誘拐逃避行――少女沖縄「連れ去り」事件』改題)、『絶望に効くブックカフェ』がある。

「2023年 『母は死ねない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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