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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784000615426
作品紹介・あらすじ
徳川の泰平は、徳川政府の大名に対する厳格な支配によってもたらされたものではなく、各々の分に応じた義務を遂行する、または遂行しているように見せかける双方の「演技」によって作り上げられていた――様々な統制や制度の中でどのように政治が動いていたのかを、当時の人々の政治行動の理解のしかたに即して解き明かす。
感想・レビュー・書評
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全日本人必読レベルの傑作。
まずタイトルが絶妙すぎる。
確かに泰平は"演じられた"。
泰平がまやかしだったわけではない。
事実、二世紀以上の間、徳川の権威への反乱はほとんどなく、世界で最も安定した統治の一つだった。
何によって?
もちろん、支配と服従によって。
しかしそれらは演技であり、大掛かりな芝居だった。
つまり、支配と服従の演技が統治の鍵そのものだったのだ。
死者が遺言状に印を押し、検分に来た医者さえ演技に協力する。
記録では一人の大名だが、実際は二人の人間が入れ替わっていたり、七つの子供が17歳だと言い張ったりと。
これまで徳川の記録や史料を調べている研究者は頭を抱えていた。
大名が同時に生きかつ死んでいるからだ。
まさにゾンビではないか。
丹念に洗っていくと、これは見せかけの事実をそれがさも現実であるかのように記録しているためだと気づく。
何だ、当てにならないな。
特に上位者の側の記録は「表」の行動しか記録しないから、政治の実情を見誤りやすい。
ただ、役に立たないと同時に役にも立つ。
領主は徳川政府の命令に完全に従っているふりをしながら、彼の領地ではそれを無視することがあった。
これは、単なる不服従や権威の低下を示すものではない。
徳川の政治秩序の目的は、中央集権による直接管理ではなかった。
そこにはつねに緊張関係があり、領内の仕置を預ける代わり、外にはみ出た場合は厳しく対処する。
混乱を起こさず、平穏を保つ義務が課されていた。
大名が処罰されるのは、領分の統治の失敗よりも家の統治に失敗したときで、その時は「家中仕置等宜しからず」と罰せられる。
大名の権能は「私領」の「自分仕置」(私的経営)と表現された。
統治における「公」は常に徳川を指し、大名は徳川の法の許す範囲で「私」的に領分を経営せねばならなかった。
しかし領内では「公」となる複合国家。
徳川時代のヒエラルヒーにおいては、下位者は「自立的」でありつつ、同時に上位者に「完全に従属」していた。
「徳川の権力にとって、服従者の側が法の通りに義務を遂行できないとき、それでも義務を遂行しているかのように演技することを要求できる力こそ、統治の決定的な道具だったのであり、それが日本の泰平を効果的に維持していたのである」
決定的に重要なのは、「内」と「表」の活動を分離すること。
そうできるなら「表」で服従していても、四六時中服従している必要はないのである。
「表」における服従の演技は、下位者が上位者の設定するヒエラルヒーと基本的な秩序を受け入れていることを再確認する印となった。
一方で、「表」の状況を混乱させる者は、無知ないし礼儀知らずと見なされた。
飾り立てが単なる脅しや虚勢ではなく、「表」の儀礼を管理することを通じて体制の安定性を確保するよう機能していた。
「すべてのリーダーは、泰平の受益者であると同時にその人質でもあった」
地方における真実と徳川政府に提出された情報の乖離を見ると、大名はしばしば、徳川の役人と共謀した上で不正確な情報を与えていたことがわかる。
この情報の乖離は、徳川時代の極めて初期からのことだった。
定期的な巡見も、高度に形式化・儀式化されていた。
徳川側が当初から重視していたのは監査ではなく、大名が徳川の支配権に服従するドラマを演ずることだったのだ。
正確な実態の把握が主眼ではなく、服従と義務の演技の見極めが重要だったのだ。
このため都合の悪い部分は隠蔽され、意図的な欺瞞に満ちた見世物と堕した。
しかしそれは徳川の衰退の兆候とかじゃなくて、むしろ適切で安定を保証する「統治の証し」だったのだ。
表と内という論理を徳川政府が推奨する以上、困った問題もあった。
武士の言葉が真実の言葉で、将軍でさえ従わざるを得なくなったのだ。
「真実」を疑うことは武士の「面を汚し」、名誉と自律を侵すものとなった。
そのため、主君の命なく勝手に切腹し果てたのではと遺体をあらためようとすると、家人から病死で間違いないからと簡単に追い返されたり、領分の「私的経営」が徳川への奉公義務に優先することはあり得ないはずなのに、自らの領分統治を優先するため病気療養を言い訳に参勤交代に行かないなどが起こってしまう。
表と内の論理とも密接に結びつくためか、公儀からのお咎めはなしく、むしろ内心理解している。
しかし厳格な法を変えずに、表と内の隠喩を操作してやっていこうという目論みは50年目に瓦解しかける。
跡継ぎ不在による領地没収の法のせいだ。
これは、明治維新までに日本全国の大名家が全滅していたとしてもおかしくないほど厳しい法で、ハードルが高すぎる、考えれば考えるほどの無理ゲーだった。
政府も慌てて1651年にこの法を改め末期養子をようやく認めるのだが、今度は今度で、領主が生きているかのように演技する必要が出てくる。
たとえ事実に反しても、物事のあるべき姿を共に演ずることこそが「表」と「内証」の政治の生きた形だと。
本書が素晴らしいのは、いかに歴史を語るかにフォーカスを当てている点で、国民国家以前の歴史を「国民的」に物語る愚かさを指摘している。
「ある言葉はある特定の場と政治空間でのみその意味をなす」のだ。
大名の家臣は主人の領地を「藩」とは呼ばなかった。
それは「領」や「国」と認識されていた。
「藩」という語が初めて公式に使われたのは、明治新政府になってからだ。
同様に「幕府」も王政復古の宣言の時に、徳川政府の呼称として定義された。
それまでは「公儀」と呼ばれていた。
つまりどちらも廃止のためだけに作られた特異な概念に過ぎない。
つまり、「明治維新は単に政治的な革命ではなく、歴史叙述における革命でもあった」のだ。
これにより、封建秩序を意味づけていた語りの形式は滅ぼされ、江戸時代の用法をわれわれ現代人が呼び出すことさえ難しくなってしまった。
それともうひとつ素晴らしい点は、政治空間を操作し、「表」での行動と「内」の空間での行動がしばしば相互に矛盾する秩序を日本独特のものだと見なしていないこと。
実は読みながら、公文書管理のお粗末さや、専門家のお墨付きを得るための結論ありきの有識者会議など、いまの日本にもつながる話だと感じてしまっていた。
しかし著者が汲み上げた知見は、偏狭な日本人論に囚われることなく、もっと視野が広かった。
江戸時代に似た権力構造は、東南アジアや近世イギリスなど世界各地に類例が見つかり、どれも複合的なヒエラルキーを抱えている政体に共通するものらしい。
「大きな秩序が小さな秩序の重なりとして、かつ上下に構成されているとき、下位組織は上位組織に内部事情を秘匿しつつ、上や外部の表に向かっては別の物語を語る」、下位者が上位者に対して自立性と従属性を併せ持つ構造を持つとき、表と内の政治空間が生まれているのだ。
いままで江戸時代の話を読んでいて、なんで苛烈な弾圧が待っているのに、こんなにも繰り返し一揆が起こってたんだろうと疑問だったが、この本を読んでよくわかった。
そもそも御法度のはずの越訴など、権力のヒエラルキーに逆らう訴訟が許された理由も、表と内の論理が説明してくれる。
どちらも民衆の側に相当の覚悟と上位者の体面を失わせる術策がありされすれば、必ずしも無慈悲に弾圧されたりはしなかったのである。
もちろんそこにあるのは慈悲ではない。
あくまで表と内の論理の世界に適ってさえいれば、演技空間に包摂されたのである。
著者による「日本語版へのあとがき」、それに続く「監訳者あとがき」と「訳者あとがき」によって、本書がとても丁寧に作られていることがわかり嬉しくなる。アメリカに住む専門家が、研究のために高知に何度も訪れ、人に会い図書館などで資料を蒐集するなど、特定の地域を愚直に掘り下げ突き詰めていった結果、世界を縦断する一般モデルの造形に昇華していく奇跡。そして何より、江戸時代に相応しい歴史叙述とするため、著者の希望に応え、使い慣れた従来用語を用いず、新たな表現の開拓に挑まれた訳者の方々に敬意を表したい。 -
東2法経図・6F開架:210.5A/R52t//K
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米国人研究者によるユニークな江戸時代の政治力学に関する論考。精読したわけではないがたいへんおもしろかった。跡継ぎ不在で領主がなくなると、本来は領地没収となるのだが、そこを領地では「生きているかのように」演技し、それを見届ける徳川の大目付としても事情をわかっていてなおその演技におつきあいすることで、互いに秩序を守る=「表」を維持することに協力する姿が描かれる。そこらへん、事前に徳川とは「内証」の交渉をしておくわけだ。ほんとうにあったことは「表」の記録だけではわからない。江戸時代は体面を維持することがなにより重要だったため、この「表」と「内証」の政治が広く行われたが、近代において立憲制と個人の権利という言説の中で正当性を失ったため、「表」と「裏」、もしくは「本音」と「建前」という世界になったという結論も一理あるなと思わせる。
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