戦争の文化 パールハーバー・ヒロシマ・9.11.イラク ((下))

  • 岩波書店 (2021年12月7日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (378ページ) / ISBN・EAN: 9784000614863

作品紹介・あらすじ

自らに都合の良い思考、異論や批判の排除、過度のナショナリズム、敵の動機や能力の過小評価、文化的・人種的偏見——今もなお世界を覆う「戦争の文化」の本質を、真珠湾攻撃から原爆投下、九・一一事件、イラク戦争に至る日米の愚行を通じて描き出す。『敗北を抱きしめて』で知られる碩学の長年にわたる研究の集大成。

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  • 東2法経図・6F開架:392.5A/D89s/2/K

  • SDGs|目標16 平和と公正をすべての人に|

    【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/778094

  • ふむ

  • 日本占領を扱った著作でピューリッツァー賞も受賞している泰斗だけに、イラク占領と比較対照してその違いは何だったのか聞いてみたいというのが読者の一番の興味かもしれないが、最も心揺さぶられたのは、その前の「原爆投下の論理と心理」だった。
    今まさにロシアによるウクライナ侵攻が始まり、首都キエフで市街戦が始まる様子を横目で見ながらだったので、これらの章で明らかにされる戦争の本質、理性では戦争の愚かさや悲惨さを理解しながら、血を渇望し、破壊に恍惚とし、野蛮へと落ちていく論理や心理、文化に深く感応せずにはいられなかった。

    まず著者は、原爆使用を急いだのはなぜかと問う。
    アメリカは戦争終結にはソ連の対日参戦が必要だと考え、要請までしていたのに、いざスターリンが決断し、実際にソ連の対日参戦の準備が整うと、その前の原爆投下をなぜトルーマンは急がせたのか?
    なぜ原爆を投下する前に「国体」の存続を保証し、日本に早期降伏をさせなかったのか?
    日本が狂信的に徹底抗戦に固執する理由が「国体」護持であることを、米英の諜報機関は事前に掴んでいたのにも関わらず。
    なぜアメリカは、原子爆弾が使用可能になればすぐに使用すべしと舵を切ったのだろうか?

    トルーマンは原爆実験の成功が判明した時、ソ連の対日参戦を回避できるのではないかという考えが生まれ、やがて日本の占領に参加させないと心に決めた。
    このように、広島と長崎への原爆投下の背後には、ソ連を威嚇するという目的の他に、多額の開発費を議会に説明しやすくするため、あるいは共和党側からの批判を封じ込めるといった、政治的な目的があったと言われている。

    また、もしアメリカが無条件降伏の文言を変更し要求を緩めていれば、おそらく日本の降伏を早めることができただろうと考えられる。
    確かにその未来においては、原爆投下もソ連の参戦もなかったかもしれない。
    ただ、マッカーサーの権威は無条件降伏を背景にしていないぶん低下し、彼の占領政策もより穏当なものとなり、当初の急進的な改革は進まず、現在のような「非軍事化と民主化」した戦後日本の立ち位置も変わっていただろうことは容易に想像がつく。
    無条件降伏し、天皇制の命運がしばらく未確定な状態に置かれたからこそ、マッカーサーの権威は最高に高まったからだ。
    「敗北した日本は、いわば白人の天皇を戴くこと」になり、そのことで戦後の民主化のプロセスが始まった。

    原爆実験の暗号名「トリニティ」は、三位一体の神をうたった詩から取られたものだが、そこからは「砕き、吹き飛ばし、焼き尽くす」というオッペンハイマーの技術への陶酔と新たな神への信仰が伺える。
    無機的な戦争の機構と巨大な機構を動かしているという満足感がそこにあり、そこから大量破壊の美学と破壊の恍惚と制約なき暴力の甘美さが生まれる。

    戦争の残虐性は、原爆や"超空の要塞"B29のような、巨大なスケールの複雑な最先端科学が持つ甘美さに心を奪われ、一種の美学に満たされることで、忘れ去られてしまった。

    死への欲動や、原始的な血の儀式にみられる破壊への恍惚は、古代から続く人類の消し去り難い衝動なのだろうか?

    想像上の超兵器による破壊を見て、ある者はすばり「美しい、だがそれは恐怖を呼ぶ美」だと書いている。
    本書では、B29の機長の「上空1500mで爆発する火の群れは、最初の爆発の後、液体のように分かれて降下し、さながら花火のようだった」という言葉とともに、その下では日本人がB29を見て「半透明で、幻想的で、まるでガラスのトンボのよう」で、振り注ぐ爆弾を「銀の滝」と空襲の美に見とれていた様子を併記しているのが印象深い。

    不謹慎だと思うかもしれないが、爆撃した人だけでなく、爆撃された人々でさえ、実際にどれほど空襲の美に魅了されていたのかという事実も伝えることは重要なことだろうと思った。
    それは「鍵穴から覗き込む地獄」であるとともに、「劇場で見るような壮大な光景に...声をあげて驚嘆」するほどの美的印象を持っていたのだ。

    日本でも原爆の展示など、たんにショックを受け、言葉を失わせるような悲惨さを見せるだけでなく、一方では魅入られるような陶酔さも感じられていたという事実を合わせて伝えないと、戦争の本質はなかなか理解できないような気がする。

    「今から4時間後、人間が作った最も偉大な兵器によって、都市の一つが地図から抹消されるのだ」という乗組員の言葉の横に、破壊され、廃墟になった都市の写真とともに、その後の発展の様子も合わせて展示すればいい。
    簡単にわかったという気にさせるのではなく、なかなか腹に落ちず、もやもやさせ、混乱させ、咀嚼するのにたっぷりと時間のかかるような展示も望ましいのではないかと考えさせられた。

    いまのロシアとウクライナをめぐる戦争を見ても、コストと対価が全く釣り合わない、どう考えても不合理で非論理的な事態も、サル山のボス猿が落ち目になって、いままで懐いていた一番の子分が群れを離れ、敵対するグループに秋波を送ったところを見て逆上し、誅伐を加えているようにしか見えない。
    本書にも、「過ちを犯した指導者や残虐行為を行った兵士に対する仕返しとして、国民全体に報復を加えたいという願望」-「相手の行為とつりあった報復と考えることによって、人々は無差別のテロ行為を正当化できた」と、断ち切り難い報復の論理が書かれている。

    原爆投下の論理も、この延長上にある。
    これほどの破壊的な兵器を将来、真珠湾攻撃のような日本の卑怯な攻撃によって、万が一にもアメリカの都市で使用されるくらいなら、我々がどのくらいの報復力を持っているか見せつけてやるために、この戦争が終わるまでに一度、生贄相手に実践しておくべきだ。
    投下もせず秘匿しておくなどもってのほかで、原爆投下は将来の戦争のない世界を作るためにも、払わねばならない必要悪なのだ、という理屈である。

    9.11テロの正当化も、驚くほどこの原爆使用の論拠と共通性が見られる。
    むき出しの力こそ生命を救い、自由を擁護するのだとか、敵を絶滅させることが正義と慈悲の行為だとか、暴力が平和を生むという本当に倒錯した論理。
    将来の抑止になりうるという原爆投下と同じ論理で行われたのは、東京裁判もそうだった。
    国家行為の責任を指導者個人に負わせ、国際法廷で裁くというのは前例がなかった。
    新たに「平和に対する罪」と「人道に対する罪」を設け、違反する行為を裁いたが、自身が行なった一般市民に対する計画的な空襲は、戦争犯罪から除外した。

    戦後、アジアの人々にとってアメリカの日本占領は「不自然で不気味な喜劇」と映った。
    なぜなら、敗戦国であるはずの日本を繭のように保護し、父親のように面倒を見るのに、日本に痛めつけられたアジアの人々に対しては、取り残された日本兵を使って独立運動を抑圧し、植民地を維持し続けようとした。
    略奪し、苦しみを味あわせた日本人により多くの自治を与え、虐げられた人々の自由や独立は制限するという矛盾ほど、歴史のアイロニーを感じさせるものはない。

    よくイラクでアメリカが失敗したのは、イラクや中東についてほとんど予備知識がなかったからだと言われているが、必ずしも地域専門家がいないから占領が難航したのではない。
    というのも日本で改革を進めたアメリカ人も、日本語を喋れず、知識も殆どなかったからで、リクルーティングにおいても、先入見が入るからとスペシャリストは敬遠された。
    実はこの頃、知日派であればあるほど、日本の民主化は無理だと否定的だったのだ。

    日本占領では、人材が政治的に右も左も含んでいて、人類の普遍的な価値を信奉するジェネラリストを積極的に採用した。
    イラク占領でも、アラブ専門家は無用と排除されたのは同じだが、結果は異なった。

    一方で、イラクの占領政策に日本の占領統治の手法を参考にしましたと言いながら、やっていることは正反対だった。
    イラクでは政府の機能を縮小し、民間部門を優遇し、外国からの投資の障壁を除去するといった、自由主義原理主義的な政策が取られたのに対し、日本では政府による介入を前提にした計画経済と批判されるような真逆な政策が取られていたのだから。

    さらに日本やドイツでは、大きな庇護のもと長期に渡って国家建設や社会改造を行っていたのに、イラクでは、当初から軽い足跡しか残すつもりはなく、政権を打倒したら軍はすぐにも撤退させ、国家建設への深い関与を否定しつづけ、フセインが倒れたらすぐにも新政権が誕生するはずだという甘い見通ししか持っていなかった。
    日本占領を理想と語りながら、そのくせ国家建設や計画経済は嫌悪していた。
    「日本占領の経験がイラク占領への赤信号であることは、初めから明白であった」

    もともとアメリカに、日本やドイツの経済を再建する意思はなかった。
    むしろ、経済的にも武装解除を進め、両国の経済的支配を永久に撤廃し、経済的更生につながるような行動は慎むように指示されていた。
    いまの経済的困窮は自らの国策が招いた自業自得なのだから、近隣国以上の生活水準なんてもっての外、餓死者が増えない程度に捨て置かれていたのだ。
    その点からすると、イラクはむしろ早急に手厚い対策が打たれたのだが、進むべき方向が間違っていたのだろう。

    冷戦が激化したことで経済政策が180度転換したのだが、「当時の日本に関わったアメリカ人が、ブッシュ政権のイラク政策を支配した市場原理主義の発想を知ったら、さぞ驚いたことだろう。ましてや、経済復興そのものを利益追求第一の外国の私企業に委ねると聞いたら、仰天したかもしれない」。
    民営化だ、アウトソーシングだと言えば聞こえはいいが、契約した業者は縁故のあるアメリカの私企業で、その点、日本においては報酬目当ての強欲な利得者を呼び込むことをよしとしない、道徳観のある担当者によって指揮されていた。

    戦後の日本の復興を助けたのはアメリカの援助によるところが大きいというのは神話で、援助の開始も遅く、効果も今ひとつだった。
    むしろ、アメリカの援助額より、アメリカ占領軍の駐留経費の日本側の負担額の方が大きかったのだ。

    日本の復興を加速させたのは、占領期の経済政策というより、朝鮮戦争による特需の影響が大きかったのは確かだが、その後の日本製品のイメージを決定づけた「品質管理」は、実はこの頃のアメリカの軍需からの日本製へのクレームによるところが大きく、事実、日本が品質管理を学んだのも、アメリカ人のデニングからだった。

    国家による経済の介入というと、保護主義的な日本のお家芸的政策のように見なされるが、実際に日本を国際市場から厳しく制約をかけたのはアメリカの方で、中華人民共和国の封じ込めに無理やり参加させられたのだ。
    その埋め合わせに、日本はアメリカの持つライセンスと特許へのアクセスを優先的に許可されるという役得を得たが、「経済介入的国家であったのは日本というより、むしろアメリカであった」。

    イラク戦争とサブプライムローン危機。
    戦略的愚行と経済的愚行だが、軍事と金融の破綻がほぼ同時に起こった事実は、看過してはならない。
    ここに戦争の文化とマネーの文化の間にあった境界線は溶けてなくなり、もはやあらゆるレベルで病理が進行していることが示されているからだ。
    政府だけでなく民間部門でも、信条的な思い込みの虜になった。
    生の情報と歴史のつまみ食いに走り、非常に高いリスクがあるのに平然と無視するという、想像力の欠如による愚行が繰り返されたのだ。

    最後に、戦争の文化とは何か。
    それは、特定の地政学的状況や宗教を超えて、戦争において人類共通に見られる思考・行動様式全般を指している。
    太平洋戦争を理解するのに日本の「皇道」を、イスラムのテロリストの動機を理解するのに「ジハード」を、分析しないと何も説明がつかないわけではない。
    注意しなければいけないのは、日本の占領政策を担当したアメリカ人たちが優秀だったから成功したわけでもなければ、ブッシュ政権の面々が愚鈍だったからイラクの占領政策が失敗したのではない。
    戦争の文化の本質性を考えれば、愚行は誰にでも起こりうる。

    「崇高な目的をかかげた夢想の宮殿においては、必要な悪とはよりマシな悪のことであり、それが”善”であり、”慈悲"でさえある」

    「戦争の栄光とは、軍国主義者と空想家が称賛し、人道主義者と現実家が疑問視してきたものだ」

    「心理的緊張や固着が、敵意と戦争の大釜の中でどのように増大し、理性と感情と空想はどのように溶け合わされるか。血の恨みがどのようにして血への渇望となるか。そして激情のほとばしりが、いかにして野蛮への後退に変貌するか」

  • 上下2巻通読。執筆中イラク戦争開始によって構成を変えた為か、同じところを何度も往復している。9.11テロ後からイラクへの無法な開戦に至るアメリカへの強い憤激が、冗長な内容になった一因でもありそう。太平洋戦争時の日米の描写はフラットで、両者に厳しく両者に理解を置いた筆致は一定の安心感があったが、それもまた2010年代の無残なアメリカに対するカウンターパートとしての側面が強い。部分々々の見解や情報は正確かつ有益ながら、1冊で纏めてほしかった印象。

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